2018-07-11 18:51

トゥキディデスの罠とペロポネソス戦争

 中国の台頭とそれにより生まれた米中の緊張関係の激化から、「トゥキディデスの罠」と言う言葉が聞かれるようになりました。


 「トゥキディデスの罠」とは古代ギリシャの歴史トゥキディデスの描いたペロポネソス戦争の教訓から、新興国の台頭が、従来の覇権国との間に緊張や摩擦を生み、戦争が不可避になる事を指します。 


 現在この言葉が米中関係に使われている事からこの新興国はスパルタと誤解しそうですが、しかしトゥキディデスの時代に台頭した新興国はスパルタではなくアテネです。

 古代ギリシャでは米中の場合と違って、民主主義国家アテネの台頭が、スパルタを中心としたペロポネソス同盟諸国との摩擦を招き、遂には27年にわたってギリシャ全土を巻き込むペロポネソス戦争に至ったのです。


 そしてこの戦争の果てにアテネはスパルタに無条件降伏しました。


 民主主義国家の台頭が何で?どのようにして、このような戦争に至り、惨敗して無条件降伏に至ったのか? 

 簡単に書いていきたいと思います。


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 まずアテネが「新興勢力」とされるのは意外でしょう? 何しろ我々のイメージでは古代ギリシャ=アテネのイメージですから。


 しかし以外なのですが、アテネと言う国(ポリス)が軍事的な大国として台頭したのは、実は第二次ペルシャ戦役以降です。


 アテネは古代ギリシャの諸ポリスの中でも特に古い歴史を持ち、また人口も多いポリスとして知られていてのですが、第二次ペルシャ戦役の頃までは軍事的には格別な強国ではありませんでした。 


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 軍事においてギリシャ最強のポリスは勿論スパルタです。 スパルタは文字通りスパルタ教育で鍛えたられたスパルタ軍を擁しており、ギリシャ最強の陸軍国でした。

 アテネは陸軍力ではスパルタには及びませんでした。


 そしてアテネには海軍はなかったのです。 アテネは富裕な商業国家ですから、商船は沢山持っていたのですが、軍船も海軍もなかったのです。


 但しペルシャ戦争に至る100年近く前から、着々と経済力を蓄え、人口も増加していたことから、他のギリシャ諸ポリスはアテネに対する警戒感は持ち始めていました。


 こうしたポリスがスパルタを盟主として、対アテネ防衛同盟として作ったのがペロポネソス同盟でした。

 しかしこれで即アテネとの緊張関係になったわけでもないし、戦争も起きていません。


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 この状況が変わったのは、第一次ペルシャ戦役が終わった後からです。

 第一次ペルシャ戦役は、ペルシャが支配地をギリシャ本土まで拡大しようと攻め込んできた事で起きました。


 元々中東の大国だったペルシャが、有能な王を得て一気に領土を拡大し、アナトリア半島と地中海の東岸を全て支配下に置きました。 それでもペルシャは満足せずに更にギリシャ北部ま支配下におさめたました。

 しかしペルシャは、更にアテネやスパルタなどのギリシャ全土を侵略するべく、アテネから40キロ余しか離れていないマラトンに上陸したのです。


 アテネは軍はこれを迎え撃ち、完璧なまでの勝利を収めました。

 

 そしてマラトンで惨敗したペルシャは軍を引き上げました。


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 このマラトンでの勝利でアテネは一息ついたのですが、しかしその後の対ペルシャ外交をめぐって、国内では対ペルシャ穏健派と強硬派の対立が起きます。


 なぜならマラトンでの惨敗は、ペルシャの国力を殆ど損なっておらず、ペルシャは以前強大な帝国として君臨していたからでです。


 そこで対ペルシャ穏健派は、ペルシャを刺激せず良好な関係を維持することで、ペルシャが再度ギリシャに侵攻することは防げると考えました。

 この対ペルシャ穏健派を支持したのが、アテネの最富裕層を中心とした勢力です。 そしてこれが当時のアテネの保守派であり主流派でした。


 これに対して対ペルシャ強硬派は、ペルシャの再度の侵攻は必至と考え、軍備の増強によるペルシャ防衛を主張したのです。


 この中心になったのが、テミストクレスです。

 アテネの政界では例外的な中産階級の出身で、しかもこれを唱えた頃はまだ30代の若手でした。


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 そのテミストクレスが唱えたのが、海軍の創設です。 しかも当時の軍船の中心であった三段櫂船200隻と言う規模の海軍です。


 これは大変な話です。 なぜなら前記のようにこのころまでアテネに海軍はなかったのです。

 当時のギリシャ世界で最強の海軍国はコリントですが、このコリント海軍の保有する三段櫂船はたったの40隻なのです。


 それなのにテミストクレスは200隻規模の海軍を作れと言うのです。


 普通に考えれば全く荒唐無稽で実現不能としか思えない話なのですが、しかしテミストクレスは等辺追放を駆使して対ペルシャ穏健派の重鎮を追い払い、政権を手中に収め、これを実現したのです。


