「ジェンダー」とは各人の性別に押しけられた、ないしは期待された社会的役割の事です。
人間は女児や男児として生まれるのですが、しかしそれだけで女性や男性になるのではなく、生まれた国や地域、時代によって、男性・女性に期待される社会的役割を果たせるように教育されます。
要するに女の子は女らしくなるように、男の子は男らしくなるように、親や学校、社会全体から言われて育つのです。
この男女によるジェンダーの違いが、男性と女性の言動の違いに大きな影響を与えていると言うのです。
ワタシもここまでは十分理解できます。
しかしその後、フェミニスト達はジェンダー重視を推し進めて、ジェンダーが性別に圧倒的に優越するようになり、更に過激なフェミニスト達は性別を抹殺していきました。
今、LGBT理解増進法でトランスジェンダー、トランス女性と言われる「自分は女性」と名乗る男が女子トイレや女湯に入ってくる事が懸念されています。
そしてLGBT差別が法で厳禁となった欧米では、トランス女性が女子スポーツに進出して、記録を塗り替えています。
さらには強姦犯が「自分は女」だと言えば、女子刑務所に収監されて、そこで他の囚人を強姦すると言う事態になっています。
これは女性にとって極めて深刻な人権侵害なのですが、しかし日頃「セクハラが~~!!」「キモイ!!」と喚きまくるフェミニスト達が、なぜかこの問題に無関心でした。
それどことかむしろトランス女性を女性施設に入れる事を応援してきた観さえあります。
これは大変不可解ですが、しかしフェミニストとして活動し来た女性達、特に学者など高学歴者がフェミニズムの理論の中心を「ジェンダー」に据えてしまい、性別を抹殺してきたの事を考えると当然の話です。
彼女達の中では既に性別は消滅しているのです。
性別は肉体的な男女の違いですが、ジェンダーは社会的な男女の違いです。
肉体が男の人の性別は男性です。
でも彼が女装して女らしく振舞えば、ジェンダーは女性です。
だからジェンダーを性別に優先させてたら、彼は完全に女性なのです。
だったらトイレでも女湯でも自由に入って当然ではありませんか?
ジェンダーを性別に優先させる、性別を抹殺したら、トランス女性と生得的な女性を区別せず全て女性に含めるべきではありませんか?
勿論、これはあまりに馬鹿馬鹿しい空論なのですが、しかし90年代以降、女性学とかフェミニズムなどの学問に関する世界は、この理論で進んできたのです。
それどころかこの理論が遂に現実の法として実現したのです。
結果、ホントにトランス女性と自称すれば、「自分は女性」と言えば、男が女湯にはいっても処罰されないし、強姦犯が女子刑務所に収監されると言う社会が実現したのです。
ホントにこれでは女性は恐ろしくて暮らせないのですが、しかし過激派フェミニストにとっては大変満足な結果でしょう。
これで法的には、「男女の差は全てジェンダーの差」と言う事になったのですから。
男女の差が肉体の差であれば、これは天然自然の物ですから、フェミニスト等社会活動家が幾ら喚いても変えられません。
しかしジェンダーは元来社会的、政治的に決まる物ですから、変えられるのです。
だからジェンダーを優越させて性別を抹殺した後、男女のジェンダーを均一化すれば完全な平等社会になると信じているのでしょう。
この理論で頑張ったのはジュディス・バトラーと言う学者だそうです。
因みに日本では東大教授の清水晶子と言うが、これで頑張っているようです。
この二人の書くものって凄く難解なのだそうです。
しかしその難解さが、こうした問題についての議論で勝ち進む為には有効なのでしょう。
だって難解過ぎて何を言っているのかわからない論文では、簡単に否定できないのです。 しかも学者同志の議論で相手の論文がわからないなんて言えないのですから。
それで「ジェンダー」はドンドン性別に優越する概念となって、性別を抹殺してしまったのです。
でもいくら学者の頭の中で性別を抹殺しても、現実に男性から男根や睾丸を消せるわけではないし、女性から子宮や卵巣を消す事はできないのです。 そしてその性別から来る体力の違いや、妊娠・出産・育児の問題がなくなるわけでもないのです。
だからこの性別の抹殺は、実に愚劣な社会実験だったとしか言えません。
それでもこの学説の教祖様は、未だに自説を曲げずに頑張っているようです。
しかしそれにしてもよくもこんな馬鹿馬鹿しい理論で、現実の社会の法まで変えられた物だと呆れるしかありません。
ワタシはこの論文を読んでいて、これはもう人文科学とそれを取り巻く人間の欠陥だと思いました。
自然科学では言葉や概念は極めて厳密に定義して、中学生も大数学者も、物理学者や化学者も全く同じ意味で使います。
でも人文科学の場合は、最初から言葉の定義が最初から曖昧なので、学者同志議論をする場合でも、それぞれが自分の都合に合わせて中身をすり替えて使うのです。
更に彼等を取り巻くジャーナリストや活動家が、意図的に言葉の意味を変質させて煽ります。
それで程なく元の言葉とは全く違う意味になってしまいます。
これだと学問としてフェミニズムを進歩させるなんて事は不可能でしょう。