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2020-06-19 20:18

マスク騒動から見える奴隷的思考回路 令和新選組支持者

 マスクについてなんとも面白い事を言っている人がいます。
 今回のコロナパンデミックについて、専門家の意見に従ってマスクをつけるのは自由の放棄だというのです。

 しかしワタシはこうした思考こそ奴隷的人間の典型だと思います。
 実はこの記事の元記事には、動画がついていて、記事の著者はこの動画に賛同して「マスクをつけるのは自由の放棄!!」と言っているのです。
 
 で、この動画でこれを言っているのは令和新鮮組の党員なのです。
 この動画のコメントを見ていると、まさに奴隷的人間とはどういうモノかがよくわかります。

 これはコロナ騒動ではなく、「マスク騒動」〜自由と責任
 2020年6月16日 ブロゴス

 今回の新型コロナ騒動に伴う「マスク問題」を、僕はコロナ問題の派生系として位置づけていたため、ここ数ヶ月自分でも混乱してしまった。
この問題は、指定感染症という政府による「指定」問題やそれに伴う医療問題などが5月までは当然大きかったのだが、強制自粛が終了後の6月以降は、「マスクをつけるかつけないか」に象徴される、「生活から自由が剥奪される」問題に切り替わっていることにようやく僕は気づいた。
感染症の専門家やそれより軽いテレビニュースなどに頼っていては肝心な点を見失ってしまう。
「欧米の1/100程度の被害」という点は重要だが、そこにとどまるとすぐに「専門家沼」議論(感染ルート・「マスクかフェイスガードか」という防止スキル・「第2波」とは何か議論等)にはまりこむ。
そして多くの人々はこの専門家沼での佇まいに集中し、そもそもの、「その沼にはまりこむことで我々は何を失っているか」という点を見失う。
我々は、そうした専門家沼に入り無条件にマスクをし続けること(感染防止にいろいろ理由をつけて暑さと熱中症の危険のなかそれを着け続ける)で、「自由」を失っている。
 ※※※
ここでは「ウィルスとは何か」という点には立ち入らない。それは下に添付した大西つねきさんが言及しているので参考にしてほしい。
この動画でも大西さんが言及するように、大切なのはウィルス専門家的専門家沼の議論ではなく、我々にとって「自由」とは何か、そしてその自由を選び取る責任とは何か、ということだ。
この選択の「決定」は、大西さんも言うように、まずは政治家の仕事になる。ほかには、哲学者のデリダが『法の力』で述べたように、法律家と哲学者の仕事にもなる。
ウィルス専門家にはこの「決定」はできない。決定することを託された、政治家と法律家と哲学者だけが、大きなシステム変更の際に人々が選ぶ生活スタイルについて決定することができる(別に職業的にそれら3者になる必要はなく、その3者を自認するものすべてにその決定の権利がある。僕であれば哲学者を自認している)。
ただしこれは、人生の最大の価値として「自由」を置く人々に課せられた問題系だ。自由に関心のない人はそれぞれマスクすればいいと思う。
大西さんや僕のように、人生の最大の価値として「自由」を置く者は、それぞれのギリギリの判断で決定し、それを表明していく責任がある
僕は、ウィルスの危険性が微弱であると概ね判断された現在、マスクで人生の自由を縛られたくない。それは僕自身が否定される重大事である。

人生の最大の価値として「自由」を置く人々に課せられた問題系だ。自由に関心のない人はそれぞれマスクすればいいと思う。
人生の最大の価値として「自由」を置く者は、それぞれのギリギリの判断で決定し、それを表明していく責任がある

 それにしても「マスクをつける事」って自由の放棄なんですか?
 「責任」というなら、自分が他人に感染させた場合の責任はどうするのでしょうか?

 このコロナウィルスの場合、感染源を特定するのが難しので、マスク拒否した人から感染した人が死んでも、それで感染させた側が責任を問われる事はまずないでしょう。 
 でもそれなら責任はないというのでしょうか?

 実はワタシも自由には最大な価値を置く人間です。
 しかしワタシは人前に出る時は必ずマスクをつけます。 

 ワタシはマスクは「自由」や「服従」の問題とは捉えていないからです。
 マスクをつけるか否かは、思いやりとマナーの問題だと思っているからです。
 そしてワタシも一応礼儀正しく思いやりのある人間でいたいので、他人の前に出る時にはマスクをつけるのです。

 この武漢肺炎ウィルス感染が厄介なのは、感染者を見分ける事が非常に難しい事です。 現在の研究では発症する3日ぐらい前の全く無症状の状態の人でも、他人への感染力がある事がわかってきました。
 更に感染初期で感染者を判別する唯一の手段であるPCR検査の精度は至って低く、感染していても検査で陽性にならない人が3割入るといわれます。

