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2017-08-28 13:06

釣りは誰にでもできるのだろうか? 

 牛島竜介と言う人を覚えていますか?

 1969年、小型ヨットサナトス号で太平洋を単独横断した人です。
 
 ワタシはこの人の書いたエッセー集を読んだのですが、今も非常に気になっている話しがあります。

 牛島氏はヨットで太平洋単独横断の冒険に出る前に、結構色々な職業を体験しました。 エッセイにはその話がいろいろ出ていました。

 その中でワタシが今も気になっているのは、彼が遠洋漁船の船員だった時の話です。

005

 ある時、牛島氏の乗り組んだ船が喜望峰沖でエンジントラブルを起こしました。

 それでも船は何とか一番近い南アフリカ共和国の港にたどり着き、そこで修理をすることになりました。

 しかし修理は長引き、漁船員達は暇を持て余して、港で釣りを始めました。

 釣りとなると、そこは皆プロの漁師ですから、実に簡単な仕掛けで、アッと言う間にバケツに一杯魚を釣り上げます。

 するとどこからか貧しげな黒人の子供達が、湧いてくるように現れて手振りで魚を欲しいとせがみます。

 それで皆気楽に魚を与えていました。
 
 ところが暫くすると港の監督官が現れて、「子供にタダで物を与えるな。」と言うのです。

 そこで漁船員達は子供達に釣りの道具を与えて、釣りを教えようとしました。

 飢えた人には魚を与えるのではなく、釣りの仕方を教えよ

 を実践したのです。

 ところが数日で困惑し始めました。 

 「カンが鈍いんかいのう・・・・。」

 漁船員達は一生懸命教えるし、子供達も一生懸命学ぶのですが、しかし子供達はどうしても魚が釣れないのです。

 そこで漁船員達は釣りを教える事は諦めて、船倉の掃除その他の雑用を作っては、子供達にやらせて小銭を与える事にしました。

 そうなると今度は子供達は、その仕事欲しさに明け方から押しかけてきます。

 「エライ事になってしもうた!!」

 もう漁船員達は暇を持て余すどころではりません。 夜明け前から子供達の為に仕事を用意しなくてはならなくなったのです。

 エンジンの修理が終わって、この港を出た時は、一同ホッとしたそうです。

007

 飢えた人には魚を与えるのではなく、釣りの仕方を教えよ

 しかし考えてみればこの子供達は皆、日本の漁船員と同様、海辺で生まれ育ったのです。

 日本の遠洋漁船の船員の大多数は、海辺の漁師の家に生まれ育った人々です。 だから子供の時から釣りはしています。

 でも同様に海辺で生まれ育った南アフリカの子供達は、釣りをした事がなかったのです。

 釣りの道具は実に簡単で安価な物であったにもかかわらず、彼等は飢えて切実に魚が欲しいにもかかわらず、釣りをしなかったのは、つまりは彼等には釣りができなかったからではないのか?

 「飢えた人には魚を与えるのではなく、釣りの仕方を教えよ」と言う話しは、必ずしも全ての人に適用できないのではないか?

017

 ワタシがこの本を読んだのは70年代末だったと思います。

 当時、南アフリカ共和国はまだアパルトヘイト政策を行っていました。

 一方、日本は順調な経済成長に自信満々でした。
 そして日本式で頑張ればどんな国だって経済成長できるはず信じて、せっせとアジア・アフリカ諸国に経済支援をしていました。

 ワタシもそれを信じていました。

 その時散々言われたのが「飢えた人には魚を与えるのではなく、釣りの仕方を教えよ」でした。

 しかし牛島氏の体験は、文字通りこれを真っ向否定する話しでした。

 だからこの話には大変な衝撃を受けました。 それで今でも覚えているのです。

029

 因みにワタシは当時、梅棹忠夫等京都大学人類額研究室のアフリカでのフィールドワークに関する本が好きでよく読んでいました。

 そこで梅棹研究室の研究員達が、アフリカのサバンナや密林で狩猟採集や遊牧や原始的な農業をしている人達の事を書いてました。

 それを読んでいると結構楽しいのですが、どうもこれ等日本人の研究者達は、アフリカ諸国が近代化の為にやっている教育の普及などには、懐疑的なのです。

 文化人類学の研究者なんて元々政治的な問題には関心の薄い人達だし、原始生活には限りないシンパシーを持つ人達だと言う事は考えておくべきなのでしょう。

 しかし彼等は明らかに「アフリカ諸国も教育さへ進めば近代化して豊な社会になる」と言う、近代化論は全然信じていないようでした。

 むしろ原始的な農業で暮らしてた村の子供が、小学校程度の教育を受けると、それでもう村の暮らしが馬鹿馬鹿しくなって都会へ出てしまう。 しかしその程度の教育で都会に出た所で、仕事はなくそのまま遊民化して、スラムを作るだけ。

 などと書いていたのです。

031

 哀しいけれど今のアフリカを見ていると、梅竿等の言う通りだと思わざるを得ません。

 しかもそれがアフリカの人口爆発でスーパースケールになってしまい、農村に飽き足らなくなった若者達は、ヨーロッパに押し寄せているのです。

 しかし釣りを学べない人々が、ヨーロッパでは職と社会規範なら学べるのでしょうか?
 
 けれどもこの問題を根源的に見直す話しは一切出てきません。

 それどころかマララさんはノーベル平和賞受賞し、ユニセフは毎日シツコクface bookに途上国の子供への教育支援の募金の広告を貼っています。

036

 そうですね。

 現実がどうあろうと、このまま頑張り続けるしかないのです。

 黒人には「釣りは学べないかも?」何ぞと言おう物なら、レイシストとして国際社会から抹殺されちゃいますから。

062

 因みにアフリカ人が全て釣りができないわけではありません。
 それどころかヨーロッパ文明が入る以前から、漁労で生活してきた部族は沢山あります。

 そもそもアフリカの黒人と言うのは、単一の人種とも言えません。

 なぜなら肌の色も、部族によって薄い褐色から殆ど真っ黒までと色々違うし、体形も細身で華奢なモデル体型の部族もあれば、ずんぐりガッチリ型の部族もいます。

 肉体的な特徴一つとってもパヨクの大好きな多様性に満ちているのです。 

 しかしこれはこれで部族対立を先鋭化する理由になっているようですが。

 
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コメント

多様性の尊重とは何か

とても興味深い牛島エッセイですね。
多様性の尊重といいながら文明国的近代化路線を絶対善とすることの矛盾。
多様性を言いながら、魚を捕る技術は身につけられないがために近代化されなくて貧しいままでもいいという生き方、民族があっていいとは誰も言わない。
それを指摘するのはレイシズムだと言う。
本当にそうだろうか。
彼らの生き方を貧しく奴隷的とレッテルを貼って逆に蔑んでいるのは我々ではないか?

