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2018-02-24 19:52

先住民の文化を守れ?

 随分昔ですが、少女時代をアイヌ伝統の狩猟採集の生活をしていた女性の回想録を読んだ事があります。
 
 戦後暫くは、狩猟採取の生活をしていた経験のあるアイヌ人がまだ生きていたのです。

 その本を読んで一番驚いたのは、事故死の話が再々出てくる事です。 著者の女性が狩猟採取の生活をしていたのは、20代になる前です。

 それで彼女が物心ついてから20前までぐらいの間の話を描いているわけですが、その間に5~6回も事故死の話が出てきます。

 アイヌは元来数十人規模の小集団で、獲物を求めて移動すると言う生活をしていました。

 その数十人の中から10年強の間に5~6回も死亡事故が起きてしまうのです。

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 狩猟採取の生活って非常に危険なのです。

 でもそれも当然で、まず男性の場合、主な仕事が狩猟です。 
 アイヌの男性は一人で羆を追って、何日も山を歩き続け、最後に羆を追い詰めて殺します。

 本土の猟師、所謂マタギでも数名のチームを作ってツキノワグマ追うのに、アイヌの猟師は単身でそれより遥かに巨大で凶暴な羆を追うのです。

 500キロを超えるような羆をたった一人で仕留めるのですから、まるで神話の英雄のような話です。

 しかし現実の世界では猟師が勝つとは限りません。 また一人で山の中を歩く間に事故でも遭えばそれで終わりです。

 だから彼女の回想に出てきた男性親族の数名は、猟に行ったきり消息不明です。

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 一方女性や子供は集落の近くで、山菜類や魚などを取るのですが、川で溺れるなどの事故が再々起きるのです。

 元来自然の中で生きる人達なので、勿論、無謀なわけでも無知なわけもありません。
 しかし食べ物を得る為には、一定の危険を覚悟で狩猟採取をしなければならないのです。

 今でも道内では毎年山菜取りやキノコ採りで死ぬ人います。 

 今は山菜取りもキノコ採りの特定のシーズンに天候の良い日にしかいきません。
 そして帰りが遅くなれば、道警や自衛隊を動員して大捜索をします。

 でもアイヌの集落なら動員できるのは集落の中の成人、十数人でしょう。 しかし食糧集めは年中やらなくてはなりません。
 
 必然的に事故が起きる確率は高く、事故が起きた場合の救援は難しいのです。

 この人の回想録を読んだ時は、狩猟採取の生活は美しくロマチックだけれど、非常に過酷で危険だと痛感しました。

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 昨日アイヌ語とアイヌ文化を残す話しに着いてエントリーをしたので、この本を思い出したのです。

 しかしアイヌに限らず先住民と言われる人達の生活と言うのは皆自然の中の美しく感動的な生活ではありますが、しかしまた非常に過酷で危険なのです。

 そしてまた、嘗て雑誌アニマに竹田津実氏が書いていた記事を思い出しました。

 竹田津氏はここでソ連政府が先住民族の文化を破壊していると書いていました。 
 この記事が出た当時はソ連が存在していたのです。

 で、どうやって破壊しているかと言うと、ソ連政府はシベリア原住民の子供達にも学校教育を受けさせていたのです。

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 シベリア先住民の中には、トナカイ遊牧民がいます。

 彼等は2~3家族10人足らずで、数百頭のトナカイを追ってツンドラを移動する生活をするのです。

 トナカイはツンドラに生えるコケを食べるのですが、そのコケは精々2センチ程度にしか育ちません。 トナカイは普通そのコケの上部1~1.5センチの所までを食べるのです。 
 そこまでならコケは翌年には元通りに育つのです。

 しかしもしそれより下の部分まで食べてしまうと、その後そのコケが元通りになるのは何年後になる解りません。

 だからトナカイ遊牧民はトナカイがコケの上部だけを食べた所で、群れを移動させなければならないのです。 そうしないと放牧地を喪って行くことになりますから。

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 ところがこの移動距離が毎日70キロにもなるのです。

 しかもトナカイは一日だってコケを食べるのを止めませんから、遊牧民も一日も移動を止めるわけには行かないのです。

 因みに自動車の無かった時代の軍隊は、歩兵で一日20~30キロ、騎兵で40~60キロです。

 しかしトナカイ遊牧民はトナカイの引く橇と徒歩だけで、毎日70キロ移動するのです。 子供も老人も妊婦も揃って70キロ移動するのです。

 トナカイ遊牧民は生まれた時からそうやって移動しながら育ちました。 そして放牧地の状況を見ながらトナカイを移動させる技術を身に着けていくのです。

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 ところがソ連政府はその遊牧民の子供達を学校に行かせてしまったのです。

