・インドは国民の6割程度がベジタリアン
・食文化の違いが影響?
・交流が進まない理由
逆に日本人がインドに住んだら肉や魚は中々食べられなくなる。もし日本でインド人と飯に行こうとするなら、店を合わせてあげることは出来るよ。それじゃ駄目なのか?
昨日こんなツィートを拾いました。
リンク先に在日インド人の食習慣に関するテレビ番組らしき動画がついています。
その番組では、最近、在日インド人も増えているのですが、インド人の多くがベジタリアンであるため、日本人と食事を介しての付き合いができず、それで日本に溶け込めないと言いたいようです。
しかしそもそもインド人は日本人と一緒に食事をしたいのでしょうか?
インド人の菜食主義は、健康や動物愛護の為ではありません。 ヒンズー教とカーストの問題です。
ヒンズー教でハイカーストの人達が、ベジタリアンなのです。
肉食をするのはローカーストの人達です。
そしてヒンズー教ではカーストの違う人達とは一緒に食事をしません。
ヒンズー教以外の異教徒、特に外国人は、教理の上ではアウトカースト、つまり不可触賤民以下と言う位置づけです。
そうは言ってもインドは長くイギリス人に支配されていました。
またその前にインドを支配したムガール帝国の支配者は、イスラム教徒でチンギス・ハーンの末裔を名乗るサマルカンド出身の豪族です。 だからムガール(モンゴル)帝国と言うのです。
つまり長くアウトカーストであるはずの連中に支配されてきたのです。
だから色々妥協はしてきたのでしょう。
しかしそれでも、或いはそれゆえにこそ、こうした食習慣始め、宗教的な禁忌のような物は、頑なに守り続けてきました。
元来インドって宗教やカーストの違いによって、それぞれがコミュニティーを作って暮らす国なのです。
コミュニティーの中には神殿も学校、宗教の戒律に沿った食品を売る店などが揃っていて、その中で全部生活が賄えるのです。
だからコミュニティーの外の世界には、完全に無関心でいられるのです。
それで自分達のコミュニティーに関係がなければ、外来の民族がインドに入っても気にしません。
だからペルシャがイスラム化した時に、インドに逃げた拝火教徒であるパーシーや、ヨーロッパ出身のユダヤ人であるホワイトジューも、それぞれ自分達のコミュニティーを作って暮らしています。
それでイギリス人が入って東インド会社を作っても、そいつらが私兵を持って、それがドンドン強大化しても無関心だったのですが、お陰で国を取られてしまいました。
そうやってインドの支配者になったイギリス人は、自分達の為に高級ホテルやクラブを作り「インド人立ち入り禁止」にしました。
それで初めてインドの最高カーストの人達も、ようやく事態を理解したのです。
自分達が他のインド人を「立ち入り禁止」にしている限り、インド人が団結する事は不可能で、そうなるとイギリス人が自分達を「立ち入り禁止」するのはどうしようもないのだと言うことを理解したのです。
だからインド独立後、ガンジー始めインドの指導者達は、カーストや宗教の壁を壊し、差別をなくそうと努力してきました。
それに近代化が進めば、職業や住居などの形態も変わり、昔のような厳しい差別はなくなってはきたでしょう。
しかしそれでも未だにカーストや宗教は重大な問題です。
「差別は悪い」と言うのは簡単だけれど、でもカースト制はヒンズー教の教理に基づいているのです。
そしてヒンズー教はインド人の精神に根差しており、ガンジーだってこれを否定していないのです。
それどろこかその精神性を高く評価していました。
それではヒンズー教の信仰と精神を守りながら、カースト制だけはポロッと取り外して捨てられるんでしょうかね?
そもそも民主主義国家であれば、宗教の自由は尊重しなければなりません。 そして居住の自由だって当然尊重するべきでしょう?
況や食習慣なんかに国家が介入できるわけもないのです。
そうなると同じカーストや宗教の人間が、コミュニティーを作って暮らすのを止められるわけもないのです。
で、在日インド人と言うのは、そういう国から来た人々なのです。
そういう人達が日本に着たら、突然宗教やカーストの意識から自由になって、アウトカーストである日本人と一緒に食事をしたり、付き合ったりしたくなるのでしょうか?
そりゃ町の中にたった一家族とかでは、日本人と付き合わざるを得ないでしょう。
しかしある程度、人数がまとまれば自分達のコミュニティーを作るんじゃないですか?
実際、旧イギリス植民地で、インド人がまとまって住んでいる国々では、皆そうインド人街を作っているではありませんか?
そしてイギリス植民地時代からかれこれ200年余にもなるのに、そういうコミュニティーが現地に溶け込む事もないのです。
だってインド本国で同じインド人同士がン千年溶けあわなかったのに、何で言葉も宗教も違う外国人と200年程で溶け合うのでしょうか?
でも多民族国家って皆こんなもんでしょう?
シリアとかイラクとかで、血みどろの殺し合いをやっている連中だって、実は何百年もお互い隣人として暮らしてきたんですよ。
でも民族や宗教や部族が違うと、平気で殺し合うのです。
そういう連中がヨーロッパやアメリカへ行ったら、突然仲直りして、一緒に仲良くアメリカ人やドイツ人になれるのでしょうか?
そもそもこういう多民族国家の人達には、民族や宗教を超えて一つの国家の国民として団結しようという意識がないのです。
だから植民地から解放されて、独立国になっても、基本その国の国民としての意識は希薄で、代わりに民族、宗教、部族、血縁などへの執着は大変強いのです。
それ故に人数で圧倒的に劣るはずのイギリスやフランスに簡単に制服されてしまったのです。
それで独立後、為政者達も何とか国民意識を持たせようと頑張り続けたのです。
しかし国民意識なんてモノは100年やそこらでできる物じゃないから、民族紛争や宗教紛争が絶えないのです。
それが難民とか移民とかになって、アメリカやヨーロッパに行けば、突然国民国家の国民になるのでしょうか?
因みに食事に関して宗教上の戒律があるのは、ヒンズー教だけではありません。
イスラム教やユダヤ教などは明文化された明確な戒律があります。
ワタシはあのイスラム教の飲酒禁止と、豚肉など一部の食品だけを禁止した戒律って、信者囲い込みには最高のセンスだと思います。
だって皆で一緒に飲食するというのは、お互いに仲良くなって仲間意識を作る最高の方法なのです。 だからどんな団体でも会社でも懇親会とかやるでしょう?
ところが飲酒と特定の食品を禁止されると、懇親会にも食事会にも出られないのです。
こうなると信者は自分達の仲間内で固まるしかないのです。
禁止食品が多いと、食べる物がなくなって入信者が少なくなってしまいます。 だから禁止食品は最低限にするのです。
それで入信のハードルも低いし、入信後は戒律を守る立派な信者でいられます。
しかし一旦入信すると、信者以外の人の関係が次第に疎遠になっていき、信者のコミュニティー内に囲い込まれるようになってしまう。
でもそれを守らざるを得ないのが人間であり、信仰なのです。
ムハンマドはそういう人間の弱みを利用して、大教団を作ったわけです。
多文化共存とか統合とか言っている人達は、このムハンマドの知恵を超える事ができるんでしょうかね?