身の回りに置き換えても、すべての子供が大学で勉強するようにできていない。なのに、そういう子供の個性は尊重しないのと同じ。

近代文明的価値観は、確かに科学も文化も発展させた側面はあるけれど、一方で、人権の名のもとに自我を肥大させ、唯物的で学歴と金銭偏重の世の中にしてしまった。
こんな文明「だけ」が幸せで、彼らが一様に不幸だとどうして言い切れるだろうか?
と、問われているわけですよね。

また、ひとくちにアフリカ人とは言い切れず、部族によっても能力が違うというのもそうかもしれませんね。
アジア人と言っても、シナ朝鮮をみるだけでもこれほど違うのですから。
  1. 2017-08-28 14:56
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  3. ROM #-
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哲学的な問い

日本でもヒットした映画「ブッシュマン」は、コメディだけど「文明を持つことが、はたして全ての人間にとって幸せなのか」というテーマを描いた作品でしたね。

ある日空から瓶が降ってきた!映画「ブッシュマン」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
https://middle-edge.jp/articles/QQZsH

現実の世界でいえば「狩猟採集生活をしていた民族が、いきなり貨幣経済の中で、お金を稼ぐために生きなくてはならなくなるのは、はたして幸せなのだろうか」という問いがあるわけですね。

また、教育の問題といえば「文明人が未開人に対して、民族性が変わってしまうほどの教育を行うことは、非人道的な洗脳とどこが違うのか」という問いもあります。

オーストラリアでは白豪主義の時代に、先住民族アボリジニの子供達を親から引き離して、近代的な生活を教え込んだ事がありました。しかし現在では、これは人権侵害だったとして非難されており、オーストラリア政府もアボリジニに謝罪をしています。

盗まれた世代 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%97%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%96%E4%BB%A3

アボリジニに子供を育てる資格はない!オーストラリアの「盗まれた世代」とは | 日本の魅力を再発見!【黄金の国ジパング】
http://golden-zipangu.jp/australia-aborigine/
>「盗まれた世代」とは、「遅れた文化」であるアボリジニの親元から引き離され、「より進んだ文化」である白人家庭や寄宿舎で育てられたアボリジニの子どもや混血児たちのことです。政府や教会が主導したこの政策ですが、公式的には1969年に終わっています。
>そもそもの「盗まれた世代」を生み出した「遅れた文化」「より進んだ文化」という考え方の背景には、ナチス政権による人種政策と同じく、優生学の存在があります。生物の遺伝構造を改良して、人類の進歩を促そうという考え方です。

豪首相、アボリジニに謝罪
http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/article/080221australia_apoligize.html
>1910年代、オーストラリア政府は、白人の血を引く混血児が、先住民の野蛮な習慣に染まらないように隔離し、白人社会で養育すべきだ、と決定。これにはキリスト教会も協力します。「保護」という名の混血児の組織的拉致は、1970年まで続きました。母親と生き別れになり、伝統文化も言語も失い、根無し草の「黒い文明人」として生きることを余儀なくされた「失われた世代Lost Generation」は、10万人に達します。

↑私には、オーストラリアで行われた「人権侵害」と、ユニセフなどが現在おこなっている「教育支援」の違いがよくわかりません。子供達が親から無理矢理に引き離された事は、かわいそうで酷い話だと思いますが、アボリジニの生活水準を白人と同じにするために、近代的な価値観を教育したのも、いけない事なんでしょうか?

とはいえ、どんな国や社会も、その社会のあり方については、外野の人間がよけいな事をしなければ、いずれは国民性や民族気質に合わせて、落ち着くところに落ち着いていくのだろうとも思っています。ただし現代では「外野の人間がよけいな事をしない」というのが難しいわけですが。

例えば朝鮮半島などは、李氏朝鮮のような社会が一番安定するわけで、実際に李氏朝鮮は500年も続いたし、現在では南も北も、そのような社会に向かっていってますよね。
  1. 2017-08-28 19:27
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  3. かんぱち #vF6NeGQU
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もう1つの問題

第二次世界大戦後の世界では、国民性や民族気質を先天的・遺伝的なものであると考える事は、優生思想につながるとして忌避されてきました。
しかし現在の世界を見ると、国民性や民族気質には、先天的・遺伝的なものが関係していると考えざるを得ません。

というか、国民性や民族気質に、先天的・遺伝的なものが全く関係ないと考える方が、おかしいのですよね。
個人の性格や気質には、生まれつきの部分が大きいことは、誰もがあたりまえのように認めています。それならば個人の集合体である民族に、それが表れないわけがありません。

しかし、政治とは関係ないように見える文化人類学のような世界でも、それをはっきりと言う事はタブーだったんでしょうね。
  1. 2017-08-28 19:28
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  3. かんぱち #vF6NeGQU
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壮大な勘違いなのかも...

「人生まれながら平等である」などと昔の人がのたもうたものだから、今どきの人々はこれを自分の都合の良いように解釈して誰でもが同じ教育を受け、雇用機会にも恵まれ、同じ給与水準でなければ平等でないと文句を垂れる。でも、そもそもこれって「法の下の平等(出自に限らず法が適用される)」を言っているだけ(法で持って秩序の維持をしたいだけ)であって、均一な社会になることを望んだわけではないと思うんですよね...
平等、平等を叫んでる人たちって「オレがブサメンというだけでモテないのはおかしい!!」と叫んでるのと同じだと僕は思うのです。ブサメンはブサメンなりの幸せを見つけられるのだと、僕ぁ残りの一生を掛けてでもそれを証明したいなぁ...(まぁ、嘘ですけどね)
  1. 2017-08-28 22:11
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  3. 出雲の乙 #-
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牛島竜介氏の話、不謹慎だけど笑いますよね。

>もう漁船員達は暇を持て余すどころではりません。 夜明け前から子供達の為に仕事を用意しなくてはならなくなったのです。

必死で仕事捜してやるなんていかにも日本人ですよね。
植民地支配にたけた連中なら、仕事やらせて小銭を放り投げて終わり。
なおも群がる連中には鞭を喰らわせて追っ払っう。
朝鮮見てると分かるけど、下手に温情与えるとロクなことないですな。
搾取するならとことん搾取する。
日本の朝鮮統治は、やはり内鮮一体を本気で考えてたと思いますよ。
  1. 2017-08-28 22:54
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  3. ぽえさく #-
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ヘイト

黒人系の人々が体をクネクネさせて踊れて、その他系の人種が上手く真似が出来ないのは骨の構造が一部違うからだそうです。

人権、権利等々人は何でもイコールと錯覚しがちですが、文化・社会が異なれば「骨の構造が違う」ということを、素直に見るべきと思います。しかしこの意見は明らかに「ヘイト!」で却下されます。

助けず・教えず・関わらずの標語は朝鮮民族だけでなく、結構普遍的です。
  1. 2017-08-29 07:31
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  3. 相模 #-
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身体能力

私の食事に比べても、あの食事であの体格、あの身体能力は先祖、親から受け継いでいます。ひ弱な日本人は日本社会でしか生き残れません、自身で実感しています。
あの体格と運動神経を引き継いで、日本人と同じ教育を受けて同じ能力を出せる様になったら日本人DNAは絶えてしまいますよね。
環境に適合して生存能力が与えられているのが人種なんでしょうから。だから人種差別と言うのは、与えられた生存能力の環境で生きられない間違いなんでしょうね。
不適合を感じるのであれば、その場で差別を主張するのではなく本来生きる能力を与えられた故郷に帰るべきなんでしょうね。
蛇足ですけど、DNA能力が発揮できてその環境に適合できれば何も問題は無いのは当然で、差別だの叫ぶのはその環境に存在する意味も価値も無いのだから自ら積極的に離脱すべきです。
  1. 2017-08-29 08:05
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  3. トラウマ #RWLNmTs6
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日本人の特性

