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2020-07-16 14:28

「犬と中国人入るべからず」と香港雑感

 最近の香港情勢を見ていて昔見たテレビ番組を思い出しました。

 テレビ番組の中での魯迅とある日本人の学者との会話を覚えています。 

 番組のタイトルとかは全く覚えていないのです、この会話だけは覚えているのです。
 
 日本人の学者が魯迅に「中国人は商売は上手いが政治は下手だ。 政治は日本人に任せたらどうだろうか?」と聞くと、魯迅は「自分の店をドラ息子に譲るか、他人に取られるか、という話ですな。」と答えるのです。

 なるほどいくらドラ息子でも、自分の店なら息子に譲りたいでしょう?
 それを他人に奪われえる事など絶対に許せないでしょう。
 
 しかし店の従業員や取引先にすればどうでしょうか?
 
 ドラ息子が店主となった挙句、店が潰れて仕事を喪う、債務を踏み倒されるのは絶対に困るのです。
 だから従業員や取引先からすれば、店主との関係なんかどうでもよくて、店の経営をちゃんとやって雇用を守り、取引先との関係も良好に維持できる人が店主になってくれたらよいのです。

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 ワタシは1954年生まれですから、生まれてこの方ずうっと帝国主義は絶対悪、特に近代欧米列強や日本による中国「侵略」は一点の弁護の余地もない蛮行だと思ってきました。
 勿論これはワタシだけでなく、日本全体、いや現在世界全体の常識でしょう。
 
 アヘン戦争はそうした侵略の中でも最悪の例とされます。 
 
 しかし現実はどうでしょうか?

 イギリスという悪人は、アヘン戦争により香港という店を奪ったのです。
 その奪い方も人類史上あり得ない程没義道な物でした。

 けれども店の従業員、そしてその取引先、つまり香港の住民と香港と取引をする国々からみて、イギリスという悪人の経営は、清朝のドラ息子である中国国民党や中国共産党による支配とどちらが良かったのでしょうか?

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 アヘン戦争でイギリスが香港を奪った時、香港は現在のような大都市ではなく小さな漁村が散在するだけの荒蕪地でした。

 しかしイギリスが香港を支配するようになると、港湾始め都市インフラが整備されて、ほどなく大都市になりました。
 そうやって香港に集まった人々は、皆中国人なのです。

 彼等は別に香港に強制連行されたわけではないのです。
 貧しい人は職を求めて、そして裕福な人々はビジネスチャンスと、イギリス政府の保護を求めて、皆自らの意思で香港に移住したのです。

 イギリス政府は香港をその立地条件から東洋経済の中心地にするために、香港割譲を要求したのです。
 そしてそれに成功したので香港には職もビジネスチャンスもいくらでもあったのです。
 そればかりかそのビジネスチャンスを生かして得られた富は、イギリス政府が保護してくれました。

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 勿論、イギリスが支配する香港では中国人は二流市民でした。 しかしそれでも参政権がないぐらいで、私有財産権始め、人間が生きていくために必要な人権は、法により完全に保護されていたのです。

 一方、香港の域外での中国領ではそうはいきませんでした。
 
 例えば清朝末期から国民党政権時代、地方の権力者と警察が結託し、裕福な商人などをいきなり逮捕して拷問にかけ、無実の罪を自白させた挙句に財産を奪うようなことが普通に行われていました。
 しかし香港ではそういう心配はなかったのです。

 香港の司法権はイギリスが握っていたのですが、その司法はイギリスのそれに従い、私有財産権始め基本的人権は守られていたのです。

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 そして清朝滅亡、国民党政権の成立、国共内戦の混乱期も香港はイギリス政府により完全に平和が守られていたのです。
 だから戦争で難民化した人々がドンドン香港へ流れ込みました。
 それで香港の人口は、益々増えていきました。

 それでもその国共内戦も遂に終結し、中国共産党政権が成立しました。

 しかしそれこそ中国人にとっては大厄災でした。
 中国共産党政権下の中国は貧困と飢餓、大粛清が続きました。
 その為、共産党政権の厳しい監視にもかかわらず、更に多数の中国人が香港へ逃げ出しました。

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 香港の面積は実は東京都の半分ぐらいしかありません。 
 だから戦前に既に過密都市になっていたのです。 
 そこへ更にドンドン難民が流れ込むですから大変です。

 しかしイギリス政府はこれらの難民をすべて受け入れました。
 勿論これには中国共産党政府が猛反発しました。

 これはイギリスにとっては深刻な問題でした。 
 だってこのころにはイギリスはもう嘗ての「日の没する事のない大国」ではなく、経済的にも軍事的にも落ち目の小国でしかなくなっていたのです。

 けれどもイギリスは外交力を駆使してこの難民達を守りました。
 そしてそればかりでなく香港経済を発展させて、彼等がそれなりに生活できるようにしていたのです。

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 勿論それはイギリス人への対応とは違いました。 例えばイギリスは戦後長らく「ゆりかごから墓場まで」と言われる徹底した福祉政策をとっていたのですが、これは香港には無縁でした。 
 それどころか香港は、元来大変な格差社会でした。

 しかしそれでも香港では中国本土のような大量餓死など起きなかったし、香港経済は順調に発展をつづけたので、香港住民の生活レベルはシンガポールや韓国、台湾などと共に日本に続きアジアではトップレベルになっていたのです。

 中国共産党政権が改革開放へと舵を切ると、中国本土の経済も発展しました。
 そしてそれにより本土の中国人の生活レベルも上がりました。

 しかし私有財産権は勿論、その他の人権が全く保障されないというのは、実は清朝末期と同じです。
 勿論、参政権もないのです。
 
 これでは自分自身が統治される側に立てば「中国の統治とイギリスの統治のどちらを選ぶか?」と言われたら、誰だってイギリスの統治を選ぶでしょう?

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 だから香港返還が決まった時、香港人の多くが香港を去りました。

 香港を去ってカナダやオーストラリアなどに移民申請をして、そこの国籍を取るのです。
 当時、これらの国々は投資移民を歓迎したので、一定額の投資をしたり不動産を取得したりすると比較的簡単に永住権や国籍が取れたのです。

 そして一旦国籍を取ると、また香港に戻って仕事をするのです。
 だってこの当時はやはり香港は、カナダやオーストラリアよりも魅力的な経済圏だったのです。 
 それで彼等は、こうやってカナダ人やオーストラリア人になる事で、香港に戻っても不当逮捕や政変に怯えずに商売を続けようとしたのです。

 但しこの費用は当時の日本円で一人800万円程かかるので、これができるのは相当な富裕層だけでした。

 そして現在の香港を見ると、なるほど彼等は先見の明があったと言わざるを得ません。

 中国共産党政権が今回出してきた香港国家安全法というのは、国外に住む外国人の言論活動までも処罰しようというモノですが、しかし中国政府が一番問題にしている外国人とは、このような元香港住民かもしれません。
 だからこそカナダ政府も中国との犯人引き渡し条約を破棄したのでしょう。

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 一方、幾ら中国政府の統治に不安を感じても資産のない人は、香港から逃げる事はできませんでした。
 だから現在悲惨な状況になっているのです。

 香港がこうして中国共産党政権の支配下に落ちる事で、アジアの金融ハブとしての香港経済の繁栄は終わると言われています。
 それは全くその通りでしょう。

 しかしそれはそれとして香港に一般市民はどうなるのでしょうか?
 香港の繁栄が終わり、仕事がなくなり貧しくなるだけで済むのでしょうか?

