FC2ブログ

2019-02-01 11:57

人を差別する権利はあるのか?

 現在の欧米先進国や日本では、一部の自称リベラリスト達は「誰にも人を差別する自由などない」と考えているようです。

 しかしワタシは人には人を差別する権利があると考えています。
 なぜなら人間から差別する自由を奪えば、思想・宗教・信条の自由と言う基本的人権だけなく、好悪愛憎と言う人間の基本的な感情その物が否定される事になります。

 とりあえず思想信条宗教の自由だけを考えてみましょう。

 ワタシは「誰にも人を差別する自由はない」と言う人に聞きたいです。

 「では貴方は、イスラム教を禁止するべきだと思うのですか?」と。

IMG_9915.jpg

 イスラム教では一夫多妻、女性へのベールの着用の強制など女性差別的な教理が、知られています。 そして最近では教理を理由にしたLGBTへの迫害も起きています。

 しかしもっと深刻なのは、異教徒への差別です。
 
 イスラム教の教理は、イスラム教だけが唯一絶対に正しい信仰であり、他の宗教は劣っている、間違っているという事を基本にしています。

 これだけでも十二分に差別的な教理なのですが、問題はこの差別が単なる理念に留まらず、イスラム法の中で事細かに規定され、近代まではイスラム諸国で実践されてきたことです。

 具体的にはユダヤ教徒とキリスト教徒に対する差別ですが、ジズヤと呼ばれる非イスラム教徒のみを対象とした人頭税の課税から、教会や墓地の新築禁止、埋葬の場合の棺の使用禁止など、非常に屈辱的であるばかりか、実害も大きい差別規定がありました。

 でもそんなのは昔の話で、昔はどんな宗教でもどんな国でも、身分差別などの差別は一杯あったでしょう? 
 イスラム教だけを差別的と言うのはオカシイでしょう?

 ええ、昔はキリスト教だって仏教だって、身分差別や女性差別をしました。
 だから差別禁止を徹底すればこれらの宗教も禁止する事になるでしょう。
 但しこうした宗教では、差別が宗教上の法となっているわけではありません。

 けれどもイスラム教は違います。
 このような差別はイスラム法やコーランに明記されており、イスラム教徒であればこうしたイスラム法を字義通り守らなければならいのです。

 そしてイスラム法やコーランは神が定めた物ですから、人間が勝手に変える事はできません。
 
 またイスラム教徒には、全ての人類にイスラム法を強制する義務があるのです。
 
 だから欧米に移民したイスラム教徒達は、今もイスラム法を守り、移民先にイスラム法を強制しようと努めています。

 因みコーランには「多神教徒は見つけ次第殺せ」と明記されています。
 そして実際に教祖ムハンマドはその征服戦争(ジハード)の過程で、多神教徒を虐殺しています。

 それにしても「見つけ次第殺せ」って凄いヘイトスピーチではありませんか?
 (法務省は「ヘイトスピーチを許さない」と言うなら、こんなヘイト宗教は絶対禁止するべきなのです。 日本人の大多数は多神教徒なのですから、こんな恐ろしいヘイト宗教を放置すれば、国民の生命が危険にさらされます)
 
 「誰にも差別する権利はない」と言うなら、こんなヘイト宗教は絶対に禁止すようするべきではありませんか?

 イスラム教の論理については、以前エントリーしましたが、現代のリベラリズムから言えば慄然とする宗教です。

 
世界征服はイスラム教徒の義務である イスラム教の教理

IMG_9916.jpg

 しかし他の宗教だって問題はあります。
 
 例えばヒンズー教なんか身分差別であるカースト制度そのものが、教理に組み込まれています。

 それに差別の規定があるのは、宗教だけではありません。

 儒教でも身分差別と女性差別が規定されています。

 また近代以降でもショーペンハウエルのように、女性差別そのものの本を書いた人もいます。
 ショーペンハウエルの「女について」は今も、文庫本で出版されていますが、「誰も差別する自由はない」と言う人は、ショーペンハウエルにも差別する自由は認めず、彼の著書を焚書するつもりでしょうか?

 そう考えると「誰も差別する自由のない」社会と言うのは、恐ろしい社会です。
 思想信条宗教の自由が奪われ、言論出版の自由もなく、また文化はやせ細り不毛になる世界です。

 なぜならショーペンハウエルに限らず、ウーマンリブや公民権運動の成果が確立する以前
文学や演劇、映画などは、女性差別や人種差別が普通にある社会でした。

 だからその時代に作られた映画や演劇の殆どでは、こうした差別を敢えて否定していません。

 だから差別だ!! 
 許さない!!

 実際、最近はそういう人間達もワラワラ出てきました。

 それでアメリカでは「風と共に去りぬ」や「ハックルべり・フィンの冒険」などアメリカ文学の最高峰と言われた作品の排除が始まっています。
 また「メリークリスマス」と言えなくなっただけでなく、伝統的なクリスマスソングの歌詞の一部をとらえて「差別だ」として、放送されなくなっているようです。

 今はまだ一部の有名作品だけが、標的にされている状態ですが、しかしこれを続ければ、最終的には1980年代以前の文学作品や映画も排除する事になります。

 それではもう文化や伝統が消滅する事になります。

 こんな社会がマトモな社会なのでしょうか?
 自由で民主的な社会と言えるのでしょうか?

IMG_9919.jpg

 そもそも根源的な疑問ですが、「誰も差別する自由などない」と言うのは、一体何を根拠にしているのでしょうか?

