祖母が彼女と彼女の妹に、父、祖父、曾祖父から始まって800年前までの先祖の名前を全部覚えさせました。
ソマリア人同志、初対面の人とあった場合、まず双方がそれぞれの先祖名を延々と唱え続けて、8代前でも9代前でも同じ先祖がいればそれでお互いに同族と言う事になり、相互扶助の義務があります。
だから先祖の名前を覚えるのは、非常に重要なのです。
そ、そんな800年前までの先祖の名前を覚えるって、稗田 阿礼じゃあるまいし!?
でもソマリアには文字が無かったのです。
だから先祖名だけでなく、古代から伝わる詩や伝説も全部、古事記編纂以前と同様、全て口伝で伝えられているのです。
稗田阿礼の少女時代と同じ無文字社会だったのです。
ソマリア語の文字表記法は実はこのアヤーン・ヒルシ・アリの父親の友人が初めて作りました。
そして彼女の父親はこの文字表記方による識字教室を主催している時に、生徒だった彼女の母親と知り合い結婚したのです。
1960年代末の話のです。
このように文字のなかった社会で、幼少期から記憶によって叩き込まれた部族意識は、大変強固です。
彼女の父親は大変開明的な人で、独学で英語を学びアメリカの大学を卒業しました。
その後識字教室を主宰するだけではなく、当時のソマリアの独裁政権に反政府運動の中心にもなっていました。
その為、投獄されたのですが、彼と同族だった刑務所長が脱獄させてくれました。
しかし彼が脱獄した後、刑務所長は銃殺されました。
父親がこのような人物だったため、一家はソマリアを離れて、サウジアラビア、エチオピア、ケニアなど国外生活を続けることになります。
そしてケニアで両親の結婚生活が破綻して、父親は家を出てしまいました。
ソマリアはイスラム教の国ですが、女性隔離はアラブ諸国程ではなく、このよう場合は普通女性も働きます。
しかしアヤーンの母親は、サウジアラビア式のイスラム教に凝り固まっていたので、このような状況でも絶対に家を出て働くことは拒否しました。 (このような母親の性格が結婚が破綻した原因のようですが)
この母子家庭を扶養したのは、ケニアで成功している同じ部族の男性です。 つまり5~6代前の先祖が同じと言うだけで、日本人の感覚では親戚とも言えない間柄です。
しかし母親は毎月、彼の所に行きへりくだる事なく「生活費が足りない」と言って、生活費を貰ってきたのです。
この男性は他に多数のソマリア人の同族を扶養していました。
これで一家は飢える事もなく、子供達は学校に通う事ができました。
アヤーンの所属する部族は、ソマリアでも特に高貴で有力な部族で、しかも父親には格別な人望がありました。
だから一般のソマリア人に比べれば遥かに手厚い扶助を受けられたのでしょう。
それにしても国家の福祉も、それどころか貯金などの手段さへない社会で、部族の紐帯がいかに重要かが良くわかります。
こうして彼女と彼女の妹はケニアで中学校と秘書養成学校を卒業するのですが、母親は断固として娘達が働くことに反対したので、二人は親族の助けを借りてソマリアに行きます。
そして親族の家に寄宿したながら暫く働きました。
しかしソマリアの政情不安が酷くなったので、二人はケニアへ帰りました。
二人がケニアに戻って一月余りで、ソマリアは内戦に突入しました。
そして大量のソマリア人がケニアに向けて脱出し始めました。
こうしたある日、同族の男性がアヤーンの家を訪ねてきて、彼女の兄に「ソマリアに残された妻子をケニアに連れてきたいので、助け欲しい。」と頼みます。
ケニア国境を超えるのに、スワヒリ語の出来る人が必要だと言うのです。
アヤーン兄弟はケニアで教育を受けました。 ケニアの学校は授業は英語、生徒同士の会話はスワヒリ語と言う世界だったので、彼等はこのどちらも完璧に話せたのです。
しかしアヤーンの兄は、なかなか腰を上げないので、結局アヤーンがこの男性と一緒に、彼の妻子を救いに行きました。
そしてケニア国境近くのソマリア側の難民キャンプを回り、この男性の妻子の他、同じ部族の男女子供など30人余りを連れてケニアに戻りました。
そして彼等は全員、アヤーン一家の家に転がり込みます。
その中には両親とはぐれた幼い子供二人もいたのですが、この子供達はアヤーン一家で養育する事になります。
すると一家には海外在住のソマリア人から送金がドンドン届き始めました。
それで収入のない母子家庭で30人余りの人間が暮らす事ができたのです。
しかもこれは銀行振り込みなんかではありません。
同じ部族の人間同志が、次から次へと現金を手渡して託けて、最後に受取人の近所の食料品店などに届くと言う仕組みなのです。
文字もマトモに書けない人達同志で現金を手渡しするのですから、領収書も何もないのですが、それでも一銭も誤魔化される事なく最終受取人の所に届くのです。
受け取ったお金を誤魔化すような事をしたら、部族内で生きていけないと言う暗黙の合意があるから、こんな事ができるのでしょう。
部族社会と言うのは実に凄いモノです。
しかしこの凄い部族社会は、近代国家の理念とは相いれません。
同じ部族同志で強固な相互扶助義務を持つと人達が公務員や政治家として権限を持てばどうなるか?