 勿論、現在既に独立運動家など多くの香港人が逮捕されてしまいました。 
 それではそうした政治運動に関係しなかった一般香港人は無事で済むのでしょうか?

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 ワタシは無事では済まないと思います。

 だって中国共産党政権からすれば、彼等はイギリスの統治下で長く自由を謳歌して、自由の価値を知った厄介な存在です。 
 例え中国共産党政権に恐怖して沈黙を守っていても、内心は不平不満に思うのは確実でしょう?
 
 しかも香港住民なら多少教育のある者は、皆英語ができて英米始め海外とのコネもあるのです。
 
 そういう人間達の生存を中国共産党政府はいつまで認めのでしょうか?
 
 中国共産党政権はチベット人やウィグル人のように、まったく無害としか思えない少数民族だってジェノサイトしてきた政権なのです。

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 しかしこれ中国の統治です。
 魯迅のいうところの「ドラ息子」が店を継いだ結果です。

 民族自決の理想を達成しても独裁国家では、国民は個人商店の従業員と同じです。
 株式会社の株主ではないので、経営に口を出す権限はなく、ただ一方的に支配されるだけなのです。

 その支配者がイギリス人から中国人に変わっただけなのです。
 
 それどころか中国共産党政権では、共産党政権が国民の生殺与奪を恣にするので、それまでイギリス人の下従業員だった人々は、今度は中国共産党の奴隷になるのです。

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 ワタシは「租界」という言葉を中学時代に歴史で学んだと記憶しています。
 しかしその租界とは何かについては具体的には全く教えられた記憶がありません。 
 
 ただ

 日本や欧米列強が中国の弱体化に付け込んで、中国各地に「租界」を作った。
 これは中国の主権を侵害する侵略行為である。

 と、教えられたのです。
 そして租界内の公園では「犬と中国人入るべからず」という看板までたっていたと教わりました。

 だから「植民地支配は悪だ!!」「侵略戦争は悪だ!!」という話になるのです。

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 その租界とは何か?を知ったのは、実は中年過ぎてからです。
 そして現在更に香港問題を通じてそれを実感しています。

 なぜなら最後に残った「租界」こそが香港だからです。
 香港を見て「租界」の意味が分かったのです。
 
 つまり「租界」とは単なる借地ではなく、その租界内には中国の国家主権は及ばず、代わりに租界を所有する国の主権下に置かれるのです。
 だから租界の中には、だから租界には中国の警察権も及びませんでした。

 それで実は魯迅や孫文など、中国建国の英雄達も当時の中国政府に追われた時には、日本租界に逃げ込んだりしているのです。

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 そして日本や欧米列強が租界を得ようとしたのは、中国での経済活動の拠点を得る為でした。

 経済活動をするのに何で「租界」が必要だったのか?

 それはつまり現在の香港を見ればわかります。
 
 民主的なルールのない国では、正常な経済活動などできないのです。 
 経済活動には自由と私有財産権始め、そこで経済活動をする人々の人権の保障が必要なのです。

 ところが中国の統治にはそれがないのです。
 
 現在、中国本土に進出している企業は、皆中国地方政府等の出鱈目な対応で苦慮しいます。 それで中国から逃げ出そうとしても、社員を人質に取られて逃げる逃げられないという企業も多いです。
 
 だから「租界」が必要だったのです。

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 そしてこうした外国の支配は実は中国人にも歓迎されたのです。
 そりゃ二流市民として扱われ「犬と中国人入るべからず」なんて看板まであれば不愉快でしょう。

 でも中国で公園があったのは租界の中だけです。 中国にはそれまでの歴史上でも、一般国民が入れる公園なんか存在しなかったのです。
 だから公園に入れないからと言って、現実の生活で中国人が困るわけでもないでしょう?

 そして中国人観光客のマナーを考えたら「入るべからず」との看板を立てたくなる気持ちだってわかります。

 しかし租界の外にないのは公園だけじゃないです。
 職も法の保護も、電気やガスな水道などのインフラもないのです。
 
 そして二流紙民扱いも同じで、違うのは二流市民扱いするのが外国人か、それとも中国人の権力者化というだけの違いなのです。

 だったら租界に大量の中国人が移住して、たちまち大都市になったのも道理です。

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 ワタシは長く租界の獲得のような侵略行為、そしてこうした植民地支配を悪とだけ信じてきたのですが、しかし香港の現実を見て考え直さざるを得ません。

 勿論、民族自決により良い統治が実現するならそれが理想です。
 しかし哀しいけれどそうとばかりは限らないのです。

 それどころか歴史を学ぶとそもそも元々の統治者が良くないからこそ、外国の植民地支配に甘んじる事になった国も多いのです。
 その場合、独立して支配権を取り返しても、植民地支配以下になってしまう場合も少なくないんですね。

 つまり異民族の支配だから、植民地支配だから悪いわけでもないし、民族自決すればよい統治になるわけでもないのです。
 民族などに全く関係なく、良い統治者が良い統治をするとしか言えないのです。

 香港を見ていてそれを痛感しました。
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コメント

租界というものはあまりにも秩序維持能力がない支那で
あまりに破壊活動や犯罪が多すぎて自国民を保護するため、仕方なく作ったものでした。
通州事件のような残虐な犯罪は残念ながらいつ起きても不思議ではない情勢でした。
国外での邦人保護ですね。
何故できたのかということを教えず感情的にかわいそうと思わせるためにそう記述しているのでしょう。
そういう因果関係を教えられずにいれば支那人の性質という見誤ってしまうものなのです。
物事を考える時、何故なのかということを常に考えていきたいものです。
  1. 2020-07-16 16:37
  2. URL
  3. 太朗 #cRy4jAvc
  4. 編集

 >つまり異民族の支配だから、植民地支配だから悪いわけでもないし、民族自決すればよい統治になるわけでもないのです。
 >民族などに全く関係なく、良い統治者が良い統治をするとしか言えないのです。

日本の韓国併合もそうでしょうね。

力作だと思いました。
毎度のことながら、凄いなあと感心しました。
  1. 2020-07-16 18:31
  2. URL
  3. いけまこ #-
  4. 編集

