2016-07-09 13:23

元祖マキャベリストは良い奴だった その15

 対カルロス同盟軍がグダグダであったことは散々書きましたが、それではカルロス軍はどうだったのでしょうか?

 実はこれも結構グダグダなのです。 そもそもこちらは元々ミラノを攻略した1万2千人でした。
 しかし彼等はなかなかミラノを離れられませんでした。 なぜなら兵隊への給料に遅配で、兵隊が動かなかったからです。

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 スペイン王でもあり神聖ローマ帝国皇帝でもあるカルロスは、強大な帝国の支配者なのですが、しかし実はその帝国内のあちこちでトラブルが起きていました。

 その為かイタリアに送った軍隊に対しての補給や給料の支払いは恐ろしく好い加減でした。
 
 しかも軍隊は傭兵の寄せ集めです。 傭兵にすれば給料も貰えないのに、戦争も進軍もしたくないのです。

 それで指揮官のシャルル・ド・ブルボンが、ミラノ市民を脅して金を掻き集め、何んとか兵隊達に給料を支払って、ようやくミラノ市を出たのです。
 
 ミラノが陥落したのが1526年7月ですが、ミラノを出たのは11月になってしまいました。

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 ランツクネヒトがこれと合流する前に、撃破すべき。

 対カルロス同盟側軍の中で、法皇軍を指揮していたジョバンニ・デ・メディチはこう進言するのですが、法皇軍内の意見はまとまりません。

 マキャベリがこの人に全軍の指揮を任せる事を提案した事は、その14で書きました。 でもそれが没になった後、法皇軍だけは指揮するようになったのです。

 それでも散々揉めた挙句、ジョバンニ・デ・メディチの指揮する法皇軍だけが、カルロス軍と戦いました。
 
 これはそこそこの戦果を挙げたのですが、しかしジョバンニ・デ・メディチはこの戦闘で重症を負い、5日後に死亡しました。

 これでイタリアは最も有能な武将を喪いました。

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 この後、ローマ陥落まで対カルロス同盟軍は、全くカルロス軍と戦う事はありませんでした。

 法皇はカルロスを恐れて、戦闘を許さなかったのです。

 その為、カルロス軍はこの後無事ランツクネヒトと合流します。 そして更にフェラーラ公爵までもが、カルロス軍に加わりました。

 フェラーラはイタリアの小国ですが、この当時の小国の君主の習いとして傭兵稼業もしていました。 そしてこのフェラーラ公は当時ヨーロッパ随一の砲兵隊を持っていたのです。

 こうしてカルロス軍は3万人にまで増えたのです。

 しかし給料の遅配や補給の困難は相変わらずでした。 
 そして季節は冬になっていました。

 こうなると増々行軍は厳しくなります。 
 そして飢えた兵隊達は遂に反乱を起こしました。

 この反乱でランツクネヒトの指揮官が死亡してしまいました。 これで軍の統制は益々難しくなったのです。

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 ワタシがこのサッコ・デ・ローマが起きる必然性を理解できなくて、その為に延々とこの話を書き続けているのは、「何でこんな情けない軍隊を阻止できなかったのか?」が納得できないからです。

 カルロスの帝国は強大でもイタリアに送られた軍隊は、こんな状態なのです。
 そして人数だけなら実は、グィチャルディーニが指揮する対カルロス同盟軍の方が多いのです。

 しかし結局ローマ法皇は最後までこの軍隊に、カルロス軍へ攻撃を許さず、グィチャルディーニは軍を率いて、カルロス軍の100キロ余り後を追っていく事になるのです。

 この頃マキャベリはグィチャルディーニの傍らで、彼を補佐し続けました。

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 一方カルロス軍の指揮官シャルル・ド・ブルボンは、もうこの状態では軍を纏めるためには、ローマ進軍を掲げるしかなくなりました。

 ローマ略奪と言うニンジンをぶら下げる事によって、かろうじて飢えて疲れて反乱まで起こした兵隊達の不満を抑えたのです。

 そして1527年5月、いよいよカルロス軍がローマに迫ってから、法皇はようやくローマの防衛に乗り出します。

 金を掻き集めて、以前一旦解雇していた傭兵4000人をまた雇い、更にローマ大学の学生まで動員して、守備隊を組織しました。

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 カルロス軍のローマ攻撃が始まると、防衛側がそれでも随分激しく抵抗しました。 そしてこの戦闘でカルロス軍の指揮官シャルル・ド・ブルボンが戦死しました。

