燻製にしんさんが古代ギリシャとローマに関してエントリーしていらっしゃいました。
古代ギリシャとローマを比べると、ギリシャの方が圧倒的先進地域でした。 学問も芸術も民主制も現代の西欧分かの基礎となるものは全てギリシャで生まれました。
そればかりかオリンピックや音楽祭、演劇祭と言ったイベントと、ギリシャが起源です。
ところがギリシャはペロポネソス戦争の終戦後も、混乱を続け、アレキサンドロス大王の帝国も王の死後間もなく崩壊し、結局ローマの軍門に下りました。
そしてその後、ギリシャ人達は「自分達はギリシャ人である」というアイデンティティさへ喪います。
ローマ帝国分裂で生まれた東ローマ帝国は、実は完全のギリシャ人の国家であったにもかかわらず、皇帝も市民も皆「自分達はローマ人」と認識していたのです。
ギリシャ人が「自分達はギリシャ人」と思うようになるのは、何と18世紀末のオスマントルコ帝国から独立後、それもバイロン卿のようなイギリス人に焚きつけられて事です。
一体何でギリシャ人がこんな為体になったのか?
何で後進国ローマは大帝国を築くことができたのに、ギリシャはその軍門に下ったのか?
だってローマ人の方が遥かに人間ができてるもの!!
そりゃギリシャ人は知性や創造性では、ローマ人なんかより遥かに上だけれど、とにかく自己中で、無責任で感情的だもの。
こんな奴らが民主制で権力を我が物としたら、自分達の得た権利の確保しか眼中になくなるから、余程有能な指導者が出ない限り、政局は混乱状態になるのは当然だわさ。
それに比べたら、ローマ人は人間が違う。
彼等はいかに苦しい時でも、自分の感情で政治判断はしないもの。
典型的なのは第二次ポエニ戦争でのカンナエの戦いでの惨敗後の対応です。
第二次ポエニ戦争ではカルタゴの将軍ハンニバルがアルプスを越えて、イタリア半島に侵攻しました。 当時のローマにはこの希代の名将に勝てるような将軍はいませんでした。
しかし自国領に攻め込んだ敵とは戦わないわけには行きません。 ローマ軍は敗戦に敗戦を重ね、ハンニバルの軍隊は好き放題イタリア半島を荒らしまわりました。
こうした中、ローマの執政官でローマ軍の指揮官だったファビウスは情けない決断をします。
「自分達にはハンニバルに勝つ能力はない。 だからとにかくハンニバルに負けないようにするしかない。」
ファビウスはハンニバル軍との決戦を避けながら、しかしハンニバル軍を追走し、彼等が食料その他の物資を得らえないように邪魔をするという消極戦法を取ったのです。
しかしこれはローマ人にとっては耐え難い苦痛を伴いました。
ローマ人は元来農耕民で、ローマ市民と言われる人達の多くは小規模自作農なのです。
農地は戦乱になっても隠すことも避難させることもできません。 これは自分達の大切な農地をハンニバル軍が荒らすがままにするという作戦なのです。
ローマ人は元来、愛国心も公徳心も非常に強く、また忍耐力のある人々でした。 しかしそれだって限界があります。
そして人々はファビウスを「ぐず」「のろま」と罵り始めました。
こうした中では当然のこととて「ハンニバルに決戦を挑み、一発で倒すべきだ。」という声が上がり始めました。
そしてこれを扇動したのが、ヴァロという男です。
彼は平民出身で、百人隊長に選ばれたこともなかったようですから、軍事の実績も全くなかったのですが、しかし敗戦に次ぐ敗戦で絶望したローマ市民は彼の扇動に乗りました。
そしてファビウスの執政官としての任期が切れると、このヴァロともう一人貴族出身の決戦派を執政官に選んでしまいました。
こうして執政官としてローマ軍を率いる事になった二人は、8万人の軍勢を率いてハンニバルに挑んだのです。
結果は歴史的惨敗でした。
カンナエの戦いは、今も世界中の士官学校で教えられいると言います。
取るべき作戦を取った優れた指揮官の例としてハンニバルが。
取ってはいけない作戦を取った取った最低の指揮官の例としてヴァロが。
結果はハンニバル軍の死傷者5700に対して、ローマ軍の死傷者6万人、捕虜1万人。
無事の戦場を逃れたのはローマ軍8万の内たったの1万人でした。
そしてヴァロはこの一万人と一緒に生きて戦場を逃れたのです。
この惨敗に衝撃を受けたローマ市民は、直ぐにこの手の積極戦法を諦めます。 そして再度ファビウスを復職させて、彼の消極戦法を続ける決断をしたのです。
ではヴァロは?
この責任を取って処刑?
イヤ、ヴァロは執政官の地位は失いましたが、それ以上の責任を問われる事はありませんでした。 それどころかその後もローマ政権内で活動し続けました。
一方ファビウスは地道に消極戦法を続けて、ハンニバルを追い続けました。
そしてこの戦法でローマ軍が頑張り続けると、名将に率いられた軍隊も次第に弱っていきました。
だって敵地で全く補給もないまま何年も戦い続けるのですから、結局ジリ貧になっていくしかないのです。
ハンニバルの戦略は元来、ハンニバル軍がイタリア半島を荒らしまわり、ローマ軍が敗戦を重ねる事で、イタリア半島内のローマの同盟国や属領をローマから離反させることでした。
そしてこれらがハンニバル側に寝返れば本国からの補給がなくても、ローマと戦い続ける事ができ、最後にはローマを倒せるでしょう。
しかしローマの同盟国も属領も、どんなにローマが惨敗を続けても、ローマから離反することはありませんでした。
そしてついにハンニバル側は矢尽き刀折れて、イタリア半島を逃れるのです。
このハンニバルの止めを刺したのがスキピオ・アフリカヌスです。
それにしてもカンナエ惨敗後のローマ人は凄い!!
