立憲民主党など左翼野党が、首相秘書官のオフレコ発言を梃にLGBT法案を成立させようとしています。
何で左翼政党がこの法案に執着するのか、今一不可解だったのですが、しかしこの信濃毎日新聞の社説を読むとその真意がわかります。
2023 2月11日 信濃毎日新聞
差別は人権侵害であり、許されない。これは、民主主義社会の根幹となる考え方だ。受け入れられないとすれば、政治に携わる資格はない。
LGBTなど性的少数者に対する差別の解消を図る議員立法の動きが、与野党で広がっている。
同様の動きは2年前にもあった。性的少数者への「理解増進」法案である。与野党の実務者間で合意していたが、「差別は許されない」との文言が盛り込まれたことに対し自民党内の保守派が反発し、国会への提出が見送られた。
ここに来て再浮上したのは、更迭された首相秘書官による差別発言で政権への風当たりが強まったからだ。だが、党内保守派には差別の「禁止」や「反対」の明記に難色を示す声が根強い。
言い分は「差別の認識はそれぞれで違う」「(反差別の明記は)内心の問題に関わる」など。人権と尊厳を傷つけられ苦しむ人よりも、傷つける人を守りたいように見える。
認識を改めなくてはいけない。人権は、思いやりや温情とは違う。人が人としてあるために、誰もが生まれながらに持つ権利だ。社会的少数者が踏みにじられていいはずがない。
性的指向や性自認は、性別や人種と同様に、自らの意思にかかわらず決定される。その人権を守り差別を容認しない決意を、社会に根づかせる法案である。理念を明記することが欠かせない。
性的少数者への差別を見過ごす社会は、ほかの差別にも鈍感だ。
女性や子ども、障害者、被差別部落出身者、在日コリアン、ハンセン病元患者…。それぞれの人権課題は底流でつながっている。
今回の法整備を、全ての差別をなくす一歩にしたい。そのためには差別を禁止する一般法の制定も求められる。欧米では既にある。国会で論議を深めてほしい。
これまで障害者差別解消法やヘイトスピーチ解消法など、各種の法律が整備されてきた。ただ、十分とは言い難い。
例えば、部落差別解消推進法には禁止規定がない。日本は1995年に人種差別撤廃条約に加入したが、禁止法はいまだに制定されない。新たな感染症が出現するたび差別は繰り返される。新型コロナも流行初期を中心に感染者と家族への人権侵害が相次いだ。
インターネットを中心に、差別的な言動は深刻さを増している。罰則の導入などは慎重であるべきだが、社会として反差別の規範を法に位置付けるべきだ。
これって10年余り前に浮上して問題になって潰れた「人権擁護法案」の焼き直しなのです。
で、この人権擁護法案って、人権擁護を名目に個人の言動について差別禁止を強制すると言う内容だったのです。
確かに差別禁止は現代の日本や欧米先進国では一般道徳です。
だから差別禁止自体は問題はないように思えます。
しかしこれを法で禁じるとなると、大きな問題があります。
一つは「差別」の定義そのものが曖昧なままだと言う事です。
だから部落解放同盟などは「差別されたと感じたら差別」などと言う、浅田理論を採用して、自分達に不都合な発言を何でも「差別」だとして糾弾しています。
この糾弾があまりに恐ろしいので、部落解放同盟の無法行為が、完全に放置されているばかりか、所謂同和利権の根源になっています。
またLGBTについていえば、欧米ではトランスジェンダー、特に男性の肉体なのに「自分を女性」と認識する人間を、女性して扱わないのが差別だと言う事になっています。
それで連続強姦魔が「自分は女性だ」と言って女子刑務所への収監を要求すると、それを拒否するのは差別だと言う事で、本当に女子刑務所に収監されて、挙句に他の女子受刑者を強姦するなどと言う事件が起きています。
更にやはり自分は女性だと自称する男が、スポーツの女子競技に参加するばかりか、女子更衣室を使い、男根を丸出しにして歩き回ると言う事態が起きています。
そしてこれに女子選手達が苦情を言うと、彼女達が「トランスジェンダーを差別している」と非難されてしまうのです。
イヤ、そもそもホントにこの男が自分を女性と認識しているなら、いかに女性ばかりの更衣室内だからと言って、性器を剥き出しにして歩き回るなんて不作法はしないでしょう?
ホントに女性なら女子更衣室内でも、バスタオルなどでできるだけ体は隠しながら着替えます。
だからホントにトランスジェンダーを女性として扱うにしても、「性器を丸出しにして歩き回るような不作法は止めろ」と言うべきでしょう?
