しかしそれが何とも不可解な内容でした。
国会中継からの動画がツィッターに上がっています。
えり・アリフィヤ氏の話は、以下の通りです。
1:私は日本で就職したが、就職した後も日本でも
2-1:行きたくない飲み会に誘われ
2-2:不同意の接触があり
2-3:同僚が酔わされホテルに連れ込まれる状況を阻止するため朝まで同行
3:という記憶が私にはあります
えり・アリフィヤ氏の公式HPから経歴を見ると、えり・アリフィヤ氏の日本での就職と言うのは日銀以外にありません。
えり・アリフィヤ氏はジョージ・タウン大学卒業後、日銀に就職し、その後外務省から国連本部で勤務しています。
だからえりアリフィヤ氏の言うセクハラ事件は、えり・アリフィヤ氏が日銀勤務時代の事としか言えません。
えり・アリフィヤ氏の国会での話が本当なら、大問題です。
この手のセクハラ事件はどこにでもあるでしょうが、しかし日銀は単なる民間企業とは違うのです。
そしてえり・アリフィヤ氏が日銀に勤務していたのは平成24年7月から平成28年8月までの4年一か月です。 今から10年足らず前の話です。
つまりこのセクハラ上司はまだ日銀で勤務中で、まだセクハラを続けている可能性があります。
当然、これが問題になったのですが、ところがえり・アリフィヤ氏はこれに対して、以下のようにリツィートしています。
しかしこれでは話の辻褄が合いません。
えり・アリフィヤ氏はこのセクハラ事件について、国会で「自分が日本で就職した時も」「同僚が酔わされて」「記憶にあります」などと述べているのです。
動画を見る限り、えり・アリフィヤ氏は被害女性を上司から守る為に、他の同僚女性と共に朝の4時まで一緒に過ごして、6時には出勤したと言っています。
話の内容には細々した部分で奇妙な所もあるのですが、しかし何度見返してもえり・アリフィヤ氏自身の体験だとしか思えません。
ところがえり・アリフィヤ氏はこの話は日銀特定、自分特定のでもないと言うのです。
そもそも特定のセクハラ事件を話ながら特定の職場でも特定の人物でもないってどういう事でしょうか?
① えり・アリフィヤ氏の虚言。
② えり・アリフィヤ氏が日銀を追求される事など考えず話てしまった。
ワタシは②ではないかと思います。
セクハラは加害者・被害者共の名誉にかかわる問題だし、また職場にとっても重大な問題です。 しかもその職場たるや日銀しかありえないのです。
そういう問題について、国会議員が国会で発言した以上、唯の噂話のレベルでは済まないのです。
本来であればこういう発言をする以上は、最低でも被害者女性、更に当時えり・アリフィヤ氏と同行した同僚女性にも了解を取ったうえで、日銀を追求する覚悟が必要でしょう。
そして普通に思慮のある人なら、その覚悟がない以上は、公の席では絶対にこんな話はしないのです。
ところがえり・アリフィヤ氏は、唯「セクハラ許せない!!」だけで、後先考えずに国会でこんな発言をしてしまったのです。
マジに無思慮と言うか、浅薄と言うか・・・・・。
多言語教育をすると思考が浅薄化すると言う説があるのでが、なるほどこういう事だったのだとわかりました。
えり・アリフィヤ議員は父がウィグル人、母がウズベク人、日本で生まれ中国でアメリカンスクールに通い、アメリカの大学を卒業したと言う多言語育ちです。
だから7か国語を話せるのだそうです。
英語一つ満足に覚えられないワタシのような人間からすると、羨ましい話です。
しかしえりアリフィヤ氏をみているとやっぱり、ホントに多言語教育、多言語環境って問題だと実感しました。
なぜなら人間の脳もパソコンと同じで、キャパシティーは決まっているのです。 容量の限られたパソコンにウィンドウズやマックなど幾つもの言語を入れたらどうなりますか?
どれでも使えて便利と言えば便利なのですが、しかしインストールした言語の分だけキャパシティーが食われて、演算速度は遅くなり、記憶容量は減るのです。
更に人間の場合、パソコンと違って別な言語を使えるようになるまで、膨大な時間と労力がかかります。 その間、その時間に学べたはずの事が学べなくなると言う問題も起きます。
その為結局、それぞれの言語で使える語彙も減ってしまうのです。
だから思考が浅薄化して、重要な問題も極めて短絡的な善悪でしか理解できなくなるのでしょう。
今回の国会での発言も「セクハラ許せない!! 日本のセクハラ止めさせる!!」とそれだけしかアタマになかったのでしょう。
そもそもこの人の場合、「それを国会で話したらどうなるか?」と言う事を考慮すると言う発想がなかったのでしょう。
ワタシはこの人は、選挙期間中からどうしても信用できませんでした。
言う事が全て超浅薄なポリコレ発言でばかりでした。
そしてそれに突っ込まれると、今度は逆切れして「差別だ!!」「多様性がない!!」「人権が~~!!」と喚くだけでした。
そして今度は国会で同じ事をやってしまったわけです。
当然ですがこの発言には、このセクハラ事件の加害者は勿論、日銀は被害者も大迷惑しているでしょう。
この人の売りはウィグル人である事と、多言語多文化エリートだと言う事でした。 そして若い女性であった事も売りでしょう。
しかし結局、多言語教育とか多文化教育って、場合によってはホントに浅薄でどうしようもない人間を産んでしまうと言う見本になりました。
また民族や性別などの属性で選んではイケナイと言う見本にもなってしまいました。
勿論、多言語・多文化で育った事についてはえり・アリフィヤ氏の責任はありません。
しかしだからと言ってこんな人格に育ってしまった人を国会議員の候補に選ぶってどうなんでしょう?
自民党は大丈夫でしょうか?