だからお花やお供えぐらい用意するべきだったのですが、でも思い出すと辛いので、何とか知らんふりをしてパスしようと思っていました。
よもさんが死んだ時は泣いたのですが、そのあとずうっと泣く事ができませんでした。
思い出すと辛くなるので、思い出さないようにしているのに、泣くとまた思い出すので余計に辛くなります。
それでも春が来て、夏になり、秋になるまでは、段々辛い気持ちも薄らいで行きました。 時間が悲しみを忘れさせてくれるのだと思っていました。
でも冬になり、二月が近づくと苦しむよもさんに付き添った辛い記憶が蘇りました。
そしてよもさんの命日が来るのがとても怖くなりました。
体調はずうっと悪くて、左目の痛みも酷くなりました。
それで2月14日の夜に、痛み止めを飲み過ぎて、夜中にトイレに行こうとしたら立てなくなって倒れました。 ワタシが使っている痛み止めは、ものすごく怖い副作用があって、飲み過ぎると平衡感覚が壊れるのか、アタマがクラクラしてちゃんと立てなくなるのです。
それで倒れた時に、顔や右手や胸の右側を派手にぶつけたのか、見事な青タンができました。
体から薬が抜けて、ちゃんと歩けるようになるには2日ばかりかかりました。 でも青タンは今もまだ残っています。
そして体調も不良のままでした。
それなのに薬が抜けるとまた左目の痛みが戻ってきました。
そんなわけで体調が戻るまでの間、殆ど何もできなかったけれど、何も考えずに済みました。
それで薬物中毒者の気持ちが分かった気がしました。
昔、麻薬中毒になったドイツ人の少女の体験記と言うのを読んだ事があるのですが、その少女は麻薬を使う事を「トリップ」と言うのです。 つまり麻薬でトリップして現実から逃避するのです。 彼女は現実の生活は家庭の問題で非常に辛かったので何とかそこから逃避したかったのです。
で、ワタシもよもさんの事を思い出してとても辛かったのですが、でも札幌医大で処方してもらった痛み止めと、その痛み止めを貰う原因となっている左目の痛みのお陰で、辛い思いからは逃れる事が出来ていました。
だからこの痛みも、痛み止めの飲みすぎも、天国のよもちゃんがワタシの為、与えてくれたのかもしれません。
辛い時は、何か楽しい事をしたら良いと思うのですが、でもホントに辛い気持ちと、楽しい気持ちの間には、ギャップがありすぎてそこまで気持ちをジャンプさせることができないのです。
だからホントに辛い時は、実は楽しい事をするより、一番辛い事より少しだけ辛くない事、二番目に辛い事をしている方が気がまぎれるのです。
辛い時はこうやって辛さの階段を順番に上っていくしかないのです。
そういう事がわかってくると、左目の痛みも体調不良も受け入れられました。
そうなると体調も少しずつ回復しました。
それで一昨日と一昨昨日は久しぶりに買い物と散歩に出かける事ができました。
尤も二月になってから散々に降った雪で、ワタシのお気に入りの散歩コースは大半が塞がっていました。 だから歩ける場所だけを歩くしかありませんでした。
それでも春の気配がします。
後数日で三月なのです。
三月も半ばすぎれば、本格的に雪解けが始まるし、上手くいけば4月上旬には自転車が使えるようになります。
雪解けまでにもう一発ぐらい寒波か吹雪が来るでしょうが、それでももう冬の終わりは見えているのです。
そんなことを考えながら歩いていると、突然よもさんの事を思い出して泣きました。
そうやって泣けるようになると、辛い気持ちも段々溶けていくんじゃないかと思います。
そして昨日は午後から妹が来てくれました。
妹はちゃんとよもさんの命日を覚えていてくれたし、お供えも持ってきてくれました。
それで久しぶりに姉妹で色々話をしました。
妹は自分の近況を話し、色々愚痴りました。
妹が愚痴る事について、ワタシは何も助けてあげられないけれど、妹もそういう事を期待しているわけじゃなくて、とにかく話をしたかっただけなのです。
話をすればアタマも心も整理できますからね。
因みにワタシがこうやってブログを書いているのだって、ホントは自分自身の頭の中、心の中を整理したいからです。
マキャベリは「君主論」の序章で「自分が経験し、考えた事を、書き留める事でシエンツァ(科学)になる」と書いていました。
これはつまり頭の中に留めておくより、話をした方が、そして話をするより書く方が、自分自身の考えを客観化できて整理できると言う事でしょう。
それにしても天才マキャベリが「君主論」を書いた時は、最初にこれを読んでくれた人は、数十人でした。 だって親友の一人が筆写して複製を数部作ってくれたのを、他の友人知人が回し読みするしかなかったのですから。
それに比べるとワタシのような凡人が書いたブログでも、それよりはるかに多くの人が読んでくれるのですから、科学技術の進歩ってありがたいですね。
よもさんが死んでからの一年は辛かったけれど、こうやってブログを書き続け、それを読んでくださる方たちがいたおかげで、何とか乗り切る事ができました。
そして最難関だった一周忌は妹が来てくれたおかげで、楽しく過ごせました。
これはきっと神様と天国のよもさんのお陰でしょう。
だからきっと間もなくワタシの心にも春が来ると思います。
昨日はその春が見えた一日でした。