随分昔ですが、少女時代をアイヌ伝統の狩猟採集の生活をしていた女性の回想録を読んだ事があります。
戦後暫くは、狩猟採取の生活をしていた経験のあるアイヌ人がまだ生きていたのです。
その本を読んで一番驚いたのは、事故死の話が再々出てくる事です。 著者の女性が狩猟採取の生活をしていたのは、20代になる前です。
それで彼女が物心ついてから20前までぐらいの間の話を描いているわけですが、その間に5~6回も事故死の話が出てきます。
アイヌは元来数十人規模の小集団で、獲物を求めて移動すると言う生活をしていました。
その数十人の中から10年強の間に5~6回も死亡事故が起きてしまうのです。
狩猟採取の生活って非常に危険なのです。
でもそれも当然で、まず男性の場合、主な仕事が狩猟です。
アイヌの男性は一人で羆を追って、何日も山を歩き続け、最後に羆を追い詰めて殺します。
本土の猟師、所謂マタギでも数名のチームを作ってツキノワグマ追うのに、アイヌの猟師は単身でそれより遥かに巨大で凶暴な羆を追うのです。
500キロを超えるような羆をたった一人で仕留めるのですから、まるで神話の英雄のような話です。
しかし現実の世界では猟師が勝つとは限りません。 また一人で山の中を歩く間に事故でも遭えばそれで終わりです。
だから彼女の回想に出てきた男性親族の数名は、猟に行ったきり消息不明です。
一方女性や子供は集落の近くで、山菜類や魚などを取るのですが、川で溺れるなどの事故が再々起きるのです。
元来自然の中で生きる人達なので、勿論、無謀なわけでも無知なわけもありません。
しかし食べ物を得る為には、一定の危険を覚悟で狩猟採取をしなければならないのです。
今でも道内では毎年山菜取りやキノコ採りで死ぬ人います。
今は山菜取りもキノコ採りの特定のシーズンに天候の良い日にしかいきません。
そして帰りが遅くなれば、道警や自衛隊を動員して大捜索をします。
でもアイヌの集落なら動員できるのは集落の中の成人、十数人でしょう。 しかし食糧集めは年中やらなくてはなりません。
必然的に事故が起きる確率は高く、事故が起きた場合の救援は難しいのです。
この人の回想録を読んだ時は、狩猟採取の生活は美しくロマチックだけれど、非常に過酷で危険だと痛感しました。
昨日アイヌ語とアイヌ文化を残す話しに着いてエントリーをしたので、この本を思い出したのです。
しかしアイヌに限らず先住民と言われる人達の生活と言うのは皆自然の中の美しく感動的な生活ではありますが、しかしまた非常に過酷で危険なのです。
そしてまた、嘗て雑誌アニマに竹田津実氏が書いていた記事を思い出しました。
竹田津氏はここでソ連政府が先住民族の文化を破壊していると書いていました。
この記事が出た当時はソ連が存在していたのです。
で、どうやって破壊しているかと言うと、ソ連政府はシベリア原住民の子供達にも学校教育を受けさせていたのです。
シベリア先住民の中には、トナカイ遊牧民がいます。
彼等は2~3家族10人足らずで、数百頭のトナカイを追ってツンドラを移動する生活をするのです。
トナカイはツンドラに生えるコケを食べるのですが、そのコケは精々2センチ程度にしか育ちません。 トナカイは普通そのコケの上部1~1.5センチの所までを食べるのです。
そこまでならコケは翌年には元通りに育つのです。
しかしもしそれより下の部分まで食べてしまうと、その後そのコケが元通りになるのは何年後になる解りません。
だからトナカイ遊牧民はトナカイがコケの上部だけを食べた所で、群れを移動させなければならないのです。 そうしないと放牧地を喪って行くことになりますから。
ところがこの移動距離が毎日70キロにもなるのです。
しかもトナカイは一日だってコケを食べるのを止めませんから、遊牧民も一日も移動を止めるわけには行かないのです。