 勿論学校がトナカイの群れに着いて行くことはできません。

 だからこうした先住民の子供達の為の寄宿学校を作り、軍のヘリで子供達を連れてくるのです。 そして夏休みなど纏まった休みになると子供達をヘリで親許に返してやり、休みが終わるとまたヘリで子供達を迎えに行き、学校に送るのです。

 このような学校ではモスクワなど都市の学校と全く同じ教育を受けさせます。
 子供が望めばそのまま高校に進み、大学にも行けます。

 中国などに比べると驚くほどマトモに共産主義をやっていたのです。

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 しかしこれでトナカイ遊牧民として生きていく事を学べるのでしょうか?
 
 モスクワと同じ教育を受けて育った人が、毎日70キロツンドラを移動すると言う生活に耐えられるのでしょうか?

 このままでは遠からずトナカイ遊牧民の文化は崩壊するだろう。

 ソ連でこのトナカイ遊牧民の生活と、子供達の修学状況を見た竹田津氏はそれを危惧していたのです。

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 なるほどその通りです。

 ワタシだったら学校を卒業したら親の後を継いでトナカイ遊牧民にならず、都市で働く事を望むでしょう。

 竹田津氏によらず、こうした先住民文化を研究するような人々は、こうした生活が非常に好きで熱烈な憧れを持っているし、また自身も非常に身体強健で、この手の生活に全く苦にしない人々です。

 そしてそういう人でないと、この手の研究はできないのです。

 だからこの種の先住民に関する本を読むと、皆手放しでその文化を礼賛しています。

 そして「先住民の文化を守るべきだ」と言うのです。

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 実ワタシもこういう生活に強いあこがれを持っていました。 だからこの手の本を沢山読んだのです。

 しかし大学時代から体調の不調が続いてたワタシとしては、直ぐに心配になったのです。

 病人や障碍者はどうしたら良いのだろうか?
 また十分健康で体力があったとしても、他に才能があればそれを伸ばしたいと思う人達だっているだろうに・・・・・。

 オマエはシベリア先住民に生まれたのだから、一生トナカイを追って暮らせ。

 誰にそんなことを言う権利があるのでしょうか?

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 国連とか自称人権活動家とかは、実に安直に「先住民の文化を守れ!!」と言います。

 だったら国連に聞くけど、国連はシベリア原住民やアイヌ人には職業選択の自由を認めない気ですか?

 だってあの生活の危険さと過酷さを考えたら、敢えてあんな仕事を選ぶ人なんか殆どいないのは自明でしょう?

 アイヌ協会にも聞くけど、アイヌ文化を守りたいなら、何で大学進学率が低い事を問題にするのですか?
 アイヌ文化には大学どころか文字もないのでしょう?

 文字もない生活を子供達に継承させたいんですか?

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 文化と言うのは部分だけ切り取って守れる物じゃないのです。
 生活の全てに関わって文化があるのです。

 だから先住民の文化を守ると言うのは、先住民に先祖伝来の生活を強いると言う事なのです。

 先住民の文化って、例えば歌舞伎とか茶道とか相撲のように数百年前から商業化されて専門家が職業として守る文化ではないのです。

 先住民の生き方そのモノが文化なのです。

 それを考えたら、現代社会にあってそれからかけ離れた先住民の文化を守るのがどれほど大変な事か解るはずです。

 それを安直に「先住民の文化を守れ」と叫ぶ人を、ワタシは如何わしく胡散臭いとしか思えないのです。

  1. 古本
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コメント

アイヌは先住者か?