 民主主義国家で差別禁止が、大きなポリティカルコレクトネスとなったのは、1970年代、ウーマン・リブや公民権運動で、女性差別や人種差別の撤廃が叫ばれた頃からです。
 そして最近になってLGBT差別禁止が加わりました。

 しかしなぜこうした差別禁止が叫ばれたのでしょうか?

 それは人種差別禁止を例にとれば、納税や徴兵などの義務を果たしているのに、黒人であるが故に公民権を制限されるというのは、「法の下の平等」と言う民主主義国家の基本原則に反する、憲法に反するからではありませんか?

 本来、民主主義国家で保障している平等に反するからでしょう?

 しかしこれは逆に言えば、民主主義国家が保障する平等は「法の下の平等」だけだという事ではありませんか?

 実際、日本国憲法を見ても、保障している平等は憲法14条での法の下の平等だけです。
 
 法以外での平等、つまり個人が他人を平等に扱う事や、結果平等など保障していないのです。

 なぜならこれまで書いてきた事でわかるように、個人に他人を平等に扱う事を強制すれば、思想・信条・宗教の自由などなくなってしまいます。
 言論出版の自由もなくなります。

 これは基本的人権が奪われるという事です。
 そして自由と平等は、相反する面があり、絶対的自由と絶対的平等が両立しない事は、昔からわかっていたのです。

IMG_9923.jpg 
 それでも「差別を許さない」がポリティカルコレクトネスになり、現実に焚書やリンチ画を続ける原動力は、「差別は人を傷つける」「差別された人カワイソウ」と言うセンチメンタリズムだけでしょう?

 しかしそれを言うなら、差別的と言う事で焚書やリンチに遭った人達だって十分傷つくのですから、こんな物を理由に焚書やリンチをしていいわけがないのです。

 そしてセンチメンタリズムだけが原動力なので、「誰にも差別する自由はない」とまで言う人達だって「差別とは何か?」を定義する事もできないのです。

 だからこそイスラム教のように極めて差別的な宗教に対する批判が「差別!!」として封殺される一方で、キリスト教のようにイスラム教に比べればはるかに寛容な宗教行事が「差別」として迫害されるという倒錯的な状況になっているのではありませんか?

 しかし民主主義国家で保障できる平等は元来「法の下の平等」だけなのです。
 法ではない個人が他人を平等に扱う事など絶対に強制しできるわけもないのです。

 そして結果平等など保障するなら、資本主義と言う制度が破綻します。

 なるほど全ての人を平等に扱い、差別しないというのは美しい事です。
 だからこれを個人が自分の道徳規範するのは、大変結構な話です。

 しかし道徳的規範と法は違うのです。
 法は個人に他人を平等に扱う事は義務付けていません。

 自由で民主的な社会を守りたいなら、ワタシ達はこのことをしっかりとわきまえて、「差別する自由」については、法と道徳の違いをわきまえるべきでしょう?
 そして自分は差別をしなくても、他人の「差別する自由」は尊重するべきなのです。

  1. 差別ニダ!!
  2. TB(1)
  3. CM(27)

コメント

用語が混乱してる気がします
「差別」と「区別」は違います。前者は他者を卑下するイメージが日本語に含まれてる感じがあり他者へのリスペクトは感じ難いんです。区別は未だその感じが少なめでしょう。
私は、移民反対・慎重派です。異文化共生はあるルールの下に成り立ちます、郷にいれば郷に従えが無いと単なる文化破壊になるだけです。欧州があれだけの国に分かれてるのは文化の違いからでしょう。
世界統一国家やEUは夢でしょう、エスペラント語は無意味で各文化の破壊にしかなりません。
人の能力は平等ではありません。100mを9秒台で走れる人も居れば歩くのも困難な人も居ます
分かり会え得る範囲で共生すれば良いのでしょうが、それは基本的価値観が共有できる場合に限られます。上海ディズニーランドは悲惨な状況の様です。
「自由、平等、博愛」言葉は美しいですが、その判断基準は韓国人の正義と変わりません
私は他人の価値を認める人が世界的に増えてくる事を願ってます
糾弾するのでは無く

函館の棒ニ森屋百貨店が閉店しました。金森森屋から150年、棒ニ森屋から82年だそうです。
百貨店形態は衰退してますね。以前は外商で企業や個人宅にも中元や歳暮のセールスしてたんですが、それらも減りましたし、専門店やディスカウントストアもありますのでね。

意味不明の※m(_ _;)m
  1. 2019-02-01 13:32
  2. URL
  3. are #-
  4. 編集

ピント外れですが

私のチームには糖尿病(先天性だそうです)、脚が悪い人、難聴で補聴器を着けてる人(マスク着けて話したら唇の動きが見えないと怒られたww)
当然彼等には出張等は避ける様にし社内勤務を中心に割り振りました。
これ差別?彼等は外出や出張に行きたかったかも知れませんが社内で能力を発揮してもらった方が良いと判断しました
難聴の方はお子様も居るお母さんでしたし、時間が不定な仕事は厳しかったので外出は厳しかった。
  1. 2019-02-01 14:42
  2. URL
  3. are #-
  4. 編集

苺畑さんが「彼らの目的は自由社会を破壊することだ」と言っているが、そうとしか思えない。男湯と女湯が分かれていない社会が理想だなんて笑える。リベラルは何でこんなに風に変質したのか私には良く分からない。おもうに、この変質はソビエト共産党崩壊からではいか。それまでのリベラルは資本家対労働者で、経済的に弱者の労働者の味方だった。労働者の生活をよくする、というのは社会の理想として掲げるのにふさわしい。それが今は労働者の味方はトランプさんになった。リベラルは労働者を捨てておかまの味方になった、ってわけわかんない。このお話のつじつまを合わせるには、逆の発想で、昔労働者の味方をしたのは実は社会を破壊したかっただけだったのだ、と考えると一貫する。ソビエトの崩壊で労働者から文化伝統の破壊に乗り換えたのでしょう。
  1. 2019-02-02 07:32
  2. URL
  3. ごじた #LkZag.iM
  4. 編集