釣りと云うのは誰でもが簡単にできることではありません。知識と経験の世界です。そして、日本人はこの知識を、経験を通してあるいは自分で勉強して身に付けています。学歴や学問とは関係のない分野で身に付けているのです。

これを日本人は当たり前のことのようにとらえていますが、これが原因で職人や指導員として海外に出た日本人は問題を起こしていました。役職者として出た人たちも同じ問題を起こしていました。前者の人たちには、現地の人たちが何故理解できないのか、何故自分で考えようとはしないのか、が理解できないのです。後者の人たちには、高卒や専門学校卒の人に上に上がれる機会を与えているのに、何故その機会を利用して上に上がろうとしないのか、が理解できないのです。

この結果、彼らを叱責したり怒鳴ったりする日本人もいて、この日本人が若い人だと、殺害されたり、高所から落とされたりする出来事がありました。

もう一度書きますと、日本では学校で学ぶことと、自分で本を読んだり経験を通したりして知識を得ること即ち知ることは別のことですが、東南アジアの国では、学ぶこと即ち学問と、知ることは同じ言葉・単語なのです。小・中・高・大卒、そこには歴然とした知識上の区別と、それによる地位、給与の違いが存在しています。一方現在の日本人は、よく言えば無意識の平等主義者であり、性善説信奉者なのです。

日本人はまた、書いて何かを残す或いは伝える民族であり、この点も口伝えを伝達手段とする他のアジア民族とは異なっています。
  1. 2017-08-29 11:51
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  3. chengguang #DibDBv7k
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Re: 多様性の尊重とは何か

> とても興味深い牛島エッセイですね。
> 多様性の尊重といいながら文明国的近代化路線を絶対善とすることの矛盾。
> 多様性を言いながら、魚を捕る技術は身につけられないがために近代化されなくて貧しいままでもいいという生き方、民族があっていいとは誰も言わない。
> それを指摘するのはレイシズムだと言う。
> 本当にそうだろうか。
> 彼らの生き方を貧しく奴隷的とレッテルを貼って逆に蔑んでいるのは我々ではないか?
>
> 身の回りに置き換えても、すべての子供が大学で勉強するようにできていない。なのに、そういう子供の個性は尊重しないのと同じ。
>
> 近代文明的価値観は、確かに科学も文化も発展させた側面はあるけれど、一方で、人権の名のもとに自我を肥大させ、唯物的で学歴と金銭偏重の世の中にしてしまった。
> こんな文明「だけ」が幸せで、彼らが一様に不幸だとどうして言い切れるだろうか?
> と、問われているわけですよね。
>
> また、ひとくちにアフリカ人とは言い切れず、部族によっても能力が違うというのもそうかもしれませんね。
> アジア人と言っても、シナ朝鮮をみるだけでもこれほど違うのですから。

 当にその通りです。

 国連や自称人権派は多様性の尊重と言いながら、実は多様性を認めておらず、結局全ての国、全ての人類に、欧米式の民主主義と人権尊重の理念による国家を作らせ、全ての人類にその理念を強制しようとしているのです。

 多様性を尊重するなら、民族や人種によって能力や職業への適性が違う事だって、率直に認めるべきなのに、それを言えば「レイシスト!」と非難するのです。

 勿論、社会にはこうした偽善や自己矛盾はある程度必要なのですが、しかしそれを徹底すれば、矛盾から来る問題が明確化して、社会そのモノが破綻するのです。
  1. 2017-08-29 12:10
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  3. よもぎねこ #-
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Re: 哲学的な問い

> 日本でもヒットした映画「ブッシュマン」は、コメディだけど「文明を持つことが、はたして全ての人間にとって幸せなのか」というテーマを描いた作品でしたね。
>
> ある日空から瓶が降ってきた!映画「ブッシュマン」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
> https://middle-edge.jp/articles/QQZsH
>
> 現実の世界でいえば「狩猟採集生活をしていた民族が、いきなり貨幣経済の中で、お金を稼ぐために生きなくてはならなくなるのは、はたして幸せなのだろうか」という問いがあるわけですね。
>
> また、教育の問題といえば「文明人が未開人に対して、民族性が変わってしまうほどの教育を行うことは、非人道的な洗脳とどこが違うのか」という問いもあります。
>
> オーストラリアでは白豪主義の時代に、先住民族アボリジニの子供達を親から引き離して、近代的な生活を教え込んだ事がありました。しかし現在では、これは人権侵害だったとして非難されており、オーストラリア政府もアボリジニに謝罪をしています。
>
> 盗まれた世代 - Wikipedia
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%97%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%96%E4%BB%A3
>
> アボリジニに子供を育てる資格はない!オーストラリアの「盗まれた世代」とは | 日本の魅力を再発見!【黄金の国ジパング】
> http://golden-zipangu.jp/australia-aborigine/
> >「盗まれた世代」とは、「遅れた文化」であるアボリジニの親元から引き離され、「より進んだ文化」である白人家庭や寄宿舎で育てられたアボリジニの子どもや混血児たちのことです。政府や教会が主導したこの政策ですが、公式的には1969年に終わっています。
> >そもそもの「盗まれた世代」を生み出した「遅れた文化」「より進んだ文化」という考え方の背景には、ナチス政権による人種政策と同じく、優生学の存在があります。生物の遺伝構造を改良して、人類の進歩を促そうという考え方です。
>
> 豪首相、アボリジニに謝罪
> http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/article/080221australia_apoligize.html
> >1910年代、オーストラリア政府は、白人の血を引く混血児が、先住民の野蛮な習慣に染まらないように隔離し、白人社会で養育すべきだ、と決定。これにはキリスト教会も協力します。「保護」という名の混血児の組織的拉致は、1970年まで続きました。母親と生き別れになり、伝統文化も言語も失い、根無し草の「黒い文明人」として生きることを余儀なくされた「失われた世代Lost Generation」は、10万人に達します。
>
> ↑私には、オーストラリアで行われた「人権侵害」と、ユニセフなどが現在おこなっている「教育支援」の違いがよくわかりません。子供達が親から無理矢理に引き離された事は、かわいそうで酷い話だと思いますが、アボリジニの生活水準を白人と同じにするために、近代的な価値観を教育したのも、いけない事なんでしょうか?
>
> とはいえ、どんな国や社会も、その社会のあり方については、外野の人間がよけいな事をしなければ、いずれは国民性や民族気質に合わせて、落ち着くところに落ち着いていくのだろうとも思っています。ただし現代では「外野の人間がよけいな事をしない」というのが難しいわけですが。
>
> 例えば朝鮮半島などは、李氏朝鮮のような社会が一番安定するわけで、実際に李氏朝鮮は500年も続いたし、現在では南も北も、そのような社会に向かっていってますよね。

 原始的な生活ってそれほど気楽でも楽しくもないようです。 むしろ常に死と隣り合わせの大変厳しい生活です。

 だから人間は必死で文明を作ってきたのです。

 しかしそれはそれとし、どういう文化が正しくて、どういう文化が間違っているか?などとは簡単には言えない。 全ての文化は同等の価値がある。

 これが現在「多様性」を金科玉条とするリベラリストの基本理念です。

 だったらアボジリニへの強制西欧化も、ユニセフの教育支援も、多様性の破壊であることは全く同じです。 それに日本に捕鯨を止めろとか、女性議員や管理職を増やせなどと言うのも、同じく多様性の破壊なのです。
  1. 2017-08-29 12:20
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  3. よもぎねこ #-
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Re: もう1つの問題