東北でも北海道でも温暖期には縄文人が住んでいたはず。
温暖期にはあちらもこちらも海だらけだから、
縄文人は航海を得意としていた。実際、黒潮を乗り越えて
石器の材料である黒曜石を取りに行っているし、大陸との
黒曜石の流通経路には朝鮮半島経由と北海道経由の
二つのルートが確立していたくらいである。
だから、縄文人は当然北海道にも住んでいたはずだ。
そして、北海道には古くはオホーツク民族も住んでいた
とされる。アイヌが北海道に侵入してくるのはその後。
アイヌが先住民族であるという事には限りなく大きな
疑問符が付く。

そもそも、氷河期に日本に渡ってきた日本人の祖先は
樺太を通って、ベーリング海を渡って、南北アメリカ大陸
にまで広がっている。アメリカインディアンや南米の
インディオが日本人とよく似た顔をしていたのは
そのため。とすれば、氷河期の頃から日本人の祖先は
北海道にいたはずであるとも言える。

アイヌはシベリアの東海岸から北海道に侵入してきた
者たちの末裔であって、決して北海道の先住権を
主張できる者達ではないと思う。
  1. 2018-02-25 00:19
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  3. ちび・むぎ・みみ・はな #-
  4. 編集

Re: アイヌは先住者か?

> 東北でも北海道でも温暖期には縄文人が住んでいたはず。
> 温暖期にはあちらもこちらも海だらけだから、
> 縄文人は航海を得意としていた。実際、黒潮を乗り越えて
> 石器の材料である黒曜石を取りに行っているし、大陸との
> 黒曜石の流通経路には朝鮮半島経由と北海道経由の
> 二つのルートが確立していたくらいである。
> だから、縄文人は当然北海道にも住んでいたはずだ。
> そして、北海道には古くはオホーツク民族も住んでいた
> とされる。アイヌが北海道に侵入してくるのはその後。
> アイヌが先住民族であるという事には限りなく大きな
> 疑問符が付く。
>
> そもそも、氷河期に日本に渡ってきた日本人の祖先は
> 樺太を通って、ベーリング海を渡って、南北アメリカ大陸
> にまで広がっている。アメリカインディアンや南米の
> インディオが日本人とよく似た顔をしていたのは
> そのため。とすれば、氷河期の頃から日本人の祖先は
> 北海道にいたはずであるとも言える。
>
> アイヌはシベリアの東海岸から北海道に侵入してきた
> 者たちの末裔であって、決して北海道の先住権を
> 主張できる者達ではないと思う。

 と言うか戦国時代頃にはアイヌはまだ東北地方にもいたのです。 だからアイヌ人は実は縄文人だった可能性も高いです。
  1. 2018-02-25 12:34
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  3. よもぎねこ #-
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アイヌとは誰か?

 アイヌとは何か。正確な定義は難しくとも、その共通認識がない限り不毛な論争に終始することになるでしょうね。

 私は歴史や考古学が好きで、子供の頃からウォッチしてきましたが、戦後の北海道考古学の進展は目覚ましく、様々な業績を上げてきました。
 アイヌに関してもそうで、アイヌ文化の成立は意外に新しく13世紀(鎌倉時代後半)頃であることが明らかにされていますし、北海道の内陸部には、奈良時代の頃すでに、大和朝廷から官職を貰っていた豪族の遺物等も発見されています。
 ただ、こうした考古学的発見が、なかなかある種の歴史観に発展していかないというもどかしさを感じます。例えば、時期的に考えて、アイヌ文化の成立と、鎌倉幕府による奥州征伐・奥州藤原氏の滅亡に帰因する人口の流動化との関連性とか、(私が知らないだけかもしれませんが)仮説くらいあっても良いと思うのです。ただ、そう考えると、アイヌ先住民説の神話が崩壊するかもしれませんが。

 また、江戸時代までのアイヌを知るには、中途半端な研究書をを読むより、司馬遼太郎の歴史小説「菜の花の沖」や、北海道に関する「街道をゆく」シリーズの方が遥かに理解しやすいですし、アイヌに対する差別がステレオタイプ化された先住民に対する差別ではなかったことも分かります。

 記憶を頼りにザッと纏めると次のようになるでしょうか。

 江戸時代までの身分制(最近はさほど強固なものではなかったことが指摘されています)士農工商では、武士が約7%・職人と商人がそれぞれ6.数%で、残りの80%が百姓とされていましたが、この百姓(農民)には明らかに階層がありました。日本では、室町時代の頃から、農民は水田を所有してはじめて一人前(さらに所有規模による階層もある)、畑のみを所有する農民はその下、農地を所有しない小作人はさらにその下、そして、その下に漁労や狩猟・採取のみを行なう層が位置づけられていました。本州では、漁村であっても背後の山の斜面に棚田が作られていたり、マタギを本業としつつも畑作も行なっていたのはなぜかが分かります。

