2017-05-26 11:31

中世に生きる人々 イスラム

 以前、池内恵の北星学園大学での講義についてエントリーしました。
 そのエントリーでは書かなかったのですが、池内恵はもう一つ面白い話しをしました。

 それは「ザ・メッセージ」と言う映画の話です。 
 この映画は1976年、イスラム教の教祖ムハンマドが、天使の啓示を受けてから、メッカを征服するまでを描いています。
 サウジアラビアが資金を出して、ハリウッドで制作されました。
 
 サウジアラビアの注文で造られたイスラム教の映画なので、イスラム教の教えを守りムハンマドやその後継者アリは、光や透明人間状態で描かれています。
 一方、その他の点では、コーランの記述に非常に忠実に作られているそうです。

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 で池内恵によると、これは結構面白い、勧善懲悪の西部劇のような面白さだそうです。 

 つまり正義の味方が悪の街で、悪人達に苦しめられ一度は敗退するが、やがて力を付けて、仲間を集めて悪人達を懲らしめると言うストーリーなのです。

 で、池内恵によると、現在イスラム諸国ではこの手のドラマや映画が大量に作られて、盛んに放映されていると言うのです。

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 しかし考えてみると、これはイスラム世界では画期的な事でしょう。

 だってイスラム教ではコーランの翻訳は禁止されており、また偶像崇拝の禁止から、宗教画もありませんでした。

 コーランはアラビア語ですが、これはメッカ周辺のアラビア語で、アラビア語圏でもメッカを離れると簡単には理解できないようです。
 
 まして非アラビア語圏のイスラム教徒など、殆どはコーランの内容は理解できなかったのです。

 その上、イスラム教の教理から、宗教画は絶対禁止なのです。

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 中世のキリスト教会は、教会は宗教画や彫刻で埋め尽くされているのですが、これは民衆に説教をする時に、これらの絵や彫刻を使ったからそうです。

 中世に生きる人々は、読み書きができないだけでなく、抽象概念の把握が苦手で、単純で、子供のような面があるのです。

 そう言えばワタシが子供の頃通ったキリスト教の日曜学校でも、聖書のストーリーを紙芝居などを使って教えてくれました。
  
 ところがイスラム世界では、こうした民衆への教理の布教法が全く不可能だったのです。

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 それがこの「ザ・メッセージ」制作辺りから一転して、映画やドラマと言う、紙芝居や宗教画とは比べものにならない程リアルで、真柏性のある手段での布教が始まったのです。

 これがイスラム教についての一般庶民の認識を大いに変えた事は間違いないでしょう。

 実は今、外務省は在外邦人に対してラマダン期間中のテロの警報を出してます。
 
 これ付いて、NYTにこんな記事が出ていたのです。

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 ラマダーン月は単に断食をする月ではない。他の信徒といっしょに断食をし、断食明けに食事をともにすることでムスリムとして一体感を強化し、さらに苦労を共有することで自分の宗教を再確認し、信仰心を高揚させるという効能もある。

 多くのムスリムがこの時期、宗教的な感情を高ぶらせ、善行に励もうとする。メディアもそれを煽り立て、テレビではイスラームの栄光の歴史を辿る番組が目白押しになる。わたしも中東で何度かラマダーン月を経験したが、ムスリムたちがそうした大河ドラマをみるたびに、中身がそんな変わるわけでもないのに、毎度毎度ベーベー泣いているのに驚いたことがある。

 また、この時期には、とくに豊かな湾岸諸国目指してイスラーム圏から物乞いが飛行機に乗って集まってくるのも有名だ。喜捨は、イスラームの義務の1つであり、ラマダーン月のように宗教心が高揚する時期には信徒の財布の紐も緩まるので、それを目当てに物乞いたちがやってくるのである。もちろん湾岸諸国も対策を立てているようだが、とにかく世界中からやってくるので、対策が追いつかないらしい。(ISのテロが5月27日からのラマダーン月に起きるかもしれない

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 それにしても、また驚くのです。

 イスラムドラマに感動して、べーべー泣き、物乞いに気前よく施し、一方でテロに励む。

 ワタシがこれで思い出したのは、ヨーロッパ中世の人々の話です。

 彼等もキリスト教の祭日に教会へ行き、そこでキリストの受難などの説教を聞いて感動すると、貧者に施すなど善根を積もうとすると共に、キリストを処刑したユダヤ人への怒りに燃えて、棍棒を手にユダヤ人を襲ったのです。