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 テミストクレスはその一方で、天才的な外交手腕を発揮して、対ペルシャ防衛にギリシャ諸ポリスを結集します。 


 ギリシャ諸ポリスは元来、お互いに非常に仲が悪く、オリンピック期間中以外は殆ど恒常的に戦争をしているような有様なのですが、しかしテミストクレスは奇跡のような外交手腕を発揮して、これを対ペルシャ防衛の為に団結させたのです。 


 そしてテミストクレスの提唱による海軍が完成とギリシャの団結を待っていたかのようなタイミングで、ペルシャの侵攻が始まったのです。


 するとテミストクレスはアテネ海軍を中心とするギリシャ海軍を指揮して、サラミスの海戦でペルシャ海軍を壊滅させました。

 そして陸上に残ったペルシャ陸軍は、スパルタ王パウサニアスがプラタイアの戦いで屠りました。


 こうして海と陸で惨敗したペルシャは二度とギリシャと戦おうとはしなくなりました。


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 これでわかるでしょう?

 アテネの軍事大国として地位がこれで決定したのです。


 しかしテミストクレスはペルシャ戦役勝利後も、更にアテネの国防、そして経済発展の基盤を固めます。


 彼はアテネ市街とその外港であるピレウスをつなぐ通路、そしてピレウス港を完全に囲む城壁を建設するのです。


 アテネはギリシャ最大の最強の海軍を擁しています。 そしてライバルであるスパルタには海軍はありません。


 そこでピレウスとアテネ市街を囲む城壁を作れば、アテネは籠城戦になっても海外から幾らでも食料を得られるのです。 これでアテネの防衛は完璧になりました。


 この城壁建設にはスパルタが懸念を示し、建設途中から抗議を繰り返したのですが、テミストクレスはスパルタの使節団をまんまとはぐらかして、城壁を完成させてしまいました。


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 一方でテミストクレスはエーゲ海の制海権の確保によるアテネの商業権益の確保も図りました。


 ホント凄い男なんですよね、このテミストクレスって。

 結局コイツ一人で、でその後のアテネの黄金時代の基礎を全部作ってしまったのですから。


 マジに政治・軍事・経済のすべてに卓抜した天才政治家としか言いようがないのです。


 そしてこのテミストクレスのお陰で、アテネは政治・軍事・経済のすべてでギリシャ諸ポリスの中でも最大最強の地位を得たのです。


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 ペロポネソス戦役の話をすると言いながら、ペルシャ戦役で終わってしまいました。 

 しかしここまで見ればわかるように、このペルシャ戦役での勝利が、アテネのギリシャ最強の海軍国の地位を確定したのです。


 ワタシはここまで過程をみて、日露戦争後の日本を思い出します。


 日本も対露防衛の為に、陸海軍を増強し、そしてロシアの海軍に大勝利を収める事で、欧米列強に日本の軍事力を認識させました。


 しかしこれがその後、欧米諸国との軋轢を招き、第二次大戦の敗戦につながるのです。


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 アテネは日露戦争前後の日本と違い、元々経済大国でした。

 そのアテネがペルシャ戦争により、軍事大国になりました。


 そしてテミストクレスやそれに続いたアテネの政治家達は、この軍事力をさらに強化して、その軍事力をアテネの経済発展に活用しました。


 再度書きますが、元々ギリシャ諸ポリス同志は仲が悪く、オリンピック期間中以外は戦争をしているような状態なのです。

 このような状態で、アテネが経済力・軍事力で他のギリシャ諸ポリスを圧倒して、更なる勢力拡大を図るのですから、他のポリスが危機感を持つのは当然ではありませんか?


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 このアテネの拡大に対する恐怖と反発が、これらのポリスをしてアテネとの戦争に駆り立てるのです。


 こうして起きたのがペロポネソス戦争です。 


 ツゥキディデスはアテネ市民の一人として、この戦争を詳細に記述しました。 ただ事象を記述するだけでなく、なぜそのような事象が起きたかも冷静に分析しながら、この悲劇を描いたのです。

 

 このペロポネソス戦争を描いたトゥキディデスの「戦史」は、今も世界最高の史書としされます。


 そしてアテネの台頭がペロポネソス戦争を招いた事から、新興国の台頭がそれまでの覇権国との軋轢を生み、更には戦争を招くことが「トゥキディデスの罠」と呼ばれるようになったのです。


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 ここまでで随分長くなっちゃいました。


 だからペロポネソス勃発とその後については、またそのうち書きます。

 そしてこれを書くと、ずうっと前にさわりだけ書いて放り出していた「ソクラテスの恋人 梟雄アルキビアデス伝」の続きも書けると思います。

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