先日「西洋の自死」を読みました。
これはヨーロッパの移民問題を描いた本ですが、ここで著者ダグラス・マレーは、現状の西ヨーロッパ諸国の移民対応を「自死」とまで表現しているのです。
そしてワタシも実際にその通りだと思います。
この本の中に描かれている事の8割ぐらいは、実はワタシもネットを通じて知っていた話です。
そしてワタシ自身も、ネットを通じてヨーロッパの状況を見ながら、ヨーロッパの未来を本気で心配していました。
こんな事を続けていて、ヨーロッパはいつまで今の文化を守れるのだろうか?
後半世紀もしたら、バッハやモーツアルトのミサ曲やオラトリオは日本でしか聞けなくなるのでは?
ヨーロッパの教会や美術館を埋め尽くす美術品は、いつまで無事でいられるのだろうか?
そしてそれ以上に、現在アメリカやヨーロッパそして日本が、国家存立の規範としている制度、つまり民主主義と、それを支える価値観や倫理規範が、ヨーロッパから消滅するのではないか?と恐れています。
こうした価値観や倫理規範は、元来ヨーロッパで生まれた物ですが、そのヨーロッパでこの価値観や倫理規範が失われるのであれば、もはやこれが世界秩序を統括する価値観ではなくなります。
そうなると国際社会の在り方も激変するでしょう?
当然だけれど、ヨーロッパ人にもこのような危機感を持っている人は多いのです。
この本の著者ダグラス・マレーもその一人だし、ヨーロッパでは同種の本が既に何冊も出版されており、しかもそれが皆結構なベストセラーになっています。
一番早いのは1973年に近未来小説の形式で描かれた「聖徒たちの陣営」です。
作者ジャン・ラスパイユは当時人気のトラベルライターで小説家だったのですが、或る日、リビエラの自分の別荘から海岸を見ていて、ある種の予感を感じてそれを近未来小説の形で描きました。
それはこの海岸に黒い肌をした大量の貧民を満載したボートが押し寄せて上陸するところから始まる物語です。
物語の中では、その後貧民の襲来はとめどがなくなります。
フランスの官憲は何とかこれを止めようとするのですが、しかし芸術家や富裕層など人道的な立場を好む人達は、それに反対して、結局フランス政府にはなすすべもないまま、フランスは黒い肌をした貧民に席捲されてしまうのです。
この2015年以降の難民危機を描いたような小説は、直ぐにベストセラーになったのですが、しかし一方で「リベラリズム」を標榜するメディアや言論人から大変な非難を浴びました。
そして作者共々「人種差別主義者」「ナチ」などのレッテルを貼られて、書店から消えてしまうのです。
この小説を掲載するのは国民戦線など、反移民を標榜する政党や団体のパンフレットぐらいになってしまいました。(因みに当時はまだインターネットはありません)
しかし現実の世界では「聖徒たちの陣営」が出版された半世紀後、本当にリビエラに黒い肌をした貧民を満載した船が現れました。
そして貧民達はラスパイユが作中で描いた地点から50m程離れた場所から、フランスの上陸したのです。
フランスの官憲はラスパイユが作中で描いた通り、こうした貧民達の上陸を一切阻止できませんでした。
以降、これまたラスパイユの小説通り、地中海沿岸には続々と黒い肌の貧民を満載した船が押し寄せています。
ラスパイユの小説「聖徒たちの陣営」が、現実と違っていたのは、この小説の中でラスパイユが描いた襲来する貧民の数が、現在現実に襲来している「難民」よりかなり少なめだったという事です。
因みに70年代にこうした小説が出るという事は、その前から既に多数の移民がヨーロッパに入っていたという事です。
