告訴してやる!!
温泉で湯船に浸かってのんびりしていたら、いきなり男が入って来る。
驚いて何とか追い出そうとすると、こう言って凄む。
まるで御笑いみたいな話しですが、笑いごとじゃないです。
どうやら本当にそういう事になりそうです。
実は現在、経産省職員で性同一障碍の元男性が「自分は女になったので、女子トイレを使う権利がある。 それを認めないのは差別だ。」ろして経産省を告訴しているのです。
イヤ、ワタシは経産省を断固支持します。
経産省の女性職員の気持ちを考えれば当然でしょう。
エッ? 貴方、これから女になるの?
性同一障碍だったなんて、それじゃ辛い事色々あったでしょうね。
女になりたいと言うなら、私達は全然構わないわ。
仕事に男女なんか関係ないって、私達前々から言ってるでしょう。
だからこれからは同じ女として、男に負けないように一緒に頑張りましょうね。
でも女子トイレを使うのは勘弁して。
だって私達、今までずうっと貴方は男だと思ってきたのよ。
それをいきなり「自分は女だと思うから女だ。」なんて言われても、簡単にそうは思えないのよ。
それに悪いけど、貴方はどう見ても男なのよ。
だって体は今も完全に男なんだから仕方ないわよね。
そういう人がトイレに入ってくると思うと、安心してオシッコもできないわよ。
貴方も女になったと言うなら、そういう女のデリカシーはわかってよ。
ワタシならこう思います。
そして先の心配をします。
もし女子トイレの使用を許可したら、今度はこの原告は職場の慰安旅行で、女性の部屋に泊まりたい、女湯で入浴したいと、要求をエスカレートさせるのではないでしょうか?
それでもしそれを嫌がる女性がいると、今度はその女性を「差別だ」と告訴するのではないでしょうか?
女性職員を守る為には、経産省としては幾ら非難されても、告訴されても安易に女子トイレの使用を認めるわけにはいかないのです。
これを差別として経産省を非難している人達は、女性職員の立場を全く考えていないのです。
しかしアメリカでは「身体に関係なく自分が思う性のトイレを使う権利」は確立しつつあるようです。
それで大手のスーパーなどが、男女共同トイレなるモノを作ったりしているのです。
もし「身体に関係なく自分が思う性のトイレを使う権利」が保障されたらどうなるのでしょうか?
ワタシはそれで本物の性同一障碍で自分を女性だと思うようになった元男性が、女子トイレで性犯罪を犯すとは思っていません。
しかし性同一障碍は外見では全くわかりません。
だから性同一障碍でもなんでもない男が、痴漢目的で女子トイレに入ってもそれを止められなくなります。
今までなら女子トイレに男が入れば、それだけで「痴漢!!」として警官や警備員が駆け付け摘まみだしてくれました。
しかし「自分が思う性のトイレを使う権利」が保障されたら、そうはいきません。
その痴漢が「オレは女だ。 オレが女だと思うから、女なんだ。 それを認めないのは差別だ。」と言えば、もうどうしようもありません。
だって幾ら挙動不審で99%痴漢と思えても、もしその男がホントに性同一障碍でだったら、LGBT差別となり、莫大な賠償金の支払い始め厳罰を課せられます。
これでは警察も警備員も手が出せないし、そもそも通報自体できません。
これってもう痴漢天国でしょう?
今後、トイレや体育施設の更衣室やシャワールームでの痴漢被害が激増するのは自明でしょう。 特に思春期の少女の多く集まるトイレにこうした痴漢が大量に入り込むと思います。
それで危機感を持ったのか、ノースカロライナ州が「出生証明証に記載された性別と一致する公衆トイレを使用することを義務付ける」と言う法律を作りました。
すると今度はアメリカの有名企業や有名芸能人が、これをLGBTへの差別だとして、こぞってノースカロライナ州に抗議し始めました。
またノースカロライナ州の製品をボイコットすると言う運動も始まりました。
一度差別禁止が始まると、際限もなくエスカレートするのは、人種差別や女性差別や外国人差別と同様です。
それにしても性同一障碍者に女子トイレの使用を禁止するのは差別なのでしょうか?
だってこの経産省を告訴している人もそうですが、自分を女性と思っていると言っても、体は男性なのです。
女性でない人が「自分は女性だと思う」から他人にも自分を女だと認識する事を強制する権利があるなら、美人でない人も「自分は美人だと思う」なら他人にも自分を美人と認識する事を強制する権利があるはずです。
これならワタシだって「ミス札幌になれなかったのは差別だ!」とそて札幌市を告訴して賠償金をゲットする事ができますw
誰でも自分の思う自分と他人が思う自分との間には、乖離があるのです。
哀しいけれど人間は皆、他人が自分の思う自分の姿を受け入れてくれない事を甘受して生きるしかないのです。
だって自分だって他人をその人が期待するように評価する事は出来ないのですから、お互い様なのです。
それを差別と言われても困るのです。
勿論、性同一障碍の人を迫害したり嘲笑したりすることは許されません。
しかし女性を性犯罪から守る事だって重要なのです。 そして女性の気持ちだって尊重して欲しいです。
ところがこれが現在の反差別運動の異常さで、LGBT差別反対に限らず、一分の人達が「差別」と言い出すと、もうこれに関する冷静な議論が完全に不可能になるのです。
その差別は本当に差別なのか?
その差別を強制的に禁止する事で、他で問題が起きる可能性はないのか?
特定の人達の人権だけを突出して守る事で、他に人達の人権とのバランスは取れるのか?
こうした疑念を呈する人達は、全て「差別主義者」と言われて、ヒステリックに攻撃されるようになるのです。
しかしこういう状況ですから、アメリカはこれで「自分の思う性のトイレを使う権利」が確立するでしょう。
その場合きっと、日本の自称リベラリスト達は全面的にこれに同調します。
そして東京オリンピック開催の頃には、アメリカ人のLGBTの男性、そして自称LGBT男性が大量に来日して、温泉旅館で要求するでしょう。
「自分は女だと思うので、女湯に入りたい。」と。
それで旅館側がこれを拒否したら、「日本はLGBTを差別する国!」として欧米中が大騒ぎになるでしょう。
ワタシも日頃近所の銭湯を愛用しているので、これはもう笑えません。
「おもてなし」を看板にした日本政府と東京都はどうするんでしょうね?