 しかしローマは結局たった一日で陥落しました。

 後数日頑張れば、グィチャルディーニの率いる対カルロス軍が到着するはずなのに、それも待つ間持ちこたえる事もできなかったのです。

 そして指揮官を喪って無秩序化した軍隊が、ローマが雪崩れ込む事になったのです。

 もはや野党の群れとなった軍隊は、手当たり次第略奪を虐殺を行いました。

 その中心はカソリックを憎み、ローマを堕落と腐敗の象徴と信じるプロテスタントのランツクネヒト達でした。

 彼等を抑制できる者はもう何処にもいなかったのです。

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 カステロサンタンジェロの城塞に逃げ込んだローマ法皇から、グィチャルディーニの所へ、ローマ陥落の報せが届いたのは、陥落の5日後でした。

 グィチャルディーニもマキャベリもこれには唖然とするしかなかったでしょう。

 同時代の籠城戦の常識から言えば、ローマのような都市を、3万の軍隊で陥落させることができるとは、到底考えられなかったのです。
 
 街の総人口の数十倍の軍隊を動員しても、数か月かかると言うのが、こうした攻城戦の常識でしたから。

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 だからこれは結局ローマの住民が、この防衛戦に全く非協力的であった結果だというしかありません。

 しかしその為、9万人いたローマの住民のうち2万人が虐殺されて、2万人は逃げ、2万人は後に蔓延したペストで死ぬことになりました。

 ローマの人口はこれで3分の1に減ってしまったのです。
 
 そして街は略奪と放火で灰塵に帰しました。
 
 これがイタリアルネサンスの息の根を止めました。 

 そしてそれまでローマに溢れいたルネサンス建築も多くは破壊されたのです。 

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 マキャベリはこの惨劇に至る過程を、グィチャルディーニと共に最前列で見届けるハメになったのです。

 このローマ陥落までの2ヶ月、マキャベリは何も書き残していません。

 日々、グィチャルディーニと共に、何とか状況を打開しようとする事にて一杯で、何か書くような状況ではなかったのでしょうか?

 もし彼が何か書いていてくれたら、この惨劇を理解するうえで、極めて重要な手がかりになったでしょうに。

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 しかしマキャベリには、この後にもこれについて書く時間はありませんでした。

 ローマ陥落後間もなく、フィレンツェのメディチ政権が崩壊します。

 ローマ陥落の報せを聞いたフィレンツェの反メディチ派が、民主政権を樹立したのです。

 そしてこれを知ったマキャベリは、直ぐにグィチャルディーニの元を離れて、フィレンツェに向かいました。
 
 新政権での書記官選抜選挙に立候補するために。

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 しかし29歳の初当選の時と違って、今回は無残でした。
 マキャベリこの選挙で惨敗したのです。

 長らくグィチャルディーニに協力していたために、彼はメディチ派だと思われていたのです。
 その為、反メディチに変わったフィレンツェの有権者達は彼を忌避したのです。

 マキャベリはこの10日後に死にました。
 病死です。

 しかしこの落選のショックで死んだと言われています。

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 もう一度祖国の為に働きたいと言う彼の希望は遂に叶えられなかったのです。
 
 享年58歳。 
 無念の死でした。

 こんな死に方をして、彼は成仏できたのでしょうか?

 イヤこの人は一応カソリック教徒ですから成仏はあり得ないのですが、それでは天国には行けたのでしょうか?

 勿論無理です。 だって生前から法皇と法皇庁の悪口を散々書いていますから。
 そうなると彼の魂は何処を彷徨っているのでしょうか?

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コメント

マキャヴェッリはマキャヴェリアンではなかった

マキャヴェッリは君主論など書いている暇が有れば、その才能を十二分に生かして言葉巧みにジョヴァンニに取り入り彼を補佐して行けば良かった。1500年のピサ戦役の失敗が大きすぎたのかもしれませんが、マキャヴェッリ程の才能(美辞麗句を幾らでも並べ立てる事が出来る文才等)が有ればメジチ家に取り入る可能性もゼロでは無かったと考えます。

500年以上も過ぎた極東の地に住んでいるから好き勝手な事を言えるのかもしれませんが、マキャヴェッリが君主論に書いた通りヴァレンティーノ公(チェーザレ)に理想的な君主を見出したのであれば、自分自身も冷酷非情さを持って目的の為に手段を選ばぬ行動を選択するべきだったと思います。

