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2019-02-07 13:42

タチャンカ 馬の時代の終わりと中国の台頭

 このところずうっとブログの更新が止まっていましが、実は体調を崩していたのです。
 それでぼんやりとyou tubeばかり見ていたのですが、するとこんな動画を見つけました。


 凄い迫力です。

 この動画の中の歌「タチャンカ」は、ソ連の軍歌で、タチャンカとはこの動画の中の後部に機関銃を据えた馬車の事です。

 ウィキによれば第一次大戦中にロシアで発明されて、ロシア騎兵隊に普及したと言います。

 それにしても馬車に機関銃と言うのは、馬の時代の最後を象徴する兵器ではありませんか?

 馬は古代から重要な兵器でした。

 馬の兵器としての価値は、近世以降は大砲や鉄砲の発達、そして鉄道の発明などで、徐々に下がり続けました。
 それでも人間が戦争と言う物を始めてから、数千年間、馬のスピードと輸送力を凌ぐ兵器は、顕われませんでした。

 だから騎兵はどの国でも重要な兵科でした。
 それで明治維新を迎えた日本も、ヨーロッパに倣って近代的な騎兵隊の設立し、それが実際に日清、日露戦争でも活躍しました。 

 しかし第一次世界大戦になって、戦車、飛行機、そして自動車など、馬が持っていた機能を上回る兵器や動力が出現して、遂に馬の時代が終わるのです。

 そして馬の時代の終焉が中国の台頭を招いたのです。



 古来、海洋と陸上の双方の覇権を握る国家はないと言われました。
 なぜなら陸上の覇権を握る国は、強大な陸軍を抱える必要があるのですが、それはつまり近隣に自国を脅かす敵がいるからです。

 例えば近代ヨーロッパの陸軍国、フランス・ドイツ・ロシアは、それぞれ強大な陸軍を持っていましたが、海軍国にはなれませんでした。 
 なぜならフランスとロシアは常に隣国ドイツの防衛を第一考えるしかなく、ドイツは気の毒にもフランスとロシアの二国からの防衛に追われました。

 これでは海洋に出る余裕はないのです。
 だから海洋はイギリスの独壇場になるのですが、しかしそのイギリスはこれらの強大な陸軍国に対抗して大陸に勢力を伸ばすような事はできなかったのです。

 第二次大戦後のアメリカが、海洋と陸上での覇権を唱える事ができるようなったのは、アメリカ大陸にはアメリカを脅かすような勢力が存在しないからです。

 一方中国の周辺にはこうした強大な陸軍国はありませんでした。
 しかしそれに代わって中国を脅かし続けたのが騎馬民族です。

 騎馬民族は人口では漢民族とは比べ物にならないほど少ないのですが、しかし民族全部が騎兵として活動できるのだから、少数でも軍事力は強大なのです。

 だから中国史は騎馬民族との闘いの歴史で、しかも繰り返しその支配下に入っているのです。

 中国が騎馬民族から国家を守るには、万里の長城のような防壁を作るか?或いは周辺地域を併呑して支配下に置くか、どちらかしかないのです。

 これでは海洋進出なんかできるわけもないのです。

 ところが馬の時代の終焉で、騎馬民族の時代も終わりました。
 
 一定の人口と経済力があれば、戦車や飛行機を手に入れ、それで騎馬軍団を簡単に制圧できるようになったのです。

 そうなると騎馬民族は唯の少数民族として、一方的に弾圧されるだけの存在になったのです。

 だから現在の中国は歴史上初めて、周辺騎馬民族を恐れず、海洋に進出できる状態になったのです。
 
 現在の中国を陸上勢力として抑止できそうな唯一の存在がロシアです。
 その意味ではロシアが弱体化するのは、日本にとってもアメリカにとっても、必ずしも好ましい事ではないのです。

 ロシアがヨーロッパなど他で悪さをしないなら、少しは支援しても良いのでは?
 
 と言うのが安倍総理やトランプ大統領の本音でしょう?



 それにしてもこの動画、ホントにすごい迫力でしょう?

 この動画の元の画像は1955年ぐらいに作られたソ連の映画か何かようです。 だからCGなどの技術は全くなく、本物の馬と人間でこの映像を撮っているのです。
 
 実はワタシは騎馬戦や騎兵突撃の動画が大好きでよく見るのだけれど、ここまで凄いのは初めて見ました。
 何が凄いって、この動画では馬が馬車もろとも倒れる場面続出なのです。

 騎兵突撃の動画についてyou tubeのコメント欄で「機関銃で撃たれて人間がバタバタ倒れるのに、馬が倒れないから不自然」と言うのがありました。

 そうなんですよね。
 でも馬って下手に倒れるとすぐ足を骨折して、そのまま治療不可能、安楽死と言う事になるのです。
 だから映画の撮影で馬が倒れるシーンを撮るのは大変なのです。

 ところがこの動画では馬が馬車もろとも倒れる!!
 
