先日、ネットでこんな論文を拾いました。
戦時期日本へ労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金 属)の賃金と民族間の格差
李, 宇衍 落星台経済研究所 : 研究委員
李, 宇衍 落星台経済研究所 : 研究委員
九州大学の韓国人研究者による研究論文です。
この論文は当時の石炭会社の賃金支払いに関する会計書類等を精査したうえで、朝鮮人と日本人には全く民族格差がなく、同一賃金であったと結論しています。
但し同一賃金と言っても、一律同額と言う意味ではなく、同一労働同一賃金の原則だったというのです。
そもそも当時の炭鉱夫の賃金体系は、非常に複雑でした。
基本的には出来高制なのですが、その算定法が非常複雑です。 同じ炭鉱夫と言っても、採炭、運搬、坑道の整備や維持管理、石炭の選別など様々な職種があり、その職種によって賃金の算定法が違うのです。
また就職して最初の三か月間は歩合制ではなく、一律同一賃金が支払われます。
この複雑さが日本人と朝鮮人の賃金比較を難しくしているというのですが、しかしこうした賃金算定は法は、日本人も朝鮮人も全く同じだったのです。
だから朝鮮人と日本人の間の民族格差はなかったという結論になっているのです。
但し実際に支給された額は、日本人と朝鮮人で差はありました。
炭鉱によっても違いますが、最も差の大きい所では朝鮮人は日本人の85%程度でした。
そこで朴慶植など朝鮮人労働者強制連行説をとる学者達は、この点だけを問題にして、朝鮮人は日本人より低い賃金しか与えられなかったと言い続けてきたのです。
しかしこの朴慶植の使った資料に書かれた朝鮮人炭鉱夫と日本人炭鉱夫の勤続年数を比べると、賃金格差の理由がわかります。
朝鮮人の大多数は勤続2年以下であるのに対して、日本人は多くが2年以上なのです。
実は当時の炭鉱労働者は、殆どが2年契約で就職します。 しかしその殆どが二年で辞めてしまいます。 更には2年待たずに「逃げる」人達も相当いるので、朝鮮人炭鉱夫の平均勤続年数が非常に短くなるのです。
因みにこの「逃げる」とはどういう事でしょうか?
これこそ「強制労働」の証拠にならないのでしょうか?
実は当時、朝鮮人は日本で自由に働けたわけではありません。 炭鉱で働くなどの条件で渡航許可を得ているのです。
そして雇用者もその心算で、被雇用者の渡航許可を取り、渡航費や更には賃金の一部前渡しもしているのです。
それなのに契約を途中で放棄すれば、日本での在留を認められなくなります。
だから正規に辞職せずに「逃げる」のです。
そして日本国内で、より条件の良い仕事に就こうとするのです。
つまり現在日本で失踪中と言われる外国人研修生と同じです。
炭鉱夫は一応は単純肉体労働ですが、しかしそれでも全く熟練性が必要でないわけでもありません。 だから最初の三カ月は歩合性ではなく一律賃金を保障しているのです。
このような勤続年数による練度の違いを考えれば、賃金体系は同じでも、勤続年数の短い朝鮮人の炭鉱夫が日本人に比べて低賃金であるのは、当然の事です。
それでも最も差の大きい炭鉱でも、日本人の85%は得ているのです。
さらにこの賃金の差は終戦に向かうにつれて縮小していきます。
朝鮮人炭鉱夫は満州事変が深刻化するころから入り始めたのですが、しかし終戦が近づく頃には、朝鮮人の中にも熟練炭鉱夫が増えていくのです。
だからこれをもって朝鮮人と日本人に民族的理由で賃金格差があったとは言えないというのが、この論文の結論なのです。
またこの論文によれば、当時日本の炭鉱で朝鮮人労働者を使う場合は、雇用者は毎月彼等の賃金支払いや、その他の勤労状況を地方長官に報告する義務がありました。
地方長官と言うのは、現在では都道府県知事に相当します。
そして警察も定期的に朝鮮人労働者の労働条件が守られているかどうかを調査してました。
労働条件の管理は現在なら労働基準局などの仕事でしょうが、当時はまだ労働行政専門の役所はありませんでした。
いずれにせよ日本政府は朝鮮人労働者の保護には万全の対策を取っていたのです。
この状況で雇用者が、労働者の賃金を胡麻化したり、虐待したりできるわけもないのです。
これは現在の外国人研修生などに対するより、遥かに手厚い保護政策です。 今後外国人労働者を入れる上で絶対学ぶべきでしょう?
