8月9日の原爆記念日、田上長崎市長は戦争の風化に警鐘をと訴え、安全保障法案に反対しました。
戦争の風化に警鐘…長崎70回目の「原爆の日」 被爆地・長崎は9日、70回目の「原爆の日」を迎えた。
長崎市松山町の平和公園で営まれた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には、被爆者や遺族、安倍首相ら約6000人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。
田上たうえ富久市長は長崎平和宣言で「戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点」と強調。戦争の記憶が急速に失われつつあるとし、高齢化する被爆者や戦争体験者に経験を語るよう呼びかけた。各国首脳には、核兵器禁止に向けた法的枠組みの議論を求めた。
原爆投下時刻の午前11時2分、「長崎の鐘」が鳴り響き、参列者全員で黙とうをささげた。
田上市長は平和宣言で、原爆だけでなく、各地であった空襲や沖縄戦、アジアでの戦争にも言及。若い世代に対しては、過去の話として切り捨てずに戦争の記憶を受け継ぎ、核兵器のない世界の実現のために行動を起こすよう訴えた。 しかしワタシは戦争はもう既に完全に風化していると思います。
ワタシが戦争の風化を痛感したのは、80年代ぐらいからです。 その頃から朝日新聞始め日本の大手マスゴミの多くが「歴史を学べ」というキャンペーンを始めました。
けれども彼等が学べと言う歴史は実は、事実に基づく歴史ではなく、南京大虐殺など中国共産党政権の作った歴史か、或いは慰安婦強制連行や朝鮮人労務者強制連行など、全く荒唐無稽な話でした。
我が家では当時朝日新聞を購読していたので、ワタシは朝日新聞のこうした記事は全部読みました。 ワタシの親族には中国戦線に出征した人はいないので、中国に関する記事については半信半疑でした。
しかし慰安婦強制連行や朝鮮人労務者強制連行は完全に嘘としか思えませんでした。 実際戦時中20代で保険会社の事務員として働いていた母も呆れ果てていました。
だって母は戦時中に慰安婦と言うのがどういうモノが知っていたのです。 慰安婦は兵隊さん専用の売春婦です。 兵隊さんなら普通に誰でも行くのですから、でもなんでもありません。
だから当時成人していた人なら誰でも慰安婦や慰安所の事を知っていたのです。
今の我々が誰でもキャバクラやデリヘルについて誰でもある程度知っているのと同じです。
そしてその後間もなく完全に戦争が風化した事を証明する記事が出ました。
つまり植村隆の慰安婦=女子挺身隊説です。
女子挺身隊は女性を勤労動員する為の組織で、売春婦である慰安婦には全く関係ありません。 動員されたのは、女子学生、未婚或いは既婚でも子供のいない無職の若い女性、そして美容師など戦時に不必要とされた仕事に就いていた女性です。
女子挺身隊はこのように広く動員されたので、女子挺身隊員だった経験を持つ人は大変沢山いました。 それで戦後は文学やエッセイに沢山描かれています。
例えば太宰治の代表作「斜陽」の主人公は華族の令嬢ですが、独身で無職だったので女子挺身隊員として軍需工場に動員される場面が出てきます。
だからワタシは植村隆の記事を読んだ時に、大変驚きました。
あ、朝日新聞の記者は「斜陽」も読んだ事がない!!
これが文系高学歴記者のレベル??
秦郁彦先生はこの植村の記事について「朝日の記者でも姉や叔母が挺身隊員だった人が沢山いるはずなんだけどねえ・・・・・。」と言っていました。
しかしそういう「歴史を学べ」「戦争体験を風化させるな」と言いながら、そういう事さへ確認しないのが朝日新聞の記者のレベルなのです。
しかしこのレベルの記者を揃えているから、社を挙げて慰安婦=挺身隊説を捏造して報道できたのです。
こんなレベルですから勿論歴史なんか勉強するどころではないのです。
だから簡単に中国や韓国の反日プロパガンダを鵜呑みにするのです。 本当に歴史を学んでいれば、こんなお粗末な報道はしないのです。
本当に「戦争を風化させるな」と言うなら、朝日新聞のOBには実際に従軍記者として南京戦に参加した
阿羅 健一氏のような人が沢山いるし、当時の写真や記事も山ほど保存されているのです。
そう言った人々の「戦争体験」を聞き、そして自社が保管している過去の記事を検証すれば、「歴史を学べ」と言うキャンペーンとして報道したような馬鹿話を記事にできるわけもないのです。
しかしそれにしてもこんな荒唐無稽な馬鹿話が、大々的に報道されて、更にそれに他のマスゴミも追随したのはなぜか?
それはこの時期には既に戦争は風化していたからです。
と言うより朝日新聞始めそれに同調するマスゴミが、必死になって戦争を風化させたのです。
つまり戦争に関して阿羅 健一氏のような真実の体験を伝える代わりに、吉田清治のような虚言を「戦争体験」として報道する事によって、真実を隠蔽したのです。
このようなことができたのは、この時期起きた世代交代のお蔭でしょう。
80年代になると、成人として戦争を体験した人々は、60代半ばを過ぎて会社を定年退職しており、社会的影響力は大幅に縮小していました。 ちなみにワタシの父は1941年から出征した完全戦中派ですがこの時期65歳で死亡していました。
しかし60代半ば過ぎても殆どの人は健康で記憶も明晰です。 だから社会的影響力の減退に乗じて、これらの人々の真実の体験をネグレクトしたのは、明らかに自分達のプロパガンダに不都合な「戦争体験」を消滅させるためではありませんか?