こんにちは。いつも興味深く拝読しています。

差別は、いわゆる「区別」と、「違いにより低く扱う」という意味があります。言葉は生き物、昨今は後者のみに偏っているようですが。

そもそも、差別なんて西洋文化が生んだもので、日本にはなかった感情ではないでしょうか。かつて朝鮮から多くの陶工が来ましたが、彼ら渡来人が差別されたとは、寡聞にして聞いたことがありません。差別されたのは、犯罪者であり、渡来人の割合が多かったのではないでしょうか(学術的根拠はありません)。
ワタシは地元が好きで市役所に就職したかったのですが、成績が及ばず、公務員にはなれませんでした。市は、安定した就職先を求めた成績のいい人を選んだんです、地元が好きな成績の劣る人よりも。
国際空港にはパスポートコントロールがあり、窓口は、大きく分けて日本人用と外国人用がありますが、問題ないのでしょうか。
奨学金制度の受給資格は成績重視で、やる気は評価されません。努力型は、成績が良くない限り、奨学金受給対象ではないのです。数年後、数十年後に大発見、大発明をする可能性があるのに。

国籍差別、人種差別、性差別を声高に訴える人がいます。これら差別を受けている人は、自分がどのように区分けされているのかを認識すべきではないでしょうか。
  1. 2019-02-02 08:35
  2. URL
  3.   #-
  4. 編集

お疲れ様でございます。いつも拝読させていただいています。

センチメンタリズムが原動力であることは勿論でしょうが、今では「差別」を利権にしている商売にしている不逞な輩も多いのではないかとも思います。
最初は感情からの純粋な差別への想いもあったでしょうが、解同や総連・民団、そして現代の人権弁護士などは弱い立場を武器にして自分たちの利権を増やす、そのために「差別」を利用しているように見えます。
だから彼らには「差別」はあるべきで無くなってはいけないものになっています。そして次々と今流行りのLGBTなどと新しい「差別」を作っていくのでしょう。「差別」を本気で失くす気なんて皆無ですよ。なんせ飯のタネなんですから。
この意味で彼らこそ差別主義者ですよね。

差別利権こそなくすべきです。
  1. 2019-02-03 09:11
  2. URL
  3. こーき #-
  4. 編集

リベラルの社会

リベラルと称される人の論理は二者択一論理で、それも二者を対立するものとして提示することを前提にしています。古くは資本家と労働者、持てる者と持たざる者、マジョリティとマイノリティ、強者と弱者、社員とパート等。言うまでもなくリベラルの立つ位置は後者です。

彼らを共存する存在として人の理性に判断を委ねるのではなく、対立する存在として人の感情に訴える手法を取っています。感情には、その差別感をより際立たせることで、更なる効果が期待できます。

嘗て共産主義者は、資本主義社会は軈て社会主義社会となり、そして共産主義社会に至る、と語りましたが、現代は、主義ではなく『人権』により、社会は移行しつつあるように見えます。

このところ韓国の異様さが目に付いています。対象が日本で、主張が極端に日本人には見えるため、韓国はおかしいと思えますが、実はリベラルの人の主張と然程変わってはいません。二者は敵対関係にあり、主張者は弱者と云う立場です。

近い将来、気が付けば、共産主義者の主張した社会になっているかもしれません。
  1. 2019-02-03 11:11
  2. URL
  3. chengguang #DibDBv7k
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 用語が混乱してる気がします
> 「差別」と「区別」は違います。前者は他者を卑下するイメージが日本語に含まれてる感じがあり他者へのリスペクトは感じ難いんです。区別は未だその感じが少なめでしょう。
> 私は、移民反対・慎重派です。異文化共生はあるルールの下に成り立ちます、郷にいれば郷に従えが無いと単なる文化破壊になるだけです。欧州があれだけの国に分かれてるのは文化の違いからでしょう。
> 世界統一国家やEUは夢でしょう、エスペラント語は無意味で各文化の破壊にしかなりません。
> 人の能力は平等ではありません。100mを9秒台で走れる人も居れば歩くのも困難な人も居ます
> 分かり会え得る範囲で共生すれば良いのでしょうが、それは基本的価値観が共有できる場合に限られます。上海ディズニーランドは悲惨な状況の様です。
> 「自由、平等、博愛」言葉は美しいですが、その判断基準は韓国人の正義と変わりません
> 私は他人の価値を認める人が世界的に増えてくる事を願ってます
> 糾弾するのでは無く
>
> 函館の棒ニ森屋百貨店が閉店しました。金森森屋から150年、棒ニ森屋から82年だそうです。
> 百貨店形態は衰退してますね。以前は外商で企業や個人宅にも中元や歳暮のセールスしてたんですが、それらも減りましたし、専門店やディスカウントストアもありますのでね。
>
> 意味不明の※m(_ _;)m

 これは「差別禁止」の根源的な問題ですが、そもそも差別自体の定義が曖昧なので、差別と区別を区分する基準も曖昧です。
 
 だから在日コリアンは外国人参政権がないのは「差別」だなどと言うのです。
 また外国人の権利拡大を叫ぶ連中は、不法滞在外国人の就労や入国を認めない事も差別だと言います。