 こうなると医者も感染者自身も、自分が感染しているかどうか、そして他人に感染させるかどうかを判定することは不可能です。
 だから感染拡大を防ぐ為には常に自分自身が感染しているかもしれないと考えて行動するしかありません。
 そうは言っても永遠に自宅に閉じこもっているわけにもいきません。

 そこで外出時、特に人前に出る時、人と話をする事がある場所では、マスクをつけるのです。

 因みに風邪のコロナウィルスを用いた香港大学の実験では、マスクをつけた感染者から感染する人はゼロでした。 
 またオーストリアではマスク着用を義務付けてからは、感染率が90%も下がっています。

 オーストリアでマスク着用を義務化した結果、感染率が90%下がる

 さらに古い例ですが、スペイン風邪が流行した時に、マスクの着用を義務付けた町では、死者が一気に激減したという例があります。
 そもそもマスクってスペイン風邪流行時に発明されたものなのです。
 
 しかしこの時もマスク着用を嫌って「自由を奪うな!」と騒いだ人達はいました。

 アメリカのマスクを嫌う風潮はスペイン風邪龍興寺からあった。 1919年に結成された反マスク同盟(サンフランシスコ)

 少し脱線しましたが、とにかくマスクって結構な効果があるのです。
 しかもマスクを着けていて困るのは、飲み食いをするときぐらいです。
 
 だからマスクの着用で大幅に感染が防げるなら、外出禁止など経済活動や社会活動に深刻な影響のある感染防止策をとらなくても済むようになるのです。

 その為日本では多くの人が完全に自主的にマスクを着用するようになりました。 そして緊急事態宣言が解除された今も、多くの人がマスクの着用はやめていません。

 因みにこれはすべて個人の自由意思です。
 現在、世界中のかなり多くの国が、マスクの着用を義務付けていますが、しかし日本では国も自治体も一切マスクの着用は強制していません。

 だから自分が感染したり、他人が感染させたりすることに無頓着な人は、マスクをしなくても全然かまわないのです。
 そしてこのウィルスは健康な人が感染しても死ぬことは勿論、重症化することも稀なので、若くてこれと言った持病もない人なら、自分自身の命や健康の為に感染を恐れる理由はないのです。

 実はワタシ自身も自分が感染して死ぬ事は全然恐れていません。
 ワタシは若くもないし、また一応持病はあるのですが、しかし死者の統計を見ると80歳以上の人でさへ死ぬのは10%強なのです。 しかもこの年齢でも死者以外は殆ど軽症で済んでいるのです。

 これだと殆どの人は自分自身の命や健康の為に感染を恐れる理由はないのです。

 しかしこの世は若く健康な人だけでできているわけでははないのです。
 例えば札幌では国立癌センターで院内感染が起きました。 

 癌は現在は治る病気です。 また完治しなくても制癌剤等で癌を抑制しながら普通に生活している人達も沢山います。
 でも癌の治療中、或いは制癌剤使用中の人達は、免疫上非常に脆弱で、こうした人々が感染したら無事ではすみません。

 だから今回の院内感染で、入院患者や通院患者とその家族、そして病院スタッフの心労は想像を絶します。

 こうした人々がいる事を考えれば、自分が感染しない、そして他人に感染させないためには、マスクぐらいはつけようと思うのです。
 
 スーパーに行ってレジの順番待ちをしている時、ワタシの前や後ろの人が制癌剤使用中かもしれません。 また病院や介護施設の職員、或いは家族が入院中で何としても付き添いたい人かもしれないのです。

 そういう人達は絶対感染するわけにはいかないのです。
 しかしだから言ってスーパーに行かないわけにはいきません。
 
 そういう人たちにとってはマスクもせずに近づいてくる人間は恐怖でしょう?
 
 だから皆マスクをするのです。
 幸いワタシの行くスーパーや激安店では、殆どの客がマスクをしています。
 
 つまりマスクの着用は「自由と強制」の問題ではなく、思いやりとマナーの問題なのです。

 他人の命、他人の健康を気遣う人たちは、マスクをして他人を感染させないようにするのです。
 他人に感染の恐怖を与えないようにするのです。

 そして社会全体の感染率を低く抑える事により、癌センターのような重要な病院を守ろうとするのです。

 他人の生命や健康に配慮し、社会を守る為に自ら努力するというのは、民主主義社会の市民道徳の基盤であり、民主主義社会は多くの市民がこのような市民道徳を守る事を前提にして成り立っているのです。

 なぜなら人間が多数集まって都市や国家を作って生活するとなると、個人の好き放題にやっていては困る問題が沢山でてくるのです。
 都市や国家を作るほどの人がいれば、中には随分と変わった人もいるし、また集団同士での利害の対立もあります。