因みに自動車の無かった時代の軍隊は、歩兵で一日20~30キロ、騎兵で40~60キロです。
しかしトナカイ遊牧民はトナカイの引く橇と徒歩だけで、毎日70キロ移動するのです。 子供も老人も妊婦も揃って70キロ移動するのです。
トナカイ遊牧民は生まれた時からそうやって移動しながら育ちました。 そして放牧地の状況を見ながらトナカイを移動させる技術を身に着けていくのです。
ところがソ連政府はその遊牧民の子供達を学校に行かせてしまったのです。
勿論学校がトナカイの群れに着いて行くことはできません。
だからこうした先住民の子供達の為の寄宿学校を作り、軍のヘリで子供達を連れてくるのです。 そして夏休みなど纏まった休みになると子供達をヘリで親許に返してやり、休みが終わるとまたヘリで子供達を迎えに行き、学校に送るのです。
このような学校ではモスクワなど都市の学校と全く同じ教育を受けさせます。
子供が望めばそのまま高校に進み、大学にも行けます。
中国などに比べると驚くほどマトモに共産主義をやっていたのです。
しかしこれでトナカイ遊牧民として生きていく事を学べるのでしょうか?
モスクワと同じ教育を受けて育った人が、毎日70キロツンドラを移動すると言う生活に耐えられるのでしょうか?
このままでは遠からずトナカイ遊牧民の文化は崩壊するだろう。
ソ連でこのトナカイ遊牧民の生活と、子供達の修学状況を見た竹田津氏はそれを危惧していたのです。
なるほどその通りです。
ワタシだったら学校を卒業したら親の後を継いでトナカイ遊牧民にならず、都市で働く事を望むでしょう。
竹田津氏によらず、こうした先住民文化を研究するような人々は、こうした生活が非常に好きで熱烈な憧れを持っているし、また自身も非常に身体強健で、この手の生活に全く苦にしない人々です。
そしてそういう人でないと、この手の研究はできないのです。
だからこの種の先住民に関する本を読むと、皆手放しでその文化を礼賛しています。
そして「先住民の文化を守るべきだ」と言うのです。
実ワタシもこういう生活に強いあこがれを持っていました。 だからこの手の本を沢山読んだのです。
しかし大学時代から体調の不調が続いてたワタシとしては、直ぐに心配になったのです。
病人や障碍者はどうしたら良いのだろうか?
また十分健康で体力があったとしても、他に才能があればそれを伸ばしたいと思う人達だっているだろうに・・・・・。
オマエはシベリア先住民に生まれたのだから、一生トナカイを追って暮らせ。
誰にそんなことを言う権利があるのでしょうか?
国連とか自称人権活動家とかは、実に安直に「先住民の文化を守れ!!」と言います。
だったら国連に聞くけど、国連はシベリア原住民やアイヌ人には職業選択の自由を認めない気ですか?
だってあの生活の危険さと過酷さを考えたら、敢えてあんな仕事を選ぶ人なんか殆どいないのは自明でしょう?
アイヌ協会にも聞くけど、アイヌ文化を守りたいなら、何で大学進学率が低い事を問題にするのですか?
アイヌ文化には大学どころか文字もないのでしょう?
文字もない生活を子供達に継承させたいんですか?
文化と言うのは部分だけ切り取って守れる物じゃないのです。
生活の全てに関わって文化があるのです。
だから先住民の文化を守ると言うのは、先住民に先祖伝来の生活を強いると言う事なのです。
先住民の文化って、例えば歌舞伎とか茶道とか相撲のように数百年前から商業化されて専門家が職業として守る文化ではないのです。
先住民の生き方そのモノが文化なのです。
それを考えたら、現代社会にあってそれからかけ離れた先住民の文化を守るのがどれほど大変な事か解るはずです。
それを安直に「先住民の文化を守れ」と叫ぶ人を、ワタシは如何わしく胡散臭いとしか思えないのです。