これは杉田水脈議員と新潮45を攻撃している人のツィートです。
彼等は新潮45だけではなく、新潮社の書籍全体を攻撃し始めました。
彼等は杉田水脈議員の論文や新潮45・10月号の特集が、「LGBTの人達を傷つけるから許せない」よって、こうした言論を封殺するべきと考えているようです。
それでは人の心を傷つける言論は自由なのでしょうか?
自由です。
完全に自由です。
これは例えば共産党を見ればわかります。
6月26日のNHKの日曜討論で、共産党の藤野保史政策委員長が防衛費を「人を殺す為の予算」と発言しました。
このような発言が、自衛隊員や防衛省関係者、そして防衛産業に携わる人々とその家族の心をどれほど傷つけたかは想像に難くありません。
このツィート主や杉田議員、そして新潮社を攻撃している人々の言うように、人の心を傷つける言論を認めるべきではないと言うなら、この発言をした藤野議員も許すべきではありません。
杉田議員にLGBTの人達を傷つけた事で辞任を迫るなら、自衛隊員と防衛関係者を傷つけた藤野議員にも辞職を迫るべきです。
また番組内でこのような発言を許したNHKも許すべきでありません。
しかし現在、杉田議員や新潮社を非難している人達は、藤野議員の辞職要求やNHKへの懲罰に同意するのでしょうか?
こうした発言が野放しにされている時点で、人の心を傷つける言論もまた自由であり、そういう言論をする権利は保障されていると考えるしかないのです。
しかも共産党が 自衛隊を「人殺し」呼ばわりしていたのは前々からの話です。
けれども自衛隊員を傷つけてきたのは、共産党だけではありません。
立憲民主党阿部知子は、2007年自身のホームページとメルマガで、阪神淡路大震災での自衛隊の救援について「軍隊は国民を守らない」「自衛隊が国の命令を受けて出動したのは震災の数日後だった」と非難しました。
自衛隊の出動を遅らせたのは、当時阿部知子が所属していた社会党の党首で首相だった村山富市の無作為なのです。
しかし社会党の議員にはそういう反省は一切ありません。
だから阿部知子同様社会党出身の神戸市議会議員あわはら富夫に至っては、自身のHPにこんな事まで書いていました。
阪神淡路大震災の時も、自衛隊が出動しました。人命救助は一六五人で、遺体収容が一二二一体です。
結局、人命救助には役に立たなかったのです。
自衛隊は遺体収容の訓練はできても、人命救助の訓練はしていないですから弱さがあるというのが実感です。
よく自衛隊が頑張ったと言われますが、遺体を運び出すことには力を発揮したけれど、生存者の救出にはそれほど力を発揮していないのです。
自衛隊は災害救助のための組織ではありません。戦争するための組織です。
自衛隊は戦争の、人殺しのためにあるのに、人を助けるように錯覚させるというのが一番問題です。
結局、人命救助には役に立たなかったのです。
自衛隊は遺体収容の訓練はできても、人命救助の訓練はしていないですから弱さがあるというのが実感です。
よく自衛隊が頑張ったと言われますが、遺体を運び出すことには力を発揮したけれど、生存者の救出にはそれほど力を発揮していないのです。
自衛隊は災害救助のための組織ではありません。戦争するための組織です。
自衛隊は戦争の、人殺しのためにあるのに、人を助けるように錯覚させるというのが一番問題です。
自衛隊は遺体の運び出しにしか力を発揮しなかった?
真冬だったとは言え、関西の気候で死後何日も経った遺体を収容するという作業が、どんなに大変な事か?
自衛隊員がその苦痛を忍んで遺体を収容しなければ、誰が亡くなった人達を遺族の元に返し、弔ってあげる事ができたのでしょうか?
そもそも生きて救助を待っていた人達を、遺体にしてしまったのは、お前の党首村山富市ではないのか?
それなのに彼等はこんな事を言って自衛隊員やその家族の心を傷つけたのです。
人の心を傷つける言論が許されないのであれば、こんな連中は絶対に許されないでしょう?
杉田議員が新潮45の記事で議員辞職と言うなら、阿部知子やあらはら富夫は議員辞職なんかでは済まず投獄するべきでしょう?
またこうした議員を抱えている政党は全部解散を命じるべきです。
杉田議員や新潮社を攻撃している連中はこれに同意するでしょうか?
