
先週から続いた雨と曇天がようやく終わったのです。
それにワタシの体調不良も収まったようです。
この前ツゥキディテスの「戦史」を読んで目を潰して体調を崩してから、暫く続きを読むのを休みました。
目が痛くて読めなくなったのです。
それで話しはペロポネソス戦争開戦直前で止まっています。
ペロポネソス戦争は、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟と、アテネを盟主とするデロス同盟の戦争です。
デロス同盟は第二次ペルシャ戦役の後、エーゲ海沿岸のギリシャ諸国が、対ペルシャ防衛の為に作った同盟です。
アテネは商工業が盛んな国だったので、次第に単なる対ペルシャ軍事同盟から、経済文化交流の意味が強くなっていきました。
何と言うかNATOとTTPを合体させたような同盟になって行ったのです。
第二次ペルシャ戦役後、30年間アテネの指導者であったペリクレスは、このデロス同盟をひたすら強化拡大しました。
一方ペロポネソス同盟は実は対アテネ軍事同盟です。
これはデロス同盟よりほぼ100年古く、紀元前5世紀頃からアテネの経済力が急激に伸長した事に対して警戒心を持った国々が造ったのです。
特にテーベやコリントと言った、元々はアテネより古くから商業都市として栄えた国々は、アテネの商業権益拡大に大変な危機感と警戒心を持ちました。
スパルタは以前紹介したように、実は完全な自給自足の農業国家で閉鎖経済ですから、アテネと経済摩擦が起きる事はありませんでした。
しかしアテネとスパルタは実は地理的には大変近く、徒歩で3日、船なら1昼夜と言う距離です。
殆ど隣国なのです。
この距離の国が力を伸ばしてくると言うのは、あまりいい気持ちではないでしょう。
こういう状況で、アテネに警戒心を持つ国々が、対アテネ防衛同盟を作り、その中で最強の陸軍国であるスパルタが盟主になったのです。
ところが第二次ペルシャ戦役後、アテネの国力は更に拡大しました。
それまでギリシャ最強の海軍国はコリントだったのですが、アテネは対ペルシャ防衛の為にその4倍の海軍を創設し、これでペルシャ帝国を撃退したのです。
そしてその海軍力はその後も維持されました。
また陸軍の兵力も質はともかく数ならスパルタと同等でした。
その上前記のようにペリクレスは、デロス同盟の拡大強化に務め、その勢力を元来コリントの経済圏だったペロポネソス半島の西側、イオニア海やエーゲ海北部に伸ばしていきました。
これにコリントは怒り狂います。
そしてスパルタに対してペロポネソス同盟の盟主として、アテネへの開戦を督促するのです。
スパルタでは開戦の決断のような重大事項は、市民集会で決めます。
そこでコリント代表がスパルタ人達に、アテネの危険を訴える演説が「戦史」に出ているのです。
そこでコリント代表は、アテネ人が利益の追求の為ならどんなリスクも恐れない。 アテネ人は得られなかった利益を、損出と考え、その損出を出さない為ならどんな事でもすると言うのです。
このコリント人の演説を読んでいると、これが二千五百年も前の物とは到底思えません。
まるでTPPに関してグローバリズム拡大の危機感を説く話しを聞いているようです。
これが古代ギリシャ史の面白さです。
古代の戦争なのですが、しかしこれは当に資本主義国家、そして民主主義国家の戦争なのです。
だから是非、続きを読みたいのです。
とにかくこれで体調は回復したし、それに今日は午後一杯、美しい花と緑を見て目の保養をしました。
だから何とか今夜あたりからまた続きが読めるかも知れません。