ワタシは塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」で、これが大変興味がありました。
何しろこの男、古代西洋史きっての美男です。 しかもアテネ一の名門で大富豪の生まれで、その上ソクラテスをも魅了した知性の持ち主です。
おお、完全に塩野さんの好みのタイプ!!
しかし一方でペロポネソス戦争でアテネを無条件降伏に追い込んだ主犯とも言える人間です。
そしてそうした彼の言動が、後にソクラテス処刑の遠因になりました。
だから彼に着いての歴史家の評価は概ね非常に否定的です。
それでは塩野さんは?
勿論大甘でした。
だって大の美男好きの女性が、古代史一の美男を厳しく裁けるわけがないでしょう?
それではこのアルキビアデスってホントはどんな奴だったのでしょうか?
この男は悪人なのか、英雄なのか?
この男はさほど長くもない生涯の間に、輝かしい愛国者で英雄と、裏切り者の売国奴の間を、二度往復しました。
だから何と評価した物がわからないのです。
しかしこの男がそういう一生を送るようになったのは、彼個人の人格の問題でもありますが、アテネの民主制の問題によるではないかと思います。
つまり彼はアテネの民主制により英雄になり、またその民主制により国家の敵とされ、また英雄になり、また敵とされると言う事になったのです。
だから彼の生涯を見るとアテネの民主制の問題が浮かび上がります。 そしてそのような制度の下でペロポネソス戦争と言う、国家の運命を賭けた戦争をやってしまった事の問題が理解できると思うのです。
それでワタシ的に見たアルキビアデスの生涯を描いてみたいと思います。
アルキビアデスに着いて残された資料の中で、彼の人格が最も活き活きと描かれているので、プラトンの「饗宴」です。
この饗宴が催されたのは、アテネがペロポネソス戦争に突入して既に10年余、戦線は完全に膠着し、出口が見えなくなり、人々は閉塞感に苦しんいた頃です。
しかし文化都市アテネではこうした状況でも、毎年恒例の演劇祭は開催されていました。
そしてその演劇祭で若い悲劇作家アガトンが優勝したのです。
そこでアガトンは自宅で祝いの饗宴を開き友人達を招待ました。
因みにアガトンは恋人のパウサニアスと同棲中でした。 二人はアテネ切っての美男カップルとして有名でした。
招かれたのはソクラテス、喜劇作家アリストファネス始め当時のアテネの知性と良心を代表する人々です。
この時代のアテネではこうした友人達を招いての小規模な宴会では、飲食と共に決められたテーマに着いての討論を楽しみました。
この饗宴ではホスト二人が同性愛カップルと言う事もあって、討論のテーマを「エロス」つまり愛、男性同性愛にしたのです。
因みにこの時代「愛」と言えば同性愛をさします。 婚姻は子孫を残す為の物で愛は関係ないのです。
ツィッターでゲイの人達を見ていると、なんかもうやたらにあけすけに性欲をストレートに性欲を表現するのでワタシのような淑女は戸惑うのですが、しかしこの饗宴の参加者は元祖プラトニックラブの人々ですから、そういう事はしません。
皆大変格調高く、精神性を中心にエロスについて語るのです。
そして最後の締めがソクラテスの「愛する側に神がある」とあの有名な説話になり、一同感動しました。
こうして饗宴は格調高く終わるはずでした。
ところがそこにアルキビアデスが楽師や遊び女の一群を連れて乱入してきたのです。
アルキビアデスはこの饗宴には招待されていなかったのですが、しかし元来ホストのアガトンとパウサニアス始め、出席者一同とは親しい間柄でした。
アルキビアデスは当時30代前半の若さでしたが、既にアテネ政界をナンバーワン争いの最中でした。
因み当時のアテネの政治はストラテゴスと言う10人の指導者の合議制です。 そのストラテゴスへの被選挙権はは30歳以上からです。 アルキビアデスは30歳になって直ぐにこのストラテゴスに当選しているのです。
そして直ぐにアテネ政界のトップ争い加わりました。
ペリクレスの近親者で、しかも大富豪と言うバックグランドに加えて、大変な雄弁家で、アテネ一と言われる美男なのですから、大衆の絶大な支持を得たのです。
彼にはRとLの発音が不明瞭と言う癖があったのですが、普通なら政治家に不利なこの癖も、アルキビアデスの特徴と言う事で、アテネの若者の半数が真似ると言う有様です。
これほどの政治家ですから古い友人達も招待を遠慮したのでしょう。 実際彼は既にどこかの宴会に出た後だったらしく、パウサニアス邸に乱入した時、すでにかなり出来上がっていたのです。
