実はワタシはこれまでの人生六十余年、ずうっと「可愛くない子」として生きてきました。
だから売れ残り、今も独身です。
しかし男子学生達が「可愛くない子」をサークルに誘わない事を責める気は全くありません。
だってワタシも美男の方が醜男より遥かに好きだもの。
容姿が醜いからと言って、男性に嫌がらせや意地悪をする気はないし、容姿が美しいからと言うだけで、男性を好きになるわけでもないけれど、それでも中身が同じなら醜男よりも美男の方に好意を持ちます。
それどころか歴史上の人物でも、美男となると心躍ります。
因みにこの前、ワタシはスパルタの英雄パウサニアスに憑依されました。 それはその直前に塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」読んでいたからです。
しかしそれでも数ある登場人物の中で、何でパウサニアスにだけそれほどの思い入れをしたのかと言えば、それはパウサニアスの悲劇的な運命もさることながら、塩野さんがパウサニアスを「眉目秀麗」と書いていたからです。
塩野さんも実は美男好きなんですよね。
ワタシはこの人の著書殆ど読んでるけど、彼女は登場人物に関する歴史資料で「美男」と言う記述があると必ずそれを書くのです。
例えば「フリードリッヒ二世の生涯」では、フリードリッヒ二世の息子達、エンツォとマンフレディが金髪の美男でだったことを懇切に描いています。
特にマンフレディについては、ダンテが「神曲」の中でその美貌と気品を讃えた一節を丁寧に紹介しています。
また塩野さんの出世作となった「チェーザレ・ボルジア優雅なる冷酷」でも、当時の人々が彼を「今世紀最も美しい男」と記述していることを紹介しています。
彼をモデルに「君主論」を書いたマキャベリも、またそのマキャベリをモデルの小説を書いたサマセット・モームもそんなこと全く関心がないのですが。
だって美男かどうかなんて歴史上の人物評価としてはどうでも良いのですから。
しかし我が尊敬塩野さんも女ですから、美男となるとその人物評価とは別にそれを無視する事はできないのです。
更に言うと塩野さんは好きなキャラは、肖像や記述がシッカリ残っていて美男でない事が客観的に証明されない限り、美男と思いたいようです。
それがパウサニアスです。
実はパウサニアスの肖像彫刻は全く残っていません。
テミストクレス始め同時代の人物の肖像彫刻は沢山残っているのですが、パウサニアスは裏切り者とされて殺されたので肖像が残らなかったのです。
だからホントはパウサニアスが「眉目秀麗」なんて、実は塩野さんの創作じゃないかと思うのです。
でも彼の輝かしい戦果と、その戦果故に彼がたどる事になった悲劇的な運命を思えば、塩野さんがパウサニアスを「眉目秀麗」と書いたのは当然なのです。
だって悲劇の英雄は美しくあるべきだもの!!
因みに塩野さん、女の容姿には全然思い入れがありません。 登場人物が美女であったと言う事が、歴史上の事件に関係ない場合は敢えてそれを記述しません。
世界史上最高の美女とされるクレオパトラの人物評価なんか最低です。
彼女が美女と言われたのは、ユリウス・カエサルを誘惑して愛人になったからです。
しかしそもそもカエサルはローマ一の女たらしの好色漢と言われた男です。 正妻の他にも常に無数の愛人がいました。
こんな男だもの、ブスでも美人でも関係なく据え膳食わないわけがない!!
そして現在残っているクレオパトラの肖像彫刻を見ても、特に美人とは思えません。
だから美人だったとも書いていません。
塩野さんのような人が歴史上の人物を記述するのにこれだもの、普通の女が男性を評価するのに容姿を気にしないわけないでしょう?
むしろ容姿差別は女の方が男より遥かに露骨、冷酷にやるんじゃないでしょうか?
背の低い男性が結婚で苦労するなんて、その典型でしょう?
禿、デブ、チビはイヤ!!
お世辞にも美人とは言えない女でもこんな事平気で言うじゃないですか?
「セクハラ」と言う言葉が出て来たのは90年代ですが、この頃アメリカで日本企業に務める男性が、アメリカ人の女性を食事に誘ったら「セクハラ」として告訴されたと言う話がありました。
この男性の年齢や容姿はわかりません。
しかしワタシはその時思ったのです。 もしこの男性がトム・クルーズのような美男であれば、彼女は絶対セクハラとは言わなかっただろうと。
それどころか大喜びで彼の招待を受けただろうと。
好意をもって誘った相手から「セクハラ」などと言われたら、どれほど傷つくことか。
他人に対して最低限の思いやりがあれば、こんな言葉を安易に振り回すべきではないのです。 しかし当時から現在まで、自称リベラリストや自称知識人の女性からこうした自戒が出た事はありません。
それどころか彼女達はオオハシャギで男性を侮辱していました。
そして彼女達は揃って言うのです。
「男性は女性を容姿で判断するのは差別だ。」と。
例えば在特会を差別として告訴した李信恵氏は、ネット上で彼女の容姿に関して侮辱的な書き込みが沢山出た事を「在日差別だけではなく、女性差別も酷い。」と憤っています。
しかし彼女とその仲間達も、桜井誠氏の容姿について「豚」「デブ」と言う侮辱的な書き込みを繰り返しているのです。
なるほど桜井誠氏は最近まで随分太っていました。 ワタシも彼が美男とは思いません。
因みに在特会と一緒に嫌韓デモをやってる瀬戸先生は凄くハンサムです。
だから瀬戸先生の林檎を買っている人の8割がたが女性だと言うのも凄くわかります。 ワタシも買ったし。
容姿について男女混合でランクを付ければ、瀬戸弘幸>>>>>桜井誠>>李信恵になるでしょう。
それなのに「あらゆる差別を許さない」などと言っている人間達が、容姿と言う自分にはどうにならない属性について、他人に悪罵を繰り返すと言うのは、どう言う事でしょうか?
李信恵氏とそのお仲間も、桜井誠氏が男性だから容姿を侮辱しても構わないと思っているのでしょうか?
男性だったら容姿を侮辱されても傷つかないと思っているのでしょうか?
男性だったら傷つけても良いと思っているのでしょうか?
「桜井誠は差別主義者だから、どんなに罵倒しても良い」と言うのでしょうか?
しかし太った人はこの世に桜井誠一人しかいないわけではないのです。
人を「豚」とか「デブ」と罵れば、太った人全てを傷つけると言う事が理解できないのでしょうか?
これが「あらゆる差別を許さない」と言う人間達の本性なのです。
人間を容姿のような本人にはどうにもならない属性で人を差別してはイケナイ。
全ての人を、容姿ではなくその人格で評価するべきだ。
ワタシもこれは全くその通りだと思います。
しかし普通の人間には、それを完全に実行する事は不可能なのです。
そして実行しなかったからこそ、「神曲」のような文学も、「モナリザ」のような名画も生まれたのです。
こうした人間の本質も、また日頃の自分自身の言動も顧みる事のない人が、差別反対と言って人を責めるのではありませんか?