またマキャヴェッリがいかに優れた状況分析力を持っていたとしても、グイチャルディーニを補佐するだけの立場では何一つ力を発揮する事は出来ないでしょう。ジュリオ(クレメンス七世)にフィレンツェ史の執筆を依頼された時にイタリア全土が直面する危険について説明しそれを防ぐ手立てを考えておくべきだったと思います。カルロスの軍隊が侵入を初めてしまえば時既に遅しで何をしても混乱が混乱を呼ぶだけだと思います。

>ワタシがこのサッコ・デ・ローマが起きる必然性を理解できなくて、その為に延々とこの話を書き続けているのは、「何でこんな情けない軍隊を阻止できなかったのか?」が納得できないからです。

1つにはクレメンス七世が楽観的過ぎたからだと思います。ご存知のようにイタリアには何度も外国の軍隊の侵入を許しています。被害は有ったものの何とかなってきた歴史が有り、アレッサンドロ六世の時など法王として祝福を与えただけで追い返しています。法王としての権威に胡坐をかき対応が後手後手&後手になっています。

もう一つはこの時代のローマはかつてのローマではありません。城壁はあちこち綻び高さも有りません、また侵入口と成りやすい門も戸が有りませんしかつての城壁の外にも大勢が住んでいます。簡易なバリケードを作る事は出来てもローマを覆う事は出来ません。しかも法王は我先に逃げ出しているのです。飢えた軍隊の前にはひとたまりも無かったでしょう。

中世ヨーロッパの都市といえば周りをぐるっと取り囲んだ城壁の様な物を持っているものですが、ローマに限って言えば嘗ての栄光にすがるだけですしまた街が大きすぎて堅固な壁で覆う事など不可能だったと思います。しかも運の悪い事に世界で最も整備された道路が四方八方に伸びています。一般的な守城戦とは違う戦い方をしなければなりません。
時間と才覚が有れば真田丸のような出城を築く事も出来たでしょうが、クレメンス七世がやった事と云えば味方の足を引っ張るだけ、最悪の君主と言えるでしょう。そもそもカルロスがミラノでうだうだしている時にそれなりの金子を用意して停戦交渉をすればよかったのでは無いかと思います。そしてマキャヴェッリは其の事を進言すべきだったと考えます。

マキャヴェッリは君主論を書いた事により今に至るまで名を残しましたが、冷酷非情なマキャヴェリアンでは無かった為イタリアの混乱戦乱を終わらせる事が出来なかった。他力本願を願い君主論を書くより祖国の平和と云う目的のために行動した方が良かったのかも知れません。現代だって平和は努力と行動の上にしか成り立たないと考えますし、念仏を唱えるだけでは持続できず、相応の対価を払う必要も有ると思います。
  1. 2016-07-09 18:55
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  3. 真夜中の散歩 改めエピキュリアン #-
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Re: マキャヴェッリはマキャヴェリアンではなかった