これに比べたらギリシャ人はホントにダメ!!
ローマ人だって忍耐力に限界がありますから、敗戦が続いて追い込まれると、ついヴァロのような男の扇動にのってファビウスを解任し、ヴァロに軍隊の指揮権を与えたのです。
この辺りまではギリシャ人とそう変わりません。 ペロポネソス戦争時のアテネでも、戦況が悪くなると、乾坤一擲の大勝負を扇動する人間が必ず出てきました。
それどころか休戦や終戦のチャンスが出てきても「こんなんで終戦するんだったら、今までの苦労は何のためだ?」と煽り、そのチャンスを潰す奴も必ず出ました。
そしてアテネ市民は常にそれに乗せられたのです。
しかしこうして主戦派を指揮官にして戦っても、負ければ市民たちはたちまち怒り狂い、そいつを処刑したのです。
いや、いかなる理由があろうとも、アテネ市民は敗軍の将を許さないのです。
これは以前エントリーした「民主主義の暗黒面」でも紹介しましたが、アテネ市民があのマラトンの戦いの英雄三ルティアデスさへも、わずかの被害で終わった作戦の失敗を許しませんでした。
だれであろうと、どのような理由であろうとも、敗戦した指揮官は絶対に許さないのです。
だからアテネの指導者は一度戦争で失敗すれば終わりです。
でもやっぱり敗戦の責任はとるべきだろう?
指導者が厳しく責任を問われるというのは良い事では?
なるほどね。
確かに指揮官には敗戦の責任があります。
でもその指揮官を選んだの誰?
その指揮官の任命責任者は責任を取るのかい?
古代ギリシャでも、また共和制時代のローマでも、戦争指揮官は市民が民会で選びました。
市民が皆で広場に集まって、そこで候補者達が演説をして、それを聞いた後に多数決で指揮官を選んだのです。
だから任命責任者は市民自身なのです。
ローマ人はこの自分達の任命責任を自覚し、重く受け止める人達でした。
だからヴァロを指揮官にして同胞を大量に戦死させた責任を、ヴァロ一人に問わなかったのです。
そのような人々だから、ファビウスを解任した過ちも認めて、彼を再任させることができたのです。
一方ギリシャ人は指揮官の責任は非常に厳しく問いましたが、そういう指揮官を選んだ自分達の責任を顧みる事はありませんでした。
だから戦争に負けたら、戦況が悪化すれば、それは常に指揮官の責任なのです。 だから簡単にそいつを処刑して、次を選ぶのです。
当然ですが、こんなことを続けていれば、戦争が続けば指揮官になる人材は減るばかりです。
そしてファビウスのような作戦は最初からとる事ができません。
しかし最大の問題はこのように敗因をすべて指揮官一人に押し付けてしまえば、自分達の抱える本当の問題について反省し、それを改める事が出来ない事です。
ギリシャ人とローマ人の違いは他にもいろいろとあるのですが、ともかく国家や社会への責任感、誠意、愛国心と言った問題では、ローマ人圧勝なのです。
ワタシは塩野七生さんの「ローマ人の物語」を最初から最後まで楽しんで読んだけれど、その中で常に驚嘆するのは、今から二千年も前なのに、古代の話なのに、常に極めて明確な国家意識とその国家への強い責任感を持つ人たちが出てくることです。
それはユリウス・カエサルとかハドリアヌス帝のような歴史的名君や英雄に限りません。
いや、こうした天才や卓抜した指導者だけを比べれば、ギリシャだって負けないのです。
しかしローマ人について驚嘆するのは、英雄でも天才でもないむしろ才能にも知性にも恵まれない至って凡庸な人々でも、国家への責任感や誠意では、こうした英雄や天才に負けない事です。
例えばワタシが同病相哀れむクラウディウス帝などその典型でしょう。
ハンニバルが侵攻してイタリア半島内で暴れまわっても、最後までローマの同盟国や属領が離反しなかったのは、実はローマ人のこうした誠実さ故なのです。
これに比べるとギリシャ人はホントにダメです。
学問や芸術ではローマ人が足元に及ばない程の才能を見せるし、知性や創造力でも圧倒しているのに、イザとなるとただもう自分が可愛い。
だから常に自分が第一でどのポリスでもポリス内での権力闘争が絶えません。
そして権力闘争に負けてポリスから追放される、或いは逃亡すると、皆必ずと言ってよいほど敵国に亡命し、そして自分自身の復讐の為に敵の力を借りるのです。
ローマ人だって権力闘争はしないわけじゃないし、時に内戦になったけれど、それでも絶対に敵国をその内戦に引き込むようなことはしないし、またローマ人はそういう事をする人間は絶対に許しません。
こうしたことを一つ一つ比べるときりがないのですが、しかし国家を作り守る事に関わる特性は、どれ一つとってもローマ人が圧勝と言わざるを得ないのです。
だからギリシャの諸都市が全てローマの軍門に下ったのも当然だと思います。
しかしなんでこうなのか?
勿論これにはいろいろな説があります。
でもワタシはこれはローマ人が農民で、ギリシャ人は商人だからだと思っています。
近代以前の共和制国家は、実は皆商業国家です。
裕福な商人たちが自分達の富を、封建領主に奪われない為に、国を作り自分達で自治をするのです。
ところがローマだけは例外で、農業国だったのです。 そして市民の多くは小規模自作農でした。
だからローマ人のやる事なすこと、なにやら野暮臭い百姓丸出しみたいなところがあるのですが、しかし現実に即して誠実に生きるとそういう事になるのではないかと思います。