2016-06-25 21:34

元祖マキャベリストは良い奴だった その4

 実は前回「元祖マキャベリストは良い奴だった その3」で都民さんから、こんなコメントを頂きました。

信長は冷酷なのに、気に入った秀吉やねねさんには思いやりを見せた手紙を残しています。そしてアフリカ人を小姓にしたり、フロイスから南蛮の様子を精力的に聞き出したりしていて、偏見よりも合理性で動いていたのかと思います。そういう所が、チェーザレと似ていますか? 

 チェーザレ・ボルジアと信長は、一切の偏見から自由で、合理性で動く事では全く同じです。
 そして二人は共に中世から近世への扉を開けようとしたのです。

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 しかしチェーザレには家臣の妻にまでこまやかな心遣いをしたような逸話はありません。
 
 そして敵に対して信長よりも遥かに苛烈で呵責がないのです。
 だから敵ばかりではなく部下からも怖れられました。

 実はマキャベリがチェーザレ・ボルジアの折衝している間にも、部下達が反乱を起こしていたのですが、彼はこれを見事な陰謀で潰して彼等を処刑しました。

 マキャベリは君主論の中で、この経過を解析して絶賛しています。

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 しかしこんな事ばっかりやっていて大丈夫なんでしょうか?

 安国寺恵瓊がチェーザレ・ボルジアを見たら言ったでしょう。

 「いずれ高転びに転ぶであろう」と。

 そして実際その通りになります。
 
 家臣の反乱も収め、法王領内の小領主討伐事業も大方ケリが尽き、もう誰もチェーザレ・ボルジアを止められないと思われた時、父親である法皇アレッサンドロ6世が死亡します。

 しかもアレッサンドロ六世が死亡した頃、チェーザレ・ボルジアも重病で生死の間を彷徨い続ける状態だったのです。

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 これは当時ローマでマラリアが流行しており、二人は同時に感染したのだと推定されます。 そして老いた法皇は死んだけれど、若いチェーザレは生き延びる事ができたのでしょう。

 けれども人々は噂しました。

 法皇とチェーザレは、富裕な枢機卿達を宴会に招待した。 その席で枢機卿達に毒入り葡萄酒を飲ませて毒殺し、彼等の財産を奪おうとしたのだ。
 しかし法皇は誤ってその葡萄酒を飲み、チェーザレは同じ葡萄酒を水で割って飲んだ。
 その為法皇は死んだが、チェーザレは生き延びる事ができたのだ。

 そしてこれはボルジア家にまつわる伝説になります。

 だからこの話はアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯爵」の中でも語られています。

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 つまりチェーザレ・ボルジアとボルジア家と言うのは、生前からその死後何百年も世間からこのように思われていたのです。

 だから父法皇が死に、彼が生死の境を彷徨う間に、周りの全てが彼の抹殺に動き出しました。

 重病の彼はこれに対応できませんでした。

 そして次期法王即位を狙うデラ・ロヴェーレ枢機卿に完全に嵌められてしまいます。

 チェーザレ・ボルジアはデラ・ロヴェーレ枢機卿に騙されて、親ボルジア派の枢機卿達に、コンクラーベでデラ・ロヴェーレ枢機卿に投票するように指示したのです。

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 こうしてデラ・ロヴェーレ枢機卿は、法王ユリウス二世として即位しました。
 そして法皇ユリウス二世が真っ先にやったのは、チェーザレ・ボルジアの逮捕投獄でした。

 チェーザレ・ボルジアの運命はこれで尽きました。 
 教会軍総司令官として法王領内の小領主討伐に乗り出してからたった4年後の事です。

 チェーザレ・ボルジアはこの数年後に死にます。 享年32歳。

 信長より遥かに無残な高転びでした。

 ともあれイタリアの小国家は皆、これで胸をなでおろしたのです。

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 しかしチェーザレ・ボルジアが抹殺されても、イタリア半島を、そしてフィレンツェ共和国を取り巻く状況は厳しくなるばかりです。