 だからそういう場合は、話し合いと多数決で規則を作り、皆がその規則に従う事で、秩序を守り混乱を避けるわけですが、しかしこれも市民の大多数は自主的にこの規則を守るという前提が必要です。

 感染症の抑制に対する対応などこの典型です。
 感染症の抑制、特に今回のコロナウィルスのようなタイプの感染症の抑制は、個人には不可能です。 
 
 だから一般市民がそれぞれ自分自身のできる事を最大限やる事で、感染防止に協力するしかありません。
 この為にはマスクの着用ばかりではなく、集団感染の原因になる商業施設の営業自粛など、当該施設にとっては大変な経済的な負担になる事もありました。

 しかし感染爆発でも起きれば、多くの人が死ぬことになります。
 だから自分自身にとって経済的な負担になっても営業は自粛するというのが、良心と善意があり、市民道徳をわきまえた人間です。

 日本はこのコロナパンデミックでの対応で、政府の強制なしに営業自粛やマスク着用を行い、感染爆発を阻止して、死者を最小限に抑えたのですから、世界に対して市民道徳の規範を示したと言えます。
 
 オレはこの規則には反対だったけれど、多数決で可決されてしまった。
 だったらこんな規則は守らない!!

 こんな事が常態化するのでは、規則が規則としての意味を持ちません。
 それでも規則を守らせようとすれば、強大な警察でも作り市民を監視するしかありません。 
 そしてそうなるともう民主主義国家とは言えなくなるのです。

 オレはコロナウィルスなんか怖くない!!
 オレは感染しても死なない!!
 だからマスクもつけないし、商売もやめない!!

 と、いう人たちばかりなら、感染を防止しようとすれば、中国のように政府が強権を発動して、警察とIT技術を駆使して、国民を徹底的に監視するしかないのです。

 つまり民主主義社会というのは、市民が好き放題できる社会ではなく、むしろ全く逆で市民が自ら自身を律して社会道徳を守る社会なのです。
 
 逆に言えば専制君主から奴隷的支配を受けているか、或いは本物の奴隷なら、自らを律する必要はありません。

 古代ローマでは奴隷は「自分の運命を決める権利を持たない人」と定義されていました。
 
 「自分の運命を決める」ってわかりますか?
 
 奴隷でない人、ローマ市民権を持つ人でも、何でも好きな事ができるわけではないのです。
 そもそもローマってすごい格差社会で、ローマ市民でも貧しい人は沢山いました。 
 そして誰でもが格別な才能に恵まれているわけでもありません。

 貧しくこれと言った才能のない人が「自分の運命を決める権利」を持っていたとしても、実際に「決められる」のはどんな仕事を選ぶか?どんな家を借りるかという事ぐらいです。 そしてどんな仕事を選んでも賃金は限られているし、どんな家を選んでも払える家賃を考えれば狭く汚い家であることにかわりはないのです。

 まして自分の判断だけで、病気や事故などの災難から逃れる事は難しいでしょう?

 しかし奴隷でなければ、市民であれば、自分の選択は自分の責任ですから、その選択に失敗してどんな不幸をこうむってもそれは自分自身の責任として受け止めるしかないのです。

 そして市民であればローマの国家と社会の為に貢献することが当然とされます。
 だから兵役だって市民だけに課せられたのです。

 貧しく弱い人にとってはこれは大変厳しい事です。
 しかしこの厳しさに耐える人だけが、人間の尊厳を保障されたのです。

 ワタシは古代ローマとかギリシャの話を読むの大好きなんです。
 古代ローマとギリシャって民主主義の原点で、実際ローマ人やギリシャ人も、民主主義を非常に重要視するのです。

 しかし現代人からみると大変奇妙ですが、この時代の人々は民主主義を語る時に「個人の自由」って殆ど問題にしないのです。

 でも少し考えたらわかります。
 この時代「自由である」というのは「奴隷でない」ことでした。

 この時代、奴隷は概念や修辞ではなく、現実に身の回りにいたのです。
 ソクラテスが仲間たちが饗宴で「奴隷の魂と僭主の魂は同一であり、最も卑しい魂である」などと語り合う時に彼等の傍らで、酒や料理の給仕をしていたのは奴隷なのです。

 少し脱線するけどこれ想像するとすごいですよね? 
 だってこれって現代でいえば、居酒屋で宴会をしている連中が、従業員に聞こえるに平気で「非正規の奴って最低だよね。」なんて言ってるみたいな状況ですから。

 でも奴隷というのがこうした存在だったからこそ、逆に言えば市民は自分が奴隷にならないためには、何よりも国家を守らなければならない、個人生活についての泣き言など言えないのです。