誰の統治が相対的に良いか

香港情勢は連日ニュースになっていますが、そのすぐ隣のマカオについては、全然報道がないですよね。どうやらマカオでは、香港のような運動は全く起きていないようです。

「一国二制度」 と言う社会システム下でここまで違う 「香港」 と 「マカオ (澳門)」 | CCM Hong Kong
https://www.ccm.com.hk/2019/10/why-dont-demos-happen-in-macau.html

上の記事は、ちょっと支那人の民族性を持ち上げすぎてるような気がしますが、ようするに 「イギリスによる統治>中国による統治>ポルトガルによる統治」 という事なんですよね。それくらいポルトガル領だった頃のマカオはひどくて、返還されてからのほうが治安も良くなり、経済も飛躍的に発展したという事です。

もっとも、以前も書いたように、マカオでは支那人とポルトガル人の混血が進んでいたので、ポルトガル人の血を引く人たちは、すでに欧米に移住してしまっていて、今のマカオ人は大陸から来たニューカマーばかりなのかもしれませんが。そして武漢肺炎とアメリカの対中制裁によって、もうマカオが以前のような活気を取り戻すことはないでしょう。

それと、もう一点だけ・・・

>中国共産党政権はチベット人やウィグル人のように、まったく無害としか思えない少数民族だってジェノサイトしてきた政権なのです。

チベット人が中共政府に武装闘争を起こしたことはないと思いますが、ウイグル人はあります。
東トルキスタン (中国名 : 新疆ウイグル自治区) はアフガニスタンと、ほんのわずかだけ接しています。そのためイスラム原理主義組織タリバンがアフガニスタンを支配していた1990年代後半~2000年代初頭には、アフガニスタンからウイグルに武器が密輸され、中国各地でテロが起きています。天安門広場で爆弾テロが起きたこともあり、これは日本でも普通に報じられていました。

当時、イスラム過激派によるテロは、中国領内だけではなくて、ロシア領内や中央アジアの国々でも頻発していました。そのため、イスラム過激派を抑え込むために中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタンの国々によって作られたのが 「上海協力機構」 という組織で、現在ではインドや中東の国々も加盟または加盟申請しています。

上海協力機構 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%A9%9F%E6%A7%8B
  1. 2020-07-16 20:34
  2. URL
  3. かんぱち #vF6NeGQU
  4. 編集

スレ違い御免

当エントリーとは関係なくて申し訳ないですが、無才さんのブログが1週間も停止しているのが気になりますな。まあ、十中八九、体調不良なのでしょう。以前、長期休止していたのも、それでしたから。ただ、ご隠居さんが音信不通の時は無才さんに問い合わせれば、様子を教えてくれましたが、逆の場合はねぇ……。ご隠居さん場合もう、コメント返信はしておりませんから、問い合わせしても無回答でしょうし。まあ、無才さんと、ご隠居さんの関係から推測すれば、無才さんに大事があれば、ご隠居さんがノンビリとブログ更新をしている筈もないので、ご隠居さんが平常通りブログ更新しているうちは、無才にも大事は無いと考えておりますけど。
  1. 2020-07-17 07:16
  2. URL
  3. 温泉猫 #-
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Re: タイトルなし

> 租界というものはあまりにも秩序維持能力がない支那で
> あまりに破壊活動や犯罪が多すぎて自国民を保護するため、仕方なく作ったものでした。
> 通州事件のような残虐な犯罪は残念ながらいつ起きても不思議ではない情勢でした。
> 国外での邦人保護ですね。
> 何故できたのかということを教えず感情的にかわいそうと思わせるためにそう記述しているのでしょう。
> そういう因果関係を教えられずにいれば支那人の性質という見誤ってしまうものなのです。
> 物事を考える時、何故なのかということを常に考えていきたいものです。

 当時の中国の状況は、実は日本国内でも、また日本同様租界を持つ国々の国内でも十分知られていたわけではないようです。

 だから「中国の国家主権を奪う欧米列強!!」というプロパガンダが説得力を得たのでしょう。

 しかし今の中国共産党政権を見ていると、なるほど租界って、絶対必要だったとわかるからすごいです。
  1. 2020-07-17 12:12
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: タイトルなし

>  >つまり異民族の支配だから、植民地支配だから悪いわけでもないし、民族自決すればよい統治になるわけでもないのです。
>  >民族などに全く関係なく、良い統治者が良い統治をするとしか言えないのです。
>
> 日本の韓国併合もそうでしょうね。
>
> 力作だと思いました。
> 毎度のことながら、凄いなあと感心しました。

 ありがとうございます。

 反安倍勢力を見ていればわかりますが、人間は元来人に統治されることへの反発があります。
 子供は親に反発するし、生徒は先生に反発するのだから、そういう反発があるのは当然なのです。

 異民族統治の場合は、統治者が異民族なので、それについての反発が出るだけの話です。
 尤も良い統治をしているのに「異民族だから許さん!!」というのって、純然たる人種差別なんですけどね。
  1. 2020-07-17 12:20
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: 誰の統治が相対的に良いか

> 香港情勢は連日ニュースになっていますが、そのすぐ隣のマカオについては、全然報道がないですよね。どうやらマカオでは、香港のような運動は全く起きていないようです。
>
> 「一国二制度」 と言う社会システム下でここまで違う 「香港」 と 「マカオ (澳門)」 | CCM Hong Kong
> https://www.ccm.com.hk/2019/10/why-dont-demos-happen-in-macau.html
>
> 上の記事は、ちょっと支那人の民族性を持ち上げすぎてるような気がしますが、ようするに 「イギリスによる統治>中国による統治>ポルトガルによる統治」 という事なんですよね。それくらいポルトガル領だった頃のマカオはひどくて、返還されてからのほうが治安も良くなり、経済も飛躍的に発展したという事です。
>
> もっとも、以前も書いたように、マカオでは支那人とポルトガル人の混血が進んでいたので、ポルトガル人の血を引く人たちは、すでに欧米に移住してしまっていて、今のマカオ人は大陸から来たニューカマーばかりなのかもしれませんが。そして武漢肺炎とアメリカの対中制裁によって、もうマカオが以前のような活気を取り戻すことはないでしょう。
 ポルトガル人の統治はどうも問題が多かった事は確かですね。

 ポルトガルは大航海時代の先鞭をつけた国なので、結構沢山植民地を持っていた上、第二次大戦に巻き込まれなかったので、その植民地のほとんどを戦後も維持しました。

 それがアンゴラやチモールなのですが、ポルトガルの支配は大航海時代から世界最後の植民地支配が終わるまで、植民地にマトモな道路一本作れないという支配でした。
 しかしそれでも植民地保持には執着したので、悲惨な内戦が続く羽目になったのです。