> 第二次世界大戦後の世界では、国民性や民族気質を先天的・遺伝的なものであると考える事は、優生思想につながるとして忌避されてきました。
> しかし現在の世界を見ると、国民性や民族気質には、先天的・遺伝的なものが関係していると考えざるを得ません。
>
> というか、国民性や民族気質に、先天的・遺伝的なものが全く関係ないと考える方が、おかしいのですよね。
> 個人の性格や気質には、生まれつきの部分が大きいことは、誰もがあたりまえのように認めています。それならば個人の集合体である民族に、それが表れないわけがありません。
>
> しかし、政治とは関係ないように見える文化人類学のような世界でも、それをはっきりと言う事はタブーだったんでしょうね。

 容姿が明らかに違うし、それに伴って運動能力や体力も異なるのに、知的能力だけは全く違わないと言うのは、奇妙な理論なんですよね。
 
 しかしこの奇妙な理論こそが戦後の平等主義の根幹だったのです。 これはある程度仕方のない面はありますが、そもそもかなりインチキなので、この理論で所得や進学率などの結果平等を求めれば、破綻します。
  1. 2017-08-29 12:24
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  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 壮大な勘違いなのかも...

> 「人生まれながら平等である」などと昔の人がのたもうたものだから、今どきの人々はこれを自分の都合の良いように解釈して誰でもが同じ教育を受け、雇用機会にも恵まれ、同じ給与水準でなければ平等でないと文句を垂れる。でも、そもそもこれって「法の下の平等(出自に限らず法が適用される)」を言っているだけ(法で持って秩序の維持をしたいだけ)であって、均一な社会になることを望んだわけではないと思うんですよね...
> 平等、平等を叫んでる人たちって「オレがブサメンというだけでモテないのはおかしい!!」と叫んでるのと同じだと僕は思うのです。ブサメンはブサメンなりの幸せを見つけられるのだと、僕ぁ残りの一生を掛けてでもそれを証明したいなぁ...(まぁ、嘘ですけどね)

 民主主義国家が保障できる平等は法の下の平等だけで、所得や進学率などの結果平等ではないし、また個人に他人を平等に扱うように強制できるわけもないのです。

 ところが現在の反差別ファシズムは、結果平等と個人に他人を平等に扱う事を強制しているのです。

 これは民主主義社会を破壊します。

 
  1. 2017-08-29 12:38
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  3. よもぎねこ #-
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Re: タイトルなし

> 牛島竜介氏の話、不謹慎だけど笑いますよね。
>
> >もう漁船員達は暇を持て余すどころではりません。 夜明け前から子供達の為に仕事を用意しなくてはならなくなったのです。
>
> 必死で仕事捜してやるなんていかにも日本人ですよね。
> 植民地支配にたけた連中なら、仕事やらせて小銭を放り投げて終わり。
> なおも群がる連中には鞭を喰らわせて追っ払っう。
> 朝鮮見てると分かるけど、下手に温情与えるとロクなことないですな。
> 搾取するならとことん搾取する。
> 日本の朝鮮統治は、やはり内鮮一体を本気で考えてたと思いますよ。

 ええ、こういうのを見ると日本人の人の好さみたいなモノを痛感します。

 で、海外でこの人の好さで成功する場合もあるのですが、しかし逆にそれに付け込まれて散々な目なう人も少なくないようです。
  1. 2017-08-29 12:48
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: ヘイト

> 黒人系の人々が体をクネクネさせて踊れて、その他系の人種が上手く真似が出来ないのは骨の構造が一部違うからだそうです。
>
> 人権、権利等々人は何でもイコールと錯覚しがちですが、文化・社会が異なれば「骨の構造が違う」ということを、素直に見るべきと思います。しかしこの意見は明らかに「ヘイト!」で却下されます。
>
> 助けず・教えず・関わらずの標語は朝鮮民族だけでなく、結構普遍的です。

 平等は美しい理想ですが、現実に体格そのモノが違う以上、身体能力に差がないはずはないのです。 人種間の能力の差を語ると「人種差別」と言われますが、しかし現実に対応しようとしたら、現実に目を背けるわけには行泣かいのです。
  1. 2017-08-29 12:58
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 身体能力

> 私の食事に比べても、あの食事であの体格、あの身体能力は先祖、親から受け継いでいます。ひ弱な日本人は日本社会でしか生き残れません、自身で実感しています。
> あの体格と運動神経を引き継いで、日本人と同じ教育を受けて同じ能力を出せる様になったら日本人DNAは絶えてしまいますよね。
> 環境に適合して生存能力が与えられているのが人種なんでしょうから。だから人種差別と言うのは、与えられた生存能力の環境で生きられない間違いなんでしょうね。
> 不適合を感じるのであれば、その場で差別を主張するのではなく本来生きる能力を与えられた故郷に帰るべきなんでしょうね。
> 蛇足ですけど、DNA能力が発揮できてその環境に適合できれば何も問題は無いのは当然で、差別だの叫ぶのはその環境に存在する意味も価値も無いのだから自ら積極的に離脱すべきです。

 漠然と「差別は悪い」とだけ言っていれば気楽なのですが、この問題を突き詰めていき、結果平等を求めていくと、理論が破綻するのです。

 しかし困った事に差別反対を必死に叫んでいる連中は、この理論そのモノを理解していないのです。 
  1. 2017-08-29 13:03
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 日本人の特性

> 釣りと云うのは誰でもが簡単にできることではありません。知識と経験の世界です。そして、日本人はこの知識を、経験を通してあるいは自分で勉強して身に付けています。学歴や学問とは関係のない分野で身に付けているのです。
>
> これを日本人は当たり前のことのようにとらえていますが、これが原因で職人や指導員として海外に出た日本人は問題を起こしていました。役職者として出た人たちも同じ問題を起こしていました。前者の人たちには、現地の人たちが何故理解できないのか、何故自分で考えようとはしないのか、が理解できないのです。後者の人たちには、高卒や専門学校卒の人に上に上がれる機会を与えているのに、何故その機会を利用して上に上がろうとしないのか、が理解できないのです。
>
> この結果、彼らを叱責したり怒鳴ったりする日本人もいて、この日本人が若い人だと、殺害されたり、高所から落とされたりする出来事がありました。
>
> もう一度書きますと、日本では学校で学ぶことと、自分で本を読んだり経験を通したりして知識を得ること即ち知ることは別のことですが、東南アジアの国では、学ぶこと即ち学問と、知ることは同じ言葉・単語なのです。小・中・高・大卒、そこには歴然とした知識上の区別と、それによる地位、給与の違いが存在しています。一方現在の日本人は、よく言えば無意識の平等主義者であり、性善説信奉者なのです。
>
> 日本人はまた、書いて何かを残す或いは伝える民族であり、この点も口伝えを伝達手段とする他のアジア民族とは異なっています。

 なるほどね。

 その通りでしょうね。
 
 ヨーロッパでも近世以前は、元々学問をする人が非常に少なくしかも本自体が貴重だった時代は、古代の賢人の著書を読んだ事があり、その内容を知っていればそれだけ十分尊敬されたのです。

