先日、法務大臣が法務大臣の役職について「朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」と言った事で、辞任に追い込まれました。
ワタシはこの発言どこがどう問題なのか全くわかりません。
実際法務大臣の役職は非常に地味で、ニュースになるのは死刑の判子を押したときぐらいと言うのは全くその通りです。
でも葉梨法務大臣はしかしその法務大臣の仕事を地道にやっていたのだから、全く無問題でしょう?
問題があるとしたら「死刑の判子を押したとき」ぐらいしか、法務大臣の仕事を報道しない報道機関の側でしょう?
しかしなぜか報道機関の側は、この発言を大問題であるかのように騒ぎだし、すると岸田総理はこの部下を全く庇わず、そのまま辞任させました。
これは完全にワタシの推理ですが、マスコミ内の死刑反対派が、仕組んだ「暴言製造」だったのではないでしょうか?
そういえばこれと呼応するように、11月13日の「サンデーモーニング」の出演者が、「先進民主主義国で死刑を続けているのは、日本とアメリカの一部の州だけ」と言っていました。
死刑を廃止しているのは先進民主主義国だけではありません。 ボリビアなど殺人の発生率が世界最高レベルで、刑務所の管理も全くできていないような途上国でも、死刑を廃止しているのです。
一体何のために?
一方、フランスなど先進民主主義国で死刑を廃止した国では、テロリストなど制圧逮捕する代わりにその場で射殺することが横行しています。
サンデーモーニングの出演者は死刑について「死刑制度ってものを肯定するにせよ、否定するにせよ、国家の名の下に人の命を奪うっていうのは、これ以上の最高度の国家の権力の行使って基本ないんですよ。それを冗談にするっていう政治家っていう以前に、人間としての限りない精神の退廃っていうかね、これは本当に凄まじい精神の退廃だと僕は思う」と言っていたそうです。
彼だけでなく死刑反対派は「国家権力が人の命を奪う」事が絶対悪として、反対しているようです。
確かにワタシも死刑が好ましい制度だとは思っていません。
死刑制度を廃止しても、殺人などの凶悪事件が防止できるなら、是非廃止するべきだと思います。
しかし現実を見ると、全然そのような事にはなっていません。
それどころか死刑廃止国の中で、日本より犯罪発生率の低い国は一つもありません。
と言う事は、日本よりはるかに多くの人が、犯罪者に命を奪われ、その遺族は犯人が「のうのうと生き延びる」のを、黙って見逃さなければならないという事です。
これっていいんですか?
なるほど国が犯罪者に与える刑罰と言うのは、復讐の為ではなく、犯人の更生の為だというのはわかります。
だから死刑は間違っているというのです。
しかしそれで犯人が更生するとして、殺された人や遺族は救われるのでしょうか?
勿論、自分の大切な人が無残に殺されたときに、復讐よりも犯人の更生を願うのは立派な事だと思います。
でも、そんなこと普通の人間にできるのでしょうか?
自分の大切な肉親を殺されて、その人の希望や未来は完全に喪われたのに、犯人は更生して立派に生きて幸福になってほしい。
そんなことを並の人間が望めるのでしょうか?
殺人が行われたとき、被害者・加害者に全く無関係な人が、自分の倫理道徳や宗教から、或いは人権思想から、犯人の更生と降伏を願うのは自由ですが、しかしそれで被害者や被害者の遺族を蔑ろにしてよいのでしょうか?
しかしこれまでの死刑反対派の言動を見ていると、被害者の遺族を愚弄しているとしか思えないのです。
彼等は「自分達は国家権力が人の命を奪う事を許すべきでない」と言う崇高な教理の為に邁進しているのであって、それを理解しない人間は、被害者の遺族と雖も許さない、そのような愚か者、不信心者は愚弄され、嘲笑されてしかるべきである」と、考えているようです。
しかしこんな人間がマトモでしょうか?
そもそも「国家権力が人の命を奪う事は絶対に許さない」なんて考える必要があるのでしょうか?