 そして差別の定義が曖昧である以上、これらを「差別」と言っていけないとも言えないのです。

 だからワタシはこれらの事を「差別」と考えるのは、自由だけれど、民主主義国家であるかぎり、保障される差別禁止は、法の下の平等だけだし、その法の下の平等が適用されるのは、自国民だけだと限定するしかないと思いのです。

 そして思想信条宗教の自由、言論・表現の自由などの基本的人権を保障するためには、個人が他人を不平等に扱う事、つまり個人が他人を差別する自由は保障しなければならないと思っています。
  1. 2019-02-04 11:06
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: ピント外れですが

> 私のチームには糖尿病(先天性だそうです)、脚が悪い人、難聴で補聴器を着けてる人(マスク着けて話したら唇の動きが見えないと怒られたww)
> 当然彼等には出張等は避ける様にし社内勤務を中心に割り振りました。
> これ差別?彼等は外出や出張に行きたかったかも知れませんが社内で能力を発揮してもらった方が良いと判断しました
> 難聴の方はお子様も居るお母さんでしたし、時間が不定な仕事は厳しかったので外出は厳しかった。

 障害その他ハンディがあって他人と同様には働けない人を、特別に扱う事が「差別」になるのか「区別」になるのか「優遇」になるのかは、場合場合によって一概には言えません。
 しかし常に当人の納得できる対応を得られるはずはないのですから、「差別」を禁止していまうと、逆にそういう人達と関わる事が難しくなるでしょう?

 こちらが良かれと思って配慮したことでも、相手が「差別」と感じれば差別になるのですから。
  1. 2019-02-04 11:11
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 苺畑さんが「彼らの目的は自由社会を破壊することだ」と言っているが、そうとしか思えない。男湯と女湯が分かれていない社会が理想だなんて笑える。リベラルは何でこんなに風に変質したのか私には良く分からない。おもうに、この変質はソビエト共産党崩壊からではいか。それまでのリベラルは資本家対労働者で、経済的に弱者の労働者の味方だった。労働者の生活をよくする、というのは社会の理想として掲げるのにふさわしい。それが今は労働者の味方はトランプさんになった。リベラルは労働者を捨てておかまの味方になった、ってわけわかんない。このお話のつじつまを合わせるには、逆の発想で、昔労働者の味方をしたのは実は社会を破壊したかっただけだったのだ、と考えると一貫する。ソビエトの崩壊で労働者から文化伝統の破壊に乗り換えたのでしょう。

 ワタシもそう思います。

 今世界で吹き荒れている「反差別」運動の目的は、国家破壊だと思うのです。

 http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-5518.html
 

  1. 2019-02-04 11:17
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> こんにちは。いつも興味深く拝読しています。
>
> 差別は、いわゆる「区別」と、「違いにより低く扱う」という意味があります。言葉は生き物、昨今は後者のみに偏っているようですが。
>
> そもそも、差別なんて西洋文化が生んだもので、日本にはなかった感情ではないでしょうか。かつて朝鮮から多くの陶工が来ましたが、彼ら渡来人が差別されたとは、寡聞にして聞いたことがありません。差別されたのは、犯罪者であり、渡来人の割合が多かったのではないでしょうか(学術的根拠はありません)。

 差別の定義は曖昧なので、何とでもいえる話ですが、日本も江戸時代は身分差別社会で、明治以降も穢多、非人と言われたアウトカーストへの差別は残っています。

 それがあったので、部落解放同盟のような差別利権団体ができてしまったのです。

> ワタシは地元が好きで市役所に就職したかったのですが、成績が及ばず、公務員にはなれませんでした。市は、安定した就職先を求めた成績のいい人を選んだんです、地元が好きな成績の劣る人よりも。
> 国際空港にはパスポートコントロールがあり、窓口は、大きく分けて日本人用と外国人用がありますが、問題ないのでしょうか。
> 奨学金制度の受給資格は成績重視で、やる気は評価されません。努力型は、成績が良くない限り、奨学金受給対象ではないのです。数年後、数十年後に大発見、大発明をする可能性があるのに。
>
> 国籍差別、人種差別、性差別を声高に訴える人がいます。これら差別を受けている人は、自分がどのように区分けされているのかを認識すべきではないでしょうか。

 「差別は許されないが、区別はしてよい」と言う議論がありますが、しかし差別の定義が曖昧なので、この議論は意味がないと思います。
 
 なぜなら欧米では既に不法滞在者の強制送還のような処置を「レイシズム」「差別」として反対して、うやむやの内にそれが通っている状況だからです。

 違法行為の摘発とその処罰まで「差別」と言い出す状況になっているのです。

 こうなると「差別」と言う言葉その物、「差別」の禁止は何を意味するのかを根源的に考え直すべきではありませんか?

 公民権運動以降、何となくセントメンタリズムで押し切られた事を、切り返さないと国家破壊につながります。
 
  1. 2019-02-04 11:59
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> お疲れ様でございます。いつも拝読させていただいています。
>
> センチメンタリズムが原動力であることは勿論でしょうが、今では「差別」を利権にしている商売にしている不逞な輩も多いのではないかとも思います。
> 最初は感情からの純粋な差別への想いもあったでしょうが、解同や総連・民団、そして現代の人権弁護士などは弱い立場を武器にして自分たちの利権を増やす、そのために「差別」を利用しているように見えます。
> だから彼らには「差別」はあるべきで無くなってはいけないものになっています。そして次々と今流行りのLGBTなどと新しい「差別」を作っていくのでしょう。「差別」を本気で失くす気なんて皆無ですよ。なんせ飯のタネなんですから。
> この意味で彼らこそ差別主義者ですよね。
>
> 差別利権こそなくすべきです。

 所謂差別利権屋が多数存在するのは事実ですが、しかしワタシはこの反差別ファシズムの目的は国家破壊だと思います。

 実際欧米では不法入国者を排除するのが「差別」だという事になってしまっています。

 これでは重要な国家主権である出入国管理権が守れないし、無制限な外国人の受け入れは最後には国家の崩壊を招くでしょう?