 この撮影でどれだけ馬を殺したんだろう?
 
 尤もこの時代のソ連は自国民を平気で殺していたから、馬が死ぬ事なんかに構うわけもないのでしょう。

 そして思うにこの時代は、それでもまだ騎兵の末裔が相当数存在したので、現代人の常識超えるような超高度な乗馬技術を持った人間を集めるのも簡単だったのでしょう。



 帝政ロシアのコサック騎兵は、ヨーロッパ最強を誇りました。
 コサックは元来ウクライナの自作農だったのですが、彼等は騎兵として軍務に就く事と引き換えに、様々な特権を得て、一般のロシア農民とは比べ物にならない程豊な生活を保障されていました。

 コサックが優秀な騎兵なのは、幼少時から乗馬に親しみ、高度な乗馬技術を持つからです。
 
 でも幼少期から乗馬に親しむ為には、農耕馬ではなく乗用馬を持てる家庭でなくてはなりません。 しかしそういう馬を持つには、相応の経済力が必要です。
 だからロシア皇帝は、コサックには乗用馬を持てる生活を保障していたのです。

 その豊かさを背景に、コサックダンス始め豊なフォークロアを育みロシア文化を代表するようになったのです。

 こうしたコサックを共産主義者が憎み、その後コサックのみならずコサックの土地であるウクライナ全土への熾烈な迫害を行ったのは当然でしょう?

 それでも1950年代にはまだ、この動画のような凄いスタントができる程のコサックの末裔たちが残っていたのでしょうね。

 貴重な動画だと思います。
  1. ヨーロッパ
  2. TB(0)
  3. CM(12)

コメント

>実は体調を崩していたのです。

お大事に。
更新が止まっているのは、お忙しいのかなと思っていました。
知らなかった、初めて知ったという内容ばかりなので、
毎朝パソコンをチェックして更新されていたら、
あっ!読もうって。楽しみに読んでいます。

すごい迫力の映画。全編見たい。
見ているだけでも怖くてドキドキ。
0:52 馬車が倒れるシーン、大けがしたのではないかと心配になりました。
これだけの迫力のある映像を撮影するカメラの方も、
相当な腕前なのでしょう。
  1. 2019-02-07 15:24
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  3. パールピアス #k4p9tOO6
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Re: タイトルなし

> >実は体調を崩していたのです。
>
> お大事に。
> 更新が止まっているのは、お忙しいのかなと思っていました。
> 知らなかった、初めて知ったという内容ばかりなので、
> 毎朝パソコンをチェックして更新されていたら、
> あっ!読もうって。楽しみに読んでいます。

 ありがとうございます。
 楽しんでいただけたら嬉しいです。
>
> すごい迫力の映画。全編見たい。
> 見ているだけでも怖くてドキドキ。
> 0:52 馬車が倒れるシーン、大けがしたのではないかと心配になりました。
> これだけの迫力のある映像を撮影するカメラの方も、
> 相当な腕前なのでしょう。

 ホントにすごいでしょう?
 ソ連の映画って、製作費に糸目をつけないし、人命も顧みずに無茶苦茶なスタントをやるので、動画を見ていると凄く面白いんですよね。
 
 ちゃんと全部見ると共産主義のプロパガンダ丸出しで、げんなりするんじゃないかな?と思える所もあるのですが、ロシア語がわからないので「見ぬ物潔」で楽しめます。
  1. 2019-02-07 19:38
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  3. よもぎねこ #-
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また、隊長殿のお怒りにふれましたか?
明日から札幌方面も大寒波ということですので、ご自愛くださいませ。

この騎馬部隊の映画、確かにど迫力ものですね。
「ラストサムライ」なんかはCG時代でしょうから、どこまで実写かよくわかりませんが、こりゃ全部実写ですもんねえ。
ぶっ倒れた馬が、起き上がって、走り出すとすぐまた変な恰好になって倒れるなんてのは、明らかに足の骨やっちゃったんでしょうね。
馬鍋になってしまったのかな?
4連装機銃で、米兵殲滅ってのも、ロシア人が見たら狂喜したことでしょう。

シナは2300年前の戦国時代中期、騎馬民族に対抗するため、華北の趙の武霊王が有名な胡服騎射を始め、騎馬隊創設。
それまで、シナの戦闘での馬は馬車馬用途。
ロシア映画に出てきたような4頭立ての馬車なんか、御するのは大変だったでしょうけど、馬車だと破壊力はあっても、機動性に欠けて、騎馬民族に分が悪かったんですね。
股割れズボンの胡服を穿くのも、中原のシナ人には相当抵抗があったようですが、背に腹は代えられず、各国それに倣うわけですな。

