それは古代ギリシャ・ローマとの対比からです。
中国が近代国家でないと言うのは、法治主義や民主主義が確立できないからです。
法治主義と民主主義が確立できず、独裁者の恣意による支配が続く国は、どんなに莫大な外貨をため込もうも、宇宙船を飛ばそうとも、所詮古代国家としか評価されないのです。
しかしこれはある意味不公平かも知れません。
なぜなら古代ギリシャ・ローマは古代から法治主義も民主主義も確立していたのですから。
そして実は近代の民主主義もこれに倣っているのです。
実際、古代アテネの指導者ペリクレスの戦没者追悼演説など、今も欧米諸国の教科書に掲載されています。
なぜならこの演説は民主主義の理想と、その社会に生きる市民の理念を見事に顕しており、現代の民主主義国家でもそのまま通用するからです。
我々現代人も民主主義国家に生きる以上、この理想を目指して進む事に何の問題もないのです。
因みに欧米の教養人と言うのは、古来こうしたギリシャ・ローマの古典を学び、ギリシャ・ローマの偉人を理想として教育を受けて来たのです。
そして欧米の人文系の学問を専攻する人達は、今も高校時代からラテン語など古典語を履修して、古代文献を読んでいるのです。
欧米で古代文化の見直しが始まったのは、ルネサンスの頃からですが、その頃の人々は古代人の方が、自分達よりも優れていると思っていました。
そして実際にその通りだったでしょう。
だってイタリア人の平均寿命と平均身長が、盛期ローマ帝国のそれを超えたのは20世紀初頭です。
ルネサンスの頃の人々は、平均寿命も平均身長も明らかに盛期ローマ帝国より劣っていたのです。
このように盛期ローマ帝国の人々の健康状態が良かったのは、古代ローマ帝国の為政者達は公衆衛生の完備に熱心で、都市には上下水道や浴場を造っていたからです。
また道路などの商業インフラを整備すると共に、法整備により公正な商工業の発展を心がけていたので、庶民生活のレベルも非常に高かったのです。
だからこの時代は識字率も高くて、ローマ軍の正規兵は正確なラテン語の読み書きができないと採用されませんでした。
これはもうルネサンスの人々の想像を絶するレベルです。
それどころか近代以降、現代でもなお兵士が正確な読み書きをできない国など幾らでもあるのですから。
西欧文明はルネサンス以降、ひたすら古代ギリシャ・ローマに追いつき追い越せと頑張り続けたと言って過言ではないのです。
だから西欧社会が法治主義社会を造ろうとした時には、ローマ法とローマの司法制度をそのまま模倣しました。
被告と原告がそれぞれ弁護士を立てて争うと言う裁判制度も、判決に不服があれば三回までは上告できると言う三審制も、古代ローマで確立した制度です。
その為弁護士と言う商売も古代ギリシャ・ローマからありました。
また議会制度と言うのも古代ローマからあったのです。
英語の上院を指すSenateなんて、ローマの元老院そのままですからね。
そして弁護士が弁舌で名を挙げて、或いは弁護活動を梃に支持者を集めて政治家に転身すると言う事もまた古代ギリシャ・ローマからありました。
こうしてみるとわかりますが、中国の古代とは全く違う古代なのです。
中国と言う国は、古代から一度の議会などないし、三審制の裁判なんかないし、弁護士と言う商売もありません。
中国は古代から皇帝による絶対的な独裁制度で、法と言うのは皇帝の官僚達が作り、人民を従わせるものなのです。
そもそもローマの皇帝と中国の皇帝は、強大な権力を持つ事は同じでも成り立ちも理念も全く違うのです。
しかし古代社会で中国とギリシャ・ローマで一番根源的な違いは、ギリシャ・ローマでは共に私有財産は不可侵であったと言う事です。
アテネもローマも実は凄い格差社会でした。
アテネのパルテノン神殿建設は、ペリクレスの提案で始まりましたが、建設途中に国費の浪費だとして、これに反対する人達が出てきました。
その時ペリクレスは何と「それなら今後神殿建設は私の自費で続ける。 その代り、完成したら『ペリクレスが建設した』と言う碑文を置く事にするが、それで良いか?」とやり返したのです。