 こういうの見ていると、マカオの支配がどんなものだったかも想像できます。
 
 思うに支配する側は自国を基準に植民地を支配するので、支配者が先進国だと先進的な支配になるし、支配者が後進国だとそれなりの支配になるのです。

 実は植民地支配ではイギリスの支配が一番マシだったと言われるのですが、これはつまりイギリスが列強の中では一番の先進国だったからでしょう。
>
> それと、もう一点だけ・・・
>
> >中国共産党政権はチベット人やウィグル人のように、まったく無害としか思えない少数民族だってジェノサイトしてきた政権なのです。
>
> チベット人が中共政府に武装闘争を起こしたことはないと思いますが、ウイグル人はあります。
> 東トルキスタン (中国名 : 新疆ウイグル自治区) はアフガニスタンと、ほんのわずかだけ接しています。そのためイスラム原理主義組織タリバンがアフガニスタンを支配していた1990年代後半~2000年代初頭には、アフガニスタンからウイグルに武器が密輸され、中国各地でテロが起きています。天安門広場で爆弾テロが起きたこともあり、これは日本でも普通に報じられていました。
>
> 当時、イスラム過激派によるテロは、中国領内だけではなくて、ロシア領内や中央アジアの国々でも頻発していました。そのため、イスラム過激派を抑え込むために中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタンの国々によって作られたのが 「上海協力機構」 という組織で、現在ではインドや中東の国々も加盟または加盟申請しています。
>
> 上海協力機構 - Wikipedia
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%A9%9F%E6%A7%8B

 そうでしたね。
 中国政府はイスラム原理主義のテロを、ウィグル弾圧の口実に利用していましたね。
  1. 2020-07-17 12:37
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: スレ違い御免

> 当エントリーとは関係なくて申し訳ないですが、無才さんのブログが1週間も停止しているのが気になりますな。まあ、十中八九、体調不良なのでしょう。以前、長期休止していたのも、それでしたから。ただ、ご隠居さんが音信不通の時は無才さんに問い合わせれば、様子を教えてくれましたが、逆の場合はねぇ……。ご隠居さん場合もう、コメント返信はしておりませんから、問い合わせしても無回答でしょうし。まあ、無才さんと、ご隠居さんの関係から推測すれば、無才さんに大事があれば、ご隠居さんがノンビリとブログ更新をしている筈もないので、ご隠居さんが平常通りブログ更新しているうちは、無才にも大事は無いと考えておりますけど。

 そうですね。

 無才さんはご隠居さんと違って奥様もいらっしゃるようなので、ご病気でもそれほど心配はしなくてよいとはおもうのですが。

 それに以前もかなり長く休まれた事がありますし。

 札幌もそうですが、今は花の季節も終わり、真夏に向かって景色の変化もなくなりました。
 それで写真を撮る気もうせている面もあると思います。

 
  1. 2020-07-17 12:42
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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江戸時代の老舗は、跡取りの実子がボンクラだった場合は、勘当して、ヤリ手の番頭を養子にして暖簾を守ったといいます。親としては非情ですが、経営者としては正しい。多くの従業員と家族の生活がかかっていますから、鬼と言われても、暖簾の維持を優先させるのは、当然です。
ご指摘通り、香港はイギリスと言うヤリ手の経営者が、暖簾を強奪したからこそ、発展したと言えるわけです。
しかし、今は中国共産党組という暴力団が、香港という暖簾を持ち、従業員にしてみたら、生活どころか生命までも危険な状況に陥っているわけです。
従業員の生活を考えれば、ボンクラ実子よりは、赤の他人でも、ヤリ手の番頭に暖簾を任せた方がいいということは、国家運営についても言えるのですよね。
アフリカなど、植民地時代は飢饉などなかったのに、独立した途端に飢饉が発生したり、独裁者による対立部族の虐殺が多発したりと裏目に出た例が少なくなかったのですが、殊に近年の南アフリカやジンバブエなどを見ていると、「白人政権を潰したのは失敗だった」「政治的な暖簾は、白人に持たせておくべきだった」と思ってしまうのです。
こんなことを公言すれば、恐らく私は、「人種差別主義者」と言われてしまいそうですけど。
  1. 2020-07-17 13:32
  2. URL
  3. 名無しの権兵衛 #UIDlYnrc
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 江戸時代の老舗は、跡取りの実子がボンクラだった場合は、勘当して、ヤリ手の番頭を養子にして暖簾を守ったといいます。親としては非情ですが、経営者としては正しい。多くの従業員と家族の生活がかかっていますから、鬼と言われても、暖簾の維持を優先させるのは、当然です。
> ご指摘通り、香港はイギリスと言うヤリ手の経営者が、暖簾を強奪したからこそ、発展したと言えるわけです。
> しかし、今は中国共産党組という暴力団が、香港という暖簾を持ち、従業員にしてみたら、生活どころか生命までも危険な状況に陥っているわけです。
> 従業員の生活を考えれば、ボンクラ実子よりは、赤の他人でも、ヤリ手の番頭に暖簾を任せた方がいいということは、国家運営についても言えるのですよね。
> アフリカなど、植民地時代は飢饉などなかったのに、独立した途端に飢饉が発生したり、独裁者による対立部族の虐殺が多発したりと裏目に出た例が少なくなかったのですが、殊に近年の南アフリカやジンバブエなどを見ていると、「白人政権を潰したのは失敗だった」「政治的な暖簾は、白人に持たせておくべきだった」と思ってしまうのです。
> こんなことを公言すれば、恐らく私は、「人種差別主義者」と言われてしまいそうですけど。

 ええ、従業員や得意先の立場からすれば、ドラ息子が後を継がれては困るのです。
 国家ならなおさらです。

 「白人の支配の方が黒人より良かった」と言えば人種差別でしょうが、だったら「異民族の支配だから悪で、同じ民族だから善」というのだって人種差別でしょう?

 この理屈だと「外国人が上司になるのは嫌」「人種の違う議員は、自分達のことを考えてくれるわけがないから投票しない」と言ってもよいことになります。

 これって人種差別でしょう?
  1. 2020-07-17 14:03
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Don't cry, 香港

香港についてとても的を射たエッセイですね。私は1975~76年、香港で働いていました。文革末期です。若い時すごした土地は懐かしい。その香港があのように蹂躙されるのは見ていて実につらく悲しい。

ポルトガルは統治者としてはかなりダメな人たちで、マカオも例外ではなく、その意味ではユル~イ植民地で、腐敗が蔓延し、アウトローが跋扈する無法地帯、まさにゴミためでした。ここは欧米の商人が家族を住まわせてよい唯一の場所で、季節風が吹くと男たちだけ広東(今の広州)の商館へ移って商売します。広東の居留地は清国の兵士に厳重に守られた「租界」というより「檻」みたいな所で、これまた腐敗しきった広東の豪商たちが賄賂を贈って役人と西洋人の仲介をしていた。

道光帝の時代に抜擢された「清官」林則徐がこの腐敗にメスを入れようと頑張ったため、商品(アヘン)を焼かれ、海上に商船団ごと何ヶ月も「幽閉」されたイギリスは、民間貿易に政府が乗り出さざるを得なくなった。でも、この不正な戦争には本国の議会も逡巡したようです。「芥子(アヘン)戦争」(The Poppy War)と命名したのはそもそもイギリスの新聞です。

