自称リベラリスト達は福田氏をリンチしたいのです。
福田氏が善人であるか悪人であるか?
福田氏が助平であるか、否か?
それはワタシにはわかりません。
しかし麻生財務相の言うように「福田にも人権がある」のです。
例えばセクハラについてこのようにツィートしている人がいました。
なるほど、それなら殺人や強姦や窃盗と同様に容疑者を処罰する前には、厳密な事実確認が必要です。
そして事実確認が終わるまでは推定無罪の原則が適応されるべきです。
これは容疑者の人権守る為には絶対必要な事です。
ところが自称人権派は福田氏をリンチにかけたくて堪らないので、事実確認をさせまいとしているのです。
これがマトモな人間でしょうか?
こんな連中をリベラリストとか人権派とか呼べるのでしょうか?
それにしてもリンチが好きな人間多いですね。
ワタシが今回の福田氏リンチで思い出したのが、2009年に起きた京都教育大学集団強姦事件です。
これは2009年4月、週刊文春が報道で始まりました。
京都教育大学の男子学生6人が、コンパの最中に会場の居酒屋の一室で、女子学生一人を集団強姦したというのです。
実はこれは2011年に、自称被害者の女性の狂言であったことが確定しています。
しかしこの文春の「集団強姦」報道はですぐに大変な騒ぎになりました。
そしてそれに便乗した新聞テレビでも、犯人とされた学生6人全員の実名と顔写真が報道されました。
ワタシは実はこの時、どうもこの事件はオカシイのではないかと思いました。 しかし何よりも違和感を持ったのは、この事件の報道の仕方と、それに対する人々の反応でした。
実はこの事件が報道された時点では学生達は逮捕もされてなかったのです。 つまり厳密に言えば容疑者でさへないのです。 ところが全員実名で報道されたうえ写真までさらされたのです。
すると驚いた事に多くの人々が、直ぐに彼等を強姦犯と決めつけて、彼等を退学処分にしない学長事で大学に抗議が殺到するなどの騒ぎになりました。
常識を働かせれば大学が学生を退学させないのは当然だとすぐにわかるはずです。 なぜなら週刊誌報道が出た段階では、学生達は逮捕もされておらず、したがって容疑者でさへないのです。
それを退学させるなんてできるはずもないのです。
しかし群衆の脳内からはこうした常識は飛んでいました。
彼等は大学側が彼等を退学させない事に憤激したのです。
ワタシはこの事件への疑念をブログに書いたのですが、すると自称人権派の方がコメントで「女性の人権が侵されたのに云々」と書いてきました。
だからあ、女性の人権が侵されたというのは、彼等の有罪が確定したらの話でしょう?
今の段階では彼等が犯人であるかどうかも、性交渉があったかどうかも、わからないんだよ!!
もし冤罪だったらこの学生達が人権を侵害されていることになるんだよ、わかる?
しかし全然わからないようでした。
実はワタシはこの事件への疑問を、2ちゃんにも書いたのですが、そうすると2ちゃんでも袋叩きに遭いました。
そしてなんと2ちゃんにワタシを非難する版ができていたのです。
すごいね。 ワタシはこのころブログを始めてまだ一年目だったのですが、お陰でエライアクセスが増えたようです。
しかし実はこの事件に疑念を持っていたのはワタシだけではありませんでした。 犯人とされた学生の友人達、特に当日同じコンパに出ていた学生の多くが、容疑者の無実を信じていたのです。
彼等は当日の自称被害者と容疑者達の様子から、集団強姦などあるはずがないと信じていたのです。
ワタシはそうした学生の一人からも「容疑者とされた友人を助けたい」と言うコメントをもらいました。
彼等は他でも広くネット上で友人の無実を訴えていました。
すると今度は彼等が「被害者の人権を侵害する」として懲罰の対象にされました。
イヤ、判決がでるまでは容疑者は推定無罪だから、被害者も被害者と決まったわけではないはずです。
それなのに何で容疑者の擁護をする側だけが、こうした懲罰の対象になるのでしょうか?
そもそもこの事件で容疑者達を非難している連中は、容疑者も自称被害者も、全く知らないのです。
まして事件当日のコンパに同席していたわけでもありません。
だったら容疑者と自称被害者の双方を知る人たち、まして当日現場で同じコンパに出ていた人達の意見には謙虚に耳を傾けるべきではありませんか?
ところが激高した人達は、謙虚に考え直すどころか、こうした学生達を黙らせようと躍起になったのです。
これを見ていると彼等はただ「集団強姦」という言葉に反応してまって、これが事実か否かを考えるという意思を完全に失っているようでした。
そして週刊誌報道などいい加減な物で、過去何度も捏造報道や誤報で報道被害を出している事など全く思い浮かばないようでした。
心理学によると、人間は感情に衝撃を受けると分析的に考える事ができなくなるのだそうです。
なるほどこの事件での群衆の反応がまさにそれでした。
彼等はただ「集団強姦」という言葉に衝撃を受けて、この事件に関する不自然さなのには一切思い至らなくなっていたのです。 そして感情のままに暴走する群衆に恐れをなした人々は、容疑者を庇おうとする学生達を処罰したのです。
最終的にこの事件は容疑者全員が無罪になりました。 そしてその後の民事訴訟で、この事件は自称被害者の狂言だったことが確定したのです。
しかし今検索してみても、今もこの容疑者達を非難するブログが結構残っています。
そして容疑者が無罪になったことを絶対に許せない人達がまだ結構いるようなのです。
彼等はそもそもこの事件について、あの文春誌記事以外のことは一切知らないのです。 しかしそこで思考が停止して、それを疑うという事を全くできなくなっているのです。
だから今もなおあの学生達をリンチにかけたいと思っているのです。
こういうのを見るとホントに世の中にはリンチ大好きな人が、ホントに沢山いるのだと思います。
そして今回の福田事務次官のセクハラ騒動もこの同類ではないかと思うのです。
福田事務次官を非難している連中は、そもそも福田次官がセクハラをしたかどうかとの事実認定には最初から全く興味がないのです。
セクハラという言葉に反応しているだけなのです。
セクハラという言葉が週刊新潮で報道されただけで、そのセクハラがどういう物だったのか、またそもそもそれは事実なのかという事には、一切関心がなくなっているのです。
だから「福田を吊るせ!」という話になっているのです。
しかもそれを大学教授や弁護士がやっているのです。
そして呆れた事に本人達は自分は人権派、女性の人権を守る高潔の̪士だと信じているのです。
そこで彼等はそろってこの福田氏を擁護する人々に対して「これではセクハラはなくならない」「日本は人権後進国だ」などと言う非難を浴びせています。
イヤ、今後のセクハラ防止とか、日本の人権状況とかと、福田氏のセクハラが事実が同課は別問題だから。
福田氏をセクハラで処分するなら、まずその前にセクハラがあったかどうかについて正確な事実確認をするべきだから。
それをしないで福田氏を処分するってリンチだから。
しかし高学歴人権派の人々は、冤罪防止のための最低限の原則に思い至らないようです。(中学公民で習うレベルなのに)
彼等はもうなんとしても福田氏と麻生さんを吊るしたくてならないのです。
こういうのを見るとしみじみ民主主義を守るのって難しいと思います。
短絡的に感情に燃え上がるのは、知性にも教養にも関係なく、何か加減で火が付けばルサンチマンと共に燃え上がるのでしょう。
だからこそこんな事で福田氏を暴徒の手にゆだね、リンチにかけさせてはならないのです。