トルマルキオは解放奴隷の大富豪で、この男が催した成金趣味全開の饗宴場面がこの小説のハイライトの一つです。
この宴席でトルマルキオは自身の身の上を語ります。
それによると彼は奴隷として生まれたけれど、その才覚を主人に認められて主人の事業を任されました。
そして主人は最後には彼を養子にしたので、主人の死後、トルマルキオは主人の全財産を相続しました。
彼はそれを持前の才覚で増やし続けたので大富豪になったのです。
奴隷が主人の養子になり、その財産を相続し、大富豪になる?
これは「奴隷」の持つ悲惨なイメージからは程遠いのですが、しかし古代ローマ時代、「解放奴隷」と言えば成金と言うイメージだったのです。
主人の養子にまではならないにしても、解放奴隷として主人の事業や資産管理を任される、自身も事業を行って稼ぎまくると言う解放奴隷は沢山いて、古代ローマの新興富裕層をなしていました。
だからトルマルキオも特殊な存在ではなく、解放奴隷の成金の典型として登場するのです。
それにしても幾ら才覚があり気に入りの奴隷でも、養子にして財産を全部相続させてやるとは・・・・・。
と、思うけれど古代ローマ時代、トルマルキオのような子飼いの奴隷は、主人からすれば譜代の家来や、昔の日本の商家で丁稚奉公から勤め上げた奉公人のような者で、自由人の市民の他人なんかより余程大切で信頼の出来る人間でした。
そして日本の商家では丁稚から務め上げて、商才も人柄も信頼できる奉公人を婿や養子にして、店の跡取りにするのは良くある話ではありませんか?
それどころか船場の大商店には、出来の悪い息子は他所に養子に出して、優秀な奉公人を選んで婿養子にして店を継がせると言う事を代々の家訓にしている所さえあったくらいです。
何でそんなことをするのか?
無能な息子に店を継がせたら、店が潰れ、店で働く他の奉公人達や取引先全部が困ります。
だから店は何としても有能な人間に継がせるべきなのです。
トルマルキオの主人も同じことを考えたのでしょう。
もし自分の死後、親族達が遺産を分割相続したら、奴隷達もまた散り散りバラバラに売り飛ばされてしまいます。
売られた先の主人が良い人とは限らないし、それどころか家族がバラバラに売られる可能性だってあるのです。
しかし商才に長けたトルマルキオを養子にして、全財産を彼に相続させたら、奴隷達も今まで通り安心して暮らしていけるのです。
そしてトルマルキオはこの主人の期待に応え、商売に精を出しました。
そして自分を養子にしてくれた主人に対する感謝と敬意は忘れないのです。
だから只々富を見せびらかすような超成金趣味の宴会でも、自分の賤しい出自を明らかにしても主人へ感謝と敬意を語るのです。
「息子は選べない」と言ったのは古代ローマでも最高名君だったハドリアヌス帝です。
彼は妻帯していたのですが、その妻とは没交渉で、美少年を寵愛したりしていたので、息子も娘もいませんでした。
だから代わりにアントニウス・ピウス帝を養子にし、更にアントニウス・ピウス帝にはマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝を養子にしてその後を継がせる事を約束させました。
そしてこの二人がまたローマ帝国史上最高の名君に数えられているのです。
息子は選べないけれど、養子は選べるのです。
古代ローマ帝国ではこのように養子として後継者を選ぶ事で、優れた皇帝を得た例が多数あります。
そもそもローマ皇帝がカエサルを名乗るのは、皇帝はユリウス・カエサルの後継者で、カエサル家の家名を継いでいると言う形式を取っているからです。
何でこんな話を思い出したかと言うと、実は昨夜ツィッターで同性婚の話がいろいろ出ていたのです。
今西欧先進国の殆どの国が同性婚を認めました。 そこで日本のLGBT活動家達も、同性婚を認めろと騒いでいます。
ところが日本のLGBT当事者達は、同性婚には全然乗り気じゃないらしいのです。
なぜなら日本の場合、昔から生涯添い遂げようと思ったカップルは、養子縁組をして遺産相続その他公的な問題をクリアしているからです。
日本の養子制度は元々、家を継がせる後継者を指定する目的で造られています。
それで成人同志なら本人だけの意思で縁組ができ、また本人同士の意思だけで解消もできます。
養子になっても実父母など実の肉親との関係は切れず、実父母の遺産を相続できます。
祖父が孫を養子にしたり、弟や妹を養子にしたりすることもできます。
なるほどこれなら同性カップルが、養子縁組をしても全然問題ないのです。
しかも養子縁組は江戸時代以前から続く日本人に馴染みの制度で、これに関する法的問題も良く整備されています。
また養子縁組をする人は珍しくも何ともないので、養子縁組をしたからと言って、周りに同姓愛者だと言う事を知られる事にもなりません。
養子縁組をして姓が変わっても「親戚に頼まれて姓を継ぐ事になった。」と言えばだれもそれ以上詮索しません。
同性婚なんてことをすれば、否応なしに回りに同性愛者だと解ってしまうのとは大違いです。
だったら何で西欧の同性愛者は養子縁組をしないのでしょうか?