 江戸時代に北海道南部や東部その他で漁業を行なっていたのは、アイヌの人々でした。北前船や東北の北東部の漁民との接触もあり、稲作は無理でも畑作を望んでいました。ところが、当時の松前藩は、本州からの野菜や穀物の種子の持込みを、厳しく制限していたのです。松前藩の立場では、生産性の低い畑作を行なうより、鰯・鯡・昆布漁に専念してもらった方が収入が大きいですから、分からなくはありませんが、これがアイヌへの差別と対立の一因になっていました。

 後に、アイヌの反乱(一揆)が起き、幕府は松前藩から領地を没収し、蝦夷地を直轄地にします。ロシアの南下に伴う北方防備の必要もあり、(とくに内陸部の)アイヌの畑作による定住化など様々な施策を行なうもののうまくいかず、幕末ギリギリの段階で松前藩に返却されています。結局、北海道が豊かな大地に変化するには、明治以降の近代化を待たなければならなかったということでしょう。

 私は、アイヌの人々というのは、確固たるアイヌ民族が存在するわけではなく、アイヌ系諸部族の総称で、その多くが本州にルーツを持つ人々(ないしその混血)ではないかと考えています。確かに、最近北海道で盛んに発掘されている縄文遺跡との関連性も無視できませんが、一気に縄文時代という超古代と結びつける前に、各時代の実相を丹念に調べ、多角的な歴史観(仮説)を持つことが重要ではないかと思っています。
  1. 2018-02-25 19:28
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  3. 久しぶりの読者 #-
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なんだかなぁ。

 ネットで「アイヌ考古学の歩みとこれから」というpdf文書を見つけました。
 そこに書かれていたことが、計らずも(左翼系の)アイヌ研究の現実を示していると思えたので、引用します。

『…今日、「修正主義者」の見地に立つ考古学者は、純粋かつ不変的なアイヌ社会など虚構にすぎないと考え、むしろその変化、混淆、複雑性を強調するなか、新たなアイヌ史を語るようになった。その結果、考古学者が語るアイヌ史・アイヌ像と、長年アイヌ自身が語り継いできたそれとには、無視できない齟齬も生じてい る。わけてもウタリ協会会員が好んで語ってこられたようにおもえる「原始性」、エコロジカルな暮らし方、和人との対立構造などについて、既に考古学者の多くは無条件に容認しがたく感じているのが実情だろう。
 もとより歴史の「構築性」、「多声性」をただ説いていられる立場なら、そうした齟齬を解消・縮減する必要性など、さほど感じなくてすむかもしれない。しかしながら、アイヌの方々が暮らす場所に長期滞在するなか、発掘調査をはじめとするフィールドワークを実施し、ときに遺跡の保全にも関わる考古学者にとって、この問題を放置することは、自らの調査・研究や社会活動に支障を来すことにもつながりかねない。歴史観・文化観の齟齬が大きくなれば、アイヌには必然的に、考古学者が発掘する遺跡やその成果をもとに紡がれる 歴史は「一体誰のためのものか」という疑問が膨らむこととなろう。さらにそれが高ずれば、調査・研究活動に対する理解と協力が得られなくなり、遺跡の保全すらままならぬ事態に陥ることも想像に難くない。
 いみじくも瀬川拓郎も説くように、新たな視点で歴史が語られるなかときに忘れがちにみえるのは、私たちの前にアイヌとして生きようとし、また生きてゆかなければならない人々が存在するという現実だ。今なおいわれ無き差別と偏見のなかにも置かれている彼ら。彼らはなぜ私たちではないのか。彼らの歴史はなぜ私たちの歴史と違うのか。そのことを共に考えるために、和人である考古学者はこれまで以 上にアイヌとの対話を重ねる必要があるだろうし、発掘調査などのフィールドワークも努めてその機会とすべきであろう。…』

 こうなると、アイヌの歴史はイデオロギー、その研究は社会運動とどう違うのか分からなくなってきます。
  1. 2018-02-25 19:32
  2. URL
  3. 久しぶりの読者 #-
  4. 編集

Re: アイヌとは誰か?