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 ユダヤ人がキリストを処刑したのは事実ですが、しかし中世とはそれはもう千年余りも前の話です。

 それで憎まれても困るのですが、しかし宗教的感動で我を忘れた人々は、千年余り前にキリストを処刑の判決を出したユダヤ人のラビ達と、現在目の前にいる同じ町の住人として小商売に励むユダヤ人の区別がつかなくなっているのです。

 それにしても今のキリスト教徒で、キリスト教の映画やドラマでべーべー泣くとか、説教に感動して気前よく施すなどと言う人はまずいないと思います。

 しかしドラマで感情が高ぶってべーべー泣くとか、その感情に動かされて施しやテロに走ると言うの見ると、当にイスラム世界の人々と言うのは中世に生きる人々だと思うのです。

 中世に生きる人々は、感情の起伏が非常に激しかったのです。

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 実はワタシはイスラム世界に関する本など読むのが結構好きだったし、以前はペシャワール会の会員でした。

 でイスラム世界の何が面白いって、イスラム世界を見ていると、リアルタイムで中世の世界が見られるのです。

 例えば1970年代にアフガニスタンの調査をした岩村忍の「アフガニスタン紀行」などまさに、首都カブールから離れる従って、ドンドン時代を遡り、中世世界にタイムトリップしていくような面白さでした。

 またペシャワール会の会報で、現地の状況を読んでいると、中世の世界をリアルに見ているようでした。

 実際、中世ヨーロッパ史の権威阿部勤也も会員だったのですが、彼も会報でアフガニスタンとトライバルエリアは当に中世の世界だと書いていました。

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 ところがこの中世に生きる人々が、タイムマシンじゃなくて飛行機や難民船に乗って、ドンドン現代に押し寄せているのです。

 実はワタシはヨーロッパ中世史とイスラム世界に興味を持った頃から、考えていた命題があります。

 それは「人間は歴史の飛び級ができるか?」です。

 つまりヨーロッパや日本は、中世・近世・近代と言うステップを踏んで、500年かけて現代までたどり着いたのです。

 その間に何度も葛藤がありました。

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 ところが第二次世界大戦後、イスラム世界は(イスラム世界に限らずアジア・アフリカの国々は全て)いきなり制度上は、現代先進国と同じ民主制を採用したのです。

 選挙一つ取ってもそうですが、日本も欧米も、選挙制を導入した直後は制限選挙制で、その後相当の時間をかけて国民の要求を受けて普通選挙制に移行したのです。

 ところが第二次大戦後独立した国々は、殆ど皆いきなり普通選挙制を採用しているのです。 なるほど民主制を採用する以上は普通選挙制であるべきと言う理念には完全に賛同します。

 しかし現実問題として、国民全体の意識に関係なく、また民主主制を作る意識もないまま、いきなり普通選挙制を採用してマトモに運営できるのでしょうか?

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 そして当然ですが、民主制を採用する以上は思想信条宗教の自由は完全に保証すると言う建前になります。

 しかし前記の通りイスラム世界の人々の意識は完全に中世のままなのです。 少なくとも宗教については完全に中世です。

 宗教意識が中世のまま、民主制を採用し、その宗教意識をドラマや映画などと言うイスラム世界では画期的な手段を殊更煽れば?

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 実際、中世ヨーロッパではそういう事が何度ありました。

 中世ヨーロッパは普通選挙制ではないせよ、民主制の都市国家は幾つもあり、そう言う都市に異常に説教が上手く宗教意識を煽るのが上手い聖職者が現れると、そのまま事実上街の支配者になって宗教による恐怖政治を行い大混乱を引き起こすのです。

 その典型がフィレンツェに現れたサヴォナローラです。

 彼は忽ちフィレンツェの民衆の心を掴み、そしてフィレンツの支配者となったのです。

 そしてその後、宗教改革が始まると、ジョン・カルヴァンのジュネーブ支配など更に陰惨な宗教による恐怖政治が行わるようになります。

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 今イスラム世界で起きているイスラム原理主義政党の台頭など、これと同じではありませんか?

 以前、アヤーン・ヒルシ・アリの事を紹介しました。  ソマリア生まれのイスラム教徒だった彼女は、オランダに移住してからオランダの価値観を受け入れる為には、イスラム教との大変な葛藤を経験しました。

 それはヨーロッパが中世から近代までの350年分の葛藤だったのです。

 彼女の妹もオランダに移住するのですが、しかし妹はこの葛藤を乗り越える事ができず狂死してしまいます。

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 中世から現代への歴史の飛び級は、普通の人間にとっては殆ど不可能なのです。

 それが国家とか民族と言った集団ではまず不可能なのではないでしょうか?