 しかしワタシはこれは民主主義国家における「自由」の原点だと思うのです。
 
 民主主義国家では市民は、国家や社会を守る為に自ら行動するという事を当然とするから自由に行動できるのです。

 こうした民主主義における「自由」の原点を考えると、上記の記事の著者が言う「自由」というのは、まさに奴隷の発想という事になります。

 奴隷は常に主人から圧迫され迫害されていると思うので、自分にとって不快な事はすべて主人の強制だと捉えてしまいます。
 また自分は常に圧迫されて迫害されているので非常に不幸な人間だと考えています。
 だから他人の命や、まして社会の問題などどうでもよいのです。

 そういう人間であれば、パンデミックなんか知ったことではないのです。
 自分さへ感染しなければ、感染しても自分が死ななないのであれば、感染防止に協力する事など一切考えないのです。

 そういう人間には、他人の命を思いやり、他人の命を守る為に自分からマスクをつけたり、営業を自粛したりする人間の心情は理解できません。
 そこで周りの人達がマスクをしていると「これは権力による強制だ!!」と思い込み、そして「マスクをすることは自由の放棄である」という珍説に行き着くのです。

 勿論現在の日本には奴隷制度はないので、この記事の著者もまたこの記事で著者が称賛する令和新選組の党員も奴隷ではありません。
 しかしながらソクラテスも言ったように奴隷でなくても奴隷の魂を持った人間というのはいるのです。

 それは正にこの記事の著者のように、市民として義務や道徳をわきまえずに、ひたすら自分の要求だけを主張する人間であり、そしてコイツラは正にソクラテスが言うように僭主になる事を切望しているのです。

 ワタシは実は前々からパヨクというのは、この奴隷人種だと思ってきました。
 しかしこういうのを見るとしみじみそれを実感します。
 
 今は欧米では南部同盟の指導者だけでなく、誰でも彼でも奴隷制度を容認した人の像を壊しまくる事が流行っているので、いずれソクラテスの像だって壊されるかもしれませんね。
 実際、彼が掲げた市民徳目から最も程遠いのが、今世界中で像や記念碑を壊しまくっている連中ですから。

 なんかすごく長くなっちゃったので、今日はここでやめて、夏用マスクを作ります。
 夕べは薄緑色のインド更紗のマスクを作ったのですが、今日はこれから青いジャワ更紗のマスクを作ります。

 誰に強制されたわけでもありません。 
 でもコロナパンデミックは夏中収まりそうもないし、そうなると夏らしく涼し気でおしゃれなマスクが欲しいですから。
  1. 戦後民主主義
  2. TB(0)
  3. CM(22)

コメント

ある程度の科学的な根拠もあるのに「マスクをつけない自由」を叫ぶ人は他人の「生存権」を犯しているように思います。
反社会的な人は無人島に行くしかありません。
  1. 2020-06-19 16:16
  2. URL
  3. 鳴子百合 #-
  4. 編集

こんにちは。

>専門家の意見に従ってマスクをつけるのは自由の放棄だというのです。

医療従事者を除き一般人のマスク着用が自分自身を守るためのものなら勝手にそう思ってください。
でも、マスク着用は人様にうつさないためのものです。
自由がどうのこうのの話ではないと思いますが、子供のためにいろいろと注意すると怒る子供と同じで反抗したいのでしょうね。

コロナ対策は自然災害と違って自分の身に降りかかるものではなく人様にうつしたり、最悪死につながるものだから厄介ですね。
津波や土砂災害なら注意されれば自分の生死にかかわる問題ですから自主的に避難しますよね。
でもコロナは津波がきても自分は死なずに他人が死んでしまうようなものですから非難しない自分勝手な人間も出てきます。。
更には、マスコミ等が陽性だから国が補償すべきだとか煽るものだからすっかり被害者意識になり、要請するなら金をくれ、などとデモ迄起こすようになってしまっています。
金持ち喧嘩せずと言います、中二病と同じで奴隷根性を持っているから反発するのでしょうね。。
  1. 2020-06-19 18:42
  2. URL
  3. kazusa #fxoVk/GE
  4. 編集

ソクラテスの像が破壊されるかも?!
でも慰安婦少女像は増殖するばかり。
実にグロテスクで不条理な話ですね。
  1. 2020-06-19 19:14
  2. URL
  3. 梅雨時の通りすがり #mQop/nM.
  4. 編集

職場とかでそういう迷惑な方がいれば体調管理すらできないって看做されて避けられる、注意されるだけでは。
まあ、注意されたら差別!弾圧!とか言うのかもしれませんが。
お馬鹿な人が勝手に苦しむ分にはまあ本人の自由ですが他人に撒き散らされるのは迷惑ですし。
  1. 2020-06-19 19:28
  2. URL
  3. 太朗 #cRy4jAvc
  4. 編集

小学生時代を思い出します

この人の書いていることって、結局はこういうことでしょう。

お母さん:寝るる前に歯を磨きなさい。
子供:いま磨こうと思っていたのに~!