 ワタシこの種の反差別運動は、共産主義者が国家破壊運動としてやっているのだと思っています。

 http://yomouni.blog.fc2.com/?q=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A0%B4%E5%A3%8A&charset=utf-8
  1. 2019-02-04 12:04
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: リベラルの社会

> リベラルと称される人の論理は二者択一論理で、それも二者を対立するものとして提示することを前提にしています。古くは資本家と労働者、持てる者と持たざる者、マジョリティとマイノリティ、強者と弱者、社員とパート等。言うまでもなくリベラルの立つ位置は後者です。
>
> 彼らを共存する存在として人の理性に判断を委ねるのではなく、対立する存在として人の感情に訴える手法を取っています。感情には、その差別感をより際立たせることで、更なる効果が期待できます。
>
> 嘗て共産主義者は、資本主義社会は軈て社会主義社会となり、そして共産主義社会に至る、と語りましたが、現代は、主義ではなく『人権』により、社会は移行しつつあるように見えます。
>
> このところ韓国の異様さが目に付いています。対象が日本で、主張が極端に日本人には見えるため、韓国はおかしいと思えますが、実はリベラルの人の主張と然程変わってはいません。二者は敵対関係にあり、主張者は弱者と云う立場です。
>
> 近い将来、気が付けば、共産主義者の主張した社会になっているかもしれません。

 その通りだと思いますよ。

 今は自称リベラリスト達は、マイノリティカワイソウ論でセンチメンタリズムを煽り、それで反差別ファシズムを推進してきたのですが、これで反差別が徹底してゆけば、思想宗教信条の自由も伝統文化も反差別の名目で破壊されます。

 そして残るのは共産主義だけになります。

 ロシア革命以降共産主義化は経済の平等を優先したので、崩壊したのです。
 しかし今度は人権と反差別を梃子に、再度共産主義化を進めているのだと思います。

 yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-6031.html

  1. 2019-02-04 12:19
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

差別する権利はないって言っておきながら、沖縄の米軍やその家族に対しては「ヤンキーゴーホーム」って言ったり、「ジャップ」って言っている〔特定の〕外国人に対してはダンマリしていたりしているのな何故なのでしょうね。
あと、自分がお気に入り登録しているブログのコメントに書いてあったのですが、LGBT でも考えが異なる人に対して、ホモウヨなんて言っているそうです。自称リベラリストに、以前から赤い影が見え隠れしてもいたのですが、彼らは、この様な人たちを利用して、赤化革命を起こしたいのでしょうか?

  1. 2019-02-05 07:55
  2. URL
  3. 雄の三毛猫 #-
  4. 編集

私の記憶にある範囲だと、ひと昔前の「侵略!」「侵略戦争!」ってな言葉と一緒ですね。さらに私の記憶にない時代までさかのぼると「日帝36年!」とか唱えると反日史観に洗脳された日本人女性は思考停止するので、それを利用してやりたい放題出来たと映画監督?の崔洋一だの在日韓国朝鮮人が嬉しそうに告白していたそうですが。
  1. 2019-02-05 09:41
  2. URL
  3. よもさんファン〇号 #yjwl.vYI
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 差別する権利はないって言っておきながら、沖縄の米軍やその家族に対しては「ヤンキーゴーホーム」って言ったり、「ジャップ」って言っている〔特定の〕外国人に対してはダンマリしていたりしているのな何故なのでしょうね。
> あと、自分がお気に入り登録しているブログのコメントに書いてあったのですが、LGBT でも考えが異なる人に対して、ホモウヨなんて言っているそうです。自称リベラリストに、以前から赤い影が見え隠れしてもいたのですが、彼らは、この様な人たちを利用して、赤化革命を起こしたいのでしょうか?

 そうなんです。
 
 でも「差別」と言う言葉の定義は極めて曖昧なので、法務省に聞いても「差別されたと感じたら差別」と言うようないい加減な返事が来るほどです。

 だからこういう物の禁止には強制力を持たせてはいけないのです。

 こういう曖昧な物の禁止に強制力を持たせると、恣意的な言論封殺に使われるだけなのですから。

 だから憲法でも平等権は「法の下の平等」だけに限定して、個人に他人を平等に扱う事なんか強制していないのです。
 そんなことをしたら、女性が痴漢から性交渉を強要されてた時、拒否したら「差別」と言う事にもなってしまいます。
  1. 2019-02-05 11:12
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 私の記憶にある範囲だと、ひと昔前の「侵略!」「侵略戦争!」ってな言葉と一緒ですね。さらに私の記憶にない時代までさかのぼると「日帝36年!」とか唱えると反日史観に洗脳された日本人女性は思考停止するので、それを利用してやりたい放題出来たと映画監督?の崔洋一だの在日韓国朝鮮人が嬉しそうに告白していたそうですが。

 そうですね。

 なぜか70年代から「差別」が絶対悪になって、しかもその定義は極めて曖昧でした。
 だから「差別」を使って言論封殺を行うような状況になっているのです。

 こんな状況はいい加減、終わらせるべきです。
  1. 2019-02-05 11:14
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

