2016-11-19 13:20

神様は冷酷で残忍 格差社会

 神様って冷酷で残忍ですね。

子の学力と親の経済力、相関関係があるって本当?

L25世代が結婚を考える時お互いの経済力は気になるもの。自分たちの生活の安定が叶うかもポイントですが、将来子どもが生まれた時に「良い教育を受けさせたい」と思うと、相手にある程度の年収を求めるか、自分が仕事を続けるか…悩んでしまうのは致し方ないことかもしれません。

現に、親の年収と子どもの学力に相関関係があるとする調査もあるようです。お茶の水女子大学「平成25年度全国学力・学習状況調査」の「世帯収入(税込年収)と学力の関係」によると、たとえば小6国語Bの学力テストの結果をみても、親の年収300万円から400万円の場合は45点であるのに対して、800万円から900万円は57.6点と大きく開きがある結果に。必ずしも直線的に比例はしないものの、「概ね世帯収入が高いほど子どもの学力が高い傾向が見られる」と報告されています。

こうした“格差”はなぜ生じてしまうのか、子どもの教育格差解消を目指す活動を展開する、公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事の今井悠介氏に聞きました。

「子どもの学力が親の経済力に左右される理由は明確になっておらず、所得のみで切り分けられることでもないとは思います。しかし、所得が低いほど教育費の負担と子どもに様々な“体験”をさせることが難しく、それが何かしら子どもの学習に影響を与える可能性は否定できないでしょう」(今井氏、以下同)

とはいえ、日本には義務教育の制度があるため、裕福ではない家庭環境でも子どもの努力や資質次第で、高い学力を身につけることもできるのでは?

「もちろんそういう子もいます。しかし、先ほどのお茶の水女子大学の調査によると、親が『高学歴・高所得』で全く勉強していない児童と、『低学歴・低所得』で毎日3時間以上勉強している子を比較すると、学力テストの正答率は前者の方が上回っていました。この結果からみても、学校外で3 時間以上勉強しても、学力テストの成績を追い越すことが難しいほど、学校+αの体験が与える影響は大きいようです」

実際に、学習費における「学校外活動費」(学習塾、習い事などへの支出)はかなりの割合を占めています。

「平成26年度の文部科学省の『公立小学生の学習費内訳』を見ると、学習費総額に占める学校外活動費の割合は68.2%にのぼっています。経済的・社会的な環境のよい家庭の子どもは、学校で埋められない学習や様々な体験の機会を多く得ることができるため、理解力が高かったり、効率的な学習の仕方を習得したりしている可能性があり、勉強時間の長い低所得家庭の子どもと同等の成績がとれるのかもしれません。あるいは、社会的・経済的な環境のよい家庭ほど、親などの周りの大人が子どもの家庭学習を見られる状況にあるといったことも考えられるでしょう」

同じように義務教育を受けていても学力に差が出てしまう理由に、学校以外の体験が大きく影響する理由は、子どもの“個性”にあるといいます。

「公教育は、経済状況を問わず平等に教えることができる場です。これ自体は、良いことですし、とても重要な役割を担っているのですが、一方で、子どもたちの家庭背景が様々である以上、子どもの能力などによって、一人ひとりの学びに個人差が出てきてしまうのも確か。多様な個性や能力を持つ子どもに対して、ひとつの教育手法でアプローチすることで、当然そのやり方がフィットせずに自己肯定感が低くなり、落ちこぼれてしまう子も出てきてしまう。公教育の必要性は全く否定しませんが、多様性を活かす意味では、現状では難しいシステムだと思います。その多様性や個別的なサポートの部分を補っているのが、民間の教育事業者です。そのため、そこに費用を割ける家庭の子どもが、学力という面でも有利になると言えると思います」

この不平等さは解消されるべきだという今井氏。いまの日本の教育事情に照らし合わせると、残念ながら、少なからず親の経済力が子どもの学力に影響を与えると言えそうです。

(末吉陽子/やじろべえ)

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 でもワタシはこれホントだと思います。 ワタシは80~90年代に学習塾の講師をしていて大勢の子供を見たけれど、その時の経験にピッタリ当て嵌まります。

 そしてその経験から言えば、現実はもっと残酷なのです。

 この記事では親の所得だけを問題にしていますが、実際に問題になるのは所得よりも親の知能でしょう。

 つまり現在の日本では知能の高い人が高所得を得られるのです。
 知能が高いので高学歴に成れるので高給を得られる職に就ける。
 或いは不幸にして教育が受けられなくても社会的に成功する。
 こうした人が高所得になるのです。

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 で、その知能は遺伝するのです。

 知能が遺伝するなんて言うと差別的に取られますが、しかし親子は体格や容姿や性格まで似るのです。
 
 知能だけが遺伝しないわけはないでしょう?