しかしこうしてワザワザ来てくれたのですから拒む理由はありません。
皆喜んで彼を歓迎し、この饗宴の討論のテーマである「愛」についての意見を求めました。
アルキビアデスはそこで、漸くここにソクラテスが出席しているのに気づきました。 しかも若く美しいアガトンはソクラテスの隣に座ったのです。
そこでアルキビアデスはこれに嫉妬して、ソクラテスと自分の「愛」について語り始めるのです。
アルキビアデスはアテネ一の名門で大富豪の跡取りとして生まれました。 唯一の不幸は幼い時に父親に死なれた事ですが、しかし近縁のペリクレスが後見人として父親代わりを務めました。
このペリクレスの愛人で彼と同棲してたのがミレトス生まれのヘタイラだったアスパシアです。
ヘタイラとは宴会に出て歌や踊りを披露し、また座持ちもすると言う女達で、古代ギリシャの芸者さんでした。 勿論良家の子女がする仕事ではありません。
しかしアスパシアは古代史最高の才女でした、だからペリクレスは彼女を愛して、正妻と別居して彼女と同棲していたのです。
そのアスパシアの友達がソクラテスだったのです。
このような縁から、ペリクレスの被後見人だったアルキビアデスは、少年時代にソクラテスと知り合う事になったのです。
その頃のアルキビアデスはアテネ一の美少年で、アテネ中の男達が彼の美貌に魅せれていました。 そしてアルキビアデスはそう言う事を十分承知している少年だったのです。
門地・富・美貌を兼ね備え、その価値を十分知っている少年アルキビアデス。
一方ソクラテスときては、ギリギリ中産階級です。 つまり勤労収入が無くてもなんとか生活はできるので、哲学三昧で暮らせると言うだけで、アルキビアデスの所属する階級から見れば微々たる庶民です。
しかも禿げ頭の醜男です。
ところがアルキビアデスがこのソクラテスの内面を垣間見て、その燦然たる輝きの虜になってしまいます。
そこで彼は何とかソクラテスを誘惑して、欲望によりソクラテスを我が物としようと考えたのです。
その為、彼はソクラテスを競技場に誘い、一緒にトレーニングをして一緒にレスリングをしました。
そしてその後、夕食に招待し、二人で夕食を食べた後は、泊まっていくようにすすめ、同室で眠るように仕向けました。
こうして二人が床に就いて暫くするとアルキビアデスは、ソクラテスの床に入り込み、抱き着いて誘惑したのです。
アテネ一の美少年がここまでやるのですから、一発で陥落するはず・・・・・・。
ところがソクラテスはこのアルキビアデスの誘惑には全く動じず、結局二人は兄弟や父子のように清い関係のまま朝を迎えたのです。
これはアルキビアデスの自尊心を大いに傷つけました。
その為彼の心は後々長く「蛇に噛まれたように心がうずき続けた」のです。
けれどもソクラテスの自制心と人格への尊敬は揺るぎない物になりました。
しかしその後アルキビアデスが20歳になり初陣すると、戦場で見たソクラテスは更に彼を驚嘆させます。
厳しい寒さや飢餓で皆が苦しむ中、ソクラテスは寒さも飢餓も物ともせず常に泰然自若しとしており、そして戦闘になると類ない勇気を発揮して皆を力づけました。
アルキビアデスが負傷した時は、自身の危険をものともせずに救助に駆けつけ、更に混乱した部隊を建て直し、遂には全軍を勝利へと導いたのです。
しかしソクラテスはそれを自身の手柄とはせず、指揮官にはアルキビアデスの手柄とするように求めたのです。
「饗宴」はこのアルキビアデスの乱入の場面で一気にフェーズが変わります。
言ってみればそれまではモノクロ学術映画だったのが、突然フルカラーのスペクタクル映画になるような・・・・・。
或いは、当にに現代のシンポジュウムのような学術講演会が、一瞬にして豪華絢爛なオペラの舞台に変わるのような・・・・・。
そのオペラでカリスマテナーが歌うのはソクラテスの賛歌ですが、観客はその賛歌により、歌手の美声と技量に魅せられるのです。
そしてこの美声は2500年の時を超えて今も我々を魅了するのです。
それにしても「饗宴」を読むと、このアルキビアデスと言う男が持って生まれたのは富や門地、知性や美貌なんて物じゃなくて、格別なカリスマ、或いは華だっのだと思うしかありません。
しかしその素晴らしい天分は結局、本人にとっても、またアテネとギリシャ世界にとっても幸福な結果を産まなかったのです。
何でそんなことになってしまったのか?
それは前記のようにアテネの民主制の問題だと思うのです。
だからワタシがこれに着いて考えた事を、これから少しずつ書いて行きたいと思います。