これで反対派は沈黙し、パルテノン神殿の建設は続けられたのです。
塩野七生さんの「ギリシャ人の物語Ⅱ」でこの話しを読んだ時には、ホントに驚きました。
勿論一つはこうして反対派を沈黙させたペリクレスの手腕ですが、しかしもっと驚いたのは、ペリクレスの財力です。
だってペリクレスが個人でパルテノン神殿の建設を続けられるだけの財力を持っていなければ、こんな事を言っても笑い者になるだけでしょう。
ペリクレスはアテネでは最も富裕な名門の一人ではありました。 しかし富裕層の中で飛びぬけて金持ちだった訳でもないようです。
つまりアテネには、このような財力を持つ人間が結構ゾロゾロいたのです。
しかし勿論、人口の大多数は、資産と言える物は一切持たない、日々の労働だけで生活をする人々でした。
にも拘らず私有財産の不可侵は、厳守されました。 勿論富裕層は税やその他、国家への様々な出費は強いられたのですが、私有財産制を否定するような話しは出ないのです。
これはローマも同様です。
この私有財産権の不可侵は、古代ギリシャ人にとってもローマ人にとっても、完璧に自明であったので、敢えて法にも書かないし理念としても唱えないのです。
しかし実はこれは中国とは決定的な違いです。
中国では高校の世界史で習ったように、古代から均田制のような土地の強制配分、私有財産制の否定となる制度が繰り返し成立しています。
このような私有財産の否定、農地の均等配分と言う制度は、周代か始まりました。
そして皆、制度完成後数十年程度で完全に行き詰り崩壊するのですが、しかし新しい王朝ができると、また同様の制度を作るのです。
そしてこれを作るのは必ず漢民族の王朝です。 元や清など遊牧民による征服王朝はこんな事はしないのですが。
だから中国人にとっては私有財産の否定、農地の強制配分と言うのは、本来の王朝のあるべき姿なのでしょう。 そしてそれが歴史上何度行き詰まってもそんなことは関係ないのです。
これを想うと、現在の中国共産党政権の成立も、全くこの歴代王朝の繰り返しの一つではないでしょうか?
中国には私有財産の不可侵と言う発想はなく、本来資本は全て国家の物であると言う発想が紀元前から続いてきたのです。
こうした中国人にすれば、共産主義と言うのは、西欧から学んだと言うよりも、自分達の古来の理念を西欧人が西欧流に解説している言う感覚なのかもしれません。
だから物凄くシックリと相性が良いのだと思います。
これに比べると民主主義と言うのは、中国社会にとっては全くの異物です。
「紫禁城の黄昏」の著者で、愛新覚羅溥儀の家庭教師だったレジなる土・ジョンストンは「孫文は民主主義を理解できなかった」と言います。
しかし考えてみると中国は4千年の歴史で一度も選挙をしたことがない国なのです。
例えば日本式の民主主義である寄合や町役や村役などによる会合のような物もありません。
中国の支配者にとっては人民は常に愚民であり、それは元々貧農出身だった孫文にとってもそうなのです。
ところで古代ギリシャ・ローマの歴史を学ぶとわかりますが、徴兵制こそが民主主義の根幹です。
古代ギリシャ人やローマ人にとって、政治とはまず国家を外国の侵略から守る事です。
だから外国からの侵略から国家を守る為に戦う人は、皆参政権を得るのです。
逆に言えば参政権を得た以上、兵役の義務が出るのです。
自分の命を懸けて国家を守る義務があるから、国家の政治に口を出すのは当然。
自分が政治に口を出した以上、イザとなれば国家を守る為に戦う義務がある。
このセットで民主化が進むのです。
古代の兵役は武器や糧秣は自分持ちでした。 ところが武器は結構高価でした。 特に馬など本体の値段が高いばかりか、維持費も大変です。
そこで馬が引く戦車や、重装歩兵など高価な武器が、戦争の主力だった時代は、こうした武器を持てない労働者階級には兵役の義務はなく、だから参政権もありませんでした。
ところがその後戦法が変わり、軽装歩兵や更に海軍が戦力が重要になると、労働者階級もまた兵役の義務を負う事になり、それ故参政権を得るようになるのです。
