(2016年当時、イタリア国内には160万人のイスラム教徒が確認されており、全イタリア人口の3%に匹敵するという。)
イタリア紙”il Giornale”によると、トレンティーノ=アルト・アディジェ州北部の都市ボルツァーノの公会堂(town hall)に設置されていたクリスマス・ツリーが、イスラム教徒などへの配慮として撤去されていたことが分かった。
撤去されたクリスマス・ツリーは、毎年、同公会堂にてイベントを主催している”退役軍人連盟”が主体となって、寄贈しているものであり、通常は、クリスマス期間が過ぎるまで設置され続けているものであったという。
しかし今年は、同じ場所で”ムスリム団体による会合”が予定されていることなどから、同公会堂のスタッフが、”イスラム教徒の心情を考慮して”クリスマス・ツリーの撤去を”退役軍人連盟”に依頼してきたという。
イタリア紙”il Giornale”によると、トレンティーノ=アルト・アディジェ州北部の都市ボルツァーノの公会堂(town hall)に設置されていたクリスマス・ツリーが、イスラム教徒などへの配慮として撤去されていたことが分かった。
撤去されたクリスマス・ツリーは、毎年、同公会堂にてイベントを主催している”退役軍人連盟”が主体となって、寄贈しているものであり、通常は、クリスマス期間が過ぎるまで設置され続けているものであったという。
しかし今年は、同じ場所で”ムスリム団体による会合”が予定されていることなどから、同公会堂のスタッフが、”イスラム教徒の心情を考慮して”クリスマス・ツリーの撤去を”退役軍人連盟”に依頼してきたという。
イタリアにイスラム教徒が激増したのは、2015年の9月、シリア難民の幼児遺体を使っての難民カワイソウキャンペーンがはじまってからです。
以降イタリアには膨大なイスラム「難民」が流入しています。
そして難民流入のバルカンルートが閉ざされてからは、北アフリカから地中海を渡りイタリアに渡航する「難民」が激増しました。
リーマンショック以降失業率が高止まりしたままで、経済的に苦しい中で、それでもイタリア政府はこうした「難民」を救出してイタリアに受け入れています。
「難民」達はイタリア海軍が救出してくれる事を前提に、無謀な渡航を行っているのです。
その結果が公会堂のクリスマスツリーの撤去です。
”イスラム教徒の心情を考慮して”
??
このツリーは退役軍人会からの寄付でしょう?
善意で寄付したツリーを撤去されたら退役軍人会の人達はどう思うでしょうか?
またこのツリーを楽しみにしていた市民達はどう思うでしょうか?
イスラム教徒には配慮しなければならないけれど、退役軍人会やキリスト教徒である一般市民の心情は配慮しなくて良いのでしょうか?
本来であればイスラム教徒達は、自分達の同朋を暖かく受け入れてくれたイタリア政府とイタリア人に感謝して、自分達が寄付を集めてクリスマスツリーを寄付するぐらいの事をするべきではないでしょうか?
しかしどうやらそう言うレベルの話ではないようです。
ツィッターでこんな記事を拾いました。(ワタシの英語力で読んだので誤読があるかもしれませんが)
イスラム教徒がクリスマスツリーを飾り、それをインスタグラムに載せたところ、彼の120万人のフォロワーは賛同のコメントを寄越しました。
しかし「一家を皆殺しにする」などと言う脅迫のコメントが1000程在ったと言うのです。
彼には妻と三歳になる子供がいますから、これは大変な恐怖でしょう。
欧州の自治体の一種異様な程のイスラム教徒への気遣いは、結局こうしたイスラム教徒への恐怖からでしょう。
これは実は在日特権とよく似た構図です。
日本の自治体も一種異様な在日特権を幾つも認めているのですが、しかしこれは結局、総連や民潭など在日コリアンと揉めたら、担当の職員達が大変恐ろしい思いをするからです。
どんな自治体でも各部署の担当の職員は数名しかいません。 そこに数十人単位で在日コリアンが押し寄せて脅迫すると、それだけで恐怖です。
しかも公益を守る為に毅然として対応すると、今度はマスコミが「差別だ」と書き立てて騒ぐ。
こういう構造があるから、在日特権が作られてきたのです。
マスコミが常に在日コリアン側に着くのは、マスコミに左翼活度家が多いと言う事もありますが、しかし実はマスコミ側も怖いのです。
怖いから何も報道しない。
だから国民は知らない。
こういう事が解ってきたのは、ネットでこうした事情を発信する人が出てきたり、在特会が自治体と交渉する動画を配信したりする事で少しずつ一般国民にも認知されるようになったのです。
しかしイスラム教徒による脅迫は、在日コリアンより怖ろしいでしょう。
以前、アヤーン・ヒルシ・アリについてエントリーした事があります。
彼女はソマリア人の女性で、難民としてオランダに入国し、オランダ国籍を取得後、オランダの国会議員なった女性です。
彼女は元々は敬虔なイスラム教徒として育てられたのですが、しかしイスラム教の女性抑圧や、狂信や不寛容に疑念を持ち、イスラム批判を始めました。
するとイスラム教徒達から命を狙われるようになりました。
マスコミや自称リベラリスト達が言うように、極一部の狂信的なイスラム教徒だけがこうした脅迫に加わるわけではありません。
殆ど全てのイスラム教徒から脅迫されるのです。