 勿論個人レベルでは、どの程度似るかはわかりませんが、多数の親子を調べて統計を取れば、遺伝的な差異は出るのです。

 だから神様はトコトン冷酷で残忍だと思います。

 そしてそれが現代の社会格差の根源になっているから始末が悪いです。

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 勿論、知能は遺伝だけでは決まりません。 育った環境も大きく影響します。

 この記事の研究では国語力の違いを調査していますが、当に国語力など育った環境が大きく影響するのです。
 
 つまり周りの大人が高度な会話をしていれば子供だってそれを聞いて、多くの語彙や高度な言い回しを覚える事ができるのです。 
 でも高度な会話に接する機会がなければ、高度な語彙や言い回しを自然に覚える事などできません。

 しかしこれは遺伝+家庭環境で知能が決まると言う事ですから、恵まれない家庭に生まれた子には尚更厳しい話です。

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 日本は明治時代までは、身分社会でした。 300年身分の世襲が続いたので、所得と能力は関係ないままでした。

 それが明治時代から学歴や能力があれば高所得を得られる社会になりました。
 
 それでも戦前までは高等教育を受けられる階層は限られていました。
 小作農などに生まれたら幾ら優秀でも、大学進学など殆ど不可能でした。

 だから当時は今以上に厳し格差社会でしたし、人々もまたそれを当然として生きていたのです。

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 実はワタシの父は昭和14年に旧制商業を卒業して、旧財閥系の企業に就職しました。
 
 この手の企業は一流大学卒がゴロゴロいて、完全な学歴社会なので、非大卒は随分冷遇されて学歴には恨み骨髄のようでした。
 
 因みにこの会社で一番国語力があった父の同僚の小学校卒の社員でしょう。 だってこの人、退職後芥川賞を取ったのです。

 つまり戦中派世代までは、それなりに知能が高くても大学に行けない人がまだどっさりいたのです。

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 しかしこれが変わったのは高度成長時代からです。

 こうして学歴で泣かされた人達は、皆自分の子供には同じ思いをさせまいと、子供の教育には大変熱心でした。

 ワタシの父も兄には「勉強しろ!」と煩く言っていました。 父の同僚の非大卒組も同様だったようです。 

 幸いこの時代になると国民全体の所得が上がり、低所得層でも国公立の高校や大学に子供を進学させるのは普通にできるようになりました。

 それでこの時代には知能の高い、勉学意欲のある人達は、殆ど皆大学に行くようになったのです。
 
 そして今の小中学生は、この世代の孫なのです。

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 平和が続き学歴社会が安定して2世代も続くと、所得格差=知能格差と言う社会になってしまいました。 しかもそれが遺伝して次の世代に引き継がれるようになったのです。

 こうなると現在低所得世帯の子供の勉強を幾らサポートしても、学力格差をなくすのは非常に難しくなります。

 だから今後、教育だけで所得格差を埋めていくのは殆ど不可能ではないかと思うのです。

 これは非常に残酷で厳しい現実ですが、しかし取りあえずこの現実を認識しない事には、格差を解消する方策は立ちません。
  1. 格差と貧困
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コメント

貧しくとも明るい家庭もあり、豊かでも壊れた家庭もあるでしょうがその総数には差があるでしょうね。私は虐待死する子供のニュースを見る度に、周囲の通報や児童相談所の人員が充実したとしても、この子達はあまり救えないのではないかと思っています。貧困が虐待の原因になるのは多分相関がデータとして出ているでしょう。そして誰も調査などしないけど、知能とも相関があるはずです。でも人権に関わるので子供を持てるにはここまでの知能が必要などと資格制にするわけにもいかないので、子育てに向いていない親が減ることはありません。
そして高学歴でも首相を叩っ斬ってやると公言したり君が代原爆バージョン替え歌を作ったりする人も向いているはずはありません。。
  1. 2016-11-19 18:41
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  3. こきち #97nXsu5.
  4. 編集