そう言えば

確か彼等〔自称リベラリスト〕って、ネトウヨは差別主義者だから差別して構わないって言ってませんでした?これでよく、差別する権利はないって言えますよね。
あと、差別の定義が曖昧ってありますが、セクハラも同様ですよね。なんか恐ろしい時代です。

  1. 2019-02-05 22:31
  2. URL
  3. 雄の三毛猫 #-
  4. 編集

Re: そう言えば

> 確か彼等〔自称リベラリスト〕って、ネトウヨは差別主義者だから差別して構わないって言ってませんでした?これでよく、差別する権利はないって言えますよね。
> あと、差別の定義が曖昧ってありますが、セクハラも同様ですよね。なんか恐ろしい時代です。

 ホントに怖い時代です。

 セクハラも差別と同様定義が非常に曖昧で、しかも証拠の確保も難しいのです。 それなのに加害者とされた側への社会的制裁は非常に厳しいのですから、恐ろしいです。

 アメリカで騒ぎになった最高裁判事カバナー氏のセクハラ騒動は、被害者を自称した女性による完全な狂言でした。
 それでカバナー氏は最高裁判事職ばかりか社会的生命その物を絶たれる危険があったのですが、しかしこの狂言を仕組んだ犯人の女(大学教授)は処罰もされていません。

 こうなると魔女狩り以上の恐ろしさです。

 本当の自由と民主主義を守る為には、こうした状況を考え直すべきです。
  1. 2019-02-06 12:23
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

リベラル的?

前回の歴史が科学の主張と並んで、今回の問題提起も
リベラル的である。リベラルの連中はきわめて抽象的な
概念を自明な命題に祭り上げ、そして「理性的と称する」
議論を行うのを好む。ブログ主はリベラルでなかろうが、
教育を受けた時代の背景の影響を受けてしまうのだろう。
大体にして、差別であるなら、どの様な局面
を考えているのかを明確にしなければ意味のある
結論は出ないだろう。

科学とは詳細な事実確認に依るのだし、同様に、
保守とは具体的な事実に宿るのだと思う。
少なくとも、真正面から保守を論じる人は
その様に言っている。

その意味では、具体的な中身のない移民法を通した
内閣はリベラル以外の何物でもない。
  1. 2019-02-06 12:53
  2. URL
  3. ちび・むぎ・みみ・はな #-
  4. 編集

Re: リベラル的?

> 前回の歴史が科学の主張と並んで、今回の問題提起も
> リベラル的である。リベラルの連中はきわめて抽象的な
> 概念を自明な命題に祭り上げ、そして「理性的と称する」
> 議論を行うのを好む。ブログ主はリベラルでなかろうが、
> 教育を受けた時代の背景の影響を受けてしまうのだろう。
> 大体にして、差別であるなら、どの様な局面
> を考えているのかを明確にしなければ意味のある
> 結論は出ないだろう。
>
> 科学とは詳細な事実確認に依るのだし、同様に、
> 保守とは具体的な事実に宿るのだと思う。
> 少なくとも、真正面から保守を論じる人は
> その様に言っている。
>
> その意味では、具体的な中身のない移民法を通した
> 内閣はリベラル以外の何物でもない。

 ええ、ワタシは戦後教育しか受けていないし、それ以前にそもそも古代ギリシャやローマ史大好き、この時代の民主主義大好き人間ですから、本来リベラリストです。

 因みに安倍総理も Liberal Democratic Party of Japanの党首ですから、リベラルです。

 そして現在の反差別ファシズムをオカシイと思うのは、これがそもそも自由と民主主義を破壊する物だから反対しているのです。

  1. 2019-02-06 18:21
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

「悔しい思いをした」=差別を受けた、が定義です。アハーン!?

>「自分の机がない」元職員の視覚障害者が日本盲導犬協会を提訴
>「差別的な対応をされ、悔しい思いをした

差別と言うのは「悔しい思いをした」ことらしいですね。
悔しいと思えば→「差別された証拠」らしいですね。
この「悔しい思いをした」は在日韓国人の騒ぎには定型文ですよね。
この語句が出てくると、アハーン! 
前にも書きましたけど、朝鮮学校の生徒が裁判で「補助金が得られないことで悔しい思いをしてる」とTVの番組で叫んでました。
何故、それが「悔しい」の?と怪訝に思ってました。

有名大学に落ちた、悔しい思いをした=差別された?。この悔しいは判るが差別されたとは思わない。
これは学力が無いと差別したのですから、学力差別で間違いないと思うんですよね。
大企業に入社できなかったっ→悔しい→選考基準差別だ?

日本人の場合、学力が低かったから自分が頑張ろう!勉強しよう!なんですよね。所が朝鮮人の場合は入学試験がいけないとか不正だ!なんですよね。

この思考では民族・人間自身が成長することが無いのですよね。だから、朝鮮人と言うのは永遠に成長しないと思うんです。

KYOUDOという所が発信してるんですけど、共同通信社らしいですが、韓国のマスコミをそのまま流したり、差別とか言う話を拾って流しているらしいですけど。共同通信って韓国資本に成ってるんでしょうかね。

最近の雪景色Photoが素晴らしいです、私の好みです。
有料ユーザーになったのですから、もっと情報量の大きいPhotoにして頂けると、もっと感激するんですけど、注文着けて申し訳ありません。
  1. 2019-02-06 18:32
  2. URL
  3. トラウマ #RWLNmTs6
  4. 編集

Re: 「悔しい思いをした」=差別を受けた、が定義です。アハーン!?

