先日ツィッターでこんな記事を拾いました。
イギリスとアイルランド国内のサブウェイの一部店舗(約1500店舗中185店舗)でイスラム教徒の要求に応えてメニューから豚肉を完全に排除ハラル対応にしました。個人的には宗教や神様は個人の食生活に介入するべきではないと思いますが、こういう事が世界で増え続けてしまうのは残念に思います。
ワタシもこれ凄く違和感がありました。 このサブウェイと言う店はサンドイッチの店で、その種類が非常に多い事が特徴なのだそうです。
だったらイスラム教徒は豚肉を使ったサンドイッチを注文しなければよいだけで、店のメニューから豚肉を排除する必要はないでしょう?
>宗教や神様は個人の食生活に介入するべきではないと思います
ええ、ワタシもそう思います。
そして宗教はあくまでそれを信仰する人の内面と個人生活の問題であって、自分の宗教を盾に他人の生活や、国家や社会の在り方に介入するべきではないのです。
これは別にワタシ個人の感覚ではなく、民主主義国家での宗教の在り方の基本なのです。
だからイスラム教を信じる人は、自分の生活をイスラム教の戒律で律するのは良いけれど、他人にその戒律を押し付けようしたりしてはいけないのです。
しかし実際には、このアイルランドのサブウェイの件のように、イスラム教徒と言うのは、こうやって他人にイスラム教の戒律をごり押しするのが目立ちます。
一体何で彼等はこんな事をするのか?
こんなごり押しをすると、嫌われるだけなのに・・・・・。
しかし飯田陽さんの「イスラム教の教理」を読んだら、この理由がよくわかりました。
飯田陽さんの「イスラム教の教理」は題名の通り、イスラム教の教理をコーランやイスラム法など、イスラム教徒が教理の上で従わなくてはならないとされている聖典とその解釈を、単純明快に解説した本です。
しかしこうして教理を読んでいくと、イスラム教と言う宗教の恐ろしがわかり慄然とします。
以下、ここで書かれた事を、ワタシ自身の感想も交えながら、簡単に紹介していきたいと思います。
まずイスラム教の教理によれば、全ての人類はイスラム法に従わなければならないのです。 そしてイスラム教徒には、非イスラムをしてイスラム法に従わせるよう努力する義務があるのです。
なぜならイスラム教では、イスラム教の聖典は全て、神様の意志を表した物で、人類は全て神の奴隷です。 だから問答無用で、神様が作った規則には従うしかないのです。
だからサラミソーセージや生ハムが好きだなんて言う奴に配慮する必要はなく、神様が豚肉を食べるなと言った以上、全ての人類に豚肉を食べさせないようにするのがイスラム教徒の義務なのです。
そしてイスラム教が唯一絶対の神に従う正しい宗教である以上、全人類が神の法で統治されなければならいのです。
イスラム教徒はその為には世界征服をしなければならないのです。
そして実際に教祖ムハンマドは自身が軍隊を率いて、征服戦争をはじめアラビア半島とその周辺を支配下に置きました。 ムハンマドの死後は、その後継者つまりカリフ達がその征服戦争を続けて、現在の中東、北アフリカ、そしてスペインにまで及ぶサラセン帝国を築きました。
この過程で生まれたのがコーランとハディーズとイスラム法です。
コーランはムハンマドが聞いた神の言葉を記述しています。
ムハンマドの業績と言行を記述したものがハディーズです。
イスラム法はムハンマドが、自身が征服地を統治した時に制定施行した法律です。
これらはいずれもムハンマドが代行した神の意志を表しています。 だからイスラム教徒だけでなく、全ての人類がこれに従わなければならないのです。
教祖自身が宗教戦争を指揮し、自身が宗教による統治をおこなったという点で、イスラム教はキリスト教や仏教とは全く違うのです。
教祖自身が征服戦争と統治をしたことで、宗教による統治は教理にくみこまれているのです。
そして宗教は精神生活の問題ではなく、現実の統治の問題なのです。