 まず新法王ユリウス二世がチェーザレ・ボルジアに習って、法王領の直轄支配を目指し、自ら教会軍を組織して戦争を開始します。

 しかしユリウス二世の教会軍にはチェーザレ・ボルジアのような有能な戦闘指揮官がいませんでした。 
 その為随分苦戦するのですが、法王は諦めません。

 そしてこの征服事業でヴェネツィア共和国と対立します。
 そこでまたやらかすのです。

 「法皇庁は独自の軍事力は持たないが、外国の軍隊を呼び込む事はできる。」

 マキャベリが言った法皇庁お得意の外患誘致です。

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 ヴェネツィア共和国はチェーザレ・ボルジアが征服した二ミリとフェンツァの二つの小都市を彼の死後霞め獲っていました。

 法皇はこれを法皇に返せと要求したのですが、ヴェネツィアは拒否しました。

 すると法皇はフランス、スペイン、神聖ローマ帝国を抱き込んで反ヴェネツィア同盟を結成して、ヴェネツィアとの全面戦争に乗り出したのです。
 そしてこれにイタリアの小君主国フェラーラとマントヴァも加わります。

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 まさか?

 法皇が小都市二つの為に、ヴェネツィア共和国を潰そうなんて・・・・・。

 ヴェネツィアが亡くなったら、誰がオスマン・トルコ帝国からキリスト教世界を守んるだ?

 ヴェネツィアが亡くなったら、誰がイタリアの為に、アルプスの北の強国を牽制できるんだ?

 ヴェネツィアが盾になって、イタリア半島を守っているだぞ!!

 小都市二つの為に、その盾を潰すんなんて!!

 幾らなんでも法皇がこんな馬鹿なことを実行するはずはないだろう?

 これがリアリストに徹してきたベネツィアの読みでした。
 しかしユリウス二世はその「まさか」を実行するです。

 そしてこれに気付いたベネツィアが、問題の二都市を法皇に返還すると申し出ても、もう法皇を止める事はできませんでした。

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 ヴェネツィアは都市国家の身で、全ヨーロッパの大国と法王相手に戦う事になったのです。

 そして先陣を切って襲いかかったフランス軍に惨敗しました。

 「これでヴェネツィアは800年間に築いていて来た物を全て喪った。」とマキャベリは書いています。

 そしてフィレンツェと言えば、この事態には何もできませんでした。 何しろ自前の国防力もない身です。
 だから傍観するしかなかったのです。

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 一方ベネツィアは敗北の直後から、外交で巻き返しにかかります。
 
 ヴェネツィア憎しで反ヴェネツィア同盟を作った法皇も、現実にヴェネツィアが敗北して初めてフランスがイタリア半島内で強大な力を持つ事の恐ろしさに気づきました。
 
 またフランスが一人勝ちした事に、他の大国も不満と反感が募ります。

 そこでヴェネツィアはこれらの国々と法王を、反フランス戦争に向かわせたのです。
 そしてフランスとこれらこれらの国々が対立する中で、まんまと敗戦で喪った領土を回復してしまうのです。

 対フランス戦敗戦からものの2~3年の話です。

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 しかしこれ以降、イタリアはこうした大国同士の争乱の場となって行きます。

 そしてフィレンツェ共和国もそれに巻き込まれて行くのです。

 元祖マキャベリストはフィレンツェ共和国第二書記官長として、何とか祖国を守ろうと必死の勤務を続けるのです。

 それはフィレンツェにとっては悲劇の時代でしたが、しかしマキャベリの人生では最良の日々だっだでしょう。

 だって全身全霊を擲って祖国の為に働けた日々でしたから。

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 追伸
 
 あのう・・・続きどうしましょうか?