イギリスとしては、こういう不自由な貿易に腕力で決着をつける良い機会だったのですね。彼らは銃火器で優位に立ち、使われ始めたばかりの蒸気船が河川や沿岸航行に実力を発揮した。因みに陸上のイギリス兵力は多くが植民地から徴用されたインド人でした。

香港島はおっしゃるように小さな漁村が点在するだけの荒れ果てた島で、ここを貿易拠点として手に入れたイギリスは、インド、海峡植民地、東南アジア、マカオ、広東で商売していた欧米の商人を相手に、まず無人の海岸に区画をつくって地所の売却を始めた。建築ブームが起こり、急ごしらえの商館やバラックに移り住んだ欧米の商人や軍人を目当てに、清国や南海(東南アジア)の沿岸から中国人商人や労働者が集まってくる。こうして20世紀の末まで、本質的にこの街は欲望と金儲けのチャンスを原動力に、人々が世界中から流れつく土地であり、ここから世界へ旅立つ踏み台として繁栄する「borrowed land」、本質的に「仮の宿」だったのです。このような形態が成り立つのは、経済政策と情報収集に優れ、七つの海を支配したイギリスが巧みに統治していたからです。福建・広東の中国人は16世紀頃から密貿易などで南洋へ移民していましたが、19世紀になって彼らは欧米帝国主義に肩車して世界に散らばり、目に見えない華僑・華裔の帝国をつくった。香港はその帝国の首都なのです。
  1. 2020-07-18 01:33
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  3. 幌延の青いケシ #-
  4. 編集

返還後のマカオは従来のカジノに香港+大陸からのマフィアが群がり、それこそ「東洋のはきだめ」の面目躍如。しばらく血腥い暴力沙汰が絶えず、超危険な街でした。やがて大量の中国マネーが流れ込み、豪華カジノが乱立、およそ政治とは縁のない歓楽の街です。ただここはメシが美味く、都会・香港のリゾートでありつづけています。

香港も本質的に政治とは縁のない街で、香港政庁にいるのはイギリス人だし、市民に選挙権はない。ここの良い点は何をしても放っておいてくれること。自由なビジネスと金融環境を駆使して財を蓄え、子弟を英語圏へ留学に出す。こうして華僑ネットワークはさらに広がる。

この政治的無風地帯が初めて動揺したのが1989年の六四天安門事件です。このときの香港の民主化運動は遠く北京からやってきた。香港の学生は北京の学生に刺激されたのであって、その逆ではない。このとき北京のリーダーの一人だった王丹は逮捕されて服役したのちアメリカへ逃れ、学位をとって今は台湾にいます。日本の石平さんもこの世代。先頃北京で逮捕されて数日前釈放された清華大学の許章潤さんも同じ世代です。

2014年のいわゆる「雨傘革命」を担ったのは、周庭さんやジョシュア・ウォンらその次の世代ですが、この子たちを見ていると何とも痛ましい。イギリスがイタチの最後っ屁のように残した建前の民主や自由に保護されて育った純粋培養に見えるからでしょうか。その意味で、欺瞞と真実の交差する戦後民主の中に育った全共闘一般学生からシールズまで含む日本の戦後世代に共通するものを感じます。つまり甘い。だから香港警察ならまだしも、中国の武装警察による本物の弾圧に出会ったらひとたまりもない。2014年のときから思っていましたが、中共が相手じゃ、この子たちは必ず潰される。国際世論なんて夢みたいなものが当てになるはずがない。だから早く逃げなさい、逃げられるうちに。若者はやむにやまれず戦う。しばし民主を夢見て嗚咽し、運が良ければ石平さんのように脱出できるだろうが、不器用なやつは命までとられてしまう。心と肉体に深い傷を負い、運命を狂わされ、生涯苦しむ。
  1. 2020-07-18 02:00
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  3. 幌延の青いケシ #-
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Don't cry, 香港 3

ここで1975~6年の思い出話をひとつ。文革の頃です。

いま空港のあるランタオ島は香港人のリゾートの一つで、シルバーマインベイ(銀鉱湾)というビーチにこざっぱりしたオープンエア・カフェがあり、遊びに行くときはいつもそこを根城にしていました。テラスでビールを啜りながら時々見かけたのは、警官に先導されてフェリー波止場に向かう十人ほどの短い行列でした。一人は腰に縄をかけられた囚われ人、泣きながら彼につきそうように歩く数人の村人。広東省から泳いで逃げてきたwet back不法入国者とその親類です。「彼らは取調べののち本国へ送還され、処刑される」と地元の人は言うが、どんな処罰になるのかはよくわからない。でもそれが観光客の眼前にあたりまえのようにくりひろげられる風景の一つだった。上海のような大都会でもまだ公開処刑(死刑)が行われていると聞いていたし、新界の北端、羅湖(ローウー)と広東省を隔てる河には大量の死骸が漂着することもある時代でした。

当時住んでいた湾仔のホテルはベトナム難民の臨時宿舎になって、ロビーに時々一団のベトナム人がひっそりと固まっているのに遭遇しました。妙に静かな集団だったのが記憶に残っています。(完)
  1. 2020-07-18 02:15
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  3. 幌延の青いケシ #-
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枝野は政権奪還を目指すというアナクロ

この様な理解の仕方はほんとに馴染めます。
ギリシャの市民がとかフランスの哲学者が言った、とか始めると宗教詐欺とか憲法九条学者のように一生の間違いを犯す事になりますからね。

この様な現実を全く知らずに育ち、共産主義とか資本論とか読んで学生運動に走った秀才、パヨク学者は、この様な現実は知らない、理解できないで理想を追求し続けてるんでしょうね。
明治維新の偉人たちは、この様に中国とか東南アジアの現実をみて日本を導いたのですから、西洋哲学とか理想理論から入らなくて良かった。

立憲民主党の枝野は今だに政権奪還を目指すというけど、現状の日本社会で理想論は基本的に不用なんですけど、×ぬまでダメなんですよね。
迷惑なんですよね、いくら相対貧困者が多いとか社会の一部を掘り起こして針小棒大に騒ぐけど、
革命の世の中じゃないでしょ。貧乏の素はお金の資本じゃないんですから。
花の写真がとても綺麗です、気持ちがこもってるのが感じられます。

  1. 2020-07-18 07:51
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  3. トラウマ #RWLNmTs6
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梅雨のじめじめのやさしさ

「租界」という意味、改めて感じ入りました。私もよもぎねこさん同様、その手の教育にしてやられてきた同世代です。私の父はフィリピン沖で爆撃を受け、九死に一生の生を受けて日本に帰ったひとりですが、それでも戦後変わらずの保守派であり続けたにも関わらず、父の言をないがしろにして父の生存中に「ありがとうございました。」のひとことも伝えられず悔やんでいる人間です。

こちら関東は毎日雨が降り、梅雨の晴れ間すらない日々です。
ただ個人的にはこの梅雨の鬱陶しさが私にとっては安らぎなのはヒミツです。
あまりにも明るいお日様が照ると、すいませーん、私みたいな人間は端っこにいることにしますとなるのですが、ここまで毎日雨が降ると、あー外に出て働かなくてもいいんだな、家事もさぼってもまあ仕方がないや的な神様的な許しを得たような?気分になれてうれしいです。
晴れこそ正義みたいなのが苦手な私。おまけにうちの子がおんもに出られないのが安心で、ありがたくてマジでうれしいのをわかっていただけるでしょうか?