しかしこの論文を読んでいて何より興味深いのは、実はこの論文の元になった一次資料の多くは、朴慶植等朝鮮人強制連行を唱えていた学者等が使っていたものだという事です。
前記のように朴慶植は同じ会社の同じ賃金支払いの書類から、朝鮮人の賃金が日本人より低い点だけを問題にして、朝鮮人への民族差別から低賃金だったと結論したのです。
すると以降、この論文がでるまでその資料を再検証する研究者は出ず、「民族差別により朝鮮人炭鉱夫は低賃金だった」と言う結論だけが喧伝されたのです。
しかもさらにそのあとからは、その低賃金と言うのがどの程度だったかも明記せず「強制労働」のイメージを作っていったのです。
だって日本人の85%だったらそんな低賃金のイメージにならないもんね。
「言葉ができないんだから、そのぐらい仕方ないよ」って感じで、強制労働のイメージにはならないもんね。
例えば住友鴻之舞鉱山は金鉱山でしたが、戦時中一時金の採掘を中止しました。 そこでここで働いていた朝鮮人鉱夫達を、同じ住友の北海道の炭鉱に全員移籍しました。
朴慶植等は、この移籍が強制だったとして、これを「強制労働」の根拠にしているのです。
現在は鴻之舞鉱山を持つ住友金属鉱山と炭鉱を持っていた住友石炭は別会社です。 しかしそれは財閥解体後にそうなったので、この当時は同じ会社です。 だから同じ社内での配置転換にすぎないのです。
この種の配置転換は、現在のサラリーマンでも強制が普通でしょう?
しかも何とこの移籍に関して、住友鴻之舞鉱山側から朝鮮人鉱夫等に給与三か月分程の「慰労金」が出ているのです。
ところが朴慶植等はこういう話は綺麗にスルーしているのです。
オイオイ!!
ワタシの父親も住友石炭鉱業の社員だったのだけど、大阪から名古屋、名古屋から札幌へと勤務地が変わったよ!!
勿論強制だよ!!
母は北海道へ行くのはイヤだって泣いていたよ!!
ワタシ達兄弟はそれで転校する羽目になったし、兄なんか高校2年で編入試験を受ける羽目になったのに!!
でも転勤で慰労金なんかもらってないよ!!
住友石炭は戦後石炭産業の斜陽化に伴って、採算の悪い九州の炭鉱を次々と閉山していき、そこで働いていた炭鉱夫達を皆、北海道の炭鉱に移しました。
それに伴って父のような事務職員も、次第に関西から撤退し、更に北海道へと転勤していったのです。
でもその炭鉱夫の人達も九州から北海道への転勤に当たって慰労金なんかもらってないと思うよ。
朝鮮人強制連行と言うのはこの朴慶植が中心となって、東京大学の歴史学者達が作り上げた話です。
そしてそこは東大の学者ですから、強制連行説を作る為に、朴慶植等は膨大な資料を集めているのです。
その為に一見この話は随分尤もらしく思われたのです。
それで90年代には、日本のマスコミはどこもこの強制連行を事実として報道していました。
しかしその資料の中身を見て行けば、実はこんなレベルだったわけです。
こうした研究には一次資料の読み方が問題になります。 しかし一次資料を読み込む事は、一般人には容易ではありません。
だから本来であれば、こうした論文が出れば、他の学者がその同じ資料を検証しなおすべきなのです。
実際自然科学では実験データでも観測データでも、他の学者が追試をして検証するのが普通です。
しかし人文科学はどうもこの点曖昧のようです。
それどころか同じ意図を持つ学者だけで学会の権威を固めれば、反論や検証を行う学者は、学者生命が危うくなります。
だから膨大な一次資料を集めて、いかにも綿密な研究をしたと見せかけながら、実はその資料の解釈はトコトンインチキと言う研究が、学説を左右するという状況が生まれるのです。
つまり一次資料を山のように出してきても、中身を精査しない限り、安易に信用してはいけないという事でしょう。
そして多分この論文が元になってでしょうか、韓国のウェブサイトにこんな記事が出ました。