でも、この映画のようなコサックもいたロシア陸軍に我が国陸軍は勝ったわけですから、大したものです。
ご先祖様に感謝。
  1. 2019-02-07 20:20
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  3. 二郎 #-
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Re: タイトルなし

> また、隊長殿のお怒りにふれましたか?
> 明日から札幌方面も大寒波ということですので、ご自愛くださいませ。

 ご心配かけてすみません。 でもこの頃タイチョウ殿の横暴が酷すぎるんです。
 いい加減にしてほしいです。
>
> この騎馬部隊の映画、確かにど迫力ものですね。
> 「ラストサムライ」なんかはCG時代でしょうから、どこまで実写かよくわかりませんが、こりゃ全部実写ですもんねえ。
> ぶっ倒れた馬が、起き上がって、走り出すとすぐまた変な恰好になって倒れるなんてのは、明らかに足の骨やっちゃったんでしょうね。
> 馬鍋になってしまったのかな?

 ええ、きっと食べられちゃったと思います。
 可愛そうに・・・・・。
 だってスターリン時代だからソ連の人民は凄く貧しかったし。

> 4連装機銃で、米兵殲滅ってのも、ロシア人が見たら狂喜したことでしょう。
>
> シナは2300年前の戦国時代中期、騎馬民族に対抗するため、華北の趙の武霊王が有名な胡服騎射を始め、騎馬隊創設。
> それまで、シナの戦闘での馬は馬車馬用途。
> ロシア映画に出てきたような4頭立ての馬車なんか、御するのは大変だったでしょうけど、馬車だと破壊力はあっても、機動性に欠けて、騎馬民族に分が悪かったんですね。
> 股割れズボンの胡服を穿くのも、中原のシナ人には相当抵抗があったようですが、背に腹は代えられず、各国それに倣うわけですな。

 そういえば以前中国映画で春秋戦国時代の戦車による戦闘シーンを見ました。
 映画では結構な迫力ですが、この時代の車輪を考えると、あんなスピードは出たかどうか?

 でも春秋戦国時代にはまだ鐙が発明されていないので、遊牧民の方もそんなにスピードを出せないんですよね。
 だから実際の戦闘はどうだったんでしょうね?

 鐙なしでの乗馬をやるスタントマンは殆どいないらしく、古代を舞台にした映画でも、皆ちゃんと鐙を使っているから、リアリティが今一なんですよね。

> でも、この映画のようなコサックもいたロシア陸軍に我が国陸軍は勝ったわけですから、大したものです。
> ご先祖様に感謝。

 そうですね。 こんな連中に勝つのはホントに大変だったと思います。 
 よく頑張ってくれたものです。
  1. 2019-02-07 21:35
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  3. よもぎねこ #-
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>古代を舞台にした映画でも、皆ちゃんと鐙を使っているから、リアリティが今一なんですよね。

このリアリティーについてですけど、シナ人って、自らの長い歴史を誇る割にいい加減ですよね。
2-3年前に、孔子の一生を描いたシナ製連続ドラマを見ました。
随所にフィクションやいい加減な話はありましたが、時代考証してんの?と思ったのが、この騎馬の件。
戦闘シーンで、普通に馬車ではない騎馬戦が出てきます。
日本人が見ても、おいおい200年早いだろとわかるのを平気で流しちゃうんですねえ。
娯楽ドラマだし、日本の大河ドラマなんかも似たようなもんかもしれませんが、シナの民度なら通用しちゃうんでしょう。
それでも半島よりいくらかはマシなのかもしれませんが、さすが荒唐無稽な反日ドラマを乱造する国だけのことはあります。
  1. 2019-02-08 10:12
  2. URL
  3. 二郎 #-
  4. 編集

余談です

馬車…各国大使が就任して陛下から信任状受けるのに謁見するのに馬車か自動車を選択するそうですが、馬車の希望が多いとか。キャロライン・ケネディも馬車でした。
http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/shinninjo/basha.html
映画「ベン・ハー」の競争も迫力あった記憶がww2017年にリメイク版も
フォークダンスもコサック由来?コサックダンスの真似して尻もち何度ついた事か(笑)