 特亜や東南アジアなどはこの頃のヨーロッパと同じ状況なのでしょう。
  1. 2017-08-29 13:09
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

平等が覆い隠す

そういえば昔から不思議に思っていたことがありました。
東南アジアもアフリカも欧米の植民地であったことは同じなのに、なぜあんなにアフリカにばかり援助が必要なんだろう?と。

植民地になる前に国という組織が成り立っていたかどうかの違いかな?とそこまで考えて思考が停止していたのですが。
そもそもなぜ国という組織を作ることができた民族とできなかった(作らなかった)民族がいたかということですよね。(アフリカにも国家が存在していたことは承知の上で、大雑把なくくりです。)

なぜという問いを突き詰めると、民族の能力の差というところに行きつくと思うのですが、それを言うとレイシスト、になってしまいますよね。

「人類は平等」という思想は、そこで思考を停止させてしまって真実が追及できなくなる危険な思想でもあるというのは言い過ぎでしょうか?
民族によってまた男女に寄っても得意不得意があるというのは自然なことだと思うのですが、「平等」という言葉がそれを覆い隠してしまって、無理矢理ないことにさせているような気がします。

そして個人的には、「黒人に対するヘイトはNGだけど白人にはOK」のように、既に逆差別の不平等な状態になっているのに、是正されることなく放置されていて、あたかもそれこそが平等な状態であるかのようになってしまうことが一番の問題なのではと思っています。
  1. 2017-08-29 14:03
  2. URL
  3. 絹毛鼠 #-
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梅棹忠夫
  1. 2017-08-29 16:59
  2. URL
  3. #-
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Re: 平等が覆い隠す

> そういえば昔から不思議に思っていたことがありました。
> 東南アジアもアフリカも欧米の植民地であったことは同じなのに、なぜあんなにアフリカにばかり援助が必要なんだろう?と。
>
> 植民地になる前に国という組織が成り立っていたかどうかの違いかな?とそこまで考えて思考が停止していたのですが。
> そもそもなぜ国という組織を作ることができた民族とできなかった(作らなかった)民族がいたかということですよね。(アフリカにも国家が存在していたことは承知の上で、大雑把なくくりです。)
>
> なぜという問いを突き詰めると、民族の能力の差というところに行きつくと思うのですが、それを言うとレイシスト、になってしまいますよね。
>
> 「人類は平等」という思想は、そこで思考を停止させてしまって真実が追及できなくなる危険な思想でもあるというのは言い過ぎでしょうか?
> 民族によってまた男女に寄っても得意不得意があるというのは自然なことだと思うのですが、「平等」という言葉がそれを覆い隠してしまって、無理矢理ないことにさせているような気がします。
>
> そして個人的には、「黒人に対するヘイトはNGだけど白人にはOK」のように、既に逆差別の不平等な状態になっているのに、是正されることなく放置されていて、あたかもそれこそが平等な状態であるかのようになってしまうことが一番の問題なのではと思っています。

 近代化の問題で無視されているのが、近代以前のレベルです。

 近代化の話をする時、近代以前の状況はどうだったのか? どのレベルにあったのか? と言う事を意図的にネグレクトして話しをしているのです。
 
 日本が近代化に成功したのは、日本はイギリスやフランスには及ばなかったけれど、産業で言えばマニファクチャーのレベルまで来ており、近代の直ぐ入口の所でした。

 そこで西欧から工業生産技術を学ぶと、直ぐに理解して近代化に進み始めたのです。

 これは高校2年生の子が、3年を飛ばして大学に入るぐらいの話で、少し頑張れば大学の授業に着いていけます。

 でも国によっては中学生や小学生、或いはそれ以前のレベルと言う所もあります。 アフリカの場合は国家形成以前の国が殆どですから、原始社会からいきなり近代国家を目指した事になります。

 これはもう無理じゃないかと思います。

 黒人の能力の問題以前にいきなり歴史を1000年以上飛び越えるような飛び級は無理なのだと思います。

 しかし否応なしに近代生活への欲望は刺激されるので、どの国も大変な事になっているのでしょう。
  1. 2017-08-30 12:52
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  3. よもぎねこ #-
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Re: タイトルなし

> 梅棹忠夫

 有難う御座います。 訂正します。
  1. 2017-08-30 12:52
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  3. よもぎねこ #-
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「人種は平等ではない」。これは、10年以上前に、アパルトヘイト時代から撤廃時代をまたいで、南アフリカに滞在していた方のブログにかかれていたことでした。
その方は、白人と黒人の双方に実生活で接触した経験から、この結論に達したそうです。
うろ覚えですが、「寒さに強い人種と弱い人種、酒に強い人種と弱い人種など、人種間で身体機能や生理機能に明確な差異が存在するのに、脳だけが全人種同じ、というのは甘い考えだと思う」というような事を書いていたのです。
白人と黒人との価値観は、最早先天的、遺伝的でないと説明できないほど断絶が大きく、これは実際に体験してみないと理解できないというのです。

南アフリカは欧州からの移住者がアフリカ南端に建国した、欧州形の近代国家であり、この間まで原始生活を送っていたような黒人を適応させるなど並大抵のことではないのですが、放置していた大変なことになるので、白人政権は膨大な予算を投じて、黒人の教育に取り組んでいたそうです。
そうした白人政権の努力が実り、黒人の医師や弁護士、事業で成功して富裕層に仲間入りする黒人が出現していたのが、1980年代の終わり頃でした(総合病院へ行ったら黒人医師が大勢いたそうです)。
しかし、こうした同国の事情を知らない国政世論は、アパルトヘイト=悪で思考停止し、とにかく白人政権を潰して、黒人が大統領になれば、全てうまくいくと単純に考え、圧力を加えていました。
黒人政権誕生後の南アフリカは、どうでしょう。白人政権時代の治安維持体制が崩壊し、高度技能者の白人は海外へ移住し、屋台骨を支えていた白人の貧困層が急増しているのです。
「アパルトヘイト廃止は早すぎた。黒人達が社会適応できるよう、白人政権が強権で教育を受けさせるしかない」とも書いておられましたが、現在の状況を見ると、将来は明るくないなとも書いておられました。

