浅間山荘事件が起きた年、ワタシは大学一年生でした。
昼休みに友達と学生食堂に行くと、食堂の入り口のロビーのテレビの前に分厚い人垣ができていました。
どうやら浅間山荘に機動隊が突入しらしいのです。
人垣から時々どよめきがおこりました。
ワタシ達も大いに好奇心をそそられたのですが、しかし人垣はあまり厚く、テレビ画面は全く見る事ができません。
それで諦めて食事を済ませて食堂を出ました。
昼休みの後は法学の講義でした。
法学の教授は教室に入るなり、実に楽しそうに言いました。
「みんな見たかい? 機動隊が突入したよ。 犯人がやられて喜んでいる人がいたね。 機動隊員がやられて喜んでいる人もいたけど♪」
それで教室の中も笑いに包まれました。
浅間山荘事件では機動隊から死者3名、重軽傷者27名が出ました。
浅間山荘に立て籠っていた連合赤軍5人は全員無傷で逮捕されました。
この教授は悪い人ではありません。
陽気で快活でそれに単位も簡単に取れるので学生には人気がありました。 ワタシもこの人は嫌いじゃなかったです。
それにしても機動隊員が何十人も死傷しているのを知って法学の教授が楽しそうに笑うと言うのは実に異様で不道徳な話ですが、しかし当時の感覚ではこれが普通でした。
学生運動は1969年の安田講堂事件以降急速に凋落しました。 しかしそれでもまだその余波は全国に残っていました。 全国の大学で安田講堂事件を模した立てこもり事件が起きて、それが安田講堂事件同様に機動隊の突入で潰されました。
ワタシの母校でも同様の立て籠りがあったようですが、これも機動隊に潰されてそうです。
それでもまだその余波は日本中に残っていて、ワタシが入学した時も、学内に「〇〇粉砕」など描かれたベニヤ板の立て看板が残っていました。 また先輩の中には立て籠った活動家もいたのです。
そして学生運動が機動隊の突入で崩壊しても、彼等の掲げた理念そのものは学生の常識として全くそのまま受け継がれていました。
考えてみればそれは当然の話で、だって学生運動が盛り上がったのはワタシが中学から高校時代だったのですが、この頃ワタシ達の新聞やテレビを通じて見聞きする情報は、学生運動家達の理念を肯定するモノばかりでした。
と、言うより浅間山荘で逮捕された連中は、この時代の新聞やテレビが世論として煽った「正義」を実行しようとして、殺人やテロを起こしたのです。
だから学生運動が崩壊しても、この世論で育ったワタシ達には学生運動の「正義」に変わる「正義」など知る由もないのです。
そして今にして思えば、あの法学教授だって実は結局同じ世論の中で、同じ「正義」を信じて育った人だったのです。
で、その「正義」と言うのは実に幼稚なモノで、とにかく現体制は悪、日本は悪、アメリカは悪、よって反体制が絶対正義、これらのモノを破壊すれば全てが解決すると言う発想です。
それでも国家とか社会とかは巨大なモノですから、その気になって悪いところを探せば幾らでも出てくるし、そういう悪い所を糾弾する事が正義だと思って、糾弾し続けたら、幾らアタマの良い人でも、結局それでアタマが満杯になってそれ以外の事は考えられなくなるのかもしれません。
そしてそういうアタマだから彼等が「正義」の実現の為に取った手段も、信じがたく幼稚なモノでした。 しかし幼稚ですまないのはこれで本当に何人もの人を殺した事です。
ワタシは先日youtubeの朗読で数十年ぶりにドストエフスキーの「悪霊」を聴きました。 その時改めてピョートル等革命家達の革命計画の幼稚さと杜撰さに驚きました。
しかしその幼稚さや杜撰さを全く荒唐無稽に感じなかったのは、現実に見た革命家達の言動が小説「悪霊」と同レベルの幼稚さと杜撰さだったからでしょう。
そして当時の日本社会もこの革命家達の幼稚さと杜撰さを見て、学生運動には辟易するようになりました。
しかし学生運動のやり方に辟易しても、学生運動の「正義」を否定する為の正義はありませんでした。 と言うか新聞やテレビなどこの「正義」を煽り続けた人達からすれば、それをやれば完全な自己否定、自己批判を強いられる事になります。
だから結局、いかに暴力的で幼稚であろうとも、学生運動家達は「正義の士」として持ち上げ続けたのです。
こういう状況だから新聞やテレビが作る世論からすれば、ゲバ棒をもって暴れまわる学生は正義の士だし、そういう学生を逮捕しようとする機動隊員は悪の手先です。
だからその悪の手先が正義の士の反撃に倒されたら喝采するのです。
そしてこの世論が機動隊側の死傷者を増やしたと言えます。
本来ならあの状況なら最初からもっと重武装の隊員を突撃させて、犯人の射殺を前提に対応するべきでした。 しかし「世論」を考えれば犯人の射殺などありえず、それで機動隊員等が変わりに死ぬ嵌めになったのです。
それにしても時代の精神というか「世論」って怖いですね。
悪霊の正体はこれかもしれません。
フランス革命時、ルイ16世の姉妹達も処刑されました。 その時その中の一人の陰毛の生えた部分の皮を這いで、髭の代わりに口の周りに貼り付けて道化た男がいました。
人々は彼を見て笑い喝采しました。
フランス革命の中でも最も陰惨で下劣なエピソードですが、しかし考えてみれば時代の精神で、浅間山荘事件で機動隊員が殺害されたときに笑った学生達も、学生達の笑いを誘った法学教授もその時代の精神に支配されていただけなのでしょう。
そしてそれを思えば、戦場で行われた残虐行為も、格別な事ではなく、残虐行為を行った兵士もそれを止めなかった兵士も全く普通の人間だったのだと思うのです。