人が移動に使った動物は、馬・牛・犬(犬ぞり)・象(ハンニバルやインドで)・ラクダかな?ある程度の大きさと力が無いと。馬力との言葉もあるし。

中国を抑えられるのはロシアでしょうけど西側でのゴタゴタに手を焼いてそうで
  1. 2019-02-08 11:54
  2. URL
  3. are #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> >古代を舞台にした映画でも、皆ちゃんと鐙を使っているから、リアリティが今一なんですよね。
>
> このリアリティーについてですけど、シナ人って、自らの長い歴史を誇る割にいい加減ですよね。
> 2-3年前に、孔子の一生を描いたシナ製連続ドラマを見ました。
> 随所にフィクションやいい加減な話はありましたが、時代考証してんの?と思ったのが、この騎馬の件。
> 戦闘シーンで、普通に馬車ではない騎馬戦が出てきます。
> 日本人が見ても、おいおい200年早いだろとわかるのを平気で流しちゃうんですねえ。
> 娯楽ドラマだし、日本の大河ドラマなんかも似たようなもんかもしれませんが、シナの民度なら通用しちゃうんでしょう。
> それでも半島よりいくらかはマシなのかもしれませんが、さすが荒唐無稽な反日ドラマを乱造する国だけのことはあります。

 紀元前の世界を舞台した映画はハリウッドだって随分といい加減ですけどね。

 でもあんまりインチキだと抵抗がありますよね。

 それに中国の場合は時代考証以前に、歴史が政治だからどうしようもないですし。
  1. 2019-02-08 16:23
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  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 余談です

> 馬車…各国大使が就任して陛下から信任状受けるのに謁見するのに馬車か自動車を選択するそうですが、馬車の希望が多いとか。キャロライン・ケネディも馬車でした。
> http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/shinninjo/basha.html
> 映画「ベン・ハー」の競争も迫力あった記憶がww2017年にリメイク版も

>ォークダンスもコサック由来?コサックダンスの真似して尻もち何度ついた事か(笑)

 ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、あれ日本人には無理です。
>
> 人が移動に使った動物は、馬・牛・犬(犬ぞり)・象(ハンニバルやインドで)・ラクダかな?ある程度の大きさと力が無いと。馬力との言葉もあるし。

馬は特別なのです。

 因みにサウジアラビア王家の祖であるアブドルアジズ国王がサウジアラビアを統一した時に、真っ先にやったのは「馬狩り」です。
 秀吉の「刀狩」と同じで、「馬狩り」をするとサウド家に従わない部族も抵抗不能になるのです。

 20世紀初頭の話ですけど、サウジアラビアのようにラクダなど他の役畜がいても馬は特別な戦力なのです。
>
> 中国を抑えられるのはロシアでしょうけど西側でのゴタゴタに手を焼いてそうで

 ロシアは強かな国だから、アメリカと中国双方にできる限り高く自分を売る心算なのです。

 そして日本にも。

 つまり日本には対中包囲網に入る事を条件に北方領土を放棄させて、経済支援を得て、アメリカにはヨーロッパで暴れる事を認めさせるつもりなのです。

 イヤならオレ、中国についちゃうからね。

 これで安倍さんとトランプはてこずっているんだと思いますよ。
  1. 2019-02-08 16:31
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  3. よもぎねこ #-
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よもさん

Wikiでもかいてあるがタチャンカの発明はもっとずっと古いですよ。1890年代以前です。そもそも最初の機関銃と目されるガトリング砲にしたところでその大きさから繋駕式で移動には馬を使うことが前提でした。

この動画で使われてる機関銃はロシア軍の正式装備であったマキシム機銃のPM1905か1910だと思いますが、列強諸国が本格的に使い出すのは1904年の日露戦争です。マキシム機関銃はそもそもが英国製のノックダウンですが日本はフランス製のホチキス機関銃を使います。両者の差はマキシムが水冷ホチキスが空冷ということが一番大きな差です(細かいことはもっと色々ありますが省略します)。両者とも重さは約50キロ近く移動は馬が前提です。こうなれば馬車に載せようというのは誰もが思いつくアイデアでしてそれを実践したに過ぎません。

日本軍は、期間中の威力を旅順で嫌というほど知ります。要塞に装備されたマキシム機銃のおかげです。

そして、コサック騎兵も日本騎兵が装備していたホチキス機銃のおかげで大変な目に会います。つまりこの動画で出てくるコサックたちの父や兄は満州で大変な目に会いその教訓としてタチャンカを装備したわけです。

実は火器の性能の向上はすでにナポレオン戦争の頃から、騎兵の存在を疑問視させてきました。しかし、軍人の保守性と野戦における機動力は捨てがたく、1920年台のソ波戦争まで引きずります。実は騎兵の存在意義に明確の疑問符をつけたのは日本軍なのです。

この辺の経緯はこちらが短くよくまとまってます。

https://ncode.syosetu.com/n2432bk/26/
https://ncode.syosetu.com/n2432bk/27/
https://ncode.syosetu.com/n2432bk/28/