以前にも書きましたが、南アフリカの状況は、第三世界から大勢の移民や難民を受け入れた欧州の国々の近未来の姿だと思います。少数派に転落した白人は、人の住んでいない辺境の荒れ地に集落を作って引きこもるしか、生き残ることができなくなるかもしれません。
  1. 2017-08-30 13:49
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  3. 名無しの権兵衛 #1rzA.6oI
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 「人種は平等ではない」。これは、10年以上前に、アパルトヘイト時代から撤廃時代をまたいで、南アフリカに滞在していた方のブログにかかれていたことでした。
> その方は、白人と黒人の双方に実生活で接触した経験から、この結論に達したそうです。
> うろ覚えですが、「寒さに強い人種と弱い人種、酒に強い人種と弱い人種など、人種間で身体機能や生理機能に明確な差異が存在するのに、脳だけが全人種同じ、というのは甘い考えだと思う」というような事を書いていたのです。
> 白人と黒人との価値観は、最早先天的、遺伝的でないと説明できないほど断絶が大きく、これは実際に体験してみないと理解できないというのです。
>
> 南アフリカは欧州からの移住者がアフリカ南端に建国した、欧州形の近代国家であり、この間まで原始生活を送っていたような黒人を適応させるなど並大抵のことではないのですが、放置していた大変なことになるので、白人政権は膨大な予算を投じて、黒人の教育に取り組んでいたそうです。
> そうした白人政権の努力が実り、黒人の医師や弁護士、事業で成功して富裕層に仲間入りする黒人が出現していたのが、1980年代の終わり頃でした(総合病院へ行ったら黒人医師が大勢いたそうです)。
> しかし、こうした同国の事情を知らない国政世論は、アパルトヘイト=悪で思考停止し、とにかく白人政権を潰して、黒人が大統領になれば、全てうまくいくと単純に考え、圧力を加えていました。
> 黒人政権誕生後の南アフリカは、どうでしょう。白人政権時代の治安維持体制が崩壊し、高度技能者の白人は海外へ移住し、屋台骨を支えていた白人の貧困層が急増しているのです。
> 「アパルトヘイト廃止は早すぎた。黒人達が社会適応できるよう、白人政権が強権で教育を受けさせるしかない」とも書いておられましたが、現在の状況を見ると、将来は明るくないなとも書いておられました。
>
> 以前にも書きましたが、南アフリカの状況は、第三世界から大勢の移民や難民を受け入れた欧州の国々の近未来の姿だと思います。少数派に転落した白人は、人の住んでいない辺境の荒れ地に集落を作って引きこもるしか、生き残ることができなくなるかもしれません。

 人間の能力を決める要素は多様なので、どこまでが教育や社会により、どこまで人種や遺伝によるのかを確定する事は不可能だと思います。

 しかしいずれにせよ、人間の適応力には限界があり、歴史で換算すれば数千年のギャップを飛び越える、歴史の飛び級は無理だともいます。

 それを考えれば、アパルトヘイトを止めた事が、結局南アの混乱の原因になっていると言うのは事実でしょうね。
  1. 2017-08-31 12:18
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  3. よもぎねこ #-
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>ワタシは当時、梅「竿」忠夫等京都大学人類額研究室 研究室のアフリカでのフィールドワークに関する本が好きでよく読んでいました。
>梅「竿」研究室の研究員達

梅「棹」忠夫、何度言わせれば気が済むのですか?

IPを確認していただければ分かると思いますが、貴方は三年ほど前に、私のそれなりの指摘に対し、我がコメント中の「リベラリスト」という言葉に脊椎反射して、「リベラリスト」という言葉を「俺様定義」した上で、無条件で私のコメントを否定されました。

私は多少右翼成分が入った保守系と自認しております。また、細かい誤字・脱字程度はスルーする度量もあるつもりです(現にそうしております)。

しかし「よく読んでい」たはずの著作者の氏名を指摘を受けても間違い続けるなんて「何様のつもり」なんですか?また、固有名詞の間違いは単なる誤字・脱字とは違うと思いますよ。

本当に産経系のブロガーはレベルが低いと思った次第です。
  1. 2017-08-31 13:57
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  3. #-
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Re: タイトルなし

> >ワタシは当時、梅「竿」忠夫等京都大学人類額研究室 研究室のアフリカでのフィールドワークに関する本が好きでよく読んでいました。
> >梅「竿」研究室の研究員達
>
> 梅「棹」忠夫、何度言わせれば気が済むのですか?
>
> IPを確認していただければ分かると思いますが、貴方は三年ほど前に、私のそれなりの指摘に対し、我がコメント中の「リベラリスト」という言葉に脊椎反射して、「リベラリスト」という言葉を「俺様定義」した上で、無条件で私のコメントを否定されました。
>
> 私は多少右翼成分が入った保守系と自認しております。また、細かい誤字・脱字程度はスルーする度量もあるつもりです(現にそうしております)。
>
> しかし「よく読んでい」たはずの著作者の氏名を指摘を受けても間違い続けるなんて「何様のつもり」なんですか?また、固有名詞の間違いは単なる誤字・脱字とは違うと思いますよ。
>
> 本当に産経系のブロガーはレベルが低いと思った次第です。

 申し訳ありません。 ワタシは目が悪いので、誤字のチェックは苦手なんです。
 
 それからワタシの所にコメントして下さる方は沢山いるので、3年前のコメントまでは覚えきれません。

 悪しからず。
  1. 2017-08-31 14:28
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  3. よもぎねこ #-
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14:49分現在では誤字を訂正されていませんね。

それから「IPを確認していただければ」と申しておりますように、別に3年前のコメントをご記憶いただいてほしいとも思ってはいません。

日本語、大丈夫ですか?
  1. 2017-08-31 14:56
  2. URL
  3. #-
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トラウマ

>氏名を指摘を受けても間違い続けるなんて「何様のつもり」なんですか?

自分のnameもsubujectも書かないで、人の間違いを執拗に訂正させようと「マウンティング」するのは如何なものでしょうか。
ビジネスでは間違えてはいけないけど、役所関連の人とか組織でも上下関係に厳しい事大主義の人には異常に拘る人が多い。間違えたら侮辱されたと思うのかもしれない。冨永と富永、秋山と穐山、澤田と沢田、彼らはイチイチ修正するのでワザと間違えたりもした。
所詮、人の名前だ。私の苗字などは地方によって読みが違う。呼ばれたらその呼び方で通してしまう。うめさおさんほどの偉人ではないけど。
  1. 2017-08-31 17:35
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  3. トラウマ #RWLNmTs6
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トラウマ様へ

梅棹忠夫は有名人です。
ブログ主は本文で梅棹氏の著作を「よく読んでいました」と述べています。
私は一度間違いを指摘しています。一度目の指摘の際には氏名を述べただけでした。
しかし、ブログ主はきちんと訂正しませんでした。

マウンティングがどうたらの問題でしょうか?


>氏名を指摘を受けても間違い続けるなんて「何様のつもり」なんですか?
(再引用者注・このセンテンス自体は私の書いたものではないのに、あくまでも引用したかのように(私が書いたかのように)みせかけるのは、問題があると思います。しかし貴方と私が他人様のブログのコメント欄で言い合いをするのも好ましくないでしょうから、控えます)

(a)ビジネスでは間違えてはいけないけど、(b)役所関連の人とか組織でも上下関係に厳しい事大主義の人には異常に拘る人が多い。

上記の状況を踏まえた上で、(a)と(b)とが矛盾していないというご説明をたまわりたく存じます。
  1. 2017-08-31 19:17
  2. URL
  3. #-
  4. 編集

RE,トラウマ様へ

スミマセン、論争するつもりは無いのですが、感じた事だけを率直に述べます。
・間違いを指摘するのは親切だとしても、修正しないと責めるのは相手に強要する事に成ります。
例え一般的には間違いとされる事柄に関しても、修正するしないは本人の事情又は意志に係わる問題ですから。
・ビジネスにおいては
(a)対等な関係の場合、間違っても許容をします。違いますよ!位は親切で伝えますが修正を強要しません。
(b)役所の場合は修正して再提出を要求します。時によっては意地悪で知らしめて上下関係を明確にします。上から目線の先生と生徒の関係と同じです。