  1. 2020-07-18 08:50
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  3. ROM #RS4k0RpE
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Re: Don't cry, 香港

> 香港についてとても的を射たエッセイですね。私は1975~76年、香港で働いていました。文革末期です。若い時すごした土地は懐かしい。その香港があのように蹂躙されるのは見ていて実につらく悲しい。
>
> ポルトガルは統治者としてはかなりダメな人たちで、マカオも例外ではなく、その意味ではユル~イ植民地で、腐敗が蔓延し、アウトローが跋扈する無法地帯、まさにゴミためでした。ここは欧米の商人が家族を住まわせてよい唯一の場所で、季節風が吹くと男たちだけ広東(今の広州)の商館へ移って商売します。広東の居留地は清国の兵士に厳重に守られた「租界」というより「檻」みたいな所で、これまた腐敗しきった広東の豪商たちが賄賂を贈って役人と西洋人の仲介をしていた。
>
> 道光帝の時代に抜擢された「清官」林則徐がこの腐敗にメスを入れようと頑張ったため、商品(アヘン)を焼かれ、海上に商船団ごと何ヶ月も「幽閉」されたイギリスは、民間貿易に政府が乗り出さざるを得なくなった。でも、この不正な戦争には本国の議会も逡巡したようです。「芥子(アヘン)戦争」(The Poppy War)と命名したのはそもそもイギリスの新聞です。
>
> イギリスとしては、こういう不自由な貿易に腕力で決着をつける良い機会だったのですね。彼らは銃火器で優位に立ち、使われ始めたばかりの蒸気船が河川や沿岸航行に実力を発揮した。因みに陸上のイギリス兵力は多くが植民地から徴用されたインド人でした。
>
> 香港島はおっしゃるように小さな漁村が点在するだけの荒れ果てた島で、ここを貿易拠点として手に入れたイギリスは、インド、海峡植民地、東南アジア、マカオ、広東で商売していた欧米の商人を相手に、まず無人の海岸に区画をつくって地所の売却を始めた。建築ブームが起こり、急ごしらえの商館やバラックに移り住んだ欧米の商人や軍人を目当てに、清国や南海(東南アジア)の沿岸から中国人商人や労働者が集まってくる。こうして20世紀の末まで、本質的にこの街は欲望と金儲けのチャンスを原動力に、人々が世界中から流れつく土地であり、ここから世界へ旅立つ踏み台として繁栄する「borrowed land」、本質的に「仮の宿」だったのです。このような形態が成り立つのは、経済政策と情報収集に優れ、七つの海を支配したイギリスが巧みに統治していたからです。福建・広東の中国人は16世紀頃から密貿易などで南洋へ移民していましたが、19世紀になって彼らは欧米帝国主義に肩車して世界に散らばり、目に見えない華僑・華裔の帝国をつくった。香港はその帝国の首都なのです。

 なるほど華僑が世界中に進出したのは、実はイギリスの香港統治のおかげだったわけですね。

 しかし考えてみれば、清朝は自国民の海外渡航を厳禁していたのですから、中国の王朝下では華僑の海外渡航なんてできるわけはないですものね。
  1. 2020-07-18 09:27
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  3. よもぎねこ #-
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Re: タイトルなし

> 返還後のマカオは従来のカジノに香港+大陸からのマフィアが群がり、それこそ「東洋のはきだめ」の面目躍如。しばらく血腥い暴力沙汰が絶えず、超危険な街でした。やがて大量の中国マネーが流れ込み、豪華カジノが乱立、およそ政治とは縁のない歓楽の街です。ただここはメシが美味く、都会・香港のリゾートでありつづけています。
>
> 香港も本質的に政治とは縁のない街で、香港政庁にいるのはイギリス人だし、市民に選挙権はない。ここの良い点は何をしても放っておいてくれること。自由なビジネスと金融環境を駆使して財を蓄え、子弟を英語圏へ留学に出す。こうして華僑ネットワークはさらに広がる。
>
> この政治的無風地帯が初めて動揺したのが1989年の六四天安門事件です。このときの香港の民主化運動は遠く北京からやってきた。香港の学生は北京の学生に刺激されたのであって、その逆ではない。このとき北京のリーダーの一人だった王丹は逮捕されて服役したのちアメリカへ逃れ、学位をとって今は台湾にいます。日本の石平さんもこの世代。先頃北京で逮捕されて数日前釈放された清華大学の許章潤さんも同じ世代です。
>
> 2014年のいわゆる「雨傘革命」を担ったのは、周庭さんやジョシュア・ウォンらその次の世代ですが、この子たちを見ていると何とも痛ましい。イギリスがイタチの最後っ屁のように残した建前の民主や自由に保護されて育った純粋培養に見えるからでしょうか。その意味で、欺瞞と真実の交差する戦後民主の中に育った全共闘一般学生からシールズまで含む日本の戦後世代に共通するものを感じます。つまり甘い。だから香港警察ならまだしも、中国の武装警察による本物の弾圧に出会ったらひとたまりもない。2014年のときから思っていましたが、中共が相手じゃ、この子たちは必ず潰される。国際世論なんて夢みたいなものが当てになるはずがない。だから早く逃げなさい、逃げられるうちに。若者はやむにやまれず戦う。しばし民主を夢見て嗚咽し、運が良ければ石平さんのように脱出できるだろうが、不器用なやつは命までとられてしまう。心と肉体に深い傷を負い、運命を狂わされ、生涯苦しむ。

 本当に香港の民主活動家の青年達の運命は・・・・・。

 中国のことですから目障りな人間は早く消そうとするのではないかと思います。
 
 とはいえ彼等を守る為の「戦争」というわけにもいかないでしょう。
  1. 2020-07-18 09:31
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  3. よもぎねこ #-
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Re: Don't cry, 香港 3