>  アイヌとは何か。正確な定義は難しくとも、その共通認識がない限り不毛な論争に終始することになるでしょうね。
>
>  私は歴史や考古学が好きで、子供の頃からウォッチしてきましたが、戦後の北海道考古学の進展は目覚ましく、様々な業績を上げてきました。
>  アイヌに関してもそうで、アイヌ文化の成立は意外に新しく13世紀(鎌倉時代後半)頃であることが明らかにされていますし、北海道の内陸部には、奈良時代の頃すでに、大和朝廷から官職を貰っていた豪族の遺物等も発見されています。
>  ただ、こうした考古学的発見が、なかなかある種の歴史観に発展していかないというもどかしさを感じます。例えば、時期的に考えて、アイヌ文化の成立と、鎌倉幕府による奥州征伐・奥州藤原氏の滅亡に帰因する人口の流動化との関連性とか、(私が知らないだけかもしれませんが)仮説くらいあっても良いと思うのです。ただ、そう考えると、アイヌ先住民説の神話が崩壊するかもしれませんが。
>
>  また、江戸時代までのアイヌを知るには、中途半端な研究書をを読むより、司馬遼太郎の歴史小説「菜の花の沖」や、北海道に関する「街道をゆく」シリーズの方が遥かに理解しやすいですし、アイヌに対する差別がステレオタイプ化された先住民に対する差別ではなかったことも分かります。
>
>  記憶を頼りにザッと纏めると次のようになるでしょうか。
>
>  江戸時代までの身分制(最近はさほど強固なものではなかったことが指摘されています)士農工商では、武士が約7%・職人と商人がそれぞれ6.数%で、残りの80%が百姓とされていましたが、この百姓(農民)には明らかに階層がありました。日本では、室町時代の頃から、農民は水田を所有してはじめて一人前(さらに所有規模による階層もある)、畑のみを所有する農民はその下、農地を所有しない小作人はさらにその下、そして、その下に漁労や狩猟・採取のみを行なう層が位置づけられていました。本州では、漁村であっても背後の山の斜面に棚田が作られていたり、マタギを本業としつつも畑作も行なっていたのはなぜかが分かります。
>
>  江戸時代に北海道南部や東部その他で漁業を行なっていたのは、アイヌの人々でした。北前船や東北の北東部の漁民との接触もあり、稲作は無理でも畑作を望んでいました。ところが、当時の松前藩は、本州からの野菜や穀物の種子の持込みを、厳しく制限していたのです。松前藩の立場では、生産性の低い畑作を行なうより、鰯・鯡・昆布漁に専念してもらった方が収入が大きいですから、分からなくはありませんが、これがアイヌへの差別と対立の一因になっていました。
>
>  後に、アイヌの反乱(一揆)が起き、幕府は松前藩から領地を没収し、蝦夷地を直轄地にします。ロシアの南下に伴う北方防備の必要もあり、(とくに内陸部の)アイヌの畑作による定住化など様々な施策を行なうもののうまくいかず、幕末ギリギリの段階で松前藩に返却されています。結局、北海道が豊かな大地に変化するには、明治以降の近代化を待たなければならなかったということでしょう。
>
>  私は、アイヌの人々というのは、確固たるアイヌ民族が存在するわけではなく、アイヌ系諸部族の総称で、その多くが本州にルーツを持つ人々(ないしその混血)ではないかと考えています。確かに、最近北海道で盛んに発掘されている縄文遺跡との関連性も無視できませんが、一気に縄文時代という超古代と結びつける前に、各時代の実相を丹念に調べ、多角的な歴史観(仮説)を持つことが重要ではないかと思っています。

 文字を持たない民族の確定は実は非常に面倒なのです。

 アイヌだけでなく世界中そうです。
  1. 2018-02-26 19:42
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: なんだかなぁ。