「勉強しなさい」でも「片付けなさい」でも同じですね。大人だから言葉をいろいろと知っていますが、中身は小学校低学年、それもかなりできの悪い子(私もそうだったような気がする)とあんまり変わらないんじゃないでしょうか。

まして、「マスクをつけないさい」と命令されたわけでもないのに、『人生の最大の価値として「自由」を置く者は、それぞれのギリギリの判断で決定し、それを表明していく責任がある』って、事実無視の被害妄想でしょう。ただ気に入らないことに反応して文句を言うだけ。考えているようで、何も考えていない。これじゃ、韓国人とほとんど一緒ですよね。
  1. 2020-06-19 19:34
  2. URL
  3. Kamosuke #-
  4. 編集

珍説!その通りです。

先日はありがとうございました。
本日も気持ちよくバッサリ切られる記事で、胸のすく思いです。

いつも、こうして珍説を唱える輩は、親からどのようにしつけをされたのかしら?と疑問に思うのです。
奴隷根性で、いつも自分は被害者、全部他人のせい、国家のせい、みんな自分を甘やかすべき、支配者になりたい、他人に配慮しない、他人の気持ちが分からない、義務は行わないけど権利は欲しい、口だけは達者。

こういう方って一定層いるんですよね。
叱られたことがなく、ひたすら甘やかされたのかしら。
子どもの言うことを聞いていればいいので、親は楽でしょうけど。

これから親になる世代なので、関わりたくはないですが、このような人間に育てないために、サンプルとして興味があります。

夏用の更紗マスク、出来上がったらぜひ拝見したいです。
涼しさを分けていただける気がします。
  1. 2020-06-19 19:43
  2. URL
  3. ホワイティうめこ #es4KrRHU
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Libertyとfreedom?

欧米での自由の概念の発展はよく知らないが、
少なくとも日本では、「自由人」は社会からはみ出した
無頼者という意味合いで使われ始めており、現在の
意味合いに使われるようになったのはずっと後だと
書いてあるのを読んだ覚えがある。とすれば、
記事の作者が前者の意味で使っているなら、
自由の否定は必ずしも隷属状態を意味するわけでは
ない。
  1. 2020-06-19 22:37
  2. URL
  3. ちび・むぎ・みみ・はな #-
  4. 編集

彼らは奴隷になりたがっているのではないか。彼らにとって居心地が良いポジションらしい。自分の運命を自分で決めない、というのは主人が良ければ気楽でよいかもしれない。鼓腹撃壌かつ主人のいうこと聞かない悪口言いたい放題の俺はエライ。日本が良すぎるから安心して奴隷の反抗を楽しめる。
  1. 2020-06-20 02:40
  2. URL
  3. ごじた #LkZag.iM
  4. 編集

自由

「自由」というのは制限の中で自由なんです。
大の大人がふんどし外して町を走ってはいけないのです。
  1. 2020-06-20 09:36
  2. URL
  3. 相模 #-
  4. 編集

>我々は、そうした専門家沼に入り無条件にマスクをし続けること

思い出す3.11事故後に騒いだ人達。
「専門家も技術者も学者も政治家も政府も誰も信用出来ない、自分の感情だけで判断して行動しなさい」
これは左翼放射脳、たぶん全学連崩れ系だと思う、ネットで踊りました。社会、政府が信用できない理想の共産主義に走った人達だなーと直ぐ思いました。
が、
日本人の「決定」〜反原発主義は背景化する『田中俊英』 2016年2月8日
これ読むと、結構解りの良いことを言ってますね。
惑わされないで考えろ、疑問を呈するのだけど、哲学は誤解を生むかもしれない。
哲学を持て遊ぶ、現実から逃げる、と実社会から遊離するという典型的ないい人じゃないだろか?、すぐ走ってしまうバカな子には難しい、遊びで説いてはいけない。
マスクは科学的に考えて専門家沼に入る事が存在意義なんだから、哲学的に考えてはいけないのだよ、それが常識なんだよ、賢人の君。
  1. 2020-06-20 10:10
  2. URL
  3. トラウマ #RWLNmTs6
  4. 編集

Re: タイトルなし

> ある程度の科学的な根拠もあるのに「マスクをつけない自由」を叫ぶ人は他人の「生存権」を犯しているように思います。
> 反社会的な人は無人島に行くしかありません。

