お正月明けに、韓国中央日報にこんな記事が出ていました。
ワタシはこれが今一理解できなかったのです。
なぜならこの記事の通りだと、韓国人はどうしようもなく幼稚で自己中だと言うことにしかならないからです。
韓国の新聞がこんな事を書くのか?
すると今度は産経新聞にこの解説としか思えない記事がでました。
しかしこっちを読むと、ヤッパリ韓国人は幼稚で自己中としかいえません。
そしてそもそも近代的な法学も、またそれ以前に近代合理主義その物が理解できていない事になります。
両方の記事の内容を、超簡単に要約すればこうです。
韓国人は約束よりも、その約束が正義であったかを重視する。
ここで言う正義は、この正義を唱える人にとっての正義。
だからその正義が時代が変われば変わる。
時代の正義が約束に優先するのだから、法の遡及も当然と考える。
そして歴史もまたその正義によって、書き換える。
韓国人はこれを「歴史の立て直し」と言う。
これでは呆れるしかありません。
「歴史を正義によって書き換える」って、これは元来近代的な歴史学ではやってはいけない事です。
そもそも近代的な歴史学では、歴史は資料に基づき客観的に描くべき物なのです。
例えば近代以前の中国の史書には、「皇帝に徳がなかったので、人心は乱れ、争乱が絶えなくなった。 云々」と言う類の記述が決まり文句になっています。
しかしこれは中国においては歴史とは時の権力者が、自身の権力の正当性を唱える為に作る物で、「歴史は政治」だからです。
また中国だけでなく、近代以前は歴史を宗教や道徳から描く事は普通にありました。
例えばキリスト教化してからのヨーロッパで古代ローマ帝国の全てが極悪として描かれたりしました。
しかしこのように歴史を描く事は近代的な歴史学では、やってはいけない事なのです。
近代的な歴史は「科学」です。
科学とは、再現性と客観性なのです。
ところが韓国のように「正義により歴史を立て直す」となると、再現性と客観性どころではありません。
何しろ時代が変わり正義が変われば、過去の事実をそれに合わせて変えようというのでは、再現性も客観性もありません。
自分の正義が変われば、過去の事実も約束も無視する。
こういう事ができるから、自分の意志で日本企業に就職し、高給を貰って喜んでいた人間が、後になって「強制連行された。」「強制労働させられた。」と言えるのでしょう。
しかしこんなの唯の嘘吐きです。
けれどこのような手前勝手な嘘吐きを、韓国人は「正義を重んじる」と認識しているのです。
そしてそういう事実に対する正義の優先に対して、知識階級も異議を唱えないばかりか、彼等こそがこれを煽動している状態です。
つまりこれは韓国人が近代的歴史学、そして近代合理主義を全く理解していないという事でしょう?
近代合理主義と何か?
それは理念や宗教ではなく、事実は事実として認めていくという姿勢でしょう?
例えば、ニコロ・マキャベリが、近代合理主義の嚆矢とされた理由が当にそれなのです。
マキャベリが「君主論」始め、彼の著作で書いた事は、非常に冷酷で不道徳でした。
だから今もマキャベリズムと言う言葉は、権謀術策主義を指します。
しかし彼が著作の中で書いた事は、彼がフィレンツェ共和国の外交を担って働いた経験による知見であり、当時の政治外交の事実であり現実でした。
いかに不道徳であろうとも、現実は現実として、事実は事実として直視し、記述する事のよって、政治や外交が「シエンツァ」(科学))になる。
マキャベリはこう考えたのです。
だから彼は近代政治学の祖になったのです。
正義が現実に優先するのは真逆の発想です。
これをマキャベリは500年前に、実践したのです。
そしてこのような姿勢こそが、近代以降の西欧人文科学のあるべき基本姿勢となったのです。
西欧の近代思想を学んだ日本もまたこれに倣いました。
だって理念や宗教に関係なく、現実は現実、事実は事実として、それを元に物事を考えると言うのは、幕末や明治の日本人にとって何の違和感もない話ですから、当然の事として受け入れたのです。
しかし韓国では今なお知識階級が揃って「正義により歴史を立て直す」と公言しているのです。
これを見たら、韓国人は未だに近代合理主義を理解していないと言わざる得ません。
そしてこれでは近代的な法学だって、民主主義だって理解できるわけもないのです。
近代国家=民主主義国家の法とは、国民全体での約束事です。
だったら法の遡及が許されないのは当然でしょう?
だってありもしない約束を破ったとして人を非難したり、処罰したりすることなどできるわけはないのですから。
しかし約束よりも正義が優先してしまえば、法の遡及なんか簡単にできてしまいます。
西欧近代社会が遡及法で人を裁いた典型が、極東軍事裁判やニュルンベルグ裁判でしたが、あれはもう裁判なんかではなく、連合国の正義を宣伝するための演劇だったのす。
だからそもそも無法行為です。
これでは法の遡及なんか気にするどころではないのです。
けれどもこんな事を四六時中やって良いわけがありません。
ところが韓国は四六時中やっているのです。
だって正義を約束に優先させるのが韓国人ですから仕方ありません。
そして正義を約束に優先させては、近代的な法の意味など理解できるはずもないのです。
近代民主主義社会では思想宗教信条の自由は保障します。 ところで正義はそれぞれの人間の思想宗教信条により異なりますから、人が自分の正義によって行動する事を認めたら、威力業務妨害もテロもやりたい放題になってしまいます。
だから法を正義の上に置き、暴力は勿論、他人の迷惑になるような事をすれば、犯人の正義なんかに関係なく処罰しようと、皆で約束したのです。
これは日本人なら小学生でもわかる理屈ですが、しかし韓国人にはわからないのでしょう。
これはつまり韓国人は自分の正義こそが絶対正義だと信じており、他人の正義を全く認めないからでしょう?
しかしこれは自分以外の人間の人格を全否定する物で、誠に幼稚な自己中心主義です。
ところが韓国人が国家全体がこうした自身の幼稚さに気付く事ができないのです。
だから日韓併合で近代化して100年以上たった今も、平気で法の遡及をやっているのです。
尤も韓国人はこの100年余を全否定しているのですから、近代国家になった事自体、何の意味もないのでしょう。
イヤ、そもそも近代国家になりたくなかったのでしょう。
本当に民主主義国家になれば、この種の幼稚さは認められませんから。
だからハイテク工場を作ったりして、一見近代国家でも、中身は古代国家のままなのでしょう。
韓国人の脳内は今も彼等がこよなく尊敬する孔子様の時代のままなのでしょうね。
つまり脳内紀元前500年です。
だからこそ一刻も早く北朝鮮の支配下に入り、脳内だけでなく全てを古代国家にしたいのでしょう。
韓国人にはそれが一番ピッタリ来るのでしょうから。
因みに同じ紀元前500年でも古代ギリシャは、完全な民主制でした。
古代ローマでは法治主義が確立していました。 因みにローマ人は非常に信義を重んずる人達で、約束を破るような事をトコトン憎みました。
だから時代が下がり、文明が進めば、どんな民族でもどんな国家でも民主主義になり、法治主義が根付くというのも違うんじゃないか?と思ってしまいます。
そうなるとワタシ達日本人も反省しなければなりません。
日韓併合で朝鮮を近代化したのは、非常に酷い事だったのです。
だって幾ら他人から見てよかれと思う事でも、自分には絶対合わない事を強制されるって、非常に辛いじゃないですか?
日本は朝鮮人に、その辛くて辛くてたまらない事を強制しちゃったのですから。