封建時代など国家に近代的な司法制度を運営する能力がなかった時代は、自分の家族が殺されるなど、犯罪の被害に遭った場合は、自分達の一族で復讐しました。
これで被害者と遺族は一定の安らぎを得られたし、また復讐が行われる事で、犯罪の防止にもなっていました。
けれども近代的な司法制度が確立したら、犯罪に遭っても、個人が勝手に犯人を処罰したり復讐したりすることは許されなくなり、その代わり政府が犯人を見つけて処罰してくれることになったのです。
だったら殺人のような凶悪犯罪については、国家が被害者の遺族達の復讐心を満たす義務があるのではないでしょうか?
ところが死刑反対派の脳内には、そもそも被害者や被害者の遺族は存在しない、存在してほしくないようなのです。
何でこんなことになっているかと言うと、近代の人権思想や司法制度の理念の中では、犯罪者の人権や国家秩序の維持などばかりが議論されてきて、被害者の人権や被害者の遺族の立場は、そもそも考慮されてこなかった、それどころか完全に抹殺されていたようです。
だから死刑反対派の人達の脳内には、被害者や被害者遺族と言うのは、死刑反対論の邪魔者でしかないようです。
そして死刑反対派の人達は、自分達は人権派、死刑を続けよという人達は反人権派と言う理解のようです。
しかしワタシは自分の愛する家族が、親友が、理不尽に殺されて悲しみにくれる人々の人権を無視する人々が人権派だと全く思えません。
むしろ完全な反人権派だと思っています。
そして凶悪事件が減る目途も立たないのに、なぜこのような反人権派が世界の先進国で多数派になり、実際に死刑が廃止されてしまうのか?と、いう事を考えると、結局これは一種のファシズムではないかと思うのです。
なぜ先進国で死刑廃止国が増えるのか?
それは「国家権力は人の命を奪ってはならない」とか「犯人の更生を第一に考えるべき」とか言うのは、凄く簡単で分かりやすいので、マスコミが簡単に飛びつくし、国民を扇動するのも簡単です。
一方いかに治安が悪く凶悪事件の多い国でも、殺人の被害者やその遺族は国民全体から見れば完全なマイノリティです。
だから結局、人権ごっこに酔いしれたいマジョリティーが、家族を奪われて悲嘆にくれるマイノリティーの人権を抹殺し、死刑制度が廃止になるのです。
それにしても死刑廃止論者ってインチキ臭いです。
だってそんなに人権が大事なら、人命が大事なら、今中国で起きているジェノサイトとかにもっと関心を持つべきでしょう?
犯罪被害者の支援とかはしなくてよいんですか?
でも連中、そういう現実的な問題には完全に無関心で、死刑廃止に執着しているのですから。
要するに死刑廃止論って、純然たる「人権」理念の遊びなのです。
しかし殺された人は何も言えないし、被害者の家族の僅少なので、この遊びに抵抗できないのです。
しかし日本人はこういう場合、芯の所でこの種の安直な「人権思想」のオカシサに気づく為、未だに死刑廃止などと言う馬鹿な事はやっていません。
ワタシはこれは誇りに思います。
どんなに美しい理念でも、どんなに素晴らしい思想でも、それを不運な人に強制するような制度は間違っています。
どんな凶悪犯であっても、犯人の更生とその後の幸福な人生を願うというのは、文句なく人道的で美しい話です。
でもそれは犯人に殺された人、家族を奪われた人が悲しみを深めるのは間違いないでしょう?
こういう不幸な人々が絶対少数派だからと言って、こういう人々を無視してよいわけはないのです。
因みにワタシは死刑制度は絶対に守るべきとは思っていません。
例えば死刑制度を廃止している国が、全部日本より凶悪犯罪の発生率が少ないなら、廃止も考えてよいと思います。
でも現実は、先進民主主義国も含めて死刑制度を廃止した国の中で、日本より凶悪犯罪発生率が低い国は一つもないようですから、犯罪防止の点から死刑廃止なんて論外です。