ムハンマド自身がイスラム教による征服戦争と被征服地の統治をしたのですから、こうした聖典には、その時に彼が行った虐殺も、圧迫は勿論、当時の戦争なら普通だった被征服地から略奪したものはどう分配するべきかと言う事まで事細かに描かれています。
これによると征服戦争で従軍して得た略奪品の8割は略奪した兵士個人の物なり、2割は軍の物になります。 そしてその中には被征服者側の女性も含まれています。 被征服地の異教徒の女性は奴隷化されて、売買されるのです。
イスラム国(ISIS)やボコハラムが、その占領地で女性を奴隷化したことに、日本人や欧米人は驚愕しましたが、しかし彼等にすれば聖典に従っているだけなのです。
イスラム国の目標は、イスラムの聖典に従った国家を作る事です。 つまりムハンマドの死後、その後継者であるカリフ達が行ってきたような、カリフがイスラム法によって統治する国家を作る事なのです。
だからイスラム国の指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーは、自身をカリフであると宣言し、被支配地をイスラム法で統治していると宣伝していたのです。
そしてサラセン帝国が行ったような、イスラムによる征服戦争を扇動したのです。
だったらイスラム法に従って、被征服者側の女性を奴隷化して売買するのも当然ではありませんか?
このようにイスラム国は、完全にイスラムの聖典に従っているのです。
そしてイスラム教の教理によれば、カリフがイスラム法に従って統治する政体こそが、正しい統治であって、それ以外の政体は全て間違っているのです。
だから民主制も君主制もすべて間違いだし、またこうした政体により作られた法は無効です。
だから現在イスラム穏健派と言われるイスラム教の権威である神学者達も、彼等を「イスラムではない」とは言えないのです。
勿論、イスラム国のような過激派を「イスラム教徒ではない」と言う学者たちもいるのですが、これはあくまで西欧社会に対するポーズだそうです。
しかし、イスラム穏健派が間違っているかと言えば、そういうわけではありません。
イスラム教にはローマ法王のような権威は存在しないのです。 それでイスラム教の聖典をどう解釈し、どのように守るかは、完全に個人の判断にゆだねられます。
そしてその判断が間違っていた場合は、死後に神の罰を受けるのですが、人間が他人の解釈に文句を言う筋合いではないのです。
しかしだからこそイスラム穏健派は、イスラム過激派を否定できないのです。
そしてイスラム穏健派と過激派を比べれば、過激派の方がはるかに厳密に聖典を解釈し実行しているとしか言えないのですから、どちらがより敬虔で正しいイスラム教徒かと言えば、過激派の方に軍配が上がるのです。
勿論いくらイスラム教徒でも、こんな過激な連中には付き合えない、こんな連中が暴れまわったら社会が滅茶苦茶になると危惧する人々は沢山います。
実際、エジプトではアラブの春の後、イスラム過激派の一派であるムスリム同胞団から大統領が出たのですが、しかしマトモな政治ができなかったので、国民が怒り、直ぐに退陣に追い込まれました。
イスラム教徒の大多数はこうした狂信には反対なのです。
しかしながらイスラム教徒である限り、彼等を否定できないのです。 だから大体どこの国や地域でも、イスラム教徒の4~5%はイスラム国などの過激派を支持しているのです。
4~5%とはどういう意味を持つのでしょうか?
創価学会の公表する数字では、創価学会の信者は日本の総人口の5%ほどです。
またローマ帝国がキリスト教を公認した時のキリスト教徒の割合も、総人口の5%程度だったと言われます。
これを考えると、実際これだけテロを繰り返す過激派を支持する人が、5%いるというのは、容易な事ではないのがわかります。
人口の5%を占める集団と言うのは、誰も身近に一人か二人は、その集団に属する人がいるという事です。
だからワタシのように人付き合いの悪い人間でも、選挙の度に「公明党に投票して」と依頼してくる知り合いがいます。
自爆テロを賛美しているような人達から、こういうノリで何かを依頼されたら、どうしたらよいでしょうか?