同性愛への忌避感は西欧の方が遥かに強いので、できたら周りに同姓愛者であることを知られたくないカップルは多いでしょうに。
ところが実は西欧には日本のような養子制度がないのです。
古代ローマ時代は前記のトルマルキオのような養子制度があったのですが、しかしキリスト教がこれを禁じました。
キリスト教では親子の関係は神が決める物で、人間が勝手に親子関係を決めてはイケナイと言うのです。
そこで現在も西欧で認められている養子と言うのは、日本で言う所の特別養子、つまり親のいない幼い子供を引き取って養育すると言うような養子制度しか認められないのです。
だから同姓カップルが法的保護を求めるとなると、同性婚の制度を作るしか方法がないのです。
何と言うか同性婚に限らず、西欧世界と言うのは、キリスト教で禁じた事をやるとなると、何もかも抜け道が塞いであるようです。
だから同性婚を推進する連中は、同性婚を認める事に寄って同性愛者だけでなく、血縁のない人間同志でも新しい家族がつくれると宣伝します。
しかしそれだったら日本の養子制度は、当に血縁のない人間同志が家族になれる制度ではありませんか?
しかも長い歴史があり大変良く整備されています。
そしてまたその養子制度を持つ日本の「家」と言うもまた、血縁によらずに家族になれる開放的な共同体です。
日本の戦後リベラリズムは日本の家制度を、人間性の抑圧そのモノのように言ってきました。
勿論、「家」は窮屈だと思います。
だから「粉糠三合あったら養子に行くな」などと言う諺もあるのです。
そりゃ窮屈なのは当然です。 だって成人してから他人と一緒に暮らすのですから窮屈に決まってます。
気楽なひとり暮らしや、実の両親や兄弟と暮らすのとは違うのです。
そして他人が家族に入ってくれば、来られた方だって何かと気を遣い鬱陶しいです。
しかし家に迎え入れた養子とは、家族みんなが一緒に暮らさなければなりません。
その意味では家と言うのは人間を抑圧するのです。
でも窮屈な思いはしても、それで地位や資産が得られるから養子になるのです。
そういうチャンスがないより在った方遥かに良いではありませんか?
そして例えば個人企業で働く立場の人にすれば、社長が死んで会社が消滅したり、社長が死んだ後、会社を継いだ息子が無能で会社が潰れたりするより、社内の誰もが有能と認めるような人間が社長の養子になって会社を継いでくれるって、凄く有難い話しではありませんか?
日本で「家」は血縁に結ばれた家族だけの物ではありません。
文字通り家の子郎党の物、家で運営する事業に関わる全ての人間の物なのです。
だから家長とその近親者には彼等の生活を守る責任があるのです。
西欧キリスト教世界でも、また東アジアの儒教世界でも、血統が圧倒的に優先するので、このようなチャンスはありません。
そしてまた血縁のない人間の生活に責任など持ちません。
こうして考えると、このような家制度と、それを支える養子制度があった事は、日本に多くの伝統文化や超長寿企業が残っている理由の一つでしょう。
近代以前、商工業も伝統文化も、「家」を通して継承されてきたのですから。 そして「家」は大変強固な組織だったので、戦乱や政変に耐えて維持できたのです。
血縁による家族と言うのは、本来人間が持つ最も強い絆であり、社会の変化に関係なく維持できる共同体です。
だから現在のような国民国家が成立する以前は、これこそが唯一の人間社会の基盤でした。
しかし一方でこれはまた完全に動物的な共同体であり、当然非常に排他的で、能力も努力も通用しないのです。
そして血統が絶えればそれで終わりです。
しかし日本人は古代ローマ人同様、この排他的で動物的に共同体に「養子」と言う、人間同志の意思と盟約による絆を加える事で、それを開放して能力のある人、努力をする人を受け入れるられる物にしたのです。
そしてそれにより一介の農家や商家から、国家までもが安定的に継続し発展できるようにしたのです。
こうしてみると戦後左翼がひたすら貶めて来た日本の家制度と言うのもなかなか優れた物だったと気づきました。
因みに古代ローマや古代ギリシャは、キリスト教化して以降の西欧社会に比べても、それどころかLGBT差別禁止がポリティカルコレクトネスになっている現在の欧米に比べても、遥かに同性愛には寛大な社会でした。
しかしこの時代にも同性婚と言う発想はありません。
婚姻はあくまで異性同志で子供を産み育てる為の物と言う認識だったようです。
でも古代ローマの同性カップルは、日本同様養子縁組をしていたのかもしれません。
養子縁組ができるなら、敢えて同性婚なんて制度を作って婚姻を冒涜する必要もないのです。
因みにハドリアヌス帝は、実は寵愛していた少年の一人も養子にして後継者に指名していたました。
しかし彼は若死にして養父ハドリアヌス帝に先だってしまったので、アントニヌス・ピウス帝やマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝のように歴史に名を残す事はできませんでした。