2016-07-07 23:20

元祖マキャベリストは良い奴だった その13

 サッコ・デ・ローマ(ローマ略奪)は、なぜ起こってしまったのか?
 
 実はワタシはこれがどうもよくわかりません。

 1527年5月、神聖ローマ帝国皇帝とスペイン王を兼ねるカルロスの軍隊によりローマが陥落しました。

 そしてその後に起きた大虐殺と略奪は、サッコ・デ・ローマと呼ばれています。

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 このサッコ・デ・ローマにより9万人いたローマの人口は3万人にまで減りました。 2万が虐殺され、2万はペストで死に、残り2万は逃げました。

 ローマは灰塵に帰しました。
 
 そしてその後ヴェネツィア共和国を除く、イタリア諸国はスペインの属国化しました。

 これによりイタリアが文化と経済をリードした時代は終わりました。
 
 イタリアルネサンスはこれで終焉したのです。

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 マキャベリがフィレンツェ共和国の書記官になった頃から、フランスやスペインなどが強大な統一国家が、イタリアの覇権を窺ていました。

 イタリアが小国分裂状態のままでは、いずれこれらの国々の支配下に転落する。 
 
 マキャベリはそれを見越して、警告を発し続けました。
 しかしその警告は無視され、結局イタリアは分裂したままでした。
 
 だからいずれは大国の支配下に置かれるのは、仕方のない事でしょう。

 でもサッコ・デ・ローマのような惨劇は何とか回避できたのではないか?

 こんな惨劇が起きる必然性は何処にあったのか?

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 ワタシは塩野七世さんの「我が友マッキャベリ」を読み返しても今一、これがわかりませんでした。

 それでウィキや他のサイトも調べました。

 例えばカルロスの側から見たらこのように説明されています。
 
第9話 暴徒と化した皇帝軍がローマを略奪!     歴史上名高い「サッコ・ディ・ローマ」の顛末

 それやこれやを合わせて考えるても、何とも無残な結果であったことには変わりありません。

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 しかしこの惨劇を招いたのはローマ法皇クレメンテ七世だとされます。

 そうなるとクレメンテ七世の第一の側近であったグィチャルディーニは、ほぼ当事者と言っても良いのです。

 そしてマキャベリはグィチャルディーニの親友として、この惨劇に至る過程を最前線で見続ける事になりました。

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 取りあえずワタシなりにこの惨事に至る過程を説明します。

 1524年フランス国王フランソワ一世は、イタリアに侵攻しました。
 ローマ法皇クレメンテ七世は、これに恐怖して戦う事なくミラノをフランスに明け渡しました。

 そこで勢いに乗ったフランス軍は、次にミラノに近い都市パヴィアを攻めました。
 しかしここは既にスペインの物になっていたので、スペイン+神聖ローマ帝国つまりカルロス軍が駐屯していたのです。

 そこでカルロス軍とフランス軍がイタリアのパヴィアで戦う事になったのです。

 結果はカルロス軍の勝利!! 
 しかもフランス国王フランソワ一世自身が、捕虜になってしまいました。

 そして王子二人を人質に送る事始め、極めて屈辱的な条約を呑む事と引き換えにようやく釈放されました。

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 これを見てイタリア始めヨーロッパ諸国は、改めて神聖ローマ帝国とスペインが合体した超大国の脅威を思い知ります。

 そしてあたふたと対カルロス同盟を作り始めたのです。

 この中心がローマ法皇クレメンテ七世だったのですが、しかしこの同盟は何ともあやふやなモノでした。 

 同盟にはフランスやイギリスも入っていたのですが、しかしいずれも軍事的な寄与は不明瞭なまま、結局イタリア諸国だけがカルロス軍を迎え撃つハメになるのです。

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 しかもこのイタリア側の軍勢の総指揮官は、何とマキャベリの親友グィチャルディーニです。