> >「自分の机がない」元職員の視覚障害者が日本盲導犬協会を提訴
> >「差別的な対応をされ、悔しい思いをした
>
> 差別と言うのは「悔しい思いをした」ことらしいですね。
> 悔しいと思えば→「差別された証拠」らしいですね。
> この「悔しい思いをした」は在日韓国人の騒ぎには定型文ですよね。
> この語句が出てくると、アハーン! 
> 前にも書きましたけど、朝鮮学校の生徒が裁判で「補助金が得られないことで悔しい思いをしてる」とTVの番組で叫んでました。
> 何故、それが「悔しい」の?と怪訝に思ってました。

> 有名大学に落ちた、悔しい思いをした=差別された?。この悔しいは判るが差別されたとは思わない。
> これは学力が無いと差別したのですから、学力差別で間違いないと思うんですよね。
> 大企業に入社できなかったっ→悔しい→選考基準差別だ?
>
> KYOUDOという所が発信してるんですけど、共同通信社らしいですが、韓国のマスコミをそのまま流したり、差別とか言う話を拾って流しているらしいですけど。共同通信って韓国資本に成ってるんでしょうかね。

 差別には明確な定義がないので、結局「悔しい思いをした」とか「悲しい思いをした」と言う個人の感情で差別の有無を判定する羽目になるのです。

 でもこれで差別を禁止すると、「悔しい思い」「悲しい思い」をさせる思想宗教信条や言論を弾圧できる事になります。
 
 凄く怖いと思いませんか?
>
> 最近の雪景色Photoが素晴らしいです、私の好みです。
> 有料ユーザーになったのですから、もっと情報量の大きいPhotoにして頂けると、もっと感激するんですけど、注文着けて申し訳ありません。

 そうですね。
 フリッカーを使うと凄く簡単に写真がアップできるし、その上画質が凄く良いのです。

 但しフリッカー側の都合で、消されてしまう事になるので、今後どうしようか考えているのです。

 下手な風景写真だから消されても良いのとは思うのですが、昨年末パニックを起こして醜態を演じたので、どうしようか考えています。

 でもワタシの下手な写真を楽しんでくださって嬉しいです。
  1. 2019-02-07 11:48
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

「私は人種差別と黒人が嫌いだ」みたいな話ですね。
  1. 2019-02-08 13:35
  2. URL
  3. 通りすがり #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 「私は人種差別と黒人が嫌いだ」みたいな話ですね。

 そうです。

 黒人は嫌い。 友達やまして恋人として付き合うのは絶対に無理。
 でも黒人も自国民であり、納税や兵役の義務を果たしているのだから、公民権などは白人と平等に与え、法の元の平等は保障するべき。

 と言うのは、全然間違っていないと思いますよ。

 例えば、デブは嫌い、禿はイヤと言う女性は沢山いますが、そういう女性でもデブや禿を理由に公民権など法的な権利を制限するなんて考えもしないでしょう?

 それと同じですから。
  1. 2019-02-08 16:35
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

よもさんね、誰も言わないから言うけどまず議論の建て方が少しおかしいのですよ。

まず、個々の自由権についてはあくまでその権利が認められるか否かで判断します。
イスラム原理主義者の信教の自由が認められるかという問題はあくまで信教の自由から考えます。

まず内心の自由につてはこれは絶対の保護があります。
内申では何を考えても自由だということです。当たり前のことで他者との関係で何も問題を生じないからです。しかしそれを実践したりそこに至らなくてもその思想を表明することにより問題が生じます。

イスラム原理主義者が異教徒を殺すというコーランに書かれた行為を実践することは他者の生存を脅かし社会の安定を害します。こういう事自体公共の福祉に反する行為ですからかかる宗教的行為の実践は禁止されねばなりません。個々で言えるのはおそらくイスラム原理主義者の信教は近代憲法が予定してる信教ではないからというのが答えです。

かかる場合については平等原則自体問題にしません。平等以前に権利を認めないのだから他者の有してる権利との平等なんて問題にしないんです。

これを前提にして考えますが人の行為というものはことごとくが他社に対して何らかの有利不利を与えるものです。

差別の定義と言いましたが一応あります。正当な理由なく一定の属性を有する個人またはその集団について利益または不利益な取扱をすることになります。

国の行為なんてのは差別のオンパレードです、考え方によっては。
例えば自動車の免許なんてどうでしょう。特定の者について自動車の運転資格という利益を与えています。でもこれは目的が交通の安全というものであり公共の福祉にかない免許制度が過度の制限には当たらないから認められることになります。例えば入学試験などもそうです。学力という判断基準がいいか悪いかは別問題ですがね。国の施策じゃなくても一緒です。ものを売る買うということだって問題はない。相手の顔つきが悪から売らないだって構わないんでしょう。これって立派な差別です。

これにつても基本は学問の自由の侵害か否か、経済的利益を害したか否かを問題にするのみです平等は出てきません。
平等について問題にするのは機会の平等が図られない場合のみです。その場合だってわが憲法は国民の間の平等を問題とするのが基本です。これは14条を読めばわかります。特定の国籍の人間に対してそれのみを理由として大学受験の機会を制限しても何も問題はありません。

平等と言ってもだから機会を与えればいいだけで結果がどうなろうとそれは知りません。というのが正しい態度です。

あまつさえ自分が感情を害されたからに至っては噴飯ものです。ちびくろサンボやハックルベリー・フィンの冒険が読めなくなったのは私の精神自由を害する行為だと言われたらどうするのでしょう。おそらくはそんなものを読む自由なんてないんだと反論するしかないでしょう。