> ここで1975~6年の思い出話をひとつ。文革の頃です。
>
> いま空港のあるランタオ島は香港人のリゾートの一つで、シルバーマインベイ(銀鉱湾)というビーチにこざっぱりしたオープンエア・カフェがあり、遊びに行くときはいつもそこを根城にしていました。テラスでビールを啜りながら時々見かけたのは、警官に先導されてフェリー波止場に向かう十人ほどの短い行列でした。一人は腰に縄をかけられた囚われ人、泣きながら彼につきそうように歩く数人の村人。広東省から泳いで逃げてきたwet back不法入国者とその親類です。「彼らは取調べののち本国へ送還され、処刑される」と地元の人は言うが、どんな処罰になるのかはよくわからない。でもそれが観光客の眼前にあたりまえのようにくりひろげられる風景の一つだった。上海のような大都会でもまだ公開処刑(死刑)が行われていると聞いていたし、新界の北端、羅湖(ローウー)と広東省を隔てる河には大量の死骸が漂着することもある時代でした。
>
> 当時住んでいた湾仔のホテルはベトナム難民の臨時宿舎になって、ロビーに時々一団のベトナム人がひっそりと固まっているのに遭遇しました。妙に静かな集団だったのが記憶に残っています。(完)

 なんとも陰惨な話ですね。
 
 それにしてもこの時代に、香港を形式的だけでも民主的な独立国として、親英政権を作っておけば、返還はしなくても済んだのに・・・・・、と思うんですけどね。

 やはりそれはできなかったのでしょうね。

 香港についての興味不快お話ありがとうございました。
 やはり実際に香港で実務をなさった方にはかないません。
  1. 2020-07-18 09:36
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  3. よもぎねこ #-
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Re: 枝野は政権奪還を目指すというアナクロ

> この様な理解の仕方はほんとに馴染めます。
> ギリシャの市民がとかフランスの哲学者が言った、とか始めると宗教詐欺とか憲法九条学者のように一生の間違いを犯す事になりますからね。
>
> この様な現実を全く知らずに育ち、共産主義とか資本論とか読んで学生運動に走った秀才、パヨク学者は、この様な現実は知らない、理解できないで理想を追求し続けてるんでしょうね。
> 明治維新の偉人たちは、この様に中国とか東南アジアの現実をみて日本を導いたのですから、西洋哲学とか理想理論から入らなくて良かった。
>
 理念だけならどう考えてもイギリスが悪いわけですが、現実は違うんですよね。
 ワタシは自分自身でそのギャップについて整理する為にこれを書きました。

> 立憲民主党の枝野は今だに政権奪還を目指すというけど、現状の日本社会で理想論は基本的に不用なんですけど、×ぬまでダメなんですよね。
> 迷惑なんですよね、いくら相対貧困者が多いとか社会の一部を掘り起こして針小棒大に騒ぐけど、
> 革命の世の中じゃないでしょ。貧乏の素はお金の資本じゃないんですから。
> 花の写真がとても綺麗です、気持ちがこもってるのが感じられます。

 枝野も他の立憲民主党議員も、政権奪還なんか考えてないと思いますよ。
 彼等のコアな支持者の支持を維持する為と、国民民主党が抱えている資金をゲットする為に政権奪還という口実を唱え続けているのです。

 彼等としたら政権なんかどうでもよいけれど、自分の議席だけは確保して、議員報酬をもらい続けたいのです。
  1. 2020-07-18 09:41
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  3. よもぎねこ #-
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Re: 梅雨のじめじめのやさしさ

> 「租界」という意味、改めて感じ入りました。私もよもぎねこさん同様、その手の教育にしてやられてきた同世代です。私の父はフィリピン沖で爆撃を受け、九死に一生の生を受けて日本に帰ったひとりですが、それでも戦後変わらずの保守派であり続けたにも関わらず、父の言をないがしろにして父の生存中に「ありがとうございました。」のひとことも伝えられず悔やんでいる人間です。

 ROMさんのお父様の出征されたのですね。 ワタシの父もそうです。
 ワタシの父はインドシナ半島、ベトナム中心だったので、激戦は殆ど経験していません。
 でもやはり貴重な経験をしていました。 

 だからもっといろいろ聞いておけばよかったと思います。
>
> こちら関東は毎日雨が降り、梅雨の晴れ間すらない日々です。
> ただ個人的にはこの梅雨の鬱陶しさが私にとっては安らぎなのはヒミツです。
> あまりにも明るいお日様が照ると、すいませーん、私みたいな人間は端っこにいることにしますとなるのですが、ここまで毎日雨が降ると、あー外に出て働かなくてもいいんだな、家事もさぼってもまあ仕方がないや的な神様的な許しを得たような?気分になれてうれしいです。
> 晴れこそ正義みたいなのが苦手な私。おまけにうちの子がおんもに出られないのが安心で、ありがたくてマジでうれしいのをわかっていただけるでしょうか?

 これはわかります。 
 
 ワタシは散歩が好きなのですが、しかし雨や曇りで散歩に行けない日は、ホッとするんですよね。
 心がゆっくりと潤っていくような・・・・・・。
  1. 2020-07-18 09:46
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  3. よもぎねこ #-
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幌延の青いケシ、ブルーポピーの画像を見ました。

綺麗な花ですね。
  1. 2020-07-18 17:22
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  3. いけまこ #-
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自治(自分で統治)ができる民族、できない民族

幌延の青いケシさんのコメントにもあるように、香港の返還が決まった1984年の時点では、まだ香港では選挙が行われたことがなかったんですよね。なので中国を擁護する人達は 「英中合意に選挙のことは含まれていない」 「『一国二制度』の『二制度』とは『資本主義』と『社会主義』のことで、中国は何も合意に反していない」 などと言ってます。

ただ、それを言ったら、そもそもイギリスが99年の期限付きで租借したのは九龍半島だけで、香港島は永久割譲だから、本当は返す義理なんか無かったんですよね。香港の歴史って 「帝国主義が正義」 だった時代から 「民族自決こそ絶対正義」 へと価値観が変わっていく中で、時代に翻弄された歴史なんですね。

香港の返還が決まった時の英首相はマーガレット・サッチャーでした。当時、イギリスの政財界には 「イギリスが九龍半島を租借する条約を結んだ相手は清であって、中華人民共和国ではないのだから、返還する義務はない」 という声もあったそうですが、サッチャー首相は 「もし約束を守らなければ、今後、誰がイギリスを信用してくれるだろうか?」 と言って、返還を決めたそうです。この 「約束は守る」 「一度決まったことには従う」 というのが、とてもアングロサクソンらしいですよね。

