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2023-09-14 11:30

ツゥキディテスの罠 スパルタの戦い その1

 最近「ツゥキディテスの罠」と言う言葉が聞かれるチラチラ聞かれるようになりました。   「ツゥキディテスの罠」とは「一つの国に国力が急激に上昇すると、周りの国々との軋轢が生まれ、そこから大戦争が勃発する」事を意味しています。
 現在この「急激に国力が上昇している国」は中国です。 それで現在「ツゥキディテスの罠」と言う言葉は、中国が原因となる戦争「台湾侵攻」の脅威を指しています。

 しかし元祖「ツゥキディテスの罠」はペロポネソス戦争でした。 そしてこの時代「急激に国力が上昇した国」はアテネでした。
 アテネは第一次ペルシャ戦役、第二次ペルシャ戦役に勝利して、東地中海とその沿岸から完全にペルシャ勢力を放逐しました。
 のみならず第二次ペルシャ戦役時に創設した海軍力をその後も維持する事で、東地中海の制海権を確保しました。

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 これには良い事も悪い事もありました。
 良い事はこれで東地中海の安全が完全に確保されて、この地域に完全な自由貿易体制が確立した事です。
 これは東地中海周辺諸国を大きく経済発展させました。
 
 尤も一番発展したのはアテネです。
 アテネは古代国家でありながら、主食である小麦は黒海周辺やエジプトから輸入し、国内の農地では専らオリーブや葡萄酒など貨幣価値の高い製品を作ると言う状態になりました。
 また陶器や武器など手工芸品の輸出もアテネの経済を支えました。
 
 驚くのはアテネ市民の中には海外資産を持つ人達がいる事でした。 そりゃ今では一般国民でも気楽米国債など海外資産を気楽に買えますし、それで日本は海外資産保有額で世界最高になっているぐらいです。
 でも、紀元前300年頃に海外資産って?

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 この時代のアテネ市民の海外資産は主にトラキアなど東地中海北部地域の鉱山でした。 アテネは元々商業・手工業で繁栄した国で、これで富を蓄えたアテネ市民達はトラキアの鉱山開発などに投資し、この利益で生活ができる富裕層が第一次ペルシャ戦役以前から存在しました。
 例えばツゥキディテスなんかも元々海外資産家でした。

 これらの海外資産はペルシャ帝国の侵略なんか受けたら一発で喪う事になるのですが、しかし二度のペルシャ戦役の勝利で、東地中海全域からペルシャ帝国の勢力が放逐されて、アテネの勢力圏になった事で、アテネ市民の海外資産も完全に守られる事になりました。
 となるとペルシャ戦役勝利後は、こうした海外投資も更に活発化して、アテネは経済はますます繁栄したのです。

 しかし東地中海の国々の人々が全てこれを手放しで喜んだわけではありません。
 ペルシャ戦役後、アテネは対ペルシャ防衛と海賊対策の為に、安全保障の為の同盟を作りました。
 これがデロス同盟です。
 この同盟に基づいてアテネはギリシャ世界最大最強、ペルシャ帝国にも対抗できる海軍を維持し、更にその海軍を使って海賊対策の為に定期的なパトロールを行うようになりました。

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 でもこれってお金かかるでしょう?
 で、アテネはその海軍の維持費、パトロールの為の経費と言う名目で、デロス同盟の加盟国から多額の「思いやり予算」を要求したのです。
 ペルシャ帝国や海賊の脅威がなくなるのは、東地中海の国々にとっては大変結構な事なので、その意味ではデロス同盟はありがたい存在でした。 だから大多数の国がデロス同盟に加盟してアテネに「思いやり予算」を払いました。

 でもね。
 この予算は適切だったのでしょうか?
 取り過ぎ、ぼったくりじゃないの?

 「思いやり予算」を支払う側は常にアテネに対してこのような不信感を持つようになりました。
 また自由貿易体制になったと言っても、自由貿易体制と言うのが全ての人に利益になるとは限りません。 これはTPP反対論とか思い出してもわかりますね。
 つまりデロス同盟とアテネの繁栄は同盟国内でも全てが歓迎とはいかなかったのです。

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 しかしながらアテネはさらなる繁栄を求めます。
 更なる繁栄の為にエジプトに遠征したり、それが失敗すると今度は西地中海への進出を試みるのです。
 一つの国が成功してイケイケモードになると、止まらないんですね。

 けれども西地中海にはデロス同盟とは別の同盟ペロポネソス同盟がありました。 ペロポネソス同盟の盟主はスパルタで、デーバイ、コリントなどの西地中海に面するギリシャの主要都市が参加していました。
 尤もペロポネソス同盟はデロス同盟のような明確な軍事同盟と言う程でもありせんでした。
 
 そもそも盟主であるスパルタが「スパルタ ファースト」と言うとより「スパルタ オンリー」とでも言うべき外交姿勢を国是としていたからです。
 「スパルタ オンリー」
 つまりスパルタとしてはスパルタに直接関係のない事には一切関わりたくない、スパルタの国益=安全保障以外には何の関心もないのです。

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 これはアテネとも、実はペロポネソス同盟の同盟国であるデーバイやコリントとさへ決定的な違いです。
 スパルタが「スパルタ オンリー」でいられるのは、スパルタが自給自足の農業国で、対外貿易など殆どしないし、スパルタ市民は幼少期から例のスパルタ教育を受けて、軍事教練に明け暮れるだけで、経済成長なんて一切考えていないからです。
 
 だからスパルタは経済的にはアテネは勿論他のギリシャ諸国に比べても遥かに貧しい国でした。
 しかし当時はハイマースとかレオパルト2みたいに開発や維持にお金のかかる兵器は存在しませんでした。 それで陸軍の力は兵士の数と練度だけで決まりました。
 それで動員できる兵士の人口がアテネと同等で、しかその兵士と言うが皆スパルタ教育を受けて練度抜群のスパルタは、ギリシャ最強の陸軍国だったのです。
 で、スパルタ人達は自分達が最強の陸軍を持ち、それでスパルタの安全さへ保障されたらそれで満足なのです。

 だったら何でペロポネソス同盟の盟主になんかなったのか?と言えば、デーバイやコリントなどの国々がアテネを警戒して何とかアテネに対抗しようとしたからです。
 その場合、ギリシャ最強の陸軍国であるスパルタが一番頼りになります。 
 そこでスパルタ人の最大関心事である「名誉」に訴えて、盟主に祭り上げたわけです。

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 こういう状態でアテネが益々台頭して、その覇権を西地中海へ広げ、デーバイやコリントの権益を侵そうとし始めたのです。
 しかもそのやり方がえげつなくてね。
 
 そりゃコリントやデーバイなど西地中海でアテネ同様に商工業で生きる国々が危機感最大値になるのも当然と言わざるを得ません。
 そして遂にこれらの国々がブチ切れて、スパルタの尻を叩いて対アテネ戦の開戦を要求したのです。

 ペロポネソス戦争開戦の原因がこれだから、特定の一国の台頭が地域のパワーバランスを壊して大戦争になる事を「ツゥキディテスの罠」と言うようになったのです。
 因みにツゥキディテスは前記のように海外資産で生活する資産生活者だった人で、ペロポネソス戦争の顛末を「戦記」として描きました。
 
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