 そうなのです。
 
 マスクは自分が感染しない為よりは、他人に感染させないためにつけるのです。
 それを無視して「マスクをつけない自由」を主張するという事は、だったらコイツは「他人を感染させる自由」を主張しているとしか思えないのです。
  1. 2020-06-20 12:41
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> こんにちは。
>
> >専門家の意見に従ってマスクをつけるのは自由の放棄だというのです。
>
> 医療従事者を除き一般人のマスク着用が自分自身を守るためのものなら勝手にそう思ってください。
> でも、マスク着用は人様にうつさないためのものです。
> 自由がどうのこうのの話ではないと思いますが、子供のためにいろいろと注意すると怒る子供と同じで反抗したいのでしょうね。

 ええ、彼等のいう事を聞いていると、まったく整合性がなく、とにかく政府や社会の趨勢に反対したいだけなのだとわかります。

> コロナ対策は自然災害と違って自分の身に降りかかるものではなく人様にうつしたり、最悪死につながるものだから厄介ですね。
> 津波や土砂災害なら注意されれば自分の生死にかかわる問題ですから自主的に避難しますよね。
> でもコロナは津波がきても自分は死なずに他人が死んでしまうようなものですから非難しない自分勝手な人間も出てきます。。

 津波が来るから避難しろというのに「オレの自由を侵すな」と言って避難を拒否するなら、まったく自己責任で済む話です。
 避難を拒否して死ぬのは自分ですから。

 でもこのコロナ感染はそうではないのです。
 マスクの着用拒否は、他人を感染させ、死なせるかもしれないのです。

 それについて一切考えずに「マスクをつけない自由」などと言っているのは、要するに彼等は他人の命などどうでもよいという事です。

> 更には、マスコミ等が陽性だから国が補償すべきだとか煽るものだからすっかり被害者意識になり、要請するなら金をくれ、などとデモ迄起こすようになってしまっています。
> 金持ち喧嘩せずと言います、中二病と同じで奴隷根性を持っているから反発するのでしょうね。。

 マジに奴隷根性だと思います。
 いつでもどこでも自分は被害者で不幸なのだから、国は金を寄こせというのが、左翼の根幹ですから。 これってつまり自分で自分は国の奴隷であると規定しているという事でしょう?
  1. 2020-06-20 12:58
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> ソクラテスの像が破壊されるかも?!
> でも慰安婦少女像は増殖するばかり。
> 実にグロテスクで不条理な話ですね。

 ソクラテスは「奴隷と僭主の魂は同じで最低の魂」と言って奴隷を貶めたのですが、しかし奴隷制度そのものは一切否定していません。
 
 ソクラテスの哲学は、民主主義国家を前提に人間はいかに生きるべきか?を考えたわけで、実はペリクレスの「戦死者追悼演説」と本質は同じです。
 そしてそれが現代の民主主義国家の市民道徳の基本になっているわけです。

 しかしその民主主義国家・アテネは実は奴隷制の国家だったのです。
 そうなると奴隷制度の糾弾やそれに関連した人物像の破壊というのは、実は民主主義の否定に行き津のではないでしょうか?

 ルソーだったと思うけれど「民主主義には奴隷が必要」と言った人がいます。
 民主主義はやたらに手間と金のかかる制度なので、それを維持する為には市民に代わって労働をする奴隷が必要だというのです。

 しかしワタシはそれは違うのではないかと思うのです。
 
 民主主義を守るには市民一人一人が、自分自身の社会的責任を自覚して、行動しなければならないのです。
 その為には常にそういう社会的責任を持たない人間とは、どのようなモノかを見て自身を律する必要があるのです。
 奴隷はその為に必要だったのでは?と思います。

 今は奴隷制度はないので、山本太郎や共産党のような奴隷人種を見て、「ああはならないように」と自信を律するしかありません。
  1. 2020-06-20 13:09
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 職場とかでそういう迷惑な方がいれば体調管理すらできないって看做されて避けられる、注意されるだけでは。
> まあ、注意されたら差別!弾圧!とか言うのかもしれませんが。
> お馬鹿な人が勝手に苦しむ分にはまあ本人の自由ですが他人に撒き散らされるのは迷惑ですし。

 彼等は自身の言動から、社会の迷惑になっている事を自覚していないので、自分が被害者・社会が悪いと思い続けているのでしょうね。

  1. 2020-06-20 13:11
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 小学生時代を思い出します

> この人の書いていることって、結局はこういうことでしょう。
>
> お母さん:寝るる前に歯を磨きなさい。
> 子供:いま磨こうと思っていたのに~!
>
> 「勉強しなさい」でも「片付けなさい」でも同じですね。大人だから言葉をいろいろと知っていますが、中身は小学校低学年、それもかなりできの悪い子(私もそうだったような気がする)とあんまり変わらないんじゃないでしょうか。
>
> まして、「マスクをつけないさい」と命令されたわけでもないのに、『人生の最大の価値として「自由」を置く者は、それぞれのギリギリの判断で決定し、それを表明していく責任がある』って、事実無視の被害妄想でしょう。ただ気に入らないことに反応して文句を言うだけ。考えているようで、何も考えていない。これじゃ、韓国人とほとんど一緒ですよね。