それではこのように虚偽の戦争体験を使って、真実の戦争体験を風化させた人々は、それによって何をしようとしたのか?
これは明らかに、中国や韓国への利益誘導です。
実際この虚偽の報道で「謝罪と賠償」として、中国や韓国に莫大な経済援助が行われました。
そしてもう一つは9条教の布教でしょう。
今回の長崎市長などその典型です。
戦争は恐ろしい
↓
戦争をしてはイケナイ
↓
安全保障法案反対
極めて短絡的で情緒的で、しかし露骨そのもののプロパガンダが目的なのです。
これまで事あるごとに彼等はこの手法でのプロパガンダを続けたのです。
人間は感情に囚われると、理性が停止すると言う性質があります。 だから間違った判断を避ける為には、感情を排して理性を働かせなければならないのです。
しかし長崎市長等が好んで行う戦法は、感情を煽る事で理性を停止させることなのです。
つまり戦争に関して悲惨な話、オドロオドロしい話を次々と繰り出して人々の感情を、戦争に関する恐怖や嫌悪で釘づけにしておこうと言うのです。
またそれに乗じて、子連れ女性や若者を動員して「徴兵制になる~~~!!」と叫ばせ、或いは高齢者を動員して「殺し殺される!!」と喚かせる事で、理性的な思考を断ちろうと言うのです。
しかしこれが愚劣な猿芝居である事は、理性を失わなければわかります。
戦争は自分が戦争反対を唱えれば、戦争を避けられる事などあり得ないのです。
もしそれが可能ならフィンランドやノルウェーやスイスのような超小国は苛酷な徴兵制を実施する必要はありません。 哀しいけれど、世界史上自国が勝手に戦争を放棄しただけで戦争を防いだ例などないのです。
戦争を防ぐには相手国が「この国を攻めても勝てそうにもない」「この国と戦争したら自国も大きな損害を被る」と納得するような防衛力と、そして強力な同盟国を持つなど合理的で現実的な外交なのです。
「戦争体験が~~!!」「戦争を風化させるあ~~!!」と喚く人々は、この理性を封殺しようとしているのです。
ちなみにワタシの記憶では、70年代まで戦争体験者の発言は、むしろ極めて合理的、理性的でした。
この時期までマスコミに出る戦争体験者の殆どは、成人として戦争を体験した人々でした。 そして唯悲惨な体験を話すだけでなく、なぜそのような意思決定に至ったっかまでを冷静に話てくれました。
だから当時は今時期テレビや新聞に山ほど書かれる戦争体験談も、歴史の記録として大変質の高いモノでした。
そしてこの世代の殆どは、現在マスゴミが煽る「9条を守れ」「日本が悪い」などの論調には全然同意していません。
戦争は恐ろしけれど、国を守る為には戦わなければならない時もある。
国防は極めて重要である。
あの戦争は日本だけが悪いのではない。
これが実際の戦争体験世代の多数派でした。 だから自民党が戦後長く政権を取り続けたのです。 そして重光葵のようなA級戦犯や岸信介のように戦前戦時から政権の中枢にいた人も、政治家として支持されていたのです。
こうした世代に反発して、反戦平和妄想に嵌ったのが団塊世代です。
彼等は現実的な外交国防政策を唱える戦中派世代(彼等の親世代)に反発して、ひたすら妄想平和主義を唱えたのです。
戦争を風化させたいのは、実はこの世代の願望なのです。
しかし彼等の反戦平和論は、当然の事ですが自分の戦争体験から来たのではありません。 当時一世を風靡したベトナム反戦運動から来ていました。
しかもそのベトナム反戦運動と言うのは、戦争をすることでアメリカは非難するけれど、ベトナムは一切非難しないと言う奇妙なモノでした。
このベトナム反戦運動に乗せられた連中は、「戦争に反対するなら双方に反対しないのがオカシイと言う」
最低限の思考さへ放棄した連中だったのです。
これは1970年に当時に若者に大流行して、大阪万博のテーマソングにもなった曲です。
彼等がくちずさんだ平和の歌は、実は戦争を体験をネグレクトした歌なのです。
戦争を知らない子供たち 北山修
1.戦争が終わって僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った
大人になって歩きはじめる
平和の歌を口ずさみながら
※僕らの名前を覚えてほしい
戦争を知らない子どもたちさ
2.若すぎるからと許されないなら
髪の毛が長いと許されないなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて歌うことだけさ
※(くりかえし)
3.青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いてゆこうよ
きれいな夕陽のかがやく小道を
※(くりかえし) その世代が80年代から始めたのが「歴史を学べ」のキャンペーンであり、今やっているのが「9条を守れ」キャンペーンなのです。
これでは戦争が風化するのは当然であませんか?
戦争を風化さえたい連中が戦争体験を捏造しているのですから。