このドキュメンタリーはアメリカの保守界の大物論客マット・ウォルシが制作した物で、現在のLGBTQ騒動、特にトランスジェンダーの異常さから、そもそも女性とは何か?を問い直そうと言う物のようです。
「ようです」と言うのもいい加減な話ですが、ワタシも一応この広告は見たのですが、ワタシの英語力では手も足も出ないので、ドキュメンタリーその物を見る事は諦めました。
そのうち親切な人が日本語字幕付きでyoutubeにでもアップしてくれるのを待ちます。
リンク先で我が尊敬するカカシさんがその顛末を説明してくださっているのを見ればわかりますが、この映画の無料公開には英語圏の左翼や馬鹿フェミ達が狂乱したようです。
何でアメリカ保守界の大物論客が何で「女とは何ぞや?」などと問い直す事になったのか?
これはわかります。
だって今のトランスジェンダー騒動を見ていると、女である事の意味を考えざるをえないのです。
だって男性性器があり、しかも結婚して子供まである男でも「自分は女だ。」と言い張れば「女として認めろ!! 女子トイレや女湯ににも入れろ!! スポーツの女子競技に参加させろ!! それが認められないのは差別だ!!」と言っているのですよ。
コイツラのどこがどう女なんでしょうか?
しかし「先進国」では「性自認」つまり「自分は女だ。」と言えば女として認める事が標準になり、スコットランドでは3か月女性として暮らせば、女性と認める事になりました。
で、ある強姦犯が逮捕されてから「自分は女だ。」と言い出して、公判では検事や判事が彼を「she her」と呼ばねばならなくなりました。
そして有罪になり女子刑務所に収容されました。
この犯人が逮捕されてから、どのように「女性として生活した」のでしょうか?
そもそも拘置所の中の暮らしに男女の差があるのでしょうか?
それともこの犯人は逮捕される前から女性として暮らしていて、女性として女性を強姦したのでしょうか?
しかし強姦は別として「女性として暮らすとはどういう事か?」を定義できない以上、強姦犯であろうとも「自分は女性として暮らしていた」と言えば、それを認めるしかないではありませんか?
現在の先進国の人権意識では、連続強姦魔であろうとも「コイツは強姦魔だから、女性を見たら強姦するだろう。 危険人物だから女性に近づけてはイケナイ。」などと言う事は許されないのです。
だから本人が「自分は女性と言えば女性。」、拘置所の中でも「自分は女性として暮らした。」と言えば、女性として暮らした事になるのです。
これでは「女とは何ぞや?」と問い直すしかないではありませんか?
それでワタシはこの事件を知った去年の11月、「女性とは何ぞや?」と言うエントリーをしたことがあります。
そしてこれに対して色々なコメントを頂きました。 カカシさんからも「女性として生きるとはどういう事か?」と言うコメントを下さいました。
で、ワタシもそうですが他の皆さんもこの定義だと「女性とは何ぞや?」も、また「女性として生きるとはどういう事か?」もわからないのです。
勿論、ワタシは拘置所に入っているわけでもないし、カカシさんに至っては結婚していらしてご主人も健在、老人介護その他家事も完璧に立派にこなされています。 しかかカカシさんはお仕事もなさっているのです。
でも働く女性など現在の社会では普通にいるし、一方高齢で一人暮らしだと毎日の暮らしは男性でも女性でも殆ど同じなのです。
つまり現在の社会では社会的な生活では男性と女性に殆ど差はないのです。
現在の社会で男女の違いは、結局その肉体の違いによるものです。 それで男性は男子トイレ、男湯、男子更衣室を使い、犯罪を犯せば男子刑務所に収容されます。 女性は女子トイレ、女湯、女子更衣室を使い、犯罪を犯せば女子刑務所に収容されます。
ところがLGBT騒動がこれを否定し、「自分は女性だ。」と言い出せば、強姦犯であろうとも女性と認める事にしたのです。
しかし何で男女の肉体の違いを否定するのでしょうか?
男女の肉体の違いは厳然としているではありませんか?
男女の肉体の違いは、誰にでも一目でわかるではありませんか?