 この人は純然たる文官で、軍の指揮を執った事などないのです。
 
 でも軍勢がベネツィアやローマ法皇軍などの寄せ集めです。
 このそれぞれの軍が、自分の指揮官を総指揮官にしろと言って譲らないのです。

 そこでそれぞれの指揮官はそのままにして、全軍の指揮官として実際に軍の指揮などしない、できないグィチャルディーニを就ける事で、何とか話しをまとめたのです。

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 一方フランスを撃破したカルロス軍は、フランスの物になっていたミラノを攻めました。
 カルロス軍によってミラノ近郊は次々と占領されて、遂にミラノ市を囲んでの攻城戦になりました。
 
 もしローマ法皇側がカルロス軍の侵攻をミラノで食い止めたいなら、当然籠城するミラノを支援するべきなのです。

 しかしクレメンテ七世はミラノ支援をためらい続けました。
 その間にカルロスは援軍を送ります。 攻め手の援軍襲来にミラノは衝撃を受け、あっけなく陥落します。

 こうして援軍を得たカルロス軍は、今度は次第に南下し始めるのです。

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 イタリア側は何とかこれを阻止しなければなりません。

 ところでこのように軍事的に圧倒的な大国の侵攻対応するためには、取りあえずできる限り防御を固めた上で、外交で相手を懐柔するしかありません。

 外交で懐柔って言うと、なんか9条教徒みたいで愚かしいとも思われますが、しかしカソリック教徒vsローマ法皇ならこれは結構有効なのです。

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 実はこれまでフランス軍がイタリアに侵攻した事は何度かあったのですが、しかしその度にローマ法皇がまんまとフランス王を丸め込んで、実害を最小限にとどめていました。

 例えば先代のレオーネ十世時代にフランス王ルイ12世がイタリアに侵攻した時は、レオーネ十世はボローニャまで王を迎えに出ました。
 
 法皇による歓迎ですから、当然法皇が直接司祭するミサが行われるのです。 

 ミサが始まって暫くすると感激したフランス王の家臣の一人がが、「私の罪をお許し下さい。」と叫び出しました。 法皇は彼を優しく抱きしめて接吻してやりました。

 すると他のフランス人が皆同様に叫び出したので、法皇は一人一人を抱きしめて接吻してやったのです。

 こうして法皇の抱擁と接吻に感激したフランス人達は、皆感涙に咽び、法皇に刃向った事を悔い改めたのです。

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 こんなんで法皇様相手に戦争できるわけがないのです。
 
 この頃まではヨーロッパの王侯貴族も兵士も、結局皆カソリック教徒ですから、色々言っていても実際に法皇に会って、祝福でもされるともう感謝感激雨霰なのです。

 これが法皇様の最大の強みなのです。
 しかしレオーネ十世の従弟であるクレメンテ七世には、このような対応は全くできませんでした。

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 それでは断固たる防衛をする意思があったかと言えば、これはもうわけわかりません。

 イタリア側は、軍の総司令官さへ実質的には存在しない、と言う状況だった事は前述のとおりです。

 それだけでなく法皇は自分からは積極的に和平外交はしないのに、カルロス側から少し脅されてそして懐柔されると、実に簡単に向こうの言いなりに、軍を引いたり、或いは兵隊を解雇したりしてしまいます。

 これを繰り返して、イタリア側は殆ど戦いらしい戦いもしないのに、防衛ラインはドンドンローマに迫り、兵力は減少して行ったのです。

 カルロス軍がローマに迫る頃には、ローマを守備する軍隊は極少数のスイス衛兵だけと言う状態になっていました。

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 一方、カルロスと言う人は、元来敬虔なカソリック教徒です。 彼に本当に法皇に刃向うような意思があったとは思えません。
 この人後に、宗教戦争で新教徒を無茶苦茶殺しまくったぐらいですから。
 