>何度言わせれば気が済むのですか?
・全くの上から目線、親か先生かパトロンかパワハラ上司、飲食店のモラハラ客、モンスターペアレンツの言葉使いです。叱責言葉です。
>また、固有名詞の間違いは単なる誤字・脱字とは違うと思いますよ。
>しかし、ブログ主はきちんと訂正しませんでした。
・人名を間違えるのは大変失礼だとの常識が在りますね、若い人はそれ程に重要に考えていないと思います。上から目線だと思います、学校の先生とかの経験がお在りでしょうか? 。
>本当に産経系のブロガーはレベルが低いと思った次第です。
・是は失礼ですよね。
>日本語、大丈夫ですか?
・沖縄で役人が現地人に「日本語判りますか?」言ったとかで政治的な問題になって役所が誤ってましたね。

・よもぎねこさんにお聞きしたいのですが。
>「IPを確認していただければ」
・よもぎネコさんはコメント投稿の人のIPアドレスは判るのですか?、
・よもぎねこさんは「産経系ブロガー」と呼ばれる意味はお判りなんでしょうか、私は判りませんので御説明願えますでしょうか。
  1. 2017-08-31 23:16
  2. URL
  3. トラウマ #RWLNmTs6
  4. 編集

私も論争するつもりはありませんので、以下の言葉を最後に失礼させていただきます。

いかにもビジネスの世界にお詳しいようですが、確かに本当に厳しいビジネスの世界では、相手の間違いがこちら側の直接的な損害にならない限り、その間違いを指摘しないことも多いですね。
ただし、肝心なところで間違えたり、一度間違いを指摘されても真摯に対応しないような相手であれば、以後の交渉や取引に重大な影響を及ぼすことも多いですよ。
もっとも能力の低いビジネスマンは、自分の失敗が交渉や取引に悪影響を及ぼしてしまったということに気づかないんですよね。そんな後輩や部下には苦労したものです。
  1. 2017-09-01 00:24
  2. URL
  3. #-
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Re: タイトルなし

> 14:49分現在では誤字を訂正されていませんね。
>
> それから「IPを確認していただければ」と申しておりますように、別に3年前のコメントをご記憶いただいてほしいとも思ってはいません。
>
> 日本語、大丈夫ですか?

 訂正しておきました。
 再々の御注意有難うございました。
  1. 2017-09-01 10:59
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: トラウマ

> >氏名を指摘を受けても間違い続けるなんて「何様のつもり」なんですか?
>
> 自分のnameもsubujectも書かないで、人の間違いを執拗に訂正させようと「マウンティング」するのは如何なものでしょうか。
> ビジネスでは間違えてはいけないけど、役所関連の人とか組織でも上下関係に厳しい事大主義の人には異常に拘る人が多い。間違えたら侮辱されたと思うのかもしれない。冨永と富永、秋山と穐山、澤田と沢田、彼らはイチイチ修正するのでワザと間違えたりもした。
> 所詮、人の名前だ。私の苗字などは地方によって読みが違う。呼ばれたらその呼び方で通してしまう。うめさおさんほどの偉人ではないけど。

 何様の心算って?

 ワタシは目が悪いので夫の方は気付いても棹の方は気付かなかっただけなんですけどね。

 しかし弁護有難う御座いました。

  1. 2017-09-01 11:05
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: RE,トラウマ様へ

> スミマセン、論争するつもりは無いのですが、感じた事だけを率直に述べます。
> ・間違いを指摘するのは親切だとしても、修正しないと責めるのは相手に強要する事に成ります。
> 例え一般的には間違いとされる事柄に関しても、修正するしないは本人の事情又は意志に係わる問題ですから。
> ・ビジネスにおいては
> (a)対等な関係の場合、間違っても許容をします。違いますよ!位は親切で伝えますが修正を強要しません。
> (b)役所の場合は修正して再提出を要求します。時によっては意地悪で知らしめて上下関係を明確にします。上から目線の先生と生徒の関係と同じです。
>
> >何度言わせれば気が済むのですか?
> ・全くの上から目線、親か先生かパトロンかパワハラ上司、飲食店のモラハラ客、モンスターペアレンツの言葉使いです。叱責言葉です。
> >また、固有名詞の間違いは単なる誤字・脱字とは違うと思いますよ。
> >しかし、ブログ主はきちんと訂正しませんでした。
> ・人名を間違えるのは大変失礼だとの常識が在りますね、若い人はそれ程に重要に考えていないと思います。上から目線だと思います、学校の先生とかの経験がお在りでしょうか? 。
> >本当に産経系のブロガーはレベルが低いと思った次第です。
> ・是は失礼ですよね。
> >日本語、大丈夫ですか?
> ・沖縄で役人が現地人に「日本語判りますか?」言ったとかで政治的な問題になって役所が誤ってましたね。
>
> ・よもぎねこさんにお聞きしたいのですが。
> >「IPを確認していただければ」
> ・よもぎネコさんはコメント投稿の人のIPアドレスは判るのですか?、
> ・よもぎねこさんは「産経系ブロガー」と呼ばれる意味はお判りなんでしょうか、私は判りませんので御説明願えますでしょうか。

 FC2ブログで過去のコメントをIPから確認できるのかどうかは不明です。 できたとしてもワタシはやり方を知りません。

 「産経系ブロガー」と言うのはわかります。 ワタシは元々産経新聞のイザブログでブログを始めました。 イザブログが閉鎖になったのでFC2に移ったのですが、イザブログの仲間は今もあちこちでブログをやっています。

 本当に弁護有難う御座います。
  1. 2017-09-01 11:09
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

しかし、失礼なやつだね。

若干マジレスすると、相手方のIPアドレスは移転時にすべて消滅してるはず。旧izaブログのサーバーアドレスしか残ってませんね。あと、こういうコメントするならNameくらいはつけるべきでしょう。旧産経系ブロガーはレベルが低いなどというのは完全に余計なお世話です。上から目線で物を言う、マウンテング以外のなんですかね。

この御仁、人の名前を正しく呼ぶことは重要だという趣旨はわかるがそれ以外何を言ってるのですかね。この指摘に意味があるとすれば梅棹氏と梅竿氏という2人の人物がおりそれの誤解が何か問題を生ずる、もしくは梅棹氏の理解に問題が有るという場合だけでしょう。その摘示がないと議論にはなりません。俺があいつのミスを指摘してやったのだ、あいつは馬鹿だ、俺はえらい、以外の何が有るんでしょうか。根本的に何も分ってません。

おそらくは釣りを覚えられない人と言うのはこういう感性の持ち主なのかもしれないと思います。重要な事が何か分っていないのです。因果論と本質論でしょうか。

この牛島氏がどういう釣りを教えたかは知りませんが、おそらくは糸、針、重りのみを使うもっとお原始的なものだったはずです。そして餌を付け当たりを待って竿を引くという最も単純なものだったと思います。おそらくはあたりが魚が餌を食らうときだということが理解できていないのでしょう。思うにこの場合の原因結果の流れが理解できていないんだと思います。この手の因果律は近代人ならば極当たり前の知識以前のものですが、存外これを理解できません。

釈尊が法を解くときに多くに比喩を使って理解させようとしてるのですが、因果律に関するものがすこぶる多いのです。おそらく古代人の感性では理解できないことなんでしょう。物事の本質が何かという問題も基本因果律がわからないと理解できない部分があります。だから古代人を現代に連れてきても労働者としてはモノの役には立たないのだと思います。完全にマニュアル化荒れた作業以外はやらせてはいけないのでしょう。