>  ネットで「アイヌ考古学の歩みとこれから」というpdf文書を見つけました。
>  そこに書かれていたことが、計らずも(左翼系の)アイヌ研究の現実を示していると思えたので、引用します。
>
> 『…今日、「修正主義者」の見地に立つ考古学者は、純粋かつ不変的なアイヌ社会など虚構にすぎないと考え、むしろその変化、混淆、複雑性を強調するなか、新たなアイヌ史を語るようになった。その結果、考古学者が語るアイヌ史・アイヌ像と、長年アイヌ自身が語り継いできたそれとには、無視できない齟齬も生じてい る。わけてもウタリ協会会員が好んで語ってこられたようにおもえる「原始性」、エコロジカルな暮らし方、和人との対立構造などについて、既に考古学者の多くは無条件に容認しがたく感じているのが実情だろう。
>  もとより歴史の「構築性」、「多声性」をただ説いていられる立場なら、そうした齟齬を解消・縮減する必要性など、さほど感じなくてすむかもしれない。しかしながら、アイヌの方々が暮らす場所に長期滞在するなか、発掘調査をはじめとするフィールドワークを実施し、ときに遺跡の保全にも関わる考古学者にとって、この問題を放置することは、自らの調査・研究や社会活動に支障を来すことにもつながりかねない。歴史観・文化観の齟齬が大きくなれば、アイヌには必然的に、考古学者が発掘する遺跡やその成果をもとに紡がれる 歴史は「一体誰のためのものか」という疑問が膨らむこととなろう。さらにそれが高ずれば、調査・研究活動に対する理解と協力が得られなくなり、遺跡の保全すらままならぬ事態に陥ることも想像に難くない。
>  いみじくも瀬川拓郎も説くように、新たな視点で歴史が語られるなかときに忘れがちにみえるのは、私たちの前にアイヌとして生きようとし、また生きてゆかなければならない人々が存在するという現実だ。今なおいわれ無き差別と偏見のなかにも置かれている彼ら。彼らはなぜ私たちではないのか。彼らの歴史はなぜ私たちの歴史と違うのか。そのことを共に考えるために、和人である考古学者はこれまで以 上にアイヌとの対話を重ねる必要があるだろうし、発掘調査などのフィールドワークも努めてその機会とすべきであろう。…』
>
>  こうなると、アイヌの歴史はイデオロギー、その研究は社会運動とどう違うのか分からなくなってきます。

 歴史学にはこの手のイデオロギーがつきものです。
 
 日本人が古代オリエント史や古代ローマ史を研究しても、やはりイデオロギーが着いてくるのです。

  1. 2018-02-26 19:44
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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人間か境界なしに暮らしていたらどうしても衝突が起きて多い方や強い方への同化が起こってしまって、これまで失われた文化や人種は数え切れないと思います。それは悪い事で悲しい事で、文化は絶対守らなければいけない、その責任は強者にある、という考え方だけが正しいという風潮ですが、果たして弱者側は本当に完璧に文化を温存したいものかな?

少数民族に同化を促すことをやめて保護だけしたとしても、自由に交流してたら便利な方へ流れるのが人間ですよね。自ら勝手に同化して行くと思います。温存に適した環境の日本人でも着物を着て生活する人はもう少ないですもの。

オーストラリアでのアボリジニ弾圧を書いた文章で「親から引き離して学校に入れた!」ということまで悪事として糾弾されてたのは、当時若くてお花畑だったわたしにも引っかかりました。左翼の人はアボリジニが学校に行かない方がいいわけ?親から引き離すのは可哀想だけど、おそらく親と一緒だったら学校に来ないからでしょう。。なんとかしたかった白人の苦悩が伺えますよ。
  1. 2018-02-27 10:06
  2. URL
  3. こきち #97nXsu5.
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 人間か境界なしに暮らしていたらどうしても衝突が起きて多い方や強い方への同化が起こってしまって、これまで失われた文化や人種は数え切れないと思います。それは悪い事で悲しい事で、文化は絶対守らなければいけない、その責任は強者にある、という考え方だけが正しいという風潮ですが、果たして弱者側は本当に完璧に文化を温存したいものかな?
>
> 少数民族に同化を促すことをやめて保護だけしたとしても、自由に交流してたら便利な方へ流れるのが人間ですよね。自ら勝手に同化して行くと思います。温存に適した環境の日本人でも着物を着て生活する人はもう少ないですもの。
>
> オーストラリアでのアボリジニ弾圧を書いた文章で「親から引き離して学校に入れた!」ということまで悪事として糾弾されてたのは、当時若くてお花畑だったわたしにも引っかかりました。左翼の人はアボリジニが学校に行かない方がいいわけ?親から引き離すのは可哀想だけど、おそらく親と一緒だったら学校に来ないからでしょう。。なんとかしたかった白人の苦悩が伺えますよ。

 もし少数民族の文化保護を徹底するなら、彼等を保護区にでも囲い込んで、教育も医療も受けさせず野生動物みたいに保護しなければならない事になります。

 これはマトモなのでしょうか?
  1. 2018-02-27 19:31
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

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