この中で、ケントさんはアメリカやイギリスなどの憲法についての解説をしていました。
イギリスの憲法?
イギリスには憲法は無かったのでは?
ええ、ワタシも中学でそのように教わりました。
実際、イギリスには日本国憲法のような成文憲法はないのです。
ところがケント・ギルバートさんは、イギリスには憲法はあると言うのです。
イギリスでは法律・慣例法、その判例、そして議会などを含めて「憲法」しているのです。
そしてイギリス文化は実は、成文法ではなく不文法の文化だと言うのです。
この不文法の文化で、イギリスの「憲法」とは、イギリスの伝統で培われてきたイギリスと言う「国家のありよう・理念」を指すのです。
つまり憲法と言うのは元来、このような「国家のありよう・理念」の事なのです。
一方、欧州やアメリカや日本などでは、これを法律の体裁をとった文書として表しているわけですが、この文書つまり憲法典は、憲法の構成要件の一つにしか過ぎないのです。
しかしイギリスの例をみればかかるように、なければ無いで構わないモノなのです。
そこで思い出したのは英語です。
英検2級のワタシでも英語で憲法は何と言うかぐらいはわかります。
英語では憲法はConstitutionです。
このConstitutionと言う単語は、しかし憲法の他に構成、構造、組織、また規範、欽定などの意味もあるのです。
なるほどこれだと憲法は国の「Constitution」つまり、国の構成・構造・組織・規範・欽定などを総合した物だと簡単に納得できます。
そしてこれは昨日、kazkさんのコメントで知ったのですが、明治の人々はこの「Constitution」を「国体」と訳したのです。
これならイギリスに憲法典はなくとも、憲法があると言う話もわかります。
しかし明治政府は憲法典を作りました。
だって長い歴史の中で議会制度を培ってきたイギリスと違って、明治の日本は、幕藩体制から近代国家へと「国のありよう・理念」を大きく変えたのです。
だからその新しい国のありよう・理念がどんなものなのかは、具体的な文書にでもしない限り、誰にもわかりません。
それに明治政府が憲法作成を急いだのは、不平等条約改正の為に、日本が欧米並みの近代国家であることを示す為でもありました。
だったら欧米人の感覚でも理解できる欧米風の憲法典を作って見せる必要があったのです。
そしてその明治憲法自体は、当時の欧米の憲法典と比べても、全く遜色のない物でした。
しかし問題は日本人がこれを「憲法」と名づけ、法の親玉と認識した事です。
だって憲法の「憲」は、漢語でおきて、規範、決まり、法律などを意味します。
そして「法」は勿論法ですから、憲法と言う言葉を聞けば、誰だって、絶対に守らなければらない法律の親玉みたいに思えてしまうのです。
実際ワタシ達は中学校の公民では憲法を「法の法」と教えられているのです。
一方、ワタシ達一般の日本国民にとって一番馴染みのある法律と言えば、道路交通法のようなモノです。
ワタシだってちゃんと信号を守り、横断歩道を渡ります。 車を運転する人ならなおさら切実でしょう。
ところで、この道路交通法のような法律は、いかにも法律らしい法律なのです。
つまり「なぜ赤信号は止れで、青が進めなのか?」「なぜ車は左、人は右なのか?」などについては、実用上の合理性も、まして倫理道徳上の合理性もありません。
青信号で止まり、赤で進むようにしても、また車は右、人は左にしても全然差支えは無いのです。
しかし法律で決められた事は、皆が文句を言わずに守る事で、交通の混乱も交通事故も避ける事ができるのです。
ワタシ達に一番馴染みのある法律とはこのような法律なのです。
ところが「Constitution」を憲法と訳したことで、ワタシ達日本人は(少なくともワタシは)、憲法と言うのは道路交通法のように、合理性の有無に関係なく守らなければならないモノ、それを無視したら秩序維持が不能になるモノであるかのような印象を持ってしまったのです。
そうなると憲法に対する関心は、条文の解釈に集中するのは当然の帰結でしょう?
理由に関係なく絶対に守る事が必要な規則なら、規則の意味以外に考えるべきことは何もないのです。
しかし本来の憲法つまり「Constitution」は、「国のありよう・理念」なのです。
だったら人間が常に自分のありよう、自分の生き方を考えながら生きるのと同様、国だってつねにそのありかたを考えて行かなければらないでしょう。
そうなると憲法学は当に「国のありよう・理念」を考える学問になるので、その憲法典の解釈など学問の極一部の専門分野にしかならないはずです。
この憲法と憲法典に理解の混乱が、日本の憲法学を他の先進国の憲法学乖離したカルト神学にしてしまい、そのカルト神学を国民が信じる事なった原因でしょう。
そところで人のありようや理念は、その人が生きている間中、日々変化していきます。
同様に国のありようや理念だって、国が存続する限り時代により少しずつ変わっていくモノなのです。
だから元来憲法典を書く場合も、国のありよう・理念が変化する事を前提にして、余り厳密に細かく書かず、結構抽象的で曖昧な表現をしておくのです。
それで憲法典は変えずに、一般法や或いは官庁の組織を変える事によって国のありよう・理念を変えていくことも可能にするのです。
しかしそれでも国のありよう・理念が変わるのですから、これはこれで立派に憲法改正なのです。
だからケント・ギルバートさんによると日本も過去何度も憲法を改正したと言います。
その典型が自衛隊の創設です。
日本の憲法学は憲法典の条文を絶対真理として、その条文をできる限り厳密に、つまり語義通り狭い意味で解釈する事に呑み執着しますから、当然自衛隊の創設は憲法違反です。
しかし本来憲法と言うのは「国のありよう・理念」を総合したモノなのですから、国を守る為に必要な対応ができないなんて論外なのです。
だって昨日鳴子百合さんがコメントくださったけれど、「そんなの当たり前じゃないの、国が亡くなったら話しにならない」のですから。
その意味では自衛隊の創設は当然認められるべきで、それを違憲と言う憲法典の解釈はオカシイと言う事になるのです。
因みに憲法を「国のありよう・理念」と言う言い方も実は鳴子百合さんのコメントからいただきました。
こうして考えていくと、日本に9条教と言うカルト団体ができた事も、また憲法学者がこのカルト神学になってしまった事も実は、我々日本人の多くが憲法と憲法典の意味自体をよくわかっていなかった事が最大の原因ではないでしょうか?