かかるものは歴史的文化的な所産であり平等原則などとは一切無関係だと言わねばいけません。

利益不利益というのはあくまでも客観的な問題であり主観を考慮していたら際限がないからです。

結論から言うならば平等至上主義者はファシストです。おそらくは彼らが目の敵にしてる軍国主義者とやらがかつてやったことよりも酷いうことをやることになるはずです。

小生などはかかる行為は公共の福祉に反すると思っています。だからかかる政治運動をする連中というのは憲法上禁止されてると思ってます。
精神的事自由権のほうが平等よりも遥かに重要なんですから。


  1. 2019-02-10 22:39
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

不正投稿になってしまいました。
復活させてください。
  1. 2019-02-10 22:45
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

Re: タイトルなし

> よもさんね、誰も言わないから言うけどまず議論の建て方が少しおかしいのですよ。
>
> まず、個々の自由権についてはあくまでその権利が認められるか否かで判断します。
> イスラム原理主義者の信教の自由が認められるかという問題はあくまで信教の自由から考えます。
>
> まず内心の自由につてはこれは絶対の保護があります。
> 内申では何を考えても自由だということです。当たり前のことで他者との関係で何も問題を生じないからです。しかしそれを実践したりそこに至らなくてもその思想を表明することにより問題が生じます。
>
> イスラム原理主義者が異教徒を殺すというコーランに書かれた行為を実践することは他者の生存を脅かし社会の安定を害します。こういう事自体公共の福祉に反する行為ですからかかる宗教的行為の実践は禁止されねばなりません。個々で言えるのはおそらくイスラム原理主義者の信教は近代憲法が予定してる信教ではないからというのが答えです。
>
> かかる場合については平等原則自体問題にしません。平等以前に権利を認めないのだから他者の有してる権利との平等なんて問題にしないんです。
>
> これを前提にして考えますが人の行為というものはことごとくが他社に対して何らかの有利不利を与えるものです。
>
> 差別の定義と言いましたが一応あります。正当な理由なく一定の属性を有する個人またはその集団について利益または不利益な取扱をすることになります。
>
> 国の行為なんてのは差別のオンパレードです、考え方によっては。
> 例えば自動車の免許なんてどうでしょう。特定の者について自動車の運転資格という利益を与えています。でもこれは目的が交通の安全というものであり公共の福祉にかない免許制度が過度の制限には当たらないから認められることになります。例えば入学試験などもそうです。学力という判断基準がいいか悪いかは別問題ですがね。国の施策じゃなくても一緒です。ものを売る買うということだって問題はない。相手の顔つきが悪から売らないだって構わないんでしょう。これって立派な差別です。
>
> これにつても基本は学問の自由の侵害か否か、経済的利益を害したか否かを問題にするのみです平等は出てきません。
> 平等について問題にするのは機会の平等が図られない場合のみです。その場合だってわが憲法は国民の間の平等を問題とするのが基本です。これは14条を読めばわかります。特定の国籍の人間に対してそれのみを理由として大学受験の機会を制限しても何も問題はありません。
>
> 平等と言ってもだから機会を与えればいいだけで結果がどうなろうとそれは知りません。というのが正しい態度です。
>
> あまつさえ自分が感情を害されたからに至っては噴飯ものです。ちびくろサンボやハックルベリー・フィンの冒険が読めなくなったのは私の精神自由を害する行為だと言われたらどうするのでしょう。おそらくはそんなものを読む自由なんてないんだと反論するしかないでしょう。
>
> かかるものは歴史的文化的な所産であり平等原則などとは一切無関係だと言わねばいけません。
>
> 利益不利益というのはあくまでも客観的な問題であり主観を考慮していたら際限がないからです。
>
> 結論から言うならば平等至上主義者はファシストです。おそらくは彼らが目の敵にしてる軍国主義者とやらがかつてやったことよりも酷いうことをやることになるはずです。
>
> 小生などはかかる行為は公共の福祉に反すると思っています。だからかかる政治運動をする連中というのは憲法上禁止されてると思ってます。
> 精神的事自由権のほうが平等よりも遥かに重要なんですから。

 すみません。
 ワタシの文章が不味かったようですが、ワタシが言いたかったのは、基本的にkazkさんと同じことです。

 差別禁止を理由に宗教の自由やまして内面の自由を侵害するような事をして良いわけはないのです。 少なくとも思想信条宗教の自由、言論表現の自由を基本的人権と認める限り、差別禁止を理由に特定の書籍を排除するとか、言論を封殺するという事をして良いはずはないのです。

 だから現在行われている「ハックルべり・フィン」など特定の書籍に排除などは、明らかに悪質なリンチなのです。

 そしてこういう事を続けていればファシズムになってしまうのです。

 こういう反差別ファシズムを煽っているのは、国家転覆、共産主義の実現など策謀する連中ではありませんか? 実際日本では社民党や共産党が熱中しています。

 これを考えたら個人が個人生活において、他人を差別する権利は、尊重するべきだと思うのです。
  1. 2019-02-11 12:14
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

どう辻元清美を困らせるか?⇒どうやって彼らを困らせるか?

本稿では、外国人献金問題が表面化した、立憲民主党辻元清美議員の取扱い、具体的にどう困らせるか?という視点で実施可能と思われる、7つの方法について述べさせていただく。http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7381.html https://samurai20.jp/2019/02/tsujimoto-3/  ■方法1 立憲民主を巻き...
  1. 2019-02-09 05:22
  2. 祖国創生