例えばアテネが第二次ペルシャ戦役で勝てたのは、海軍力によります。
その後もエーゲ海の覇権を確保し続けるには海軍力が必須になりました。
ところでこの時代の海軍艦船の主力は三段櫂船と言われる櫂を漕いで進む船でした。
これは一隻に170人の漕ぎ手が必要です。 この漕ぎ手はアテネの労働者階級から得るしかないのです。
そこで船は富裕層が費用を出して建造しても、漕ぎ手は労働者階級に頼る事になりました。
この海軍の活躍で、アテネはペルシャ帝国の侵略を退けて、エーゲ海の覇者になりました。
そしてこれにより労働者階級の発言力が非常に強くなったのです。
このような形の民主化の進行は、古代ローマでも大正デモクラシーでも同様です。
だから西欧の独裁者は徴兵制は好みません。
徴兵制にすると安く大量に兵員を得られますが、しかし一旦武器を持ち、戦う事を覚え、自分達の力に自信を得た人々は、独裁者に従わなくなるからです。
例えばマキャベリは、民主都市フィレンツェ防衛の為に、フィレンツェ人だけからなる防衛軍の組織しました。
これは傭兵頼りだったフィレンツェの国防に極めて有効と思えたのですが、民主制崩壊後フィレンツェの支配者となったメディチ家はこれを解散させてしまいました。
封建君主となってフィレンツェを支配するようになったメディチ家にとってこのような防衛軍の存在は、自分達の支配にとって危険だと察知したのでしょう。
ところがここで不思議なのが中国なのです。
中国でも古代から徴兵制を敷いていました。
中国と言う国は歴史的に常に騎馬民族の侵攻に晒されていたので、その防衛は一時も休めないのです。
騎馬民族は王朝を倒すだけでなく、まず農村を略奪しますから、この防衛なしには農民の生活も成り立ちません。
それを思うと対遊牧民防衛の必要性は、全て国民が理解していたはずです。
中国の古典には、こうした兵役に苦しむ農民の嘆きや、それに同情する知識階級の話は幾らでもあります。
しかしなぜかアテネの労働者階級や、小規模自作農のように、「国土を守る為に頑張ろう!!」と言った積極的な話は一切ないのです。
そしてこうした兵役は、参政権の獲得と言った積極的な話に一切繋がりません。
農民はタダもうひたすら兵役を嘆き、忌嫌い、支配者はひたすら彼等を安い兵力として使い続けると言う無残な状況しか続かないのです。
そもそも中国人の兵士に対する評価は非常に低いです。
良鉄は釘にならず、良民は兵にならぬ。
つまり兵隊になるのはマトモな人間ではない、破落戸やヤクザなど普通の社会人として通用しない人間が兵士になると言うのです。
勿論、西欧でも貧しい人が兵士に志願している例は多いのですが、しかし志願すれば国家を守る人として尊敬されます。
でも中国にはそう言う感覚は全くないのです。
しかしこれを思えば中国に民主主義が成立しないは当然と思わざるを得ないのです。
だって国家を守る、共同体を守ると言う事を肯定的に評価せず、唯危険で割りの悪い仕事だからと避けるだけの人達が、民主主義国家を造れるわけはないのです。
別に兵役に限らず古代の民主主義国家では、国家の指導者だって無給で責任ばかり思いのです。
勿論汚職などの不正をやれば厳しく罰せられます。
ワタシなら幾ら名門の富裕層に生まれてもアテネでストラテゴスになる気はありません。
民主主義は国家の為の戦いを厭わない戦士の制度であり、国家に奉仕する意思を持つ人間達の為の制度なのです。
ただひたすら兵役を嘆き続ける中国の農民達は、同情には値します。
しかし彼等自身が兵役を逃れる事以外何も望んでいないだから、参政権を得る事などできるわけもないのです。
こういうの見ていると中国と西欧との根源的な違いを感じずにはいられないのです。
文明史から言えば西洋の民主主義と法治主義は古代理想の復興ですが、中国の共産主義と独裁もまた古代国家の再現なのです。
それを考えると中国が民主化し、法治主義を確立すると言うのは殆ど不可能ではないかと思います。
つまり中国は近代国家になれなと思わざるを得ないのです。