  1. 古本
  2. TB(0)
  3. CM(8)

コメント

よもちゃんは・・・

あはは、もちろん続きを期待します。

だけどちょっと一休みした方がよろしいのでは?
よもちゃんも拗ねてたりしませんか?
  1. 2016-06-25 22:32
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  3. にゃんこ #w2VY/Wec
  4. 編集

初めまして。楽しく拝見させて頂いて居ります。続きが気になってまた覗きに来てしまいました。初夏の北海道は気候が良く花々が咲き乱れ、とても気持ちよさそうですね。

ヴァレンティーノ公(チェーザレ)と信長公の対比は興味深いですね。確かにお市の方様とルクレッチア・ボルジアはその境遇が似ていますね。ただ人生の最後に於いてお市は死を選び、ルクレッチアはフェラーラの地にて7人目の子を産み(8人目とも)産褥で亡くなっています。彼女の男児も後のビシェリエ公、フェラーラ候、ミラノの大司教、等栄達を遂げていますね。数奇な運命に翻弄された女性達だったと思います。

ボルジア家の悪行にまつわる話は後の文学者がボルジア家の毒薬として語り継ぎ、オペラの題材にもなっています。法王ユリウス二世がヴァレンティーノ公の死後その肖像画を全て破棄させた事等も有名ですね。チェーザレにはミケロットを始め数人の副官がいたことが知られいますが、現在に伝わるチェーザレ像と彼のエピソードは、実際のチェーザレとどの程度剥離しているものか興味深いです。
  1. 2016-06-26 05:11
  2. URL
  3. 夜中に散歩 #-
  4. 編集

 よもぎねこさんのマキャベリストの物語に、わたしの拙いコメントを取り上げて頂きありがとうございます。

 チェーザレは本当に謀略の天才だったようで、もしアレッサンドロ6世と同じ時に重病でなければ、まだまだ巻き返しは出来たのかも知れないような気がしてきました。でもねねさんに見せた心遣いもなく部下からも恐れられていたとすると、権力の後ろ盾を無くしたらお終いだったのかもしれないですね。とても似ていますが、信長には最後まで信長の為に闘った家臣団がいて、少なくとも主君の首を光秀に差し出さなかったのは、ほんの少々の心遣いの有無なのかと思います。

 この外患誘致罪を犯したユリウス2世は、性格は嫌いですがローマを花の都にしたのは大きな功績です。それにしても敵にしたら相当に手強い相手で、この時代の指導者たちは凄いですね。

 続きのお話が楽しみです。
  1. 2016-06-26 07:57
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

続きが楽しみですが。

続きが楽しみですが、読者としても今までの物語を反芻するのもいいかと思います。よもぎねこ様には、少し時間をかけて構想を練り、再開していただくのもありかと存じます。
  1. 2016-06-26 08:36
  2. URL
  3. 酔っ払い爺さん #-
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Re: よもちゃんは・・・

> あはは、もちろん続きを期待します。

 有難う御座います。 何だか完全にノリノリになって書かないと収まらなくなってきたのです。
 好い加減にしなくちゃ。
>
> だけどちょっと一休みした方がよろしいのでは?
> よもちゃんも拗ねてたりしませんか?
 
 よもちゃんはモニターの前で文章の推敲をしてくれています。
 天気が悪くて、肌寒いので外に出たがらないのです。
  1. 2016-06-26 11:49
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 初めまして。楽しく拝見させて頂いて居ります。続きが気になってまた覗きに来てしまいました。初夏の北海道は気候が良く花々が咲き乱れ、とても気持ちよさそうですね。

 今は一年で一番快適な季節です。
 タダ今年は少し気温が低すぎなんですが。

> ヴァレンティーノ公(チェーザレ)と信長公の対比は興味深いですね。確かにお市の方様とルクレッチア・ボルジアはその境遇が似ていますね。ただ人生の最後に於いてお市は死を選び、ルクレッチアはフェラーラの地にて7人目の子を産み(8人目とも)産褥で亡くなっています。彼女の男児も後のビシェリエ公、フェラーラ候、ミラノの大司教、等栄達を遂げていますね。数奇な運命に翻弄された女性達だったと思います。

 実はワタシが旅行でフェラーラーに行った時、「ルクレッツィア・ボルジア展」なるモノをやっていました。
 今も絶大な人気があるようです。

 悲劇の美女は大人気!
 