一方、人間の内面を透視する方法は、今も全くありません。
医師の診断書によるとか言っても、診断法が確立しているわけでもないのです。
だからこそ「性自認」と言う概念で性別を決めるとなると、結局当人が「自分は女性。」と言えば女性、当人が「自分は男性」と言えば男性とするしかないと言ういい加減さです。
これは実に異常な話です。
本来、人間が権利や身分を主張するのに、客観的な証拠が一切なくて、当人の「自認」「自称」だけでそれを認めると言う事があるでしょうか?
自動車の運転をするには運転免許が必要だし、土地の所有権を主張するには権利書などの公的書類が必要です。
それなのに何の証拠もなく、生物学的な違いを全部無視して当人の自称だけで、その性別を認めろと言うのです。
勿論、男性の肉体を持った人間が、自分を女だと思うのは自由です。
女装したり、女言葉を使ったりしても、それは全然構いません。
でも、その男が女子トイレや女湯に入る事は、他の女性のどれほど不快にさせて、恐怖を抱かせるかを考えれば、自分は女性だと思うだけで、女子トイレや女湯に入る事は、他の女性の人権を侵害しているのです。
ところが現在の「先進国」では、こういう女性を自称する男性の権利を守る為には、他の女性の人権の侵害は問題にされていないのです。
しかしアメリカで「女性とは何ぞや?」が問われるには、もう一つの重要な問題があります。
マット・ウォルシはこの問題を問い続けていました。
それは未成年への性転換手術やホルモン治療です。
幼い子供が自分の肉体の性別に違和感を持った場合、実に安直に性転換手術やホルモン治療が行われているのです。 親がこれに異議を唱えた場合、親権を剥奪されます。
ここで実に不可解なのは、子供の性転換手術やホルモン治療を推進している活動家と、性自認による性別変更を認めろ言っている活動家が殆ど同一だと言う事です。
だって「自認」だけで性別を変えられるなら、子供に性転換手術やホルモン治療をする必要はないでしょう?
「自認」だけで性別を変えて、肉体と違うトイレやお風呂が使えるなら、成人してから濃い髭が生え筋肉隆々の男性になっても、自分は「女性」と言えば女性になれるのだし、巨乳にデカ尻で子供を何人も生んだ女性でも、自分は「男性」と言えば男性になれるのです。
実際、現在「女性」を自称する男性達が、女子選手として格闘技や重量挙げなどの教義に出場しています。 そして「彼女達」によって上位が占められる状態になっています。
「彼女達」は皆、並の男性などよりも遥かに立派で男性的な肉体を持っています。
だから「彼女達」によって女子競技の記録がドンドン塗り替えられているのです。
これでも「女性」なのだから、普通の男性なら誰でも皆女性になれるはずです。
だったら性別に悩む子供達には「大丈夫!! 性別の事なんか気にしないで、勉強やスポーツに励みなさい。 同性でも異性でも恋をしなさい。 性別の事は大人になってから考えればよいから。」と言ってやればよいではありませんか?
しかし子供の性転換を推進する活動家は「早く手術をしないと子供が自殺してしまう。」と、親を脅して性転換に同意させようとしています。
しかしこれも奇妙な話です。
ホントに性転換しないと子供が自殺するなら、皆未成年のうちに自殺してしまうので、成人してから性別変更をする人などありえないのです。
けれども現実には妻子がいたり、それどころが孫までいる男が性転換する例は幾らでもあるのです。
因みに日本の場合、未成年の自殺はこの数十年、年間600人弱起きてます。 未成年の自殺は非常に痛ましいので、いつも自殺の原因が問題になるのですが、性別に悩んでと言う話は聞いた事はありません。
アメリカでは違うのでしょうか?
で、マット・ウォルシはこの問題を正面から取り上げて、このトランスジェンダリズムに抗議し続けてきたのだそうです。
しかしこのこのような形で、活動を続ける人達は一体何を期待しているのでしょうか?
幸いアメリカでもこの狂気に対して抗議する人達が、増えてきました。 だからこの狂気は遠からず鎮まると思います。
ところがなぜか自民党がこの狂気の後追いを考えているようです。
それこそ一体何をしたいのでしょうか?