実は日本陸軍は日露戦当時の世界では最も機関銃を揃えていた近代陸軍だったんです。世界が日露戦争の戦訓をきちんと考えずいい加減をやったの第一次大戦がとんでもない悲劇となりました。

以前ご紹介したソ波戦争は騎兵隊国のソ連とポーランドが機関銃発明後に行った最後の大騎兵戦争です。騎兵の超あ処や弱点を知り尽くした指揮官同士による騎兵に対するレクイエムだと焼成は思ってます。


機関銃の発明は第一次大戦を機動戦から塹壕戦に変え、戦車の登場を呼びます。要は機関銃に負けない鉄のうまがっどうしても欲しかったんです。

そして戦車の誕生が戦争の姿を一変させるには更に30年位が必要です。その理論を完成させたのは日露戦争の研究者でありソ波戦争の指揮官であったトハチェフスキーだと言われています。

それに引き換え我軍は…やめましょう。気が滅入ります。

閑話休題

シナの台頭は人口増加と経済の成長が全てだと思います。あと相対的にロシアの国力低下を考えればほとんど分かると思います。

1970年代、ソ連邦は3回に渡り対支那戦争を決意し動員したと言われています。そのたびにアメリカが恫喝しやめさせたという話が伝わっています。当時はソ連邦は核の先制攻撃で支那の核兵器を潰し、都市住民を殺戮すれば戦争自体はそう難しいとは踏んでいなかったはずです。

戦争自体はウィグルとチベットに侵攻し独立させることを名分とし最終的には南部の少数民族反乱を招き最後にはベトナムに至る電撃戦を行うというのが骨子だったと言われています。当時の人民解放具の実力からすれば、これはアメリアの妨害がなければおそらくは成功したと思います。支那の牙を抜きシナ人を支那本部に逼塞させるというのが目的だったのでしょう。あと極東での満州の侵攻です。これも満洲人の民族自決の名目でいいわけです。そしてロシア以来の念願である不登校を取得する、ということです。

80年代までは明確にソ連優位です。

これが逆転したのは連邦の崩壊と支那の成長、就中人口の増加です。支那人は最近の増加人口を圧倒的に北部の辺境地域に移動させています。

つまり90年台に勢力が逆転したと考えるべきなんです。それの続きが例の改革開放路線による経済成長です。
何を言っても辺境地域に日本の人口に相当する人間が現れたこと、これがロシアの侵略をほぼ不可能にしたと思ってます。

支那の正規軍なぞはベトナム軍にも負けた弱兵です。今必死になって軍制あ改革を進めていますがどこまでできるか。先sぅにまともに買ったことがない国は辛いものです。

支那の今の富国強兵路線は完全に虻蜂取らずに終わるものと思ってます。
  1. 2019-02-10 20:50
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
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Re: タイトルなし

> よもさん
>
> Wikiでもかいてあるがタチャンカの発明はもっとずっと古いですよ。1890年代以前です。そもそも最初の機関銃と目されるガトリング砲にしたところでその大きさから繋駕式で移動には馬を使うことが前提でした。

 すみません。
>
> この動画で使われてる機関銃はロシア軍の正式装備であったマキシム機銃のPM1905か1910だと思いますが、列強諸国が本格的に使い出すのは1904年の日露戦争です。マキシム機関銃はそもそもが英国製のノックダウンですが日本はフランス製のホチキス機関銃を使います。両者の差はマキシムが水冷ホチキスが空冷ということが一番大きな差です(細かいことはもっと色々ありますが省略します)。両者とも重さは約50キロ近く移動は馬が前提です。こうなれば馬車に載せようというのは誰もが思いつくアイデアでしてそれを実践したに過ぎません。
>
> 日本軍は、期間中の威力を旅順で嫌というほど知ります。要塞に装備されたマキシム機銃のおかげです。
>
> そして、コサック騎兵も日本騎兵が装備していたホチキス機銃のおかげで大変な目に会います。つまりこの動画で出てくるコサックたちの父や兄は満州で大変な目に会いその教訓としてタチャンカを装備したわけです。
>
> 実は火器の性能の向上はすでにナポレオン戦争の頃から、騎兵の存在を疑問視させてきました。しかし、軍人の保守性と野戦における機動力は捨てがたく、1920年台のソ波戦争まで引きずります。実は騎兵の存在意義に明確の疑問符をつけたのは日本軍なのです。
>
> この辺の経緯はこちらが短くよくまとまってます。
>
> https://ncode.syosetu.com/n2432bk/26/
> https://ncode.syosetu.com/n2432bk/27/
> https://ncode.syosetu.com/n2432bk/28/
>
> 実は日本陸軍は日露戦当時の世界では最も機関銃を揃えていた近代陸軍だったんです。世界が日露戦争の戦訓をきちんと考えずいい加減をやったの第一次大戦がとんでもない悲劇となりました。
>
> 以前ご紹介したソ波戦争は騎兵隊国のソ連とポーランドが機関銃発明後に行った最後の大騎兵戦争です。騎兵の超あ処や弱点を知り尽くした指揮官同士による騎兵に対するレクイエムだと焼成は思ってます。
>
>
> 機関銃の発明は第一次大戦を機動戦から塹壕戦に変え、戦車の登場を呼びます。要は機関銃に負けない鉄のうまがっどうしても欲しかったんです。
>
> そして戦車の誕生が戦争の姿を一変させるには更に30年位が必要です。その理論を完成させたのは日露戦争の研究者でありソ波戦争の指揮官であったトハチェフスキーだと言われています。
>
> それに引き換え我軍は…やめましょう。気が滅入ります。