マカオについて言えば、ポルトガルは、それこそマカオを返還する義理なんか無かったのに、返還を決めてしまいました。第二次世界大戦後のポルトガルは、軍事政権と社会主義政権によるグダグダな政治が続いたので、植民地を維持できるだけの国力が無かったのも大きいでしょう。なので、同じヨーロッパの国といっても、イギリスのような国にとっては、EUは自分たちの主権を制限する邪魔な存在なんでしょうが、ポルトガルのような国にとってEUは、自分たちでは決められない事を決めてくれる、ありがたい存在なんだろうと思います。
  1. 2020-07-18 21:49
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  3. かんぱち #vF6NeGQU
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私は世界史が苦手でしたから、歴史については映画やドキュメンタリーでぼんやりとした知識を得ていました。アヘン戦争は酷いやり口だし、植民地だった国々が独立するのは良いことだと祝福していました。さて、しかし何故ベトナムやアフリカの人たちがフランスを目指すのだろう?映画やドキュメンタリーやエッセイでは答は得られませんでした。
はっきり示してくれたのは、韓国で半ば発禁処分のような扱いをされたキムワンソプ氏の「親日派のための弁明」の、プエルトリコがアメリカの自治州を捨てて貧乏国になるだろうか?こんなかんじの文章でした。これで目についていた膜がつるりと剥かれたような気がしました。ラルフ・タウンゼントの「暗黒大陸中国の真実」には、日本が開発した満州に中国人がこぞって移住していると書いてありました。法が守られ成功できる、この大陸で最も良い土地であると。
そして香港返還時の著名人の脱出から始まり今の有様で、書物ではなくまざまざとした現実で、植民地って本当に悪いこと?と歴史を見せつけられています。同民族、異民族の差で幸福度が変わるわけではないと。
司馬遼太郎がドイツの青年が言った「うちはローマが来ましたから」という言葉に、支配されたことより文明に染まったことを重視する感覚を面白く感じていました。文明の拡大が平和的に行われるなんて殆どないのでしょう。戦争があり支配被支配、あるいは経済的搾取を伴う人の移動で文明が伸び縮みしながら、人間の世界を作ってきたのでしょう。今流行の政治的な正しさって、恩恵を無視して被害にしか注目しないのですよね。
  1. 2020-07-19 02:18
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  3. こきち #-
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Re: タイトルなし

> 幌延の青いケシ、ブルーポピーの画像を見ました。
>
> 綺麗な花ですね。

 青い罌粟は元来ヒマラヤの高所に咲くのですが、幌延など北海道でも育てる事ができるのですね。
 ワタシも一度百合ヶ丘公園で見ました。

 でも育てるのは大変のようです。
  1. 2020-07-19 11:46
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  3. よもぎねこ #-
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Re: 自治(自分で統治)ができる民族、できない民族

> 幌延の青いケシさんのコメントにもあるように、香港の返還が決まった1984年の時点では、まだ香港では選挙が行われたことがなかったんですよね。なので中国を擁護する人達は 「英中合意に選挙のことは含まれていない」 「『一国二制度』の『二制度』とは『資本主義』と『社会主義』のことで、中国は何も合意に反していない」 などと言ってます。
>
> ただ、それを言ったら、そもそもイギリスが99年の期限付きで租借したのは九龍半島だけで、香港島は永久割譲だから、本当は返す義理なんか無かったんですよね。香港の歴史って 「帝国主義が正義」 だった時代から 「民族自決こそ絶対正義」 へと価値観が変わっていく中で、時代に翻弄された歴史なんですね。
>
> 香港の返還が決まった時の英首相はマーガレット・サッチャーでした。当時、イギリスの政財界には 「イギリスが九龍半島を租借する条約を結んだ相手は清であって、中華人民共和国ではないのだから、返還する義務はない」 という声もあったそうですが、サッチャー首相は 「もし約束を守らなければ、今後、誰がイギリスを信用してくれるだろうか?」 と言って、返還を決めたそうです。この 「約束は守る」 「一度決まったことには従う」 というのが、とてもアングロサクソンらしいですよね。
>
> マカオについて言えば、ポルトガルは、それこそマカオを返還する義理なんか無かったのに、返還を決めてしまいました。第二次世界大戦後のポルトガルは、軍事政権と社会主義政権によるグダグダな政治が続いたので、植民地を維持できるだけの国力が無かったのも大きいでしょう。なので、同じヨーロッパの国といっても、イギリスのような国にとっては、EUは自分たちの主権を制限する邪魔な存在なんでしょうが、ポルトガルのような国にとってEUは、自分たちでは決められない事を決めてくれる、ありがたい存在なんだろうと思います。

 統治のできない民族というか、悪い統治しかできない民族というのはいますね。
 ワタシはその典型が漢民族じゃないかと思います。

 中国の歴史上、漢民族の王朝というのは明などごく一時期なのですが、しかしどう考えて清朝など異民族支配の時の方が、繁栄しているし、国民の生活もよいのです。

 それにしても中華人民共和国ってその中で最悪でしょう?
  1. 2020-07-19 12:15
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  3. よもぎねこ #-
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Re: タイトルなし

> 私は世界史が苦手でしたから、歴史については映画やドキュメンタリーでぼんやりとした知識を得ていました。アヘン戦争は酷いやり口だし、植民地だった国々が独立するのは良いことだと祝福していました。さて、しかし何故ベトナムやアフリカの人たちがフランスを目指すのだろう?映画やドキュメンタリーやエッセイでは答は得られませんでした。
> はっきり示してくれたのは、韓国で半ば発禁処分のような扱いをされたキムワンソプ氏の「親日派のための弁明」の、プエルトリコがアメリカの自治州を捨てて貧乏国になるだろうか?こんなかんじの文章でした。これで目についていた膜がつるりと剥かれたような気がしました。ラルフ・タウンゼントの「暗黒大陸中国の真実」には、日本が開発した満州に中国人がこぞって移住していると書いてありました。法が守られ成功できる、この大陸で最も良い土地であると。
> そして香港返還時の著名人の脱出から始まり今の有様で、書物ではなくまざまざとした現実で、植民地って本当に悪いこと?と歴史を見せつけられています。同民族、異民族の差で幸福度が変わるわけではないと。
> 司馬遼太郎がドイツの青年が言った「うちはローマが来ましたから」という言葉に、支配されたことより文明に染まったことを重視する感覚を面白く感じていました。文明の拡大が平和的に行われるなんて殆どないのでしょう。戦争があり支配被支配、あるいは経済的搾取を伴う人の移動で文明が伸び縮みしながら、人間の世界を作ってきたのでしょう。今流行の政治的な正しさって、恩恵を無視して被害にしか注目しないのですよね。

 ワタシも同じです。

 ところで「帝国主義」という言葉はローマ帝国の支配からきているのですが、塩野七生さんの「ローマ人の物語」など読んでいると、ローマの支配というのは正に文明化、文明による統治です。

 ローマは属州に道路や上下水道などのインフラを整備し、浴場や劇場や競技場を作り文明を持ち込んだのです。
 だからヨーロッパの歴史を見ると、ローマに近いところほどより文明的な先進国として発展してきたのです。

 それが変わってきたのは実に20世紀以降です。

 因みに日本の朝鮮や台湾の統治って、まさにローマの支配そのものです。

 ローマ人の物語 火病!

 http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-717.html
  1. 2020-07-19 12:28
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  3. よもぎねこ #-
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