実際、フランスでは、50~60年代から既に移民を受け入れていました。
そして70年代にはこのラスパイユのように、移民への不安を感じる人達が出ていたという事なのです。
さらに言うとこのころから既に、こうした世論に応えてフランス大統領始め、多くの政治家が「移民受け入れを制限する」「不法移民を強制送還する」などと言っていました。
しかし現実にはこうした話は全く、選挙向けのリップサービスに終わり、移民はその後も激増していくのです。
ところで移民の受け入れが、「西洋の自死」となるのは、短期間に余りに大量の移民が押し寄せている事です。
どんなに裕福な国でも、無限の雇用や福祉予算があるわけではないので、大量の人間が押し寄せればそれだけで社会は混乱するのです。
そしてその数が国家の受け入れ能力の限界を超えれば、国家全体が危機に陥るでしょう。
しかしヨーロッパの大量移民には、更に厄介な問題があります。
地理的な位置と歴史的な理由から、ヨーロッパに押し寄せる移民の圧倒的多数が、中東や北アフリカ出身のイスラム教徒なのです。
そしてそのイスラム教は近年急速に原理主義化、狂信化しているのです。
イスラムの狂信化により、エジプトのコプト教会など、イスラム社会で過去1000年以上も無事に共存してきた非イスラムの人達が、テロや暴行の危険にさらされる状態になっているのです。
ラスパイユが「聖徒たちの陣営」を出版した時には、まだこのようなイスラムの狂信化は誰も予見していません。
実はラスパイユも予見してなかったのです。
小説でも唯余りに大量の移民を受け入れる事で訪れる危機を描いているだけなのです。
しかしながら前記のようにそれでもこの小説は抹殺されました。
けれどもその後もヨーロッパで大量移民の危機を警告する本は、次々と出版されました。
2010年ドイツ連邦銀行の理事だったティロ・ザラツィンが、「ドイツが消える」を書きました。
彼はこの本で、トルコ移民の増加のよるドイツ財政の圧迫している事、そして彼等の高い出生率とイスラム教と民族文化への執着を問題視し、このままではドイツ文化の存亡にかかる事を警告したのです。
この本は前記に売れっ子トラベルライターで小説家のラスパイユの本と違って、ドイツ連邦銀行の理事が書いた専門書で、どう考えても一般人には読みやすい本とは言えな物でしたが、何と100万部を売るベストセラーになりました。
しかしザラツィンはこれで「人種差別主義者」と言う事にされて、連邦銀行理事を解任されてしまったのです。
ラスパイユの「聖徒たちの陣営」が出版された1973年のころには、イスラムは「平和な宗教」と認識されていました。
少なくとも西欧社会に有害な宗教とは思われていませんでした。
しかしながらザラツィンの「ドイツが消える」を書くまでには、イランのイランイスラム革命や、911のテロ、そしてISやボコハラムの出現など、イスラムのヨーロッパ文明への敵対姿勢が明確になっています。
そしてこの頃には、ヨーロッパ全体に入り込む不法移民が、大変な数になり、しかもそうした不法移民を本国へ強制送還するのは非常に難しい事である事も、明らかになっています。
因みにトルコ政府は海外で不法滞在をし、犯罪を犯したトルコ人の送還に応じていません。
日本で不法滞在は勿論、強姦などの凶悪犯罪を犯したトルコ人を、日本政府がトルコに強制送還しようとしても、トルコ政府は引き取りを拒否しています。
だからトルコ人の犯罪者は日本に居座っているのです。
これじゃトルコ人を大量に受け入れたドイツは、大変でしょう?