こういう人達が人口の4~5%を占めれば、社会への影響力が大変なものでしょう?
そこでエジプト政府など、現在イスラム教国家で世俗政権の国では、こうしたイスラム過激派は官憲がしょっ引くと方法で、何とかその影響力を押さえています。
イスラム教徒が圧倒的に多数を占める国で、イスラム教の教理に厳格に従う人々を言論で説得する術はないので、ストレートに権力で抑え込むしかないのです。
しかしこれはこれで問題がある事は言うまでもありません。
それにしても何でこんな過激派が台頭してきたのでしょうか?
少なくとも第二次大戦後、イスラム諸国の主流だったのは、アラブ民族主義など西欧式の近代国家、宗教に寄らない強い国民国家を作ろうと言う主張だったのではありませんか?
トルコのケマル・アタチュルクや、エジプトのナセルのように、国家の独立を守り、近代化を進めた人達が、英雄とされてきたではありませんか?
実はワタシは昔から中東の話が好きで、イスラム諸国の旅行記等をよく読んでいましたが、そのころイスラム教がこのような形で過激化するとは夢にも思いませんでした。
ナセルやケマル・アタチュルクだって想像もしなかったと思います。
この「イスラム教の教理」の中で、著者飯野陽さんはこのイスラム狂信化の理由としてインターネットの影響を指摘しています。
イスラム過激派の台頭は、実はface book、you tube、ツィッターなどのサービスの開始と軌を一にしているのです。
イスラム教は聖典が全て明文化されているので、インターネットとは大変相性が良いのです。
元々イスラム教の聖典は全部アラビア語で書かれており、教理を学ぶにはまずアラビア語に習熟しなければなりませんでした。
また偶像崇拝や音楽を禁止したことから、キリスト教や仏教がしてきたように、絵画や宗教音楽で民衆に教理を理解させることもしてきませんでした。
それがインターネットで一気に変わりました。
自分が気になる問題についてイスラム法での解釈を知りたければ、誰もネット検索をすれば一発で回答が出てきます。
you tubeにはイスラム過激派が作った、非常にセンスのよい宣伝動画が大量に上がるようになりました。
一方、今はアフリカからくる「難民」でさへ皆スマホを持っているのです。
これでこれまではコーランを読むことも不可能だった一般イスラム教徒にまで、教理その物がストレートに広がったというのです。
勿論こうしたイスラム過激派によるテロの扇動や斬首動画の投稿には、you tubeやface bookの側も、動画やの削除やアカウント停止などで対応をしたのです。 しかし彼等は直ぐに、削除に対抗してアカウントを作り、投稿を続ける事ができるような体制を作ってしまいました。
イスラム教徒の総人口は18億です。 その4~5%、9000万人弱の支持を得ればそういう事だってできるのです。
現在、日本や欧米で、保守派の投稿やアカウントが停止や削除を受けるという嫌がらせに遭っています。 そしてそれに対する対応に苦労しています。
しかしイスラム過激派は、とうの昔にこの問題をクリアしていたのです。
そしてテロを扇動するアカウントや動画は削除できても、イスラム教の教理その物を解説するサイトの削除は、民主主義国家にも、またイスラム諸国にも絶対にできません。
こうして今もイスラム狂信化は、ドンドン進行しています。 そしてイスラム教徒の人口は増え続けています。
現在、日本や欧州だけでなく、アジアの非イスラム諸国の出生率は2を割り込み、人口減に入りました。
しかし中東やアフリカのイスラム諸国は、今も非常に高い出生率を維持しています。 それだけでなく欧州に移民したイスラム教徒達もまた、出生率は高いのです。
だから今後の世界でイスラム教の影響は、さらに深刻化するでしょう。
この「イスラム教の教理」と言う本は、そういう現実を正面から突き付けてくれました。
この本を書いた飯野陽さんの勇気と学者としての良心には、心から敬意を捧げます。