そして戦後も歴代社長は暴力革命こそは諦めたものの、マルクス主義者、親スターリン主義者、親中国共産党の人間が続き、共産主義の大義により記事を編集報道してたと言います。
この朝日新聞を我が家では、ワタシが生まれる前から購読していました。
それでワタシが中学生になって、初めて読み始めた新聞は朝日新聞でその後も延々と読み続けました。
その為でしょうか? ワタシは長い間、共産主義が特に悪い物とは思っていませんでした。

共産主義社会と言うのは、随分窮屈な鬱陶しい社会で、自分が住むのは絶対嫌だなあ・・・・・とは思いましたが、しかし貧しくともあんまり働かずにノンビリ暮らせるのだから、そういうの好きな人には好いだろうぐらいに思っていました。
そして共産主義者については、現実的思考ができない困った人達ではあるけれど、理想主義的な善人だと思っていました。
朝日の発行部数は長きにわたって世界一を保ってきたのですから、おそらく日本人の多くが共産主義について、当時のワタシと同様に考えていたのではないでしょうか?

そういう考えが根源的に変わったのは、東ドイツ崩壊後に出版された東ドイツについての二冊の本を読んでからです。
一冊は東独崩壊以前はホーネッカーの後継者とも評された元東ドイツ共産党の幹部の書いた、東ドイツ崩壊に至る顛末を書いた本です。
もう一冊は50年代に東ドイツの男性と結婚して、その後東ドイツ崩壊後も東ドイツで暮らし続けた共産主義者の日本人女性の書いた、東独時代とその後の生活に関する本です。
どちらも共産主義者ですから、崩壊した東ドイツ共産党政権の弁明と言うべき本でした。
この中で二人が共にベルリンの壁建設について、「東ドイツが蒙った経済的損出を防ぐ為には当然の処置。」と言っていたのです。 二人はこの経済的損出についてちゃんと数字を上げていました。(ワタシはこの数字は忘れましたが)

経済的損出?
それはドイツの東西分断後、ベルリンの壁建設までの間に、東ドイツから西ドイツへ逃げだした人々の事です。
第二次大戦でドイツはソ連とアメリカに分け取りされて、東西に分断されました。
その直後から、ソ連に占領された東側から西側へ膨大な人々が逃げ出したのです。 それらの人々の多くが医師、弁護士、技術者など高度な専門職を持つ人々だったのです。
この人々の東ドイツ脱出を、共産主義者達は「経済的損出」と言うのです。
そこでその経済的損出の拡大を防ぐために、ベルリンに壁を築き、こうした人々が西側へ逃げられないようにした事を「経済的損出を防ぐためには当然の処置」と言うのです。

チョッと待って?
そりゃ医者や技術者が根こそぎいなくなれば、東ドイツが国家として困るのはわかります。
しかし医者も技術者も人間です。
彼等には彼等の意思があり、彼等には彼等の人生があるのです。
彼等には自分の運命を決める権利があるのです。
そして彼等は共産主義国家は嫌いだから、身一つで東ドイツを逃げ出す事にしたのです。
それを東ドイツの「経済的損出になる」からと、壁を作って囲い込むのが当然って?
アンタ!! この人達はアンタの家畜じゃないんだよ!!
自分達の国家建設に困るから、壁を作って絵囲い込むって?
それ他人を自分の家畜かなんかとまちがっているんじゃない?
つまり共産主義者は、他人をすべて自分達の奴隷だと思っているのでしょうか?

しかし実際にそう思っているからこそ、東ドイツから逃げ出した人々を「経済的損出」などと言う事ができるのです。 そして東ドイツ崩壊後になっても、そのことに何の疑念も疾しさも感じていないからこそ、東ドイツの弁明としてこれを言うのです。
結局彼等にとって他人の人格も人生も、実は自分達の理想社会を作るための道具であり、自分達が権力を得たからには、それを失わないのように壁の中に押し込めるのは当然の権利と考えていたのです。
彼等は子供が積み木で好きな建物を作るように、他人の人格と人生を使って自分達の好きな社会を作ろうとしたのです。
それを知って、ワタシは共産主義と共産主義者への嫌悪が確定しました。

ワタシは54年生まれで学生運動真っ最中に高校時代を過ごしました。 この頃高校にも共産主義者或いは共産主義にシンパシーを持つ先生も多く、「資本主義社会では人間は疎外される」と教えられえました。
「人間が疎外される」とは、「資本主義社会は市場原理で動くために、労働者は人間性を認められず物として扱われる」と言う話でした。
しかし共産主義社会は嫌だから逃げ出す人々を「経済的損出」と見做すって?つまり共産主義社会では人間は全て人格権を否定されて、物と見做されているって事じゃないですか?
人間を疎外しているのは共産主義者じゃないですか?

ベルリンの壁崩壊後間もないある日のことです。
壁の東側の住宅街に5~6人の男達が現れ「お前達は騙されている!! お前達は資本家に搾取されたいのか? 壁を戻せ!」と大声で叫びながら練り歩き、人々を驚かせました。
しかし男達の風体は、どう見ても東側のそれではなく、西側の人間にしか見えませんでした。

ソ連崩壊、そして共産圏が崩壊するまで、多くの人々が命懸けで共産圏から西側へ亡命しました。
有名な音楽家や科学者、そしてオリンピックの度にメダリストが逃げていました。 勿論一般国民も多数逃げていました。
一方当時は日本でも西ヨーロッパでも共産主義を政党は結構な支持を得ていたし、また共産主義者も沢山いました。
しかし日本や西ヨーロッパから共産圏に亡命する人と言うのは殆どいませんでした。
ワタシはその頃いつも不思議に思っていました。
そんなに共産主義が好きなら、日本や西ヨーロッパの国を共産化する事なんか考えずに、共産主義国家に亡命すれば良いのに。
ソ連なんか恐ろしく広いんだから、共産主義を求める移民なんか幾らでも受け入れる事ができるだろうに。

しかし今は彼等がなぜ亡