けれども差別と言う言葉には定義がないので、何をしたら差別かは自称マイノリティなど差別されていると言う立場の人間により決められ、マジョリティはこれに従わなければならくなっているのです。
結果、LGBTが完全に同和利権と同様になってしまったのです。
こうした問題を考えると、もしホントに法により個人に差別禁止を強制するなら、差別とは何かをきちんと定義し、差別行為として法で禁じられる物をきちんと条文で定めるべきでしょう。
しかし最初に挙げた信濃毎日新聞を社説を見てもわかりますが、差別は人権侵害と言うだけで、差別の定義に関する議論は一切ありません。
けれどももう一つ重大な問題があります。
そもそも個人の言動について差別を禁止する法的な根拠は何でしょうか?
日本国憲法で定めているのは、法の下の平等であって、個人に対して他人を平等に扱う事など強制していません。
日本国憲法14条一項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
これは当然の話です。
なぜなら日本国憲法では14条で定められる平等権だけでなく、自由権もまた同様に重要な基本的人権と定められているからです。
そして日本国憲法では、この自由権に関する条文を何条もあるのです。
だって思想・宗教・信条の自由、良心の自由を喪ったら、もう民主主義国家とは言えませんからね。
そこで問題なのですが、もし個人の言動について差別を禁止するとなると、イスラム教のような宗教はどうするのでしょうか?
イスラム教では同性愛は教理で禁じられています。
イスラム教と言う宗教は、聖典コーランを補完する形でイスラム法があります。 これはコーランが憲法、そして憲法に沿って一般の法があるようにイスラム法があるのです。
だから非常に教理で禁じられている事が、非常にわかりやすいわけですが、そのイスラム法で明快に同性愛を禁止しているのです。
因みに欧米ではLGBT差別禁止の徹底が主流になっていますが、イスラム圏では逆にイスラム教の原理主義化が進み、それに伴って同性愛の禁止の法制化が進んでいます。
それではLGBT法案が成立し、個人がLGBTを差別する事を禁止した場合、イスラム教のような宗教はどう扱うべきなのでしょうか?
因みにイスラム教ってLGBT差別だけでなく、女性差別、異教徒差別も熾烈です。 そして異教徒への差別が原因でのテロが頻発しています。
個人に対して差別禁止を徹底したら、イスラム教のような宗教は禁止しなければならない事になります。
しかしそれはそのまま宗教の自由を規定した憲法20条に違反する事になります。
第二十条
1・信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2・何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3・国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
イスラム教徒がLGBTや女性や異教徒を差別するのは認めるけれど、それ以外の国民が差別する場合は処罰するとなれば、今度は憲法14条を否定する法になってしまいます。
因みに信濃毎日新聞の社説ではヘイトスピーチ解消法の厳格化も推進したいようですが、しかしこのヘイトスピーチ解消法自体が、憲法21条で保障した言論の自由に反しており、非常に問題の多い法律です。
なるほど他人から差別されるのは誰だって嫌です。
しかしだから他人の言動を法で規制するとなると、自分もまた言動を規制される事になるのです。
そして民主主義と言うのは自由な言動なしには、意味がないのです。
歴史を学べば分かります。
例えば欧米諸国がLGBT差別を禁止したのはつい最近の事です。 それ以前は同性愛は刑事罰より禁止していました。
では最近まで欧米諸国は民主主義国家ではなかったのでしょうか?
民主主義は差別があっても成立するのです。
しかし自由の民主主義などありえません。
だから憲法でも平等権に関する規定は14条だけなのに、自由権を保障する規定は宗教の自由、言論の自由、思想信条の自由、良心の自由と幾つもの条項を割いているのです。
つまり自由権と言うのは、民主主義にとって平等権などよりは遥かに重要な権利と言えます。
勿論、ワタシも一般道徳としては差別は悪い事だと思っていますし、イスラム教なんて大嫌いです。
しかし国家が法により「差別」を禁止するとなれば、その法的根拠は明確にするべきです。
憲法14条が保障する平等は「法の下」の平等です。
これをどう解釈したら個人にも強制できるのか?
この根拠を明確化するべきです。
更にそれを明確化したとして、自由権を定めた憲法の条項とはどのように整合させるか?
これも明確化させるべきです。
そうしないと「差別は人権侵害」と言って差別禁止法案を作る事が、実は自由権を蹂躙し、完全な人権侵害になってしまうからです。
この10年余、欧米先進国では、こうした議論が明確化されないまま、なし崩しに反差別絶対正義、反差別ファシズムが進みました。
挙句の果てに女を自称したら強姦魔が女子刑務所に収監されると言うキチガイ沙汰になっているのです。
そして強姦魔を恐れた女性が、「トランスジェンダーを差別した」として処罰されると言う有様なのです。
これが民主主義を産み育ててきた国々の為体です。
人権の本家を自認する国が、女子刑務所内で受刑者が強姦される事を容認しているのです。
しかし日本はこの轍を踏むべきではありません。
本当に差別禁止を法制化するのであれば、まずその憲法上の根拠を明確化するべきです。
そして差別とは何かと言う事をきちんと定義するべきなのです。