評論家の竹内洋氏と同世代ですが、当時の4年生大学への進学率は、10%前後だったそうです。当時は、小学校入学当時は、占領下で幼稚園にも行かず、塾などない時代でした。但し、戦後の急激な社会変化から親の仕事を受け継ぐことが少なくなり、進学してサラリーマンになるしか生きる道のない子供も多かったのです。小生などはその一人でした。幸い、当時は受験戦争は団塊世代ほどではなく、意志さえあれば進学は比較的容易であり、国公立大学の授業料も極めて安く、アルバイトをしながら卒業が出来ました。但し、東京育ちで自宅から通学が可能であったという利点はありましたが。小学生の孫をみていると、時代の違いを感じます。今から思うと、戦後一時期の幸せな現象だったのかもしれません。
  1. 2016-11-19 20:17
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  3. 酔っ払い爺さん #-
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Re: タイトルなし

> 貧しくとも明るい家庭もあり、豊かでも壊れた家庭もあるでしょうがその総数には差があるでしょうね。私は虐待死する子供のニュースを見る度に、周囲の通報や児童相談所の人員が充実したとしても、この子達はあまり救えないのではないかと思っています。貧困が虐待の原因になるのは多分相関がデータとして出ているでしょう。そして誰も調査などしないけど、知能とも相関があるはずです。でも人権に関わるので子供を持てるにはここまでの知能が必要などと資格制にするわけにもいかないので、子育てに向いていない親が減ることはありません。
> そして高学歴でも首相を叩っ斬ってやると公言したり君が代原爆バージョン替え歌を作ったりする人も向いているはずはありません。。

 子供の虐待は実は高所得高学歴家庭でも結構あるようです。 

 知能は高い方が何かと便利で良いには違いないけれど、人間には知能だけで図れない人格や価値があるのです。

 今の社会は知能が高いと所得が高いと言う傾向が強いのですが、しかし本来から言えば介護や保育のように、人に対する思いやりや愛情を必要とされる仕事への報酬がもっと高くても良いと思います。

 また少子化の最大の原因は、結局子育てと言う仕事が、知能に関係ないため、評価されないからだと思います。

 人間の価値とは何か?

 もう少しそれを考え直すべきでしょう。
  1. 2016-11-20 11:04
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  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 評論家の竹内洋氏と同世代ですが、当時の4年生大学への進学率は、10%前後だったそうです。当時は、小学校入学当時は、占領下で幼稚園にも行かず、塾などない時代でした。但し、戦後の急激な社会変化から親の仕事を受け継ぐことが少なくなり、進学してサラリーマンになるしか生きる道のない子供も多かったのです。小生などはその一人でした。幸い、当時は受験戦争は団塊世代ほどではなく、意志さえあれば進学は比較的容易であり、国公立大学の授業料も極めて安く、アルバイトをしながら卒業が出来ました。但し、東京育ちで自宅から通学が可能であったという利点はありましたが。小学生の孫をみていると、時代の違いを感じます。今から思うと、戦後一時期の幸せな現象だったのかもしれません。

 ワタシは今は大学進学率が上がり過ぎて完全に学歴インフレ状態だと思います。

 70年代ぐらいまでに「大学進学=大企業で終身雇用」の形式が定着したので、ドンドン進学率が上がったのですが、しかし大企業だってそんな大量の社員を雇いきれるわけもないのです。

 そして進学率の向上は学力の向上になっていないので、どうしても大学に行く能力のない学生が進学しています。
 今の底辺の私立大学だと理系でも微積分が入試科目にないのだそうです。

 ??
 これで大学の理系科目が履修できるの?
 