 ワタシは歴史の飛び級は出来ないと思うのです。

 だからイスラム世界が中世から抜け出せば、現代に飛び級するのではなく、近世になるのです。

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 今イスラム世界で起きている事は、中世から近世への移行なのです。

 その葛藤が今始まっているのです。

 そしてイスラム移民と共にその火の粉が欧米に飛んでいるのです。

 このイスラム世界の宗教政治への願望は、イスラム世界が中世を抜け出して、近世・近代を超えるまで続くでしょう。

 これが無理矢理歴史の飛び級をやった結果なのです。

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 そして怖ろしいのは、ヨーロッパ史を見れば最も陰惨だったのが近世です。

 つまり人々の識字率が上がり、印刷機の発明で聖書が普及し、人々が自分の自身でキリスト教の教えを理解する事ができるようになったのは良いのですが、そうするとこれまでキリスト教の教えを独占してきたカソリック教会との対立が始まったのです。

 ヨーロッパの人々が本当にキリスト教を理解し、最も真剣に信仰するようになったのは、この時代でしょう。

 しかしその結果が宗教戦争なのです。

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 それを思うと、現在のイスラム世界が中世から脱出を始める時に起きるのは、宗教戦争ではないかと思うのです。

 宗教戦争は宗教を知性で理解しようとした人達が、その解釈を巡って争った戦争です。

 宗教の解釈など本来知性理解するのは不可能なのに、その解釈を限りなく追及して、しかも宗教であるが故に絶対真理・神の正義として徹底しようとすれば戦争になるのは当然です。

 イスラム世界も近代化により識字率が上がり、またドラマ等でイスラム信仰が更に深化した挙句に、この状況に陥ったのです。

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 そしてその場合、一つはイスラム教徒同志の週は争いと、もう一つはキリスト教に対する攻撃ではないでしょうか?

 少なくともヨーロッパに移民したイスラム教徒達が敵対するのは、キリスト教徒ではないのでしょうか?

 だからワタシはこうしたテロはテロでは終わらないと思います。

 これは来たるべき宗教戦争の前哨戦だと思うのです。

 日本は今のうちから、にこうした宗教戦争に巻き込まれないように用心するべきだと思うのです。


 オマケ・英語の出来る方は是非どうぞ 


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コメント

宗教戦争から神殺しへ

まず、今回のエントリを一読して感じたのは、これを無料で読ませて頂いて良いものだろうか?でした。今回書かれている内容は以前よりよもぎねこさんが折に触れて発言されていた事が多数では有りますが、こうして纏められて読ませて頂くと、非常に分かり易いというか、腑に落ちるように理解が深まったような気がします。有難う御座います。国連関係者やブリュッセルのEU首脳にもぜひ読んで頂きたいものです。

さて、ローマは1日にしてならずの通りに民主主義も1日にしてなるものではありません。まして、現在の世界で最も戒律が厳しい宗教の一つであるイスラム教が教義を乗り越えて民主主義を実現できるのか、さてはて、個人的はイスラムが民主化を勝ち得る為には、多くのキリスト教国が辿ってきたようにに『神殺し』が必要な気がします。少なくとも『祭司殺し』のステップを踏む必要が有るでしょう。例えば日本でも明治維新という疑似的な祭祀殺しを行い、太平洋戦争の敗戦にて限定的な神殺しが行われています。日本は多神教の国ですので、他のキリスト教国と同じ様には考えられないかも知れませんが、似たような段階を踏んでいる事は間違いないのではないでしょうか?

振り返ってイスラム社会を考えてみるとオスマントルコの進出以前から部族間闘争とも宗教戦とも解釈できる(少なくともイスラム教内の宗派対立)段階を経て、2度の世界大戦の後にはイスラエルという異物の侵入に拒否反応を起こしたかの如くに宗教戦争に明け暮れました。そしてその間もシーア派、スンニ派等の派閥の対立は常に存在していて、次のステップに進むのであれば、神殺し・司祭殺しが行われても不思議では無いタイミングでは有ります。

キリスト教圏の神殺しはマルキ・ド・サドのような特異な作家が萌芽を作り、ルソーやヴォルテールのような百科全書派が体系化し、フランス革命のような形としてあらわれ、19世紀後半からシュール・レアリスム運動やニーチェに受け継がれながら、20世紀にしてやっと葬り去る事が出来ました。

