これはご隠居さんが、昨日(2月24日)のエントリー「気に入らない判決は無視ニダ」で紹介して下さった韓国野党の大統領弾劾裁判にたいする見解です。
怒りも喪失感も、純然たる感情でしょう?
感情に合わない判決は気に入らないから無視ニダ!!
おお、これこ衆愚制の本質ではありませんか?
民主主義と衆愚制はどう違うか?
民主主義は元来、全ての国民が対等な立場で話し合い、多数決で物事を決める制度です。 だから大衆の賛同を得られない政策は絶対実現しません。
その意味では民主主義国家の政策は全て大衆迎合なのです。
そうなるとどういうどう言う大衆迎合が衆愚制かと言う事が問題です。
で、ワタシは大衆の理性に迎合する政治が民主主義で、感情に迎合す政治が衆愚制だと思うのです。
つまり全ての人間には理性と感情があるのですが、理性で感情を抑制できなくれば愚になるのであり、その愚に迎合するのが衆愚制だと思うのです。
実はワタシは先日塩野七生の「ギリシャ人の物語Ⅱ」を読んだのですが、この後半はアテネが衆愚制に陥り、ペロポネソス戦争を際限もなく拡大させた挙句にスパルタに無条件降伏する過程なのです。
読んでいて愕然としたのは、衆愚制と言われた時代でもアテネ市民は熱烈な愛国心を維持しているのです。
アテネは無謀なシチリア遠征を行って惨敗し、実に3万人もの戦死者を出しました。
当時のアテネで市民権を持つ成人男子の総人口は10万人弱だと推定されますから、その3万人が戦死すると言うのがどれ程大変なことか・・・・・。
勿論市の財政も危機状態になるのです。
この敗戦でアテネの国力は決定的に損なわれ、スパルタの優位が確立しました。
しかしそんなことでアテネ市民の愛国心は挫けませんでした。
アテネ海軍はこの敗戦で200隻から50隻にまで激減しました。
これは海洋国家でありエーゲ海の制海権を生命線とするアテネには死活問題でした。
するとまず軍船の漕ぎ手達が、給与半減での勤務を申し出ました。 軍船の漕ぎ手は無産階級が務める兵科です。 彼等は働かないと生活ができない人々です。
だから軍船の漕ぎ手にだけは、アテネ市側から軍務中報酬を支払われていたのです。
その彼等が自ら給与半減を申し出たのです。
一方最富裕層達は各自自費で軍船の建造を申し出ます。 建造した軍船には自分が艦長として乗り込むと共に、漕ぎ手の給与その他の用船経費も負担するのです。 漕ぎ手は一隻に170人が標準です。
しかしそれでも漕ぎ手は足りませんでした。 シチリア遠征では、出撃した軍船の漕ぎ手が余りにも大量に戦死したからです。
するとそれまで重装歩兵や騎兵として兵役を務めていた中産階級以上の人達が、自ら軍船の漕ぎ手を志願したのです。
そして元々漕ぎ手だった下層階級の人々の指導を受けて、漕ぎ手としての技術を学んだのです。
民主主義国家とは言え、階級社会だったアテネでこれは大変な事でした。
このような熱烈な愛国心に支えられて、アテネ海軍はたちまち復活し、エーゲ海の制海権も瞬く間に取り戻したのです。
こうした愛国心こそが、民主主義国家の強さの根源なのです。
過去の二回のペルシャ戦役では、愛国心に燃える市民と優れた指導者によって、アテネはギリシャ諸国を一つにまとめ、超大国ペルシャを退ける事に成功しました。
民主主義国家でも指導者は必要です。 だって幾ら賢明で愛国心に燃えた人達でも、10万人がワイワイガヤガヤとやっていては身動きは取れませんから。
それで市民達は民主的に指導者を選んだのです。 陶片追放騒動とかその他民主制ならではの問題も何度か起きたのですが、それでも結果としてはテミストクレスなど超有能な指導者を得て、アテネはペルシャ帝国を退けたばかりか、エーゲ海の覇者となったのです。
優れた指導者と愛国心に燃える市民。
鬼に金棒のアテネに適う敵はなかったのです。
ところがこれその30年程後、ペリクレスの没後ぐらいからオカシクなって行きます。
アテネ市民はペリクレスの晩年から始まったペロポネソス戦争に際限もなくのめり込んでいくのです。
ペリクレスの生前はこの戦争はしない訳にはいかないけれど、何とか致命的な事態は避けよう、戦線の拡大は極力抑えようと言う理性が働いたのですが、ペリクレスの死後はそれがなくなるのです。
しかも有能な戦争指揮官は出てきません。
一方対戦相手のスパルタには、スパルタ政府自身が期待も想像もしなかった程有能な指揮官が次々と出てしまうのです。
アテネ市民から選ばれて軍を指揮した指揮官達は、それなりに真面目で愛国心はあったようですが、戦略も戦術もないままボコボコにやられるばかりです。
最悪なのが前出のシチリア遠征でした。
アテネのシチリア遠征に対抗して、スパルタがシチリアに送り出したのは、言ってみれば義理チョコでした。
つまりスパルタはシチリアなんて遠方にまで軍を送って支援するのはイヤなんだけれど、ペロポネソス同盟の盟主として義理があるので、取りあえず援軍らしきものを送らない訳にはいかない。
だから仕方なく適当な奴に非正規兵を700人だけ着けて送ったのです。
ところがこの義理チョコの指揮官が無暗に優秀で、アテネのシチリア遠征軍は全滅させられるのです。
それでも愛国心に燃えたアテネ市民達は、そのまま対スパルタ戦に邁進するのです。
ボコボコにやられるから懲りるのではなく、ボコボコにやられた事で、敵愾心が募りコントロール不能になっていくのです。
そして冷静に状況を分析したり、先の見通しを建てたりする代わりに、とにかく目の前の敵と戦う事だけに熱中するようになってしまうのです。
肉親や戦友の戦死により「恨み晴らさで置くものか」と言う心境になっていくのでしょうね。
市民全体がそういう感情だけで暴走するので、相応の指導者しかでなくなるのでしょう。
こうなるともうギャンブル依存症の人が、負けを取り戻そうと更にギャンブルののめり込むと同じ状況です。
因みにギャンブル依存症になるのは「責任感が強く真面目。自分の気持ちを表現することが苦手でストレスをためやすい」人なのだそうです。
愛国心に燃えた市民と、有能な指導者がいれば、民主主義国家は「鬼に金棒」でした。 しかしいつの間にか鬼はいなくなって金棒だけ残ったのです。
このようなアテネ市民の愛国心で再建された海軍に、再度スパルタが襲い掛かりました。 しかしスパルタは元来海軍国ではありません。
だからスパルタ本国はどこまで本気でアテネ海軍と戦う気だったのは不明です。 しかしペロポネソス同盟の盟主として、義理があるので仕方ありません。
そこでまた義理チョコを送るのです。
ところがこの義理チョコの指揮官も前回のシチリアの義理チョコを超える程の有能さを発揮します。
アテネ海軍はこの男に翻弄された挙句に壊滅し、そしてアテネは遂に無条件降伏に追い込まれたのです。
スパルタ王が率いる精鋭と戦って敗れたのならまだしも、スパルタの義理チョコに翻弄された挙句に、惨敗とは・・・・・。
高邁な愛国心と勇気に燃えたアテネ市民は、その愛国心と勇気故に理性を喪い自滅したのです。
余りと言えば余りに無残な結末でした。
読み終わってガックリしました。
そして思ったのです。
衆愚制と民主制の違い。
それは衆が賢であった場合は民主制で、衆が愚になったら衆愚制なのだと。