 でもこんな大学が沢山できて、しかもそれが結構な授業料を取っているのです。

 そしてそれに合わせて国立大学の授業料も上がっています。

 この状況を何とかしないと、学歴の為に無用なお金を使う社会になります。
  1. 2016-11-20 11:12
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  3. よもぎねこ #-
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学力が親の知能に遺伝する…そんなの当たり前だろうというのは言っちゃあいけないポリティカル・コレクトネスでしょうか。

しかし日本では一見そうじゃないような状況が続いてきたと思います。
一応の実力主義が取られるようになったのは明治以降、戦後も70年です。その割には結構下流層からそれなりの人材はで続けてきたことは小生は不思議だと思ってました。

こういう言い方はしたくないのですが知的活動のレベルは78対22くらいで質的な差があると思ってます。おそらくは高等教育をやって意味があるのはこの28%前後だと思います。大学進学率はおそらくこの程度が適正はなずです。

男性がこのレベルに達したのは1970年前後、それから55年です。2世代経過してますから本来はもっと差が出てきて当然だと言うはずですがそこまでは行っていません。

これは地方と女性の問題が大きかったと思います。地方出身者の中には家業を継ぐだのの、おうおうの事情だとかでで高等教育には行かない層が一定数いました。更には女性は嫁に行くということで、一定数の才能ある層が地方に存在したはずです。しかし、それが大学進学ということになると地方に戻らぬ可能性は代ですし選別が行われるこtになります。嫌な話ですが夫婦の知的レベルは修練しますので人為的に割り振るということがなければ今後さ、らにこの傾向は強くなります。

こうなってしまうと地方には有能な人材は残らないということにもなりねないでしょう。j男女とも大学進学率は2000年前後で50%に達しています。もはや本来は飽和状態です。こうなるともはや大学での中で選別が必要になる時代です。

これからは無用な学歴の選抜の時代でしょうか。

だが逆に考えれば大学がとことんの実力主義にならないが良いのかもしれません。世の中頭の良いバカが居るんだということそういう連中を排除する力になります。

下手に本当の実力、総合的な能力で選抜するというのは却って社会に弊害をもたらすような気がします。
まあ難しい問題でしょうね。
  1. 2016-11-24 00:20
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  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 学力が親の知能に遺伝する…そんなの当たり前だろうというのは言っちゃあいけないポリティカル・コレクトネスでしょうか。
>
> しかし日本では一見そうじゃないような状況が続いてきたと思います。
> 一応の実力主義が取られるようになったのは明治以降、戦後も70年です。その割には結構下流層からそれなりの人材はで続けてきたことは小生は不思議だと思ってました。

> こういう言い方はしたくないのですが知的活動のレベルは78対22くらいで質的な差があると思ってます。おそらくは高等教育をやって意味があるのはこの28%前後だと思います。大学進学率はおそらくこの程度が適正はなずです。
>
> 男性がこのレベルに達したのは1970年前後、それから55年です。2世代経過してますから本来はもっと差が出てきて当然だと言うはずですがそこまでは行っていません。
>
> これは地方と女性の問題が大きかったと思います。地方出身者の中には家業を継ぐだのの、おうおうの事情だとかでで高等教育には行かない層が一定数いました。更には女性は嫁に行くということで、一定数の才能ある層が地方に存在したはずです。しかし、それが大学進学ということになると地方に戻らぬ可能性は代ですし選別が行われるこtになります。嫌な話ですが夫婦の知的レベルは修練しますので人為的に割り振るということがなければ今後さ、らにこの傾向は強くなります。

 そうですね。 元来この世で大卒の資格を必要とする職業そのモノが限られているのです。 教養として学問を楽しむと言うのなら別に進学しても良いのですが、しかし大卒の資格を就職に結びつけるなら進学率3割程度が限度でしょう。
>
> こうなってしまうと地方には有能な人材は残らないということにもなりねないでしょう。j男女とも大学進学率は2000年前後で50%に達しています。もはや本来は飽和状態です。こうなるともはや大学での中で選別が必要になる時代です。
>
> これからは無用な学歴の選抜の時代でしょうか。
>
> だが逆に考えれば大学がとことんの実力主義にならないが良いのかもしれません。世の中頭の良いバカが居るんだということそういう連中を排除する力になります。
>
> 下手に本当の実力、総合的な能力で選抜するというのは却って社会に弊害をもたらすような気がします。
> まあ難しい問題でしょうね。

 学力=能力的な選抜をする事で最大の被害を出したのが科挙ですからね。

 あれは実は結構公正だったのです。 そして合格者も相応に優秀でした。 でも結果として社会は永遠に停滞し続けました。
 能力主義と言いながら単一の価値で人材を選び続けた結果でしょう?

 人間の能力は多彩なので、出鱈目でも不公平でも様々な人材が出る社会の方が結局発展するのです。
  1. 2016-11-24 11:07
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  3. よもぎねこ #-
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