ローマ皇帝マクシミヌス・トラクスはAD2世紀末、ローマの辺境に生まれました。 両親は共に蛮族でした。
しかしローマ軍に志願して兵士と働くようになると、抜群の才能を示し、セプティミウス・セウェルス帝に見いだされた事を皮切りに順調に軍歴を重ねました。
彼は心身共に抜群に強壮で、しかも兵士達には絶大な人望がありました。
当時ローマの辺境ではゲルマン人の侵攻が常態化しており、ローマ国境周辺全体がベトナム戦争のような状況になっていました。
その為皇帝は対ゲルマン防衛の指揮の為、辺境に貼りついて離れないられない状態になっていました。
またローマ市民権を持った兵士だけによる正規軍だけでは兵力が足りず、国境周辺の蛮族出身の補充兵士も多数ローマ軍に加わっていました。
こうした蛮族出身者も一定期間ローマ軍で戦えばローマ市民権を得られました。 マクシミヌス・トラクスの父親もこうした補充兵だったのでしょう。
だからマクシミヌスは出自は蛮族でも、ローマ市民権があり、ローマ正規軍に入る事ができたのです。
マクシミヌス同様、蛮族出身のローマ市民は、当時のローマの正規軍に多数いました。
このような中、AD235年、マインツで対ゲルマン防衛の前線指揮をしていた、時の皇帝アレクサンデル・セウェルスが暗殺されました。
すると兵士達はただちにマクシミヌス・トラクスを皇帝に推挙しました。
そしてこれを元老院も追認しました。
なぜなら前線で戦う軍隊にとって、指揮官の不在は、極めて危険です。 だから指揮官が死ねば一刻も早く替りの指揮官が必要なのです。
そしてこの時、兵士達にとって最も信頼できる指揮官と思えたのがマクシミヌス・トラクスだったのです。 そこで彼等はマクシミヌスを皇帝に推挙したのです。
こうして皇帝となったマクシミヌスはこれまで対ゲルマン防衛政策を一転させます。 それまでの防戦一辺倒を止めて、積極的に敵地に入り込み、徹底的に攻撃するようになったのです。
そしてこの作戦はマクシミヌスの抜群の軍事的才能により大成功しました。
首都ローマには続々と戦勝の報せが届きます。
ローマ軍のこのような華々しい戦果を聞かなくなって半世紀も経った後の快挙でした。
後の歴史家は書いています。
このままマクシミヌスが戦い続ければ、ローマ帝国と蛮族の力関係は激変し、ゲルマンの脅威を一層する事も可能だっただろうと。
このような連戦連勝の大戦果には、ローマの元老院と市民は熱狂するはず・・・・。
しかし現実は違いました。
ローマの元老院はマクシミヌス・トラクスに対する嫌悪と不満を募らせていくのです。
で、何が不満?
マクシミヌスは蛮族の生まれで辺境に育った卑賤の身で、教養もありません。
塩野七生さんによると彼が元老院に送った報告書などを読んでも、いかにも無教養丸出し文書なのだそうです。
門地を誇り教養に溢れた元老院議員達は、こんな人間が皇帝として自分達の上に立つのが我慢できなくなってきたのです。
そしてマクシミヌスが戦費増額の為の増税を要求した時、遂にこの不満が爆発します。
こうした中アフリカ属州総督ゴルディアヌスが反乱を起こすと、元老院は直ちに彼とその息子を皇帝に推挙し、マクシミヌスを国家の敵と決議したのです。
この事態に驚いたマクシミヌスはゴルディアヌスと戦うべく、対ゲルマン戦線を離れ首都ローマに向かいました。 そしてゴルディアヌスを倒しました。
しかし元老院は別な皇帝を立ててマクシミヌスに対抗しました。
このような状況でマクシミヌスに着いてきた兵士達は動揺し、結局マクシミヌスは彼等に殺害されてしまいました。
これで元老院はマクシミヌスを葬る事に成功したのですが、問題はその後です。
マクシミヌスを殺害して元老院に従った兵士達は、直ぐに元老院が推挙していた皇帝の無能に気付いてに憤り、これを殺害してしまいます。
そして兵士達は元老院に新しい皇帝を選ぶように要求しました。
そこで元老院が選んだのは当時13歳のゴルディアヌス3世でした。
エッ? この国難に13歳のガキが皇帝に?
何で元老院がちゃんとした大人を皇帝に推挙しないの?
ガキに皇帝が務まるの?
でもね、元老院議員は皆皇帝になるのイヤなんだよね。
ハリウッド史観では、皇帝になりたいと言う野心に燃えた人間達が大勢いて、彼等が血みどろの権力闘争を続けたと言う事になっているけど、現実にはそう言う人間は殆どいないのよ。
だって皇帝って暗殺とか多くて危険すぎるし、何よりこれに先立つ100年程の間、皇帝は殆ど国境に貼りついて蛮族との戦線を指揮しなくちゃならくなっているの。
だから皇帝に成ったらローマでの快適な生活は諦めなくちゃならないの。
そして戦死と暗殺のリスク覚悟で、辺境で戦い続けなくちゃならないの。
皇帝ってあんまり割の良い商売じゃないんだよね。
だから皇帝には不満は言うけど、自分が皇帝になるのなんか絶対にイヤ!!と言うのが元老院議員の本心なの。
皇帝が後継者を決めないまま急死したような場合は、新しい皇帝はマクシミヌス・トラクスの即位のように前線の兵士達が勝手に推挙するか、元老院が自分達の中から新しい皇帝を選出する事になります。
しかし上記のような有様ですから、元老院に皇帝選出のお鉢が回ってくると議員同士で「貴方どうぞ。」「イエイエ、ワタクシのような浅学菲才にはとてもとても・・・・。 貴方こそどうぞ。」と麗しい譲り合いの精神を発揮する事になります。
だから前皇帝に息子や兄弟など男性の近親者がいる場合は、子供でも何でもいいからソイツに押し付けちゃう事になります。
それがいない場合は、最高齢の元老院議員に押し付けます。
それで未成年の皇帝とか、超高齢の皇帝とかが結構でてくるのです。
マクシミヌス・トラクス帝が殺害された後も、散々この手のスッタモンダを続けて、ローマの政治と防衛はボロボロになりました。 その間にマクシミヌスが残した戦果も喪われていきました。
イヤ、君達こんな馬鹿げたスッタモンダをするぐらいなら何でマクシミヌスを降ろしたの?
教養がない?
生まれ育ちが悪い?
そんなこと我慢しろよ!!
そもそも皇帝の最大の仕事はローマの防衛なんだよ。 だから生まれ育ちの良い皇帝が欲しかったら、君達元老院議員が若い時から積極的に軍務に就いて、軍人として能力を養うべきだろう?
それがイヤで、辺境の防衛を全部蛮族出身の兵士達に任せちゃっている以上、生まれ育ちが良くて教養があって、軍務の精通して兵士達の人望のある人材なんか生まれるわけはないんだよ。
勿論歴史上にはユリウス・カエサルみたいに抜群の知性と教養に溢れ、名門出身で、しかも軍事的能力は最高と言う人だっていました。
しかし彼だって青年時代から長期の軍務経験があるのです。 いかに天才カエサルと雖も、何の経験もなしに優れた指揮官になれたわけではないのです。
元々共和政時代からローマでは政治の最大の課題は、国防でした。 だから執政官始め重要な公職に就くには、軍務経験が絶対必要な条件だったのです。
その為、元老院階級に生まれたら、青年時代に一度は軍務に就くのが常識でした。
けれども時代が下がるにつれてこれが段々うやむやになって行きました。
そして遂には元老院階級の人間が軍務に就くことは禁止されてしまいます。
これは後にローマ帝国滅亡の要因の一つとされるのですが、明確な理由は示されていません。 でも何となくわかります。
辺境で厳しい軍務を続ける兵士達にしてみれば、履歴書に軍務経験を書きたいだけの為にローマから来る坊ちゃんなんか迷惑。
そしてそもそも元老院階級の若者にすれば、軍務なんかホントは大嫌い。
これで双方の利害が一致するのです。
こうなるともうユリウス・カエサルのように生まれ育ちが良くて、教養のある軍人なんて出てくるわけもないのです。
そして前線で皇帝が急死した時に、次に皇帝になるのはマクシミヌス・トラクスのような辺境生まれの叩き上げの軍人しかいなくなるのです。
それでも感情的には出自が悪く教養のない人間が皇帝になるのは我慢できない。
だからと言って、自分達が皇帝として軍を指揮する能力は全くない。 それを養う努力をする意思もない。
自分にはできない、やる気もない事でも、人のやる事には文句を言いたいのは、人情の常だから仕方ありません。
しかし元老院議員と言う重職にありながら、それでホントに有能な皇帝の抹殺までやってしまうのではどうしようもありません。
けれども結局、元老院もローマ市民達もこれを反省する事もなかったのです。
ゲルマン人相手にマクシミヌスのような戦果を挙げる皇帝は二度と現れませんでした。
こうしてマクシミヌスの戦果が喪われた後、ゲルマンの脅威は更に深刻化し、ローマは衰亡の一途をたどる事になります。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」は五賢帝時代以降は、帝国崩壊の無残な物語になって行きます。
で、何で無残かといえば、結局こういうローマ人の堕落の話だから無残なのです。
実につまらない理由で、自分で自分のチャンスを潰していくのです。
マクシミヌスの出自が悪く教養がなくても、これほどの大戦果を挙げなければ、元老院議員達も彼等の自尊心を刺激する事はなかったでしょう。
しかし愚劣な自尊心を国益に優先してしまう。 そして彼等の中には、仲間にそれを自制させようとする人間はいなかったのです。
五賢帝時代以降のローマ帝国はにこのように弛緩し堕落した国家になっていたと言う事でしょう。
支配階級がこんな人達ばっかりになっては、滅亡に向かうのは仕方ありません。
で、何でこんな話を思い出したかと言うと、ワタシがこの数日連続で加計騒動をエントリーしていたからでしょう。
マスゴミや反安倍野党、そして自民党の一部までが安倍おろしに狂奔するのは、憲法改正反対など理由は色々あると思います。
しかしあの愚劣なイチャモンその物のカケ・モリ騒動をみていると、彼等を動かしている物の本質は、実はこのマクシミヌスを降ろした元老院議員達と同じで物はないかと思えて仕方ないからです。