そもそも杉田議員の論文は、LGBT団体支援の予算が過大であることを問題にして、同性カップルは子供を産まないので、異性夫婦の不妊治療のような公的支援はできないと言っただけなのです。
予算審議は国会議員の仕事なので、公的支援に関して国会議員が意見を述べるのは当然の事です。
しかし国会議員が予算配分に意見を述べれば、必ず傷つく人がいるのです。
なぜなら国に予算を要求する側は、皆その予算が必要だと思っているのです。
自分達が行おうとしている事が、社会に必要であり生産性に優れていると思うから、苦労して計画を立てて、予算を算定した上で要求しているのです。
それを国会で批判されたり、拒否されたりすれば、大変傷つきます。 しかし国会は要求された予算をすべて認める事などできないのです。
だから人を傷つける言論が許されないなら、国会での審議などできないのです。
民主党政権は「コンクリートから人へ」と言うスローガンを掲げて公共事業を削減しました。 なるほど公共事業には有益性の怪しい物だってあったでしょう?
しかしこのような形で公共工事を否定する事で、土木建築業者やその関係者は深く傷つきました。
彼等は災害があれば自衛隊に先立って道路を整備しました。
豪雪地帯では、雪が降れば深夜でも未明でも、道路除雪をするのも彼等です。
そうやって地域の産業とインフラを守ってきたのです。
それをこのような形で全否定された上、予算を削られて、職を奪われたのです。 この為、自ら命を絶った人達も少なくありません。
また民主党政権は「仕分け」などと言うパフォーマンスを行いました。
蓮舫は「二位じゃいけないんでしょうか?」と言う浅薄な発言で、スーパーコンピューター始め重要な科学研究予算を削りました。 これは一位であることの重要性を理解して、その為に必死の研究を続けてきた研究者やメーカーの人々の心を深く傷つけました。
そしてそれだけではなく、日本の科学技術振興に大きなダメージを与えました。
このように国会議員が予算について発言すれば、必ず多くの人々を傷つける事になるのです。
そして場合によっては人の命も奪うのです。
けれども予算審議が国会議員の仕事である限り、国会議員は人の心を傷つけても、予算審議はしなければならいのです。
しかし国会議員に限らず言論は必ず誰かを傷つける物です。
杉田議員を攻撃している人達が言うように「人を傷つける言論は言論の自由に入らない」というなら、誰も何も言う事ができません。
人間はみな、一人一人違った価値観や倫理観を持って生きているのです。 だから自分が正義と信じて述べた意見で、傷つき悲しむ人は必ずいるのです。
今回の北海道の大停電では無暗に北電を叩く人達がいました。
また原発を止めて冬に停電になったら、道民は薪ストーブを使えと言った人達もいました。
しかしこれは泊原発が止められた後6年余もの間い必死に電力の安定供給に努めてきた人々を深く傷つけました。
そして道民に対してきわめて侮辱的な発言でした。
それではこれらの発言は封殺してよいのでしょうか?
言論と言うのは常に誰かを傷つける物ですが、しかし人間がお互いに話し合い理解し合うためには、言論は絶対に必要なのです。
そして全ての人が自分の意見言う権利を確保するためには、全ての人に等しく自由に発言する権利、つまり言論の自由を保障しなければならないのです。
だから人の心を傷つける言論を行う権利もまた完全に保障するべきなのです。
そうなると自分が他人の言論で傷つく事もあります。 でも自分もまた自分の言論で他人を傷つけているかもしれないのですから、これは甘受するべきなのです。
哀しいけれど人間は人を傷つけずに話をすることはできません。
「人の心を傷つけてはいけない」は一般道徳でしかありません。
なるほど人の心を傷つけるのは悪い事だし、ワタシだって日常生活ではなるだけそういう事はしないように心がけています。
けれどもホントに人の心を傷つける事を絶対に禁止されたら、人の要求は何も断れないし、自分の要求は何一つ言えません。
大金を貸してくれと言われても断れないし、どんな相手からセックスを誘われても拒否できません。
これで生きていく事の出来る人がいるでしょうか?
だから「言うべきことは必ず言わなければならない」と言うものまた一般道徳なのです。
人の心を傷つけても、言うべきことは言わなければならないのです。
哀しいけれど人間は常に人を傷つけながら生きているのです。 自分の言動は常に誰かを傷つけているのです。
だから一人前の大人は、他人の言葉で傷ついても、それで泣きわめいてはいけないのです。
相手の言い分が不当だと思うなら冷静に反論すればよいのです。
そしてそれができないなら、黙って我慢するしかありません。
にも拘らず、「人の心を傷つける言論は許さない」と言う人達は、自分が傷ついた場合は大仰に泣きわめきますが、自分が他人を傷つけているという事実には、全く無関心なのです。
こういう人達は芯から馬鹿で鈍感で自己中で幼稚なので、自分の事以外は何も考える頃ができないのです。
だからこそ正義の味方を気取って踏ん反り返り、こんな事が言えるのです。
「人の心を傷つける言論は許さない」と言うのは一見優しく道徳的に思えます。
しかしこんな話に乗っていると、結局大声で泣きわめく愚かで自己中心的な人間達によって、良識のある発言が全て封殺される恐ろしい社会になってしまいます。
だからこんな発言をする人たちには断固反対するべきなのです。