 なるほどね。
 しかしワタシもこの騎兵突撃の動画を見て思ったのだけれど、長篠の戦いで既に騎兵が鉄砲隊の的になって惨敗しているのですから、逆に第一次大戦まで騎兵が残ったのが不可解だったのです。

 それでもあのスピードと威嚇効果は捨てがたかったのでしょうか?

 因みに日露戦争後のロシア軍の軍事ルネサンスについては、ソルジニツィンが「1914年8月」で詳しく書いていて、またあの中でタンネンベルグの戦いをロシア側から克明に描写しているんですね。
 ソルジェニツィンはこの続きになる「1916年11月」「1917年7月」も書いているのですが、日本語訳は出ていないのです。 
 
 日露戦争の敗戦はホントにロシアにはショックだったので、学ぶところは多かったのでしょうね。
 逆に勝ち戦に学ぶのは難しいという事でしょうね。
>
> 閑話休題
>
> シナの台頭は人口増加と経済の成長が全てだと思います。あと相対的にロシアの国力低下を考えればほとんど分かると思います。
>
> 1970年代、ソ連邦は3回に渡り対支那戦争を決意し動員したと言われています。そのたびにアメリカが恫喝しやめさせたという話が伝わっています。当時はソ連邦は核の先制攻撃で支那の核兵器を潰し、都市住民を殺戮すれば戦争自体はそう難しいとは踏んでいなかったはずです。
>
> 戦争自体はウィグルとチベットに侵攻し独立させることを名分とし最終的には南部の少数民族反乱を招き最後にはベトナムに至る電撃戦を行うというのが骨子だったと言われています。当時の人民解放具の実力からすれば、これはアメリアの妨害がなければおそらくは成功したと思います。支那の牙を抜きシナ人を支那本部に逼塞させるというのが目的だったのでしょう。あと極東での満州の侵攻です。これも満洲人の民族自決の名目でいいわけです。そしてロシア以来の念願である不登校を取得する、ということです。
>
> 80年代までは明確にソ連優位です。
>
> これが逆転したのは連邦の崩壊と支那の成長、就中人口の増加です。支那人は最近の増加人口を圧倒的に北部の辺境地域に移動させています。
>
> つまり90年台に勢力が逆転したと考えるべきなんです。それの続きが例の改革開放路線による経済成長です。
> 何を言っても辺境地域に日本の人口に相当する人間が現れたこと、これがロシアの侵略をほぼ不可能にしたと思ってます。
>
> 支那の正規軍なぞはベトナム軍にも負けた弱兵です。今必死になって軍制あ改革を進めていますがどこまでできるか。先sぅにまともに買ったことがない国は辛いものです。
>
> 支那の今の富国強兵路線は完全に虻蜂取らずに終わるものと思ってます。

 そうですね。 中国最大の武器は繁殖力と、強欲でしょう。
 ロシア人はそのどちらでも中国人に勝てないのです。

 でも考えてみれば生物だって結局繁殖力の旺盛な動物が繁栄するのだから、仕方ないですね。

 アメリカは米ソ対立中、ソ連を牽制するために中国にミサイル技術まで支援したのですが、今はこれが完全に裏目に出た状況ですね。

 さらに言えば第二次大戦では日独を潰す為にソ連を支援した事が、共産主義の台頭を招きました。

 外交の舞台では目の前の問題を解決すると、直ぐにそれが次の問題を生み出すという事がよくあるけれど、第二次大戦以降のアメリカの政策が当にそれです。
 
 これを考えると、米中冷戦後もまた次の問題が生まれるのだろうと思います。
  1. 2019-02-10 21:59
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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長篠の戦いは本当に色んな意味で誤解が多いですねえ。