そして前記の送金法などがあれば、徴税も犯罪に関わる違法送金の監視も、絶対不可能のです。
ソマリアの民主主義国家、次に社会主義国家を目指しますが、しかし結局は部族対立による壮絶な内戦に突入するのです。
また部族外の人間、部族の規範を犯した人間には極めて酷薄です。
アヤーンが同族の男性と彼の妻子を救いにケニア国境付近の難民キャンプへ行った頃、そこでは親族とはぐれて一人になった女性達が、ケニア人の集団強姦に遭っていました。
ケニア人達は昼間に一人になった女性に目を付けて置いて、夜になると集団で襲うのです。
皆大混乱の中で逃げて来たのですから、親族とはぐれた事は女性達の落ち度でない事はわかるはずです。
しかしソマリア人達はこうした女性達をケニア人の強姦から保護してやろうとはしませんでした。
そして強姦されて重傷を負った女性達を助けようともしませんでした。
アヤーンは難民キャンプの救護所に彼女達の救援を求めに行きましたが、他の親族達は「そんなことは止めろ」と言うのです。
一人になり強姦された女性は穢れた物として捨てらて衰弱死するのです。
そしてこうした極めて原始的な、日本人で言えば古墳時代以前のような部族社会でも、明確な階級差別と部族差別があります。
更にこのように原始的社会でありながら、ソマリア人はエチオピア人やケニア人に対しては明確な優越感を持っています。
ソマリア人はケニアやエチオピアで難民として暮らしているのにです。
歴史はエチオピアの方が遥かに古く、様々な古代遺跡や文化があります。
また経済的にはケニアの方がソマリアより遥かに豊で、先進的な国です。
しかしそれでもソマリア人は自分達のコミュニティーに立て籠もりながら、ケニア人やエチオピア人を見下しており、現地化したソマリア人を侮蔑しています。
この優越感と差別意識の根拠は不明ですが、しかしこうした優越感や差別意識はソマリア人だけの物ではないのです。
欧米人は途上国から来た人々を「差別されるカワイソウな人々」と信じているのですが、しかし実は途上国から来て受入国の福祉手当を宛てにして生きている人々の方が、受入国の国民を見下し差別しているのです。
だから同化もしないし、受入国の法律や社会ルールを無視するのです。
こうした現実を少女時代から知り尽くしているアヤーン・ヒルシ・アリが、ヨーロッパの自称リベラリストの唱える多文化主義や多様性の尊重に同意できないのは当然でしょう。
そしてこのような部族意識がある限り、近代国家の形成は不可能でしょう。
しかし社会福祉など一切ない世界で、部族意識を喪えば、相互扶助義務もなくなり、母子家庭など弱者保護の手段は一切なくなります。
所謂途上国の抱える厳しい現実がリアルに見えてきます。
そしてこのような現実が、移民や難民と共に彼等を受け入れた欧米諸国にも押し寄せているのです。