 そりゃ子供なら先生や親に反抗するのはわかります。
 
 しかしそもそもマスクの着用は誰も命令していないのです。
 日本政府も自治体でマスクの着用を強制していないのです。

 勿論それでも多くの人がマスクを着用しています。 でもそれはそれぞれの人の自由意思です。

 それを多くの人が着用しているから「強制ニダ」と捉えて。「自由の価値」云々ってマジにどんだけ人格が脆弱なんだと思いますけどね。
 
  1. 2020-06-20 13:15
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 珍説!その通りです。

> 先日はありがとうございました。
> 本日も気持ちよくバッサリ切られる記事で、胸のすく思いです。

 ありがとうございます。
 ワタシもこんなのはバッサリ斬らないと気分が悪くて・・・・。
>
> いつも、こうして珍説を唱える輩は、親からどのようにしつけをされたのかしら?と疑問に思うのです。
> 奴隷根性で、いつも自分は被害者、全部他人のせい、国家のせい、みんな自分を甘やかすべき、支配者になりたい、他人に配慮しない、他人の気持ちが分からない、義務は行わないけど権利は欲しい、口だけは達者。
>
> こういう方って一定層いるんですよね。
> 叱られたことがなく、ひたすら甘やかされたのかしら。
> 子どもの言うことを聞いていればいいので、親は楽でしょうけど。
>
> これから親になる世代なので、関わりたくはないですが、このような人間に育てないために、サンプルとして興味があります。

 マジにこういう人間って、甘やかされた幼児みたいな人格で、自分の思い通りにならないと泣きわめき「自分は被害者!! 社会が悪い!!」というんですよね。
>
> 夏用の更紗マスク、出来上がったらぜひ拝見したいです。
> 涼しさを分けていただける気がします。

 あまりいい出来でありませんが、今度のエントリーで写真をアップしたいと思います。
  1. 2020-06-20 13:19
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: Libertyとfreedom?

> 欧米での自由の概念の発展はよく知らないが、
> 少なくとも日本では、「自由人」は社会からはみ出した
> 無頼者という意味合いで使われ始めており、現在の
> 意味合いに使われるようになったのはずっと後だと
> 書いてあるのを読んだ覚えがある。とすれば、
> 記事の作者が前者の意味で使っているなら、
> 自由の否定は必ずしも隷属状態を意味するわけでは
> ない。
 
 自由というのは、民主主義とか共和制などと同様に、明治期に英語から作った訳語のようです。
 江戸時代など明治以前にこの言葉は出てこないようです。
 
 それは当然でしょう?
 だって日本には奴隷制はありませんでした。
 奈良時代の初期には奴婢もいたし、平安時代になってからも「安寿と厨子王」のような話はあるのですから、奴隷そのものはいたのでしょうが、一般的な社会制度ではなかったのでしょうね。
 
 因みに日本ではマスクの着用には一切強制性はありません。
 ところが勝手にこれを強制と考えて、「マスクをしない自由!!」とわめくって、マジにそれを叫ぶ人間が、奴隷的人格であるとしか思えません。

 自由な人間なら進んで社会貢献するはずですから。
  1. 2020-06-20 13:27
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 彼らは奴隷になりたがっているのではないか。彼らにとって居心地が良いポジションらしい。自分の運命を自分で決めない、というのは主人が良ければ気楽でよいかもしれない。鼓腹撃壌かつ主人のいうこと聞かない悪口言いたい放題の俺はエライ。日本が良すぎるから安心して奴隷の反抗を楽しめる。

 ええ、彼等は奴隷になりたいのです。
 もっというとペットになりたいのです。

 ウチのよもちゃんみたいな立場ですね。
 山本太郎の支持者がよもちゃんで、ワタシが国という関係です。
 
 つまり何から何まで国が面倒を見てくれる上、勝手に遠くへ行って帰れなくなったら、国が必死になって救出に来てくれるという立場です。

 でもそれってよもちゃんが格別可愛い猫だから可能なわけで、人間には無理だという事を理解できないようです。
  1. 2020-06-20 13:34
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  3. よもぎねこ #-
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Re: 自由

> 「自由」というのは制限の中で自由なんです。
> 大の大人がふんどし外して町を走ってはいけないのです。

 そうなのです。
 そして現在、スーパーでマスクをしないのは、ふんどしをしないのと同じなのですが、彼等はしかし「ふんどしをしない自由」を主張するのです。
  1. 2020-06-20 13:35
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  3. よもぎねこ #-
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Re: >我々は、そうした専門家沼に入り無条件にマスクをし続けること