> マキャヴェッリは君主論など書いている暇が有れば、その才能を十二分に生かして言葉巧みにジョヴァンニに取り入り彼を補佐して行けば良かった。1500年のピサ戦役の失敗が大きすぎたのかもしれませんが、マキャヴェッリ程の才能(美辞麗句を幾らでも並べ立てる事が出来る文才等)が有ればメジチ家に取り入る可能性もゼロでは無かったと考えます。
>
> 500年以上も過ぎた極東の地に住んでいるから好き勝手な事を言えるのかもしれませんが、マキャヴェッリが君主論に書いた通りヴァレンティーノ公(チェーザレ)に理想的な君主を見出したのであれば、自分自身も冷酷非情さを持って目的の為に手段を選ばぬ行動を選択するべきだったと思います。
>
> またマキャヴェッリがいかに優れた状況分析力を持っていたとしても、グイチャルディーニを補佐するだけの立場では何一つ力を発揮する事は出来ないでしょう。ジュリオ(クレメンス七世)にフィレンツェ史の執筆を依頼された時にイタリア全土が直面する危険について説明しそれを防ぐ手立てを考えておくべきだったと思います。カルロスの軍隊が侵入を初めてしまえば時既に遅しで何をしても混乱が混乱を呼ぶだけだと思います。
>
> >ワタシがこのサッコ・デ・ローマが起きる必然性を理解できなくて、その為に延々とこの話を書き続けているのは、「何でこんな情けない軍隊を阻止できなかったのか?」が納得できないからです。
>
> 1つにはクレメンス七世が楽観的過ぎたからだと思います。ご存知のようにイタリアには何度も外国の軍隊の侵入を許しています。被害は有ったものの何とかなってきた歴史が有り、アレッサンドロ六世の時など法王として祝福を与えただけで追い返しています。法王としての権威に胡坐をかき対応が後手後手&後手になっています。
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> もう一つはこの時代のローマはかつてのローマではありません。城壁はあちこち綻び高さも有りません、また侵入口と成りやすい門も戸が有りませんしかつての城壁の外にも大勢が住んでいます。簡易なバリケードを作る事は出来てもローマを覆う事は出来ません。しかも法王は我先に逃げ出しているのです。飢えた軍隊の前にはひとたまりも無かったでしょう。
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> 中世ヨーロッパの都市といえば周りをぐるっと取り囲んだ城壁の様な物を持っているものですが、ローマに限って言えば嘗ての栄光にすがるだけですしまた街が大きすぎて堅固な壁で覆う事など不可能だったと思います。しかも運の悪い事に世界で最も整備された道路が四方八方に伸びています。一般的な守城戦とは違う戦い方をしなければなりません。
> 時間と才覚が有れば真田丸のような出城を築く事も出来たでしょうが、クレメンス七世がやった事と云えば味方の足を引っ張るだけ、最悪の君主と言えるでしょう。そもそもカルロスがミラノでうだうだしている時にそれなりの金子を用意して停戦交渉をすればよかったのでは無いかと思います。そしてマキャヴェッリは其の事を進言すべきだったと考えます。
>
> マキャヴェッリは君主論を書いた事により今に至るまで名を残しましたが、冷酷非情なマキャヴェリアンでは無かった為イタリアの混乱戦乱を終わらせる事が出来なかった。他力本願を願い君主論を書くより祖国の平和と云う目的のために行動した方が良かったのかも知れません。現代だって平和は努力と行動の上にしか成り立たないと考えますし、念仏を唱えるだけでは持続できず、相応の対価を払う必要も有ると思います。

 まったくもってその通りです。

 マキャベリはマキャベリストではなく、本当に良い奴なのです。

 だから自分の売り込みや保身には、全然冷徹じゃないのです。 友情や愛国心の人間なんです。

 彼の情勢判断能力は大変優れていたのですが、しかし普通の人間はそれがわかっていても、それだけで権力を持たない人間の言う事は聞かないのです。

 だからマキャベリが対カルロス軍防衛の為に提案した事は、結局親友のグィチャルディーニの反対で没になっています。
 彼はこの親友を心から信頼していたのに。
  1. 2016-07-09 20:14
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  3. よもぎねこ #-
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 マキャベリにもっと寿命が有れば、きっと後世の為にローマ陥落の顛末を書いたでしょうし、フィレンチェで祖国の為にもっともっと働きたかっただろうと思います。そのマキャベリの国家を想う情熱が、何世紀も経た遠い日本のよもぎねこさんに憑依して伝えて欲しいと急かしているような気がします。

 なにしろ現在は、戦後体制が壊れて新たな体制を造ろうと各国が地殻変動を起こしているような凄まじい状況で、マキャベリはきっと安倍政権の下で菅官房長官のような仕事をしたくてアピールしているのだと思います。あの世からの猟官活動ですね。
  1. 2016-07-09 22:43
  2. URL
  3. 都民です。 #-
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Re: タイトルなし

>  マキャベリにもっと寿命が有れば、きっと後世の為にローマ陥落の顛末を書いたでしょうし、フィレンチェで祖国の為にもっともっと働きたかっただろうと思います。そのマキャベリの国家を想う情熱が、何世紀も経た遠い日本のよもぎねこさんに憑依して伝えて欲しいと急かしているような気がします。

 ええ、もう数年生きていれば、ローマ陥落の顛末を「考え纏め書いてみる」事をしてくれたと思います。
 本当に残念です。
>
>  なにしろ現在は、戦後体制が壊れて新たな体制を造ろうと各国が地殻変動を起こしているような凄まじい状況で、マキャベリはきっと安倍政権の下で菅官房長官のような仕事をしたくてアピールしているのだと思います。あの世からの猟官活動ですね。

 そうですね。 この人、官房長官化外務省の事務次官に最高の人材でしょう。

 生まれ変わって日本で頑張ってほしいです。
  1. 2016-07-10 10:11
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  3. よもぎねこ #-
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