テレビ番組の中での魯迅とある日本人の学者との会話を覚えています。
番組のタイトルとかは全く覚えていないのです、この会話だけは覚えているのです。
日本人の学者が魯迅に「中国人は商売は上手いが政治は下手だ。 政治は日本人に任せたらどうだろうか?」と聞くと、魯迅は「自分の店をドラ息子に譲るか、他人に取られるか、という話ですな。」と答えるのです。
なるほどいくらドラ息子でも、自分の店なら息子に譲りたいでしょう?
それを他人に奪われえる事など絶対に許せないでしょう。
しかし店の従業員や取引先にすればどうでしょうか?
ドラ息子が店主となった挙句、店が潰れて仕事を喪う、債務を踏み倒されるのは絶対に困るのです。
だから従業員や取引先からすれば、店主との関係なんかどうでもよくて、店の経営をちゃんとやって雇用を守り、取引先との関係も良好に維持できる人が店主になってくれたらよいのです。
ワタシは1954年生まれですから、生まれてこの方ずうっと帝国主義は絶対悪、特に近代欧米列強や日本による中国「侵略」は一点の弁護の余地もない蛮行だと思ってきました。
勿論これはワタシだけでなく、日本全体、いや現在世界全体の常識でしょう。
アヘン戦争はそうした侵略の中でも最悪の例とされます。
しかし現実はどうでしょうか?
イギリスという悪人は、アヘン戦争により香港という店を奪ったのです。
その奪い方も人類史上あり得ない程没義道な物でした。
けれども店の従業員、そしてその取引先、つまり香港の住民と香港と取引をする国々からみて、イギリスという悪人の経営は、清朝のドラ息子である中国国民党や中国共産党による支配とどちらが良かったのでしょうか?
アヘン戦争でイギリスが香港を奪った時、香港は現在のような大都市ではなく小さな漁村が散在するだけの荒蕪地でした。
しかしイギリスが香港を支配するようになると、港湾始め都市インフラが整備されて、ほどなく大都市になりました。
そうやって香港に集まった人々は、皆中国人なのです。
彼等は別に香港に強制連行されたわけではないのです。
貧しい人は職を求めて、そして裕福な人々はビジネスチャンスと、イギリス政府の保護を求めて、皆自らの意思で香港に移住したのです。
イギリス政府は香港をその立地条件から東洋経済の中心地にするために、香港割譲を要求したのです。
そしてそれに成功したので香港には職もビジネスチャンスもいくらでもあったのです。
そればかりかそのビジネスチャンスを生かして得られた富は、イギリス政府が保護してくれました。
勿論、イギリスが支配する香港では中国人は二流市民でした。 しかしそれでも参政権がないぐらいで、私有財産権始め、人間が生きていくために必要な人権は、法により完全に保護されていたのです。
一方、香港の域外での中国領ではそうはいきませんでした。
例えば清朝末期から国民党政権時代、地方の権力者と警察が結託し、裕福な商人などをいきなり逮捕して拷問にかけ、無実の罪を自白させた挙句に財産を奪うようなことが普通に行われていました。
しかし香港ではそういう心配はなかったのです。
香港の司法権はイギリスが握っていたのですが、その司法はイギリスのそれに従い、私有財産権始め基本的人権は守られていたのです。
そして清朝滅亡、国民党政権の成立、国共内戦の混乱期も香港はイギリス政府により完全に平和が守られていたのです。
だから戦争で難民化した人々がドンドン香港へ流れ込みました。
それで香港の人口は、益々増えていきました。
それでもその国共内戦も遂に終結し、中国共産党政権が成立しました。
しかしそれこそ中国人にとっては大厄災でした。
中国共産党政権下の中国は貧困と飢餓、大粛清が続きました。
その為、共産党政権の厳しい監視にもかかわらず、更に多数の中国人が香港へ逃げ出しました。
香港の面積は実は東京都の半分ぐらいしかありません。
だから戦前に既に過密都市になっていたのです。