> 思い出す3.11事故後に騒いだ人達。
> 「専門家も技術者も学者も政治家も政府も誰も信用出来ない、自分の感情だけで判断して行動しなさい」
> これは左翼放射脳、たぶん全学連崩れ系だと思う、ネットで踊りました。社会、政府が信用できない理想の共産主義に走った人達だなーと直ぐ思いました。
> が、
> 日本人の「決定」〜反原発主義は背景化する『田中俊英』 2016年2月8日
> これ読むと、結構解りの良いことを言ってますね。
> 惑わされないで考えろ、疑問を呈するのだけど、哲学は誤解を生むかもしれない。
> 哲学を持て遊ぶ、現実から逃げる、と実社会から遊離するという典型的ないい人じゃないだろか?、すぐ走ってしまうバカな子には難しい、遊びで説いてはいけない。
> マスクは科学的に考えて専門家沼に入る事が存在意義なんだから、哲学的に考えてはいけないのだよ、それが常識なんだよ、賢人の君。

 この「哲学」の結果が、死者ゼロの福島第一原発事故では「東京は危険だ!! 避難しろ!!」で、現在世界で45万人の死者を出しているコロナパンデミックでは「マスクをするな」ですからね。

 これって「哲学」というより迷信でしょう?
 
 「自由の放棄」じゃなくて「知性と理性の放棄」でしょう?

 知性と理性に従えば、結局政府が正しとなるけれど、とにかく政府に反抗したければ、知性と理性を放棄して騒ぐ、これが左翼脳でしょう?
  1. 2020-06-20 13:41
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  3. よもぎねこ #-
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ちょっと脱線しますが・・・

>ええ、彼等は奴隷になりたいのです。
>もっというとペットになりたいのです。

>つまり何から何まで国が面倒を見てくれる上、勝手に遠くへ行って帰れなくなったら、国が必死になって救出に来てくれるという立場です。

将来、労働のほとんどをロボットやAIがするようになって、人間が働かなくてもよくなったら、人間はロボットやAIのペットとして生きてくようになるのかな・・・って、考えたことがあります。

>でもそれってよもちゃんが格別可愛い猫だから可能なわけで、人間には無理だという事を理解できないようです。

そうなんですよ!かわいくない人間は、ロボットやAIに捨てられちゃうかもしれないんです!するとノラ人間がロボット相手に叛乱を起こして、映画『ターミネーター』のような世界に!!

・・・まあ、もし本当にそういう時代がやって来たら、人間にはベーシック・インカムが配られて、本当に気ままなペットのように、一生遊んで暮らせるようになるかもしれないですけどね。

どうせ「自由」について「哲学」するなら、そういう事を考えたほうが、まだ有意義だと思うんですけどねぇ・・・。
  1. 2020-06-21 17:00
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  3. かんぱち #vF6NeGQU
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Re: ちょっと脱線しますが・・・

> >ええ、彼等は奴隷になりたいのです。
> >もっというとペットになりたいのです。
>
> >つまり何から何まで国が面倒を見てくれる上、勝手に遠くへ行って帰れなくなったら、国が必死になって救出に来てくれるという立場です。
>
> 将来、労働のほとんどをロボットやAIがするようになって、人間が働かなくてもよくなったら、人間はロボットやAIのペットとして生きてくようになるのかな・・・って、考えたことがあります。
>
> >でもそれってよもちゃんが格別可愛い猫だから可能なわけで、人間には無理だという事を理解できないようです。
>
> そうなんですよ!かわいくない人間は、ロボットやAIに捨てられちゃうかもしれないんです!するとノラ人間がロボット相手に叛乱を起こして、映画『ターミネーター』のような世界に!!
>
> ・・・まあ、もし本当にそういう時代がやって来たら、人間にはベーシック・インカムが配られて、本当に気ままなペットのように、一生遊んで暮らせるようになるかもしれないですけどね。
>
> どうせ「自由」について「哲学」するなら、そういう事を考えたほうが、まだ有意義だと思うんですけどねぇ・・・。

 確かに考えてみたらAIがすべての生産と労働を担うようになれば、人間はAIのペットだけれども、かわいくもなんともないペットだから捨てられて当然という事になってしまいますよね?
 
 そういえば「風と共に去りぬ」でスカーレットの最初の夫の実家では、黒人奴隷のピーター爺やが事実上、一家を支配しているのです。
 ピーター爺やは賢くしかも大変一家へ忠誠心そのものと言った人なので、頭の弱い女主人はすべて彼に頼り切りなのです。

 ある意味、彼女は完全にピーター爺やのペットなんですよね。

 こういう黒人が描かれている事もまた、「風と共に去りぬ」上映禁止の原因かも?
  1. 2020-06-21 20:59
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  3. よもぎねこ #-
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