おそらくはアフリカ人やムスリムの多数はこのあたりの理解が出来ない人々なのでしょう。誤解がないように言っておきますが個々人が問題なのではありません。現代人でも駄目なやつはおそらく同じく駄目でしょう。その比率と教育可能性でしょう。梅棹氏あたりはその可能性について悲観視してるわけです。ここは同意します。

こんなことはタイで苦労された短足氏ならば肌でわかることなんでしょうが、頭が先に立つ人々には理解が出来ないのでしょう。人だって環境によって規定される動物です。社会の発展段階で人々の思考法が変わるのは当然のことでしょう。さもなければ漢代やローマ帝国で資本主義が発生してたはずです。マルクス主義のようなリニアな発展史観は駄目でしょうが社会的行為のエートスというものは時代によって変わるのです。全ての古代人が理解できないのは当然です。

おそらく移民というもので成功できるのは自己の持つエートスを捨てさりその社会のエートスを受け入れて葛藤を持たず煮ることの出来る極少数人だと思います。そういう古代のエートスにこだわってる人間たちは隣国にたくさんいるでしょう。敢えてヒトモドキとはいいませんがね。

人間は近代人ならば未経験でも近代人の感性が持てるものでもないようです。我が友人に専業家庭教師のF君というのが居るのですが彼に最近聞いた話は底抜けでした。中学受験生の中に流水算を理解できないやつが居る、というのです。よもさんは流水算が何たるかは分かるでしょうから省略しますが、これを感覚的に理解できないらしいらしい。
こういうものは理解するものじゃあないんですが、感覚的に分からないらしい。小生などはそいつは特別支援学級の生徒かと聞いてしまいました。

近代人はおそらくは無形の教育で近代人たり得るのだと思います。アフリカ社会やムスリムのそれでは教育できない何かなのでしょう。ああ後ヒトモドキの国でも。

ところで

よもさん、IMEはGoogleにした方がいいと思うよ。windowsのIMEはただ変換項目として機会的に持ってくるだけだがgoogleは固有名詞とか時事用語とか連中の分かる範囲で引っ張ってきます。誤変換は明らかに減りますよ。老婆心まで。

  1. 2017-09-01 21:45
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

Re: タイトルなし

> しかし、失礼なやつだね。
>
> 若干マジレスすると、相手方のIPアドレスは移転時にすべて消滅してるはず。旧izaブログのサーバーアドレスしか残ってませんね。あと、こういうコメントするならNameくらいはつけるべきでしょう。旧産経系ブロガーはレベルが低いなどというのは完全に余計なお世話です。上から目線で物を言う、マウンテング以外のなんですかね。
>
> この御仁、人の名前を正しく呼ぶことは重要だという趣旨はわかるがそれ以外何を言ってるのですかね。この指摘に意味があるとすれば梅棹氏と梅竿氏という2人の人物がおりそれの誤解が何か問題を生ずる、もしくは梅棹氏の理解に問題が有るという場合だけでしょう。その摘示がないと議論にはなりません。俺があいつのミスを指摘してやったのだ、あいつは馬鹿だ、俺はえらい、以外の何が有るんでしょうか。根本的に何も分ってません。
>
> おそらくは釣りを覚えられない人と言うのはこういう感性の持ち主なのかもしれないと思います。重要な事が何か分っていないのです。因果論と本質論でしょうか。

 誤字はワタシがイケナイのですが、しかし他人の名前を間違えた事で何でこんなに怒るのかよくわからないんですよね。
>
> この牛島氏がどういう釣りを教えたかは知りませんが、おそらくは糸、針、重りのみを使うもっとお原始的なものだったはずです。そして餌を付け当たりを待って竿を引くという最も単純なものだったと思います。おそらくはあたりが魚が餌を食らうときだということが理解できていないのでしょう。思うにこの場合の原因結果の流れが理解できていないんだと思います。この手の因果律は近代人ならば極当たり前の知識以前のものですが、存外これを理解できません。

 言葉が通じない状況で教えているので、身振りだけですから、因果律は説明できなかったとは思うのです。 だから魚が餌に食いついたら引き上げると言う一番基本が理解できなかったと言うのは、その通りかもしれませんね。
>
> 釈尊が法を解くときに多くに比喩を使って理解させようとしてるのですが、因果律に関するものがすこぶる多いのです。おそらく古代人の感性では理解できないことなんでしょう。物事の本質が何かという問題も基本因果律がわからないと理解できない部分があります。だから古代人を現代に連れてきても労働者としてはモノの役には立たないのだと思います。完全にマニュアル化荒れた作業以外はやらせてはいけないのでしょう。
>
> おそらくはアフリカ人やムスリムの多数はこのあたりの理解が出来ない人々なのでしょう。誤解がないように言っておきますが個々人が問題なのではありません。現代人でも駄目なやつはおそらく同じく駄目でしょう。その比率と教育可能性でしょう。梅棹氏あたりはその可能性について悲観視してるわけです。ここは同意します。
>
> こんなことはタイで苦労された短足氏ならば肌でわかることなんでしょうが、頭が先に立つ人々には理解が出来ないのでしょう。人だって環境によって規定される動物です。社会の発展段階で人々の思考法が変わるのは当然のことでしょう。さもなければ漢代やローマ帝国で資本主義が発生してたはずです。マルクス主義のようなリニアな発展史観は駄目でしょうが社会的行為のエートスというものは時代によって変わるのです。全ての古代人が理解できないのは当然です。
>
> おそらく移民というもので成功できるのは自己の持つエートスを捨てさりその社会のエートスを受け入れて葛藤を持たず煮ることの出来る極少数人だと思います。そういう古代のエートスにこだわってる人間たちは隣国にたくさんいるでしょう。敢えてヒトモドキとはいいませんがね。
>
> 人間は近代人ならば未経験でも近代人の感性が持てるものでもないようです。我が友人に専業家庭教師のF君というのが居るのですが彼に最近聞いた話は底抜けでした。中学受験生の中に流水算を理解できないやつが居る、というのです。よもさんは流水算が何たるかは分かるでしょうから省略しますが、これを感覚的に理解できないらしいらしい。
> こういうものは理解するものじゃあないんですが、感覚的に分からないらしい。小生などはそいつは特別支援学級の生徒かと聞いてしまいました。
>
> 近代人はおそらくは無形の教育で近代人たり得るのだと思います。アフリカ社会やムスリムのそれでは教育できない何かなのでしょう。ああ後ヒトモドキの国でも。

 そうですね。 一見知識を学んだようでも、その本当の意味を理解できないと言う事は結構あるのです。 

 前川喜平なんて挙証責任が理解できなくて、WGの委員たちを辟易させちゃったみたいですから。 日本人のエリートであるはずの人間でも古代的なエートスの人間には、近代合理主義の発想は理解できないのでしょうね。

 でもやはり民族全体を見ると、古代、中世のレベルで生きてきた民族が、突然現代に飛び込んでも、殆どの人は現代社会に適応できず苦労するのだと思います。
>
> ところで
>
> よもさん、IMEはGoogleにした方がいいと思うよ。windowsのIMEはただ変換項目として機会的に持ってくるだけだがgoogleは固有名詞とか時事用語とか連中の分かる範囲で引っ張ってきます。誤変換は明らかに減りますよ。老婆心まで。

 解りました。 考えてみます。
  1. 2017-09-02 12:31
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

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