そこへ更にドンドン難民が流れ込むですから大変です。
しかしイギリス政府はこれらの難民をすべて受け入れました。
勿論これには中国共産党政府が猛反発しました。
これはイギリスにとっては深刻な問題でした。
だってこのころにはイギリスはもう嘗ての「日の没する事のない大国」ではなく、経済的にも軍事的にも落ち目の小国でしかなくなっていたのです。
けれどもイギリスは外交力を駆使してこの難民達を守りました。
そしてそればかりでなく香港経済を発展させて、彼等がそれなりに生活できるようにしていたのです。
勿論それはイギリス人への対応とは違いました。 例えばイギリスは戦後長らく「ゆりかごから墓場まで」と言われる徹底した福祉政策をとっていたのですが、これは香港には無縁でした。
それどころか香港は、元来大変な格差社会でした。
しかしそれでも香港では中国本土のような大量餓死など起きなかったし、香港経済は順調に発展をつづけたので、香港住民の生活レベルはシンガポールや韓国、台湾などと共に日本に続きアジアではトップレベルになっていたのです。
中国共産党政権が改革開放へと舵を切ると、中国本土の経済も発展しました。
そしてそれにより本土の中国人の生活レベルも上がりました。
しかし私有財産権は勿論、その他の人権が全く保障されないというのは、実は清朝末期と同じです。
勿論、参政権もないのです。
これでは自分自身が統治される側に立てば「中国の統治とイギリスの統治のどちらを選ぶか?」と言われたら、誰だってイギリスの統治を選ぶでしょう?
だから香港返還が決まった時、香港人の多くが香港を去りました。
香港を去ってカナダやオーストラリアなどに移民申請をして、そこの国籍を取るのです。
当時、これらの国々は投資移民を歓迎したので、一定額の投資をしたり不動産を取得したりすると比較的簡単に永住権や国籍が取れたのです。
そして一旦国籍を取ると、また香港に戻って仕事をするのです。
だってこの当時はやはり香港は、カナダやオーストラリアよりも魅力的な経済圏だったのです。
それで彼等は、こうやってカナダ人やオーストラリア人になる事で、香港に戻っても不当逮捕や政変に怯えずに商売を続けようとしたのです。
但しこの費用は当時の日本円で一人800万円程かかるので、これができるのは相当な富裕層だけでした。
そして現在の香港を見ると、なるほど彼等は先見の明があったと言わざるを得ません。
中国共産党政権が今回出してきた香港国家安全法というのは、国外に住む外国人の言論活動までも処罰しようというモノですが、しかし中国政府が一番問題にしている外国人とは、このような元香港住民かもしれません。
だからこそカナダ政府も中国との犯人引き渡し条約を破棄したのでしょう。
一方、幾ら中国政府の統治に不安を感じても資産のない人は、香港から逃げる事はできませんでした。
だから現在悲惨な状況になっているのです。
香港がこうして中国共産党政権の支配下に落ちる事で、アジアの金融ハブとしての香港経済の繁栄は終わると言われています。
それは全くその通りでしょう。
しかしそれはそれとして香港に一般市民はどうなるのでしょうか?
香港の繁栄が終わり、仕事がなくなり貧しくなるだけで済むのでしょうか?
勿論、現在既に独立運動家など多くの香港人が逮捕されてしまいました。
それではそうした政治運動に関係しなかった一般香港人は無事で済むのでしょうか?
ワタシは無事では済まないと思います。
だって中国共産党政権からすれば、彼等はイギリスの統治下で長く自由を謳歌して、自由の価値を知った厄介な存在です。
例え中国共産党政権に恐怖して沈黙を守っていても、内心は不平不満に思うのは確実でしょう?
しかも香港住民なら多少教育のある者は、皆英語ができて英米始め海外とのコネもあるのです。
そういう人間達の生存を中国共産党政府はいつまで認めのでしょうか?