アヤーン・ヒルシ・アリのような存在が神殺し・司祭殺しの萌芽となるかどうかは私の理解を越えています。そうなるかも知れないし、結局のところイスラム社会は変わりようが無いかも知れないとも考えています。ただ、少なくとも神々が愛したエウロパは遠くに過ぎ去り、渾沌としたEUがそこに存在するだけとなるような気がしてなりません。
  1. 2017-05-26 23:49
  2. URL
  3. エピキュリアン #-
  4. 編集

摩擦の原因

はじめまして。
いつもよもぎねこ様のブログで勉強させていただいております。
目から鱗に思うことも多く、美しい写真と合わせて毎日楽しみにしています。

今回のイスラム教徒についての考察も、宗教戦争を予測なさっていらっしゃるのがとても興味深いです。
彼らが中世にある、とのご指摘は、実は私もいくらか感じたことでした。『薔薇の名前』という本を読んで、宗教に支配された中世キリスト教徒と今のイスラム教徒に類似点を見たからです。
(暇で暇で何もすることが無い時にでも拙ブログの該当記事をご覧いただけますなら光栄です。 http://ameblo.jp/southerncarifornia/entry-12219572289.html
よもぎねこ様の踏み込んだ考察により、今後の彼らの動きを観察する際の、新たな着眼点ができました。

イスラムは大昔より西欧との交流や諍いがありますし、中国とも交易があったものの、日本という存在はまったくの想定外でしょうね。
イスラムでもなくキリスト教徒でもなく仏教だけでもない、でも非常に進んだ文化と技術を持つ国。
日本だけがイスラム教徒達と西欧の仲介者として公平に立てるのでは?と考えたこともありますが…イスラム教徒の中身が中世だと日本も敵認定されるのでしょうか。

過去にアヤーン・ヒルシ・アリについての記事を拝見しましたので、図書館で借りてきては、読んでいます…が、なにせ南カリフォルニア在住なので、英語本。本は面白いのに非常に遅々とした進み具合です。
この女性は知的なだけでなくユーモアをふわりとまとった文章を書かれてますので、それが彼女をして生き延びさせたのかも?と序章を読んだだけで思いました。
  1. 2017-05-27 02:01
  2. URL
  3. 和泉 #9moh1.ck
  4. 編集

人間にとってのOS(オペレーティング・システム)

パソコンでソフトやアプリを動かすためにはOSが必要なように、人間の脳にもOSのようなものがあるんじゃないかと思います。パソコンのOSは「Windows」や「Mac OS」などですが、人間にとってのOSとは「世界観」です。

自分の身のまわりで起きる出来事や世の中の動きを、仏教徒は仏教的な世界観で理解し、イスラム教徒はイスラム教的な世界観で理解するんだと思います。宗教だけではありません。マルクス思想に染まっている人なら、世の中の動きや人類の歴史を「階級闘争」として理解するでしょう。

中世の世界観の中で生きている人たちは、古いOSをインストールしているパソコンと同じなんだと思います。彼らの脳にインストールされているOSでは「物事を因果関係や時系列で理解する」という事ができません。韓国人が「文在寅が大統領になれば全てうまくいく」と考えるのも、イスラム教徒が「イスラムの教えが徹底されれば世の中が良くなる」と考えるのも、彼らが、物事を因果関係や時系列で理解することができないからだと思うんです。

人間の脳は、パソコンみたいにフォーマット(初期化)することができないので、脳のOSをアップデートするのは難しいでしょう。まだ個人レベルなら、180度異なる世界観を受け入れる事も、人によってはできるかもしれませんが、集団が持っている世界観を変えるのは、ほとんど無理なんじゃないかと思います。
  1. 2017-05-27 10:34
  2. URL
  3. かんぱち #vF6NeGQU
  4. 編集

Re: 宗教戦争から神殺しへ

> まず、今回のエントリを一読して感じたのは、これを無料で読ませて頂いて良いものだろうか?でした。今回書かれている内容は以前よりよもぎねこさんが折に触れて発言されていた事が多数では有りますが、こうして纏められて読ませて頂くと、非常に分かり易いというか、腑に落ちるように理解が深まったような気がします。有難う御座います。国連関係者やブリュッセルのEU首脳にもぜひ読んで頂きたいものです。