この脅迫についてはアヤーン・ヒルシ・アリが自伝の中で描いているのですが、この部分は読んでいてもゾクゾクするの程の恐ろしさです。
イスラム教徒による脅迫が始まってから、彼女には厳重な警護が着きました。
しかしそれでも今まで住んでいた家に住む事はできず、住所を秘密にできる所を探して移転しました。
それでもなぜか、いつの間にか住所が明かされるのか、怪しい人間が回りをうろつきだし、更なる移転をするしかなくなってしまいます。
挙句に警察学校の寮に入るように言われるのですが、暫くすると「警官の中にイスラム教徒がいるから」とまた移転です。
そして空軍基地の兵舎で暮らす嵌めになります。 空軍基地なら軍が警備しているので、安全だと思われたからです。
また脅迫が始まってから数日後、彼女がホテルで知人と食事をしていると、警護の警察官が直ぐにホテルを出るように言いました。
ホテルの玄関に中東・北アフリカ系の顔立ちの男達が無数に集まっていると言うのです。
これは当にネット社会ならの恐怖でしょうが、イスラム教徒の一人が彼女がホテルに入る所を見て、その情報をスマホで拡散すると、そこら中から彼女を袋叩きにしようと言うイスラム教徒達が集まってくるのです。
少数の暗殺者に着け狙われるのではないのです。 大多数のイスラム教徒が暗殺者に協力し、また自身も暴行に加わろうとしているのです。
これではもうマトモな生活は不可能です。
実際オランダ政府も警察も狭いオランダの中で、彼女を隠して保護し続ける事は不可能と判断せざるを得ませんでした。
それで彼女はアメリカへ行くのですが、そのまま今も行方を明かしていません。
彼女は独身で、その前から家族とは絶縁状態になっていました。
彼女の父親はアメリカに留学し、ソマリアをアメリカのような国にしたいとして活動していた、ソマリア民主化の闘志だったのですが、しかしその父も彼女がイスラムを批判した事で、彼女と義絶したのです。
しかし義絶前から父親の所にも脅迫状が多数着ていて「娘を何とかしなければお前を殺す」と言われていたのです。
だからもし父親が彼女を庇えば、父親もまたその他近親者全部の命が危うくなったでしょう。
このような恐怖がある限り、イスラム教徒の中からイスラム批判などできるわけもないのです。
実際アヤーン・ヒルシ・アリとイスラムに関する討論等で知り合ったイスラム教徒達の中には、アヤーンに共鳴する人達は相当いたのです。
しかし彼等は皆一様に公的な場では、沈黙するのです。
それはそうでしょう。
アヤーンが公的な場でイスラム教を批判できたのは、彼女が卓抜した勇気を持っていたからでもありますが、しかしもう一つは彼女が独身で、家族との関係も悪化していたからです。
妻子のいるような人には、こんな事は不可能です。
こうなるとイスラム社会の内部から、こうした狂信と暴力を改革しようとすることは一切不可能になります。
そしてもう一つ重要な事ですが、イスラム諸国の殆どが今も部族社会で近代的な国民国家とは程遠いと言う事です。
これもアヤーン・ヒルシ・アリが自伝で描いていますが、ソマリアの部族社会と言うのも大変な物です。
簡単に言えば何代前でも共通する先祖がいると解れば、初対面の人間同志でも緊密な相互扶助を行う権利と義務があります。
しかしそれ以外の人間には一切の関心を持たないのです。
こういう社会で育った人達にしてみれば、全く異民族・異教徒を「難民」として救済して、様々な福祉を与えてくれる社会と言うのは、そもそも理解の他なのでしょう。
だからそういう国に入り込んで福祉を食い潰すと言うのは、言ってみればアメリカに移民した白人達が、インディアンから土地や食料を奪ったのと同じ感覚なのでしょう。
そしてこの感覚は実は在日コリアンも同様でしょう。
彼等もまた血族社会の住民であって、血族内がウリ、それ以外はナムと言う世界に生きているのです。
だから国民国家・民主主義国家での国民意識は全く理解できていません。
理解する意思もありません。
普通、国家や国際問題に無関心な人でも、海外で暮らようになると国家や国籍の意味を思い知る事になります。
しかし在日コリアンの場合は何世代外国で暮らしても、自分達の都合不都合以外に国家には何の関心も持たないのです。
人間はどんなに時間を掛けても、関心を持たない事は結局学べないのです。
在日コリアンは日本に暮らして数世代を経ており、殆ど韓国語も話せません。
そして殆どは日本の学校へ通い、日本の社会制度について学んでいるはずです。
しかしそれでも結局は、国民国家・民主主義国家としての日本と言う国を理解できてないのです。
だから自分達の気に入らない事は何でも「差別」として不満しか持たないのです。
そして彼等の祖国韓国も北朝鮮も同様に、本来の意味での民主主義国家にも国民国家にもなれないのです。
これを見るとソマリア始め中東や北アフリカからの移民、また韓国同様儒教社会の中国からの移民が、欧米で緊密なコミュニティーを作る理由も良くわかります。
つまり彼等は移民先でも祖国同様の部族社会・血族社会を守っているだけなのです。
そしてこうした社会で育つとどんな教育を受けても、民主主義国家のルールなんか受け付けないのです。
こうなると部族内にあった狂信や暴力もそのまま温存され続けて当然ではありませんか?
だからイタリアの小都市の公会堂は、一般市民や退役軍人会の心情など踏みにじってクリスマスツリーを撤去せざるを得ないのです。