最も多い誤解は武田の騎馬軍団とかいう都市伝説以下のたわごとを信じてる連中が本当に多いことです。
明治期に至るまで日本において騎兵という兵種が存在したことはありません。
もちろん騎馬武者はいましたがこれは一種の階級のステータスを表すようなもので騎馬武者のみを集め特別の戦闘兵種にすることもありませんでした。

だから長篠のときも武田軍は徒歩兵と騎馬兵一体になって突撃してきたんです。
それって自殺行為だろうって。思われるでしょうが実は自殺攻撃です。

連中は実に6時間近くに渡り攻撃を繰り返し死んでいったんです。連中だって馬鹿じゃあないから一回やれば攻撃の無効さはよくわかります。どうも前日の軍議で主要な武将が撤退と迂回攻撃を主張したようですがともに入れられずこのままでは武田に未来はないとばかりに無理な自殺攻撃を繰り返したらしいのです。

この事実を知った当時の戦国武将たちは自己の兵制改革など何も行ってませんし別段画期的とも思っていなかったはずです。ただ長篠の戦いはおそらく世界でも初めて本格的な野戦築城をやった戦いなんです。鉄砲3000丁3段打ち、嘘です。こんな事できないことは実験で証明されています。連中は馬防柵や堀を構え騎馬を遅滞させそこに鉄砲を打ち込んだだけです。どうやら少数の銃手に何名かの装填係がついて塹壕のような陣地から打ち込んだようです。これは城攻めなんです。

当時どんな馬鹿でも城攻めに直接騎馬をぶつけることはやりませんでした。これこそが自殺攻撃という話の真相です。

当時の鉄砲の有効射程はせいぜいが100mです。そのうえ先込め銃なので一回打つと最低でも一分近く時間をかけねば次の射撃は出来ません。騎馬ならば30秒あれば200m以上突っ込んできます。つまり当時の鉄砲は一回やり過ごせば何も怖いものじゃあなかったんです。

だから銃の性能が向上し火薬の改良とともに有効射程が伸びて元込め装填式に変わり連射が効くようにならなければ騎兵の突撃には対抗できなかったんです。ナポレオン戦争の頃はまだ過渡期ですから騎兵優位であったはずです。ただ防御力に期待できませんから攻撃したら即消耗という形になりますので使い方が偉く難しいものになりました。ナポレオンは歩兵同士の戦闘のさなかに決戦兵種として重騎兵を突撃させましたがこれは彼のような天才だから出来たこと、使い方を謝るとワーテルローのような敗戦になります。

騎兵突撃が完全に無効化したのは明治時代、自殺攻撃と化したのは日露戦後です。だから両騎兵大国のソ波戦争はある意味奇妙なある意味最後の騎兵大戦なんです。

騎兵に引導を渡したのは秋山ですが同時に彼は騎兵とその後継兵種たる戦車兵に規範を与えています。
敵陣浸透と長距離突破撹乱、機動戦による敵側面や背後からの奇襲作戦などなど、日露戦争は戦訓の宝庫だったんです。この先例をきちんと研究し電撃戦の基本を組み上げたのが赤いナポレオンと言われたトハチェフスキーです。スターリンはポーランド戦での屈辱をトハチェフスキーの粛清で晴らしました。その結果独ソ戦で徹底的に痛い目にあいます。米英の援助がなければソ連邦は大戦中に消えていたはずです。

馬は第二次大戦まで軍の動力として欠かせないものでした。馬と完全に無縁になれたのは米陸軍だけだったはずです。

今日、歩兵小銃はだいたいどこの国でも5.5mm程度の口径を持っています。1947年くらいまでこれは7.7mm程度が普通でした。これは人に対しては大きすぎるのです。目的はもちろん馬の突入を阻止するためです。

これは惰性で来たのが大きいのですが明確に変更されたのは戦後の話です。

今の小銃は的に命中しても死なない程度に傷つけるように出来ています。もちろん人道なんて関係ありません。死体になったら放っといてもいいんですが生きてる限りは救援しなければいけません。そうすれば敵の兵力が低下するのです。それが目的です。

実は拳銃も小銃も警察用のほうが威力が大きいのです。凶悪犯は確実に仕留める必要があるからです。
  1. 2019-02-11 18:13
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Re: タイトルなし