 でも考えてみれば、兄亡き後は夫のアルフォンソ・デステに愛されて沢山の子供まで生んだのだから、幸福だったんですよね。
>
> ボルジア家の悪行にまつわる話は後の文学者がボルジア家の毒薬として語り継ぎ、オペラの題材にもなっています。法王ユリウス二世がヴァレンティーノ公の死後その肖像画を全て破棄させた事等も有名ですね。チェーザレにはミケロットを始め数人の副官がいたことが知られいますが、現在に伝わるチェーザレ像と彼のエピソードは、実際のチェーザレとどの程度剥離しているものか興味深いです。

 ミケロット始め最後まで忠誠を尽くした家臣達もいたし、またチェーザレが征服したイーモラやフォルリなどの都市は、彼の死後も法皇支配に戻る事に抵抗しました。

 だから現実の統治者としても、君主としても優れた人間だったのだと思います。

 チェーザレは逮捕された後にマキャベリと面会した時「自分は父が死んだ場合の方策は立てていた。 しかし父が死んだときに自分も死にかけているとは思わなかった、」と言ったそうです。
 
 せめて信長並みに人生50年を全うできたら、イタリア史は変わっていたかもしれません。
 少なくともマキャベリはそう思っていたのです。

 安国寺恵瓊は「イヤ、そんなことそもそも無理だよ。 アイツみたいに回り中全部から憎まれるような事をていれば、絶対に高転びするんだよ。」と言うかも知れませんが。
  1. 2016-06-26 12:09
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  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

>  よもぎねこさんのマキャベリストの物語に、わたしの拙いコメントを取り上げて頂きありがとうございます。

 どういたしまして、都民さんのコメントで信長とチェーザレの何処が違うのか?
 ワタシが説明しかねていたことをうまく説明できました。
>
>  チェーザレは本当に謀略の天才だったようで、もしアレッサンドロ6世と同じ時に重病でなければ、まだまだ巻き返しは出来たのかも知れないような気がしてきました。でもねねさんに見せた心遣いもなく部下からも恐れられていたとすると、権力の後ろ盾を無くしたらお終いだったのかもしれないですね。とても似ていますが、信長には最後まで信長の為に闘った家臣団がいて、少なくとも主君の首を光秀に差し出さなかったのは、ほんの少々の心遣いの有無なのかと思います。

 チェーザレ・ボルジアにもドン・ミケロットなど最後まで忠誠を尽くしてくれた部下はいました。
 
 しかし元来イタリア半島内に領地のないボルジア家には、法皇アレッサンドロ6世以外に基盤がないのです。 ここは尾張の大名だった信長と大きな違いでしょう。

 でも法王が後ろ盾になったからこそ、法王領内の小君主国征伐なんてことができたのです。 もしイタリア半島内の君主がそれをやれば、当然法皇庁はお得意に外患誘致で、その領主を潰すでしょうから。

 因みにチェーザレ逮捕後にマキャベリが面会した時には「自分は父が死んだ時の方策は立てていた。 しかし父が死んだ時に自分の死にかけているとは思わなかった。」と言いました。

 どんな方策だったんでしょうね?

>  この外患誘致罪を犯したユリウス2世は、性格は嫌いですがローマを花の都にしたのは大きな功績です。それにしても敵にしたら相当に手強い相手で、この時代の指導者たちは凄いですね。

 何しろミケランジェロの大スポンサーですからね。

>  続きのお話が楽しみです。

 有難う御座います。 なんかもう自分で完全に嵌っちゃったんですよ。
  1. 2016-06-26 12:34
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  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 続きが楽しみですが。

> 続きが楽しみですが、読者としても今までの物語を反芻するのもいいかと思います。よもぎねこ様には、少し時間をかけて構想を練り、再開していただくのもありかと存じます。

 有難う御座います。 
 なんか自分でも熱中して、止まらなくなっているのです。

 ホントは2回ぐらいで書き終えるはずだったのに、書いているうちにドンドン長くなってしまうし。

 前々から機会があったら書きたいと思っていたことなので、頭の中に原稿が堪っているのだと思います。
  1. 2016-06-26 12:40
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  3. よもぎねこ #-
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