 そしてカルロスがイタリアに送った軍隊だって、実は数から言っても質から言っても、過去のルイ12世の何度かの侵攻の時よりも格段に落ちるのです。

 そもそもフランス軍の侵攻時には王自ら軍を率いてきたのですが、今回はカルロスは来ていないのです。

 パヴィアの戦いの時の指揮官シャルル・ド・ブルボンがそのまま指揮を続けてきたのです。
 彼が非常に優秀な指揮官だった事は確かです。

 しかし本当にカルロスにローマを陥落させるほどの覚悟があるなら、カルロス自身が軍を率いていたでしょう。

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 そ、それなのに法皇側がこんな体たらくでは・・・・・。

 でもマキャベリは親友グィチャルディーニの傍らで、この過程を最後まで見届けるハメになるのです。 
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コメント

 サッコ・デ・ローマの時にマキャベリが指導者層の近くにいたとは、いったいどんな事を書き残しているのでしょう。

 それにしても、この事件は特に修道女に手をかけた事が酷く嫌な印象があり、よく映画などで表現されるヨハネの黙示録とはこういうことなのかと思いました。

 でもなぜサッコ・デ・ローマが起こったのかを考えた事が有りませんでした。続きを早くお願いします!
  1. 2016-07-08 07:45
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

>  サッコ・デ・ローマの時にマキャベリが指導者層の近くにいたとは、いったいどんな事を書き残しているのでしょう。

 実はマキャベリはサッコ・デ・ローマについて何も書き残していません。

 マキャベリはローマ陥落から10日余りで死んだのです。
 だからこれについて考えを纏めて書く時間が無かったのでしょう。 
 
>  それにしても、この事件は特に修道女に手をかけた事が酷く嫌な印象があり、よく映画などで表現されるヨハネの黙示録とはこういうことなのかと思いました。
>  でもなぜサッコ・デ・ローマが起こったのかを考えた事が有りませんでした。続きを早くお願いします!

 ワタシもこれが今一わからないので、その11を書いてから、暫く書けなくなっていました。 
 それにしてもイタリアルネサンスの無残な結末でした。
  1. 2016-07-08 09:45
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  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

マキャベリの生涯も峠を越えたのではないか、と思っていましたが、またまたこんな大事態に直面するなど、仰天してしまいます。私も腹に力を入れて、読んでいくつもりです。

サッコ・デ・ローマという惨劇があったことは、漠然と知っていましたが、歴史の流れの中で解説してもらうと、当時の時代がわかってきたように感じます。

フランソワ一世が捕虜になったことがあることは知っていましたが、この時だったわけですネ。
不利な条件をのんで釈放されたが、その後平気でその条件を踏み倒したとか?
この国王は政治的才能に欠けており、何かあまり好きになれませんが。
文化、芸術の面の功績は大きいみたいですが。

次回を楽しみにしています。
細かいことですが、表題は「その13」かと。
長期的に読まれるエントリーだと思いますので。
  1. 2016-07-08 22:59
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  3. 道草人 #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> マキャベリの生涯も峠を越えたのではないか、と思っていましたが、またまたこんな大事態に直面するなど、仰天してしまいます。私も腹に力を入れて、読んでいくつもりです。

 有難う御座います。 この事件は結局マキャベリの死の遠因になりました。
 しかもこれがどう考えても馬鹿馬鹿しいボタンの掛け違えのような展開の積み重ねで起きたので、ワタシが納得できず長々書いてしまうのです。
>
> サッコ・デ・ローマという惨劇があったことは、漠然と知っていましたが、歴史の流れの中で解説してもらうと、当時の時代がわかってきたように感じます。
>
> フランソワ一世が捕虜になったことがあることは知っていましたが、この時だったわけですネ。
> 不利な条件をのんで釈放されたが、その後平気でその条件を踏み倒したとか?
> この国王は政治的才能に欠けており、何かあまり好きになれませんが。
> 文化、芸術の面の功績は大きいみたいですが。

 条約の踏み倒しには違いないのですが、しかし今までの展開からもわかるように、フランス王は結局法皇側には一切軍事支援をしていないのです。

 王子二人を人質にされているのですから、できないしする気もなったのでしょう。

> 次回を楽しみにしています。
> 細かいことですが、表題は「その13」かと。
> 長期的に読まれるエントリーだと思いますので。
 
 有難う御座います。 訂正します。
  1. 2016-07-09 10:17
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  3. よもぎねこ #-
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