
ところで桜と言えば、韓国の「桜の起源」です。
春になり桜が咲き始めると、毎年この記事がネットを賑わします。
尤も最近は日本のネット民も飽きてきて、日本ではあまりでなくなったのですが、しかし韓国はまだこの話に執着しているようです。
これを太師小さんがちゃんと解説してくださっていました。
太師小さんがこの記事をアップされたのは3月31日でした。
その頃は札幌はまだ桜どころではなく、公園などまだ残雪が一杯でした。 しかしこの記事を読んだら「おお、本州は桜花爛漫の季節になったのだなあ・・・・・」と思いました。
春の桜、秋のノーベル症は、韓国記事の風物詩です。
ところで太師小さんが紹介してくださった記事の裏には、実は長い長い伏線があって、この記事自体は大河小説のように続いて居ている話の一部です。
そして記事自体も凄く長いのですが、読んでいるともう訳が分かりません。
韓国の植物学者達が頑張り続けているのはわかるのですが、しかしもうホントに何をしたいのかもわからなくなってきました。
そもそもこの韓国の「桜の起源」の始まりは、ソメイヨシノ・王桜説です。
ソメイヨシノは江戸時代にできた栽培種ですが、このソメイヨシノの原種は何か?と言う論争が、植物学者の間で明治初年から続いてきました。
この中で出た諸説の一つが、ソメイヨシノの原種は済州島の野生種である王桜と言う物でした。
韓国は国を挙げてこのソメイヨシノ・王桜説に飛びついたのです。
以降韓国は桜の起源は韓国として、日本に抗議し続けています。
ところが2019年、遺伝子解析でこの論争にケリがついてしまいました。 遺伝子解析の結果、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラである事が確定したのです。
かくなるうえは韓国も観念するかと思いきや、韓国側はまだ何だか訳の分からない事を続けているのです。
それが太師小さんの紹介してくださった記事なのです。
もう科学的にケリのついた話に、これ以上何をしたいのでしょうか?
それでも何かしようとしているので、訳が分からないのです。
そもそも何で韓国人はそんなにソメイヨシノに原種に執着するのでしょうか?
しかし長く韓国の「桜の起源」の記事を読んできた人間ならわかります。
どうも韓国人の脳内では桜=ソメイヨシノのようなのです。
植物学では桜は、バラ科サクラ族と言われる植物で、北米大陸とユーラシア大陸の中部から北部全体の広大な地域で自生しています。
野生種だけでも非常に多くの種類があるのですが、栽培種をその種類は膨大です。
ソメイヨシノはその栽培種の一つに過ぎないのです。
だからそのソメイヨシノの起源がどうでも、桜全体にはあまり意味はないはずなのですが、それでも韓国人がソメイヨシノに執着するのは、韓国人は桜=ソメイヨシノだからとしか思えないのです。
またこのソメイヨシノ=王桜説に絡んで、韓国の記事では日本にはソメイヨシノの自生地がないなどと言う不可解な物があります。
ソメイヨシノは自家受粉ができません。 だからソメイヨシノは種を作れないので、挿し木で増やしてきました。
だから自生地なんてあるはずもないのです。
こういうのを見てみると、韓国人の脳内では、桜とソメイヨシノの関係、そして栽培種と野生種の違いが、全部ゴチャゴチャになっているのではないかと思います。
それで済州島の野生種である王桜=ソメイヨシノ=桜を前提に、全ての話を作っていくので、桜の起源に関わる記事は全部意味不明になるのです。
そしてソメイヨシノの起源にも凄く執着するのです。
だから毎年毎年、この韓国の桜の起源の記事を見ると、凄く違和感があります。
ワタシは以前学習塾の講師をしていました。 ワタシが講師をしていた塾は底辺塾で、入学できる高校があればラッキーと言う生徒も多数いました。
しかしそういう生徒でもリンネの分類学の話は、ほぼ全員理解するのです。
動物や植物をその特徴で、個別の種に分け、さらにその種同志の特徴の違いや類似点から、大きなグループに纏めていくと言うのは、誰も理解できる話だからでしょう。
ところが韓国の桜の記事を読むと、高学歴のはずの記者達が、このリンネの分類学の基本をすっ飛ばして桜とソメイヨシノをゴッチャして書いているのだから驚きます。
サクラ属と個別品種の関係と言う基本を完全に無視して、ソメイヨシノの起源などを書こうとするから意味不明になるのは当然でなのです。
彼等はホントに理解できないのか?
或いは理解していても、敢えてソメイヨシノ=桜を書いているのでしょうか?
また栽培種と野生種の区別が今一の記事を読むと、結局韓国人は品種改良とは何か?を理解していないのでは?と思ってしまいます。
栽培種を作るには大変な努力が必要なのですが、韓国人はその意味が理解できないので、韓国内で新品種を作れないし、日本の苺や葡萄を気楽にパクるのでは?と思ってしまうのです。
実先日、国立国会図書館のツィートを見ました。
そこで天保8年(1883年)に発行された植学啓原と言う本が紹介されていました。
これはヨーロッパの植物学の紹介書で、リンネの分類と分類の仕方も紹介しています。これは文字だけでは説明が難しいので、図版が付属しています。
現在でも図や写真を入れると本の価格が跳ね上がって大変なのですが、江戸時代にこうした見事な図版の入った本を出版できるだけの、需要があったのです。
蘭学と言えば医学のイメージだったのですが、実はこの時代には非常に広い分野でヨーロッパの知識が入っていたのですね。
因みに品種改良も江戸時代には庶民が朝顔の品種改良をして、奇抜な花を競いあったり、農民が米や野菜の品種改良を続けて地域独特の野菜を栽培する事が行われてきました。
この農民による品種改良は近代ヨーロッパの植物学者達を驚かせるレベルでした。
ワタシ達はこれを当たり前のことと思ってきたので、特に気も留めませんでした。
でもこれってどこの国でも当たり前と言うわけではなかったようです。