塩野七生氏の「ギリシャ人の物語」を読んだ時から、書きたいと思い続けてきたのが、ペロポネソス戦争におけるスパルタの戦いです。
ペロポネソス戦争はアテネを盟主とするデロス同盟と、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟の戦いで、約30年続いた末にアテネの無条件降伏で終わりました。
当時ギリシャの主要国はほぼすべてデロス同盟か、ペロポネソス同盟に属していた為、これはギリシャ世界全てを巻き込んだ全面戦争でした。
そして途中何度か休戦や停戦を経ながらも30年続き、最後にアテネが無条件降伏する事で終えたのです。
ペロポネソス戦争は有名な戦争なので、この戦争の事を知らない人は少ないと思うのですが、しかしこの戦争の結末が実はアテネの無条件降伏だった事を知らない人は案外多いのではないでしょうか?
実はワタシも塩野さんの「ギリシャ人の物語」を読むまで知りませんでした。
実はワタシは高校時代から結構古代ギリシャファンだったのにです。
だって古代ギリシャについて書かれた本は沢山あるのですが、この戦争の経緯や結末を書いた本って殆どなかったのです。
古代ギリシャに関する本の殆んどが、古代ギリシャの文化や社会制度などについて書かれたモノですが、実は歴史についてはあまり書かれていません。
更に言うと民主主義のアテネと軍国主義のスパルタが戦って、アテネが無条件降伏と言う結末を書きたくない人が多かったからかもしれません。
でも塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」はアテネを中心に都市国家アテネの成立から民主制の確立、その民主制国家がペロポネソス戦争に突入してその戦争の顛末、そしてアテネの無条件降伏、古代ギリシャ世界の没落、アレキサンドロス大王の東征と大王の死までを描いていました。
塩野七生氏の「ギリシャ人の物語」は3巻あるのですが、2巻のほぼすべてがこのペロポネソス戦争を描いています。
塩野さんは「ギリシャ人の物語」の中でペロポネソス戦争をアテネの側から描いているのですが、しかしこれを読むと「なんで民主主義国家アテネが軍国主義国家スパルタに無条件降伏する嵌めになったか?」が納得できました。
因みに塩野さんがこの戦いをアテネ側から描いたのは、塩野さんが反軍国主義とかそういう話ではなく、そもそもスパルタと言う国は、アテネと同じギリシャ文字を使ってはいた国家の記録を残すと言う習慣はなく、更に記念碑その他の建造物も殆ど残っていないので、ペロポネソス戦争についてもスパルタ側の資料が殆どないからです
一方アテネ側には同時代人としてこの戦争を戦ってそれを記録したツゥキディテスの「戦史」始め多数の記録が残っています。
そればかりかこの戦争の最中こそがアテネ文化の黄金時代と言える程で、ソクラテス・アリストパネス・エウリピデスなど古代ギリシャを代表する多数の文化人がこの時期に現役で活躍しているのです。
そして彼等はその作品を通じてこの時代を描いていきました。
例えばアリストパネスの喜劇では、当時のアテネの指導者が実名で描かれ風刺されているのです。
アメリカやイギリスは民主主義を看板に第二次大戦を戦ったのですが、しかし第二次大戦中にチャーチルやルーズベルトを笑いものにする映画がヒットしたと言う話は聞いた事がありません。
だからアテネの民主主義、表現の自由と言うのは本物でした。
こんなわけでアテネってホントに自由で民主的で素晴らしい国で、それ故この戦争の最中にさへ歴史に残る名作が多数生まれたのですが、しかしそのように完全に言論の自由が表現の自由が完璧に保障されていたにもかかわらず、結局「無条件降伏」してしまったのです。
それを考える意味でもペロポネソス戦争と言うのは非常に興味深い戦争です。
そしてそれを考えると「ではなぜスパルタはアテネに勝てたのか?」を考えざるを得ません。
それでこれから他にエントリーしたいテーマがない時に「ペロポネソス戦争 スパルタの戦い」を書いていきたいと思います。
但し結局ワタシの話の種本は塩野七生氏の「ギリシャ人の物語」だけです。 だからワタシの話は塩野さんの「ギリシャ人の物語」のペロポネソス戦争の記述から、スパルタに関する記述を拾い、それにワタシの感想を加えただけの話になります。
それでもよろしかったら暇な方は読んでください。