中国共産党政権はチベット人やウィグル人のように、まったく無害としか思えない少数民族だってジェノサイトしてきた政権なのです。
しかしこれ中国の統治です。
魯迅のいうところの「ドラ息子」が店を継いだ結果です。
民族自決の理想を達成しても独裁国家では、国民は個人商店の従業員と同じです。
株式会社の株主ではないので、経営に口を出す権限はなく、ただ一方的に支配されるだけなのです。
その支配者がイギリス人から中国人に変わっただけなのです。
それどころか中国共産党政権では、共産党政権が国民の生殺与奪を恣にするので、それまでイギリス人の下従業員だった人々は、今度は中国共産党の奴隷になるのです。
ワタシは「租界」という言葉を中学時代に歴史で学んだと記憶しています。
しかしその租界とは何かについては具体的には全く教えられた記憶がありません。
ただ
日本や欧米列強が中国の弱体化に付け込んで、中国各地に「租界」を作った。
これは中国の主権を侵害する侵略行為である。
と、教えられたのです。
そして租界内の公園では「犬と中国人入るべからず」という看板までたっていたと教わりました。
だから「植民地支配は悪だ!!」「侵略戦争は悪だ!!」という話になるのです。
その租界とは何か?を知ったのは、実は中年過ぎてからです。
そして現在更に香港問題を通じてそれを実感しています。
なぜなら最後に残った「租界」こそが香港だからです。
香港を見て「租界」の意味が分かったのです。
つまり「租界」とは単なる借地ではなく、その租界内には中国の国家主権は及ばず、代わりに租界を所有する国の主権下に置かれるのです。
だから租界の中には、だから租界には中国の警察権も及びませんでした。
それで実は魯迅や孫文など、中国建国の英雄達も当時の中国政府に追われた時には、日本租界に逃げ込んだりしているのです。
そして日本や欧米列強が租界を得ようとしたのは、中国での経済活動の拠点を得る為でした。
経済活動をするのに何で「租界」が必要だったのか?
それはつまり現在の香港を見ればわかります。
民主的なルールのない国では、正常な経済活動などできないのです。
経済活動には自由と私有財産権始め、そこで経済活動をする人々の人権の保障が必要なのです。
ところが中国の統治にはそれがないのです。
現在、中国本土に進出している企業は、皆中国地方政府等の出鱈目な対応で苦慮しいます。 それで中国から逃げ出そうとしても、社員を人質に取られて逃げる逃げられないという企業も多いです。
だから「租界」が必要だったのです。
そしてこうした外国の支配は実は中国人にも歓迎されたのです。
そりゃ二流市民として扱われ「犬と中国人入るべからず」なんて看板まであれば不愉快でしょう。
でも中国で公園があったのは租界の中だけです。 中国にはそれまでの歴史上でも、一般国民が入れる公園なんか存在しなかったのです。
だから公園に入れないからと言って、現実の生活で中国人が困るわけでもないでしょう?
そして中国人観光客のマナーを考えたら「入るべからず」との看板を立てたくなる気持ちだってわかります。
しかし租界の外にないのは公園だけじゃないです。
職も法の保護も、電気やガスな水道などのインフラもないのです。
そして二流紙民扱いも同じで、違うのは二流市民扱いするのが外国人か、それとも中国人の権力者化というだけの違いなのです。
だったら租界に大量の中国人が移住して、たちまち大都市になったのも道理です。
ワタシは長く租界の獲得のような侵略行為、そしてこうした植民地支配を悪とだけ信じてきたのですが、しかし香港の現実を見て考え直さざるを得ません。
勿論、民族自決により良い統治が実現するならそれが理想です。
しかし哀しいけれどそうとばかりは限らないのです。
それどころか歴史を学ぶとそもそも元々の統治者が良くないからこそ、外国の植民地支配に甘んじる事になった国も多いのです。
その場合、独立して支配権を取り返しても、植民地支配以下になってしまう場合も少なくないんですね。
つまり異民族の支配だから、植民地支配だから悪いわけでもないし、民族自決すればよい統治になるわけでもないのです。
民族などに全く関係なく、良い統治者が良い統治をするとしか言えないのです。
香港を見ていてそれを痛感しました。