アヤーン・ヒルシ・アリは1969年ソマリアで生まれた女性です。
そして当然イスラム教徒として育てられました。
しかし21歳の時に父親から面識もない男性との結婚を強制されたため、家族や部族とは縁を切って、オランダで難民申請をし認められました。
(この難民申請が後に問題になります)
その後、ライデン大学で政治学びオランダ国籍を取得しました。 そしてオランダの左派政党オランダ労働党のシンクタンクに就職しました。
けれども彼女は自分の生い立ちからも、また自身がイスラム教徒の難民として同じ難民や移民を知る立場として、オランダのリベラリスト達の描くイスラム像に明確な反対意見を述べるようになりました。
イスラム教の女性蔑視や、同性愛者への攻撃、何よりもイスラム原理主義者のテロリズムの根源は差別や貧困などではなく、イスラム教そのモノが持つ問題であることを明言したのです。
そして「寛容」「多文化主義」「多様性を認める」などの名目で、オランダ政府がイスラム教徒のコミュニティー内で行われる女性虐待や、テロリズムを煽るような教育を放置している事に反対しました。
「不寛容に対する寛容は臆病である」
異教徒や女性や同性愛者に徹底的に不寛容なイスラム教徒のコミュニティーを、「寛容」と言う名目で放置すれば、女性や同性愛者や子供の人権が守れない。
彼女はこのように訴えたのです。
これはオランダでは大変な反響を呼びました。
それで彼女は一躍有名人になりした。
彼女の意見に賛同したのはオランダの右派政党、オランダ自由民主国民党でした。
そして彼女はここから国会議員選挙に出馬し、当選します。
国会議員となった彼女が取り組んだのは、イスラム教徒女性の人権擁護でした。
しかしこのような彼女の言動は、イスラム教徒達を憤激させました。
その為、常にイスラム教徒による暗殺の危険に晒される身となりました。
2004年、彼女が告発するイスラムの女性虐待問題を、映画監督テオ・ヴァン・ゴッホが10分程の短編映画化しました。 そしてそれがテレビ放映されました。
ところがこの直後、テオ・ヴァン・ゴッホはイスラム教徒によって白昼街中で殺害されました。
これでアヤーン・ヒルシ・アリの生命も更に危険になったのです。
しかし同時期、オランダ政界では彼女の難民申請時の虚偽が問題化されて国会が紛糾し、彼女は結局国会議員を辞職しました。
「もう、服従しない」はこのような彼女の生い立ちから、国会議員辞職までの顛末を書いた彼女自身の自伝です。
今現在、彼女は所在不明です。
暗殺の危険が余りに大きいため、所在を明かせないのです。
実に重い読み応えのある本でした。
この本を読むうちに、ソマリアの部族社会とはどのようなものか、またそのような社会で着々と勢力を伸ばすイスラム同胞団、など現在内戦とイスラム原理主義が猛威を振るう社会の状況が、なんとなくわかってきました。
またオランダでのイスラム移民や難民の状況、彼等がなぜオランダの社会に適応できないかも、考えさせられます。
そしてアヤーン・ヒルシ・アリ自身が、「もう、服従しない」と決意する過程を通して、近代合理主義を再認識させられます。
「もう、服従しない」って、誰への服従?
アッラーへの服従です。
ヨーロッパの啓蒙思想は、キリスト教との戦いでした。
彼女は子供の頃から、自分の意思で生きていきたいと思っていたのですが、しかしイスラム教徒である限り神の奴隷として服従するしかないのです。
他のオランダ女性達のように、自分の意思で働き恋人を選び、自由に生きて行くには、神と決別するしかなかったのです。
ヨーロッパの啓蒙思想が350年かけてたどった道を、彼女はオランダ在住後の数年間で体験する事になったのです。
だからイスラム教徒達は彼女を殺害しようとしているのです。
イスラム教徒にとって棄教は死をもって償うべき罪なのです。
何分にもこのように非常に内容の濃い本なので、これについて書きたい事が山のようにあります。
そのまま彼女を半生を追うとまたマッキャベリの時みたいになっちゃうので、これから少しずつ分けて書いてゆきます。
この本自体はそれほど長い本ではありません。 興味のある方は是非読んでください。 図書館などに必ずあると思います。