> 長篠の戦いは本当に色んな意味で誤解が多いですねえ。
>
> 最も多い誤解は武田の騎馬軍団とかいう都市伝説以下のたわごとを信じてる連中が本当に多いことです。
> 明治期に至るまで日本において騎兵という兵種が存在したことはありません。
> もちろん騎馬武者はいましたがこれは一種の階級のステータスを表すようなもので騎馬武者のみを集め特別の戦闘兵種にすることもありませんでした。
>
> だから長篠のときも武田軍は徒歩兵と騎馬兵一体になって突撃してきたんです。
> それって自殺行為だろうって。思われるでしょうが実は自殺攻撃です。
>
> 連中は実に6時間近くに渡り攻撃を繰り返し死んでいったんです。連中だって馬鹿じゃあないから一回やれば攻撃の無効さはよくわかります。どうも前日の軍議で主要な武将が撤退と迂回攻撃を主張したようですがともに入れられずこのままでは武田に未来はないとばかりに無理な自殺攻撃を繰り返したらしいのです。
>
> この事実を知った当時の戦国武将たちは自己の兵制改革など何も行ってませんし別段画期的とも思っていなかったはずです。ただ長篠の戦いはおそらく世界でも初めて本格的な野戦築城をやった戦いなんです。鉄砲3000丁3段打ち、嘘です。こんな事できないことは実験で証明されています。連中は馬防柵や堀を構え騎馬を遅滞させそこに鉄砲を打ち込んだだけです。どうやら少数の銃手に何名かの装填係がついて塹壕のような陣地から打ち込んだようです。これは城攻めなんです。
>
> 当時どんな馬鹿でも城攻めに直接騎馬をぶつけることはやりませんでした。これこそが自殺攻撃という話の真相です。
>
> 当時の鉄砲の有効射程はせいぜいが100mです。そのうえ先込め銃なので一回打つと最低でも一分近く時間をかけねば次の射撃は出来ません。騎馬ならば30秒あれば200m以上突っ込んできます。つまり当時の鉄砲は一回やり過ごせば何も怖いものじゃあなかったんです。
>
> だから銃の性能が向上し火薬の改良とともに有効射程が伸びて元込め装填式に変わり連射が効くようにならなければ騎兵の突撃には対抗できなかったんです。ナポレオン戦争の頃はまだ過渡期ですから騎兵優位であったはずです。ただ防御力に期待できませんから攻撃したら即消耗という形になりますので使い方が偉く難しいものになりました。ナポレオンは歩兵同士の戦闘のさなかに決戦兵種として重騎兵を突撃させましたがこれは彼のような天才だから出来たこと、使い方を謝るとワーテルローのような敗戦になります。
>
> 騎兵突撃が完全に無効化したのは明治時代、自殺攻撃と化したのは日露戦後です。だから両騎兵大国のソ波戦争はある意味奇妙なある意味最後の騎兵大戦なんです。
>
> 騎兵に引導を渡したのは秋山ですが同時に彼は騎兵とその後継兵種たる戦車兵に規範を与えています。
> 敵陣浸透と長距離突破撹乱、機動戦による敵側面や背後からの奇襲作戦などなど、日露戦争は戦訓の宝庫だったんです。この先例をきちんと研究し電撃戦の基本を組み上げたのが赤いナポレオンと言われたトハチェフスキーです。スターリンはポーランド戦での屈辱をトハチェフスキーの粛清で晴らしました。その結果独ソ戦で徹底的に痛い目にあいます。米英の援助がなければソ連邦は大戦中に消えていたはずです。
>
> 馬は第二次大戦まで軍の動力として欠かせないものでした。馬と完全に無縁になれたのは米陸軍だけだったはずです。
>
> 今日、歩兵小銃はだいたいどこの国でも5.5mm程度の口径を持っています。1947年くらいまでこれは7.7mm程度が普通でした。これは人に対しては大きすぎるのです。目的はもちろん馬の突入を阻止するためです。
>
> これは惰性で来たのが大きいのですが明確に変更されたのは戦後の話です。
>
> 今の小銃は的に命中しても死なない程度に傷つけるように出来ています。もちろん人道なんて関係ありません。死体になったら放っといてもいいんですが生きてる限りは救援しなければいけません。そうすれば敵の兵力が低下するのです。それが目的です。
>
> 実は拳銃も小銃も警察用のほうが威力が大きいのです。凶悪犯は確実に仕留める必要があるからです。

 なるほどそれでわかりました。
 
 でもそれだと長篠に戦いはむしろアジャンクールの戦いと似た様相だったわけですね。 あれは鉄砲ではなくロングボウで騎兵を倒しのですが、その前に馬布柵を作り、騎兵が突破できなくしていますからね。

 そしてそれだと近代まで騎兵が活動できた理由もわかります。
 仰るように機関銃が出るまでは、騎兵突撃を飛び道具で止めるには限界があったわけですね。

 因みにワタシの父は第二次大戦中、砲兵で山砲を使っていたのですが、実際の仕事は馬の世話でした。 日本軍は穂兵砲を馬で運んでいたので、砲兵の仕事は馬の世話だったわけです。

 でも当時の自動車は悪路は走れないから、馬を使うのも遅れているからとばかりは言えないのでしょうね。
  1. 2019-02-11 19:27
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