 おお、それは余りに恐縮です。
>
> さて、ローマは1日にしてならずの通りに民主主義も1日にしてなるものではありません。まして、現在の世界で最も戒律が厳しい宗教の一つであるイスラム教が教義を乗り越えて民主主義を実現できるのか、さてはて、個人的はイスラムが民主化を勝ち得る為には、多くのキリスト教国が辿ってきたようにに『神殺し』が必要な気がします。少なくとも『祭司殺し』のステップを踏む必要が有るでしょう。例えば日本でも明治維新という疑似的な祭祀殺しを行い、太平洋戦争の敗戦にて限定的な神殺しが行われています。日本は多神教の国ですので、他のキリスト教国と同じ様には考えられないかも知れませんが、似たような段階を踏んでいる事は間違いないのではないでしょうか?

 日本の神道には、そもそも聖典もなく、人間の思考を縛るような理念もありません。
 
 日本の神道に一番似ていると思ったのは、古代ローマの宗教です。
 ローマ人は30万の神がいて、自分達はその神の全てを知っているわけではないと考えていました。 それでローマの神殿には必ず「我々の知らぬ神の為に」捧げられた小さな神殿が付属していたそうです。

 つまりローマ人は自分達が全ての神を知っているわけではないと考えていたのです。
 
 だから外征してその地で信仰されている神々を見つけると、その神様もまた崇拝しました。

 こうした多神教と一神教の最大の違いは、つまり一神教ではり「自分達は神の全てを知っている」と言う発想であり、一方多神教では、そもそも神様全部の名前を知る事さへ不可能と言う発想です。

 後者では神殺しをしなくても、神による思想の統制など不可能なのです。
 だから古代ギリシャ人やローマ人は実は大変敬虔な人々であったけれど、神殺しなどしなくても、極めて自由な学問が発達したのではないでしょうか?

 日本もこの同類だと思います。

> 振り返ってイスラム社会を考えてみるとオスマントルコの進出以前から部族間闘争とも宗教戦とも解釈できる(少なくともイスラム教内の宗派対立)段階を経て、2度の世界大戦の後にはイスラエルという異物の侵入に拒否反応を起こしたかの如くに宗教戦争に明け暮れました。そしてその間もシーア派、スンニ派等の派閥の対立は常に存在していて、次のステップに進むのであれば、神殺し・司祭殺しが行われても不思議では無いタイミングでは有ります。

 思うにイスラム世界は、ムハンマドのジハードによって、形成されて以来、現在に至るまで一度も宗教戦争を休戦していません。

 イスラム世界内でもやるし、対キリスト教も近代になって欧米に植民地支配されるようになるまで、続けていました。
 この宗教の本質として宗教戦争は止められないのです。

 因みにイスラム教ってキリスト教や仏教で言いう意味の聖職者は、そもそもいないのです。 イスラム教のウラマーはイスラム教に一般人より詳しい人と言うぐらいの意味で、聖別された存在ではありません。
 
 だからイスラム教の聖職者殺しと言うのは、そもそもないのかもしれません。

> キリスト教圏の神殺しはマルキ・ド・サドのような特異な作家が萌芽を作り、ルソーやヴォルテールのような百科全書派が体系化し、フランス革命のような形としてあらわれ、19世紀後半からシュール・レアリスム運動やニーチェに受け継がれながら、20世紀にしてやっと葬り去る事が出来ました。
>
> アヤーン・ヒルシ・アリのような存在が神殺し・司祭殺しの萌芽となるかどうかは私の理解を越えています。そうなるかも知れないし、結局のところイスラム社会は変わりようが無いかも知れないとも考えています。ただ、少なくとも神々が愛したエウロパは遠くに過ぎ去り、渾沌としたEUがそこに存在するだけとなるような気がしてなりません。

 そうですね。 そう思います。
 しかし社会全体での神殺しは血みどろの戦いになります。 イスラム教徒を引き込んだ事で、ヨーロッパは再度この血みどろの戦いに引きずり込まれるではないでしょうか?
  1. 2017-05-27 12:22
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 摩擦の原因

> はじめまして。
> いつもよもぎねこ様のブログで勉強させていただいております。

 お恥ずかしいです。

> 目から鱗に思うことも多く、美しい写真と合わせて毎日楽しみにしています。

 楽しんで頂けたら嬉しいです。
>
> 今回のイスラム教徒についての考察も、宗教戦争を予測なさっていらっしゃるのがとても興味深いです。
> 彼らが中世にある、とのご指摘は、実は私もいくらか感じたことでした。『薔薇の名前』という本を読んで、宗教に支配された中世キリスト教徒と今のイスラム教徒に類似点を見たからです。
> (暇で暇で何もすることが無い時にでも拙ブログの該当記事をご覧いただけますなら光栄です。 http://ameblo.jp/southerncarifornia/entry-12219572289.html