だからこれに怒りや危機感を持つドイツ人が出るのは当然なのですが、しかしながらドイツ連邦銀行理事と言う要職にある人物でも、一旦イスラム移民への懸念を示すと直ぐに「人種差別主義者」と言う事されて、その職を追われるのです。
ドイツ連銀理事が専門書として書いた本ですから、その危機を論証する相応の証拠資料も多数掲載されていたのでしょうが、しかし「人種差別反対」の理念の前には、こんなものは全て吹き飛んでしまうのです。
そして2015年、メルケルはシリア難民の幼児の遺体写真を使っての難民受け入れキャンペーンに呼応して、ドイツに無制限な難民の受け入れを決断します。
それを多数のドイツ人が熱狂的に支持したのです。
因みに現在ヨーロッパでは、今後のヨーロッパのイスラム化について人口動態などの資料を用いての、科学的アプローチでも「人種差別」と言われて忌避されています。
ドイツ連邦銀行理事が専門書として警告しても、人気小説家が近未来小説として書いても「人種差別主義者」として抹殺されるぐらいですから、一般庶民がこれを言えば無事で済むはずもないのです。
例えばイギリスの日焼けサロンの店主だったトミー・ロビンソンは、イスラム移民の激増に危機感をもってイングランド防衛同盟と言う団体を作り、移民反対運動を始めました。
するとイギリス政府は彼のみならず彼の近親者を微罪で逮捕し執拗に取り調べを続けるという嫌がらせを繰り替えしていました。
そして2018年ついに彼を「平和に対する罪」で投獄したのです。
「平和に対する罪」って、真珠湾でも攻撃したの?
イヤ、彼はイギリスで猛威を振るっているグルーミングギャング、つまり組織的に白人の少女を強姦し売春を強制し、人身売買をするパキスタン系のイスラム移民達の、裁判をネット中継しようとしただけなのです。
このグルーミングギャングはもう20年以上も前から、イギリスで活動しており、ロザラムなど地方都市でも数千人単位の被害者が出ているのです。
ところがイギリスではこれについて殆どのメディアが沈黙しているのです。
だからトミー・ロビンソンはこの裁判の状況を、ネット中継しようとしたのです。
するとイギリス政府はトミー・ロビンソンを逮捕投獄したのです。
これがホントに「民主主義国家」イギリス政府のやる事なのでしょうか?
トミー・ロビンソンだけでなく、現在ヨーロッパでは移民の受け入れに不安や懸念を示す人達は、全て「極右」「ナチ」「人種差別主義者」のレッテルを貼られて抹殺される状況です。
ドイツのAFDやフランスの国民戦線など、国会に相当数の議席を持ち、正規の国政政党としての地位を確保している政党に対しても、同様です。
本来なら中立であるはずの国営放送が、選挙期間中にこうした政党を誹謗する報道を行っている状況なのです。
因みにこれらの政党は、移民の完全排除などは目的としていません。
移民の受け入れに関して「法を守れ!」と言っているだけなのです。
不法移民でも何でも無制限に受け入れて、入ってしまえば政府が福祉予算で面倒を見るような事をしていては国家が破綻すると言っているのです。
国境の管理権と出入国管理権は国家主権です。
そして民主主義国家あらこの管理を法によって行う。
ところがこの民主主義の基本理念に基づいた移民政策を提唱すると、「人種差別主義者」「極右」「ナチ」と言う事になるのが、現在の西欧社会なのです。
移民「カワイソウ」主義が、西欧の知識人の宗教となり、その狂信が西欧を自死へと追い込んでいるのでしょうか?
なるほどシリア人の幼児が、ヨーロッパへ渡ろうとして地中海で溺死したのはカワイソウでした。
しかし何でそのカワイソウが、難民の無制限受け入れに短絡するのか?
難民を救済する方法は、ドイツへの受け入れ以外にもいろいろあるはずなのに。
ところがそれを議論する事さへタブーになっているのが、現在のヨーロッパです。
こうなるとヨーロッパ人は理性を放棄したとしか思えないのです。
そして理性こそが近代ヨーロッパが最も重要視した価値であり、世界に誇るモノではなかったのか?
しかしながらヨーロッパはこのように予言者を迫害し、警告を無視していた事で、自死へと進みつつあるのです。
「西洋の自死」については、書きたい事がまだ色々ありますので、今後も何回かに分けてそれをエントリーしていきたいと思います。
この本の全体の概要については、短足おじさんが綺麗にまとめてエントリーしておられるので、それをご覧ください。