 「薔薇の名前」はワタシも読みました。 日本語訳ではわりと簡単で面白かったです。
 因みにあれに出てくる魔女裁判官など歴史上実在の人物です。 

 ブログは大変興味深く拝見しました。 リンクを張らさせて下さいね。

> よもぎねこ様の踏み込んだ考察により、今後の彼らの動きを観察する際の、新たな着眼点ができました。
>
> イスラムは大昔より西欧との交流や諍いがありますし、中国とも交易があったものの、日本という存在はまったくの想定外でしょうね。
> イスラムでもなくキリスト教徒でもなく仏教だけでもない、でも非常に進んだ文化と技術を持つ国。
> 日本だけがイスラム教徒達と西欧の仲介者として公平に立てるのでは?と考えたこともありますが…イスラム教徒の中身が中世だと日本も敵認定されるのでしょうか。

 明治の初年に日本に来たイスラム教のウラマーが日本に着いて書いた本が面白いです。

 「ジャポンヤ―イスラム系ロシア人の見た明治日本 」

 この本は当時のイスラム世界に日本を紹介し、多くのイスラム教徒に日本への期待を抱かせました。
 非ヨーロッパの国が日露戦争でヨーロッパを破ったからです。

 この本の中での日本の評価は非常に高いのですが、一方、著者が期待したのは、その日本へのイスラム教の布教です。

 日本人は善良で勤勉で清潔である故に、イスラム化出来ると考えたのです。

 実はこの感覚って戦国時代に日本での布教を測ったイエズス会と全く同じなのです。

> 過去にアヤーン・ヒルシ・アリについての記事を拝見しましたので、図書館で借りてきては、読んでいます…が、なにせ南カリフォルニア在住なので、英語本。本は面白いのに非常に遅々とした進み具合です。
> この女性は知的なだけでなくユーモアをふわりとまとった文章を書かれてますので、それが彼女をして生き延びさせたのかも?と序章を読んだだけで思いました。

 このアヤーン・ヒルシ・アリと言う人は、知性とユーモアを持つ人であると共に、非常に真摯と言うか真面目な人なのです。
 それで少女時代からイスラム教を真剣に信仰すると共に、それ故の疑問も持ち続けた人です。

 だからあの葛藤を乗り越えられただと思うのです。 
 
  1. 2017-05-27 12:34
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 人間にとってのOS(オペレーティング・システム)

> パソコンでソフトやアプリを動かすためにはOSが必要なように、人間の脳にもOSのようなものがあるんじゃないかと思います。パソコンのOSは「Windows」や「Mac OS」などですが、人間にとってのOSとは「世界観」です。
>
> 自分の身のまわりで起きる出来事や世の中の動きを、仏教徒は仏教的な世界観で理解し、イスラム教徒はイスラム教的な世界観で理解するんだと思います。宗教だけではありません。マルクス思想に染まっている人なら、世の中の動きや人類の歴史を「階級闘争」として理解するでしょう。
>
> 中世の世界観の中で生きている人たちは、古いOSをインストールしているパソコンと同じなんだと思います。彼らの脳にインストールされているOSでは「物事を因果関係や時系列で理解する」という事ができません。韓国人が「文在寅が大統領になれば全てうまくいく」と考えるのも、イスラム教徒が「イスラムの教えが徹底されれば世の中が良くなる」と考えるのも、彼らが、物事を因果関係や時系列で理解することができないからだと思うんです。
>
> 人間の脳は、パソコンみたいにフォーマット(初期化)することができないので、脳のOSをアップデートするのは難しいでしょう。まだ個人レベルなら、180度異なる世界観を受け入れる事も、人によってはできるかもしれませんが、集団が持っている世界観を変えるのは、ほとんど無理なんじゃないかと思います。

 ワタシもその通りだと思います。

 例えば自称リベラリストの自称知識人達を見ていても、コイツラ、そもそも物事の理解の仕方が根源的違う=OSが違う!!と思う事が良くあります。

 そして人類が生まれてからの時間は同じだけ経っているのに、近代化した国と古代のままの国は、国民の脳内OSが違うからと考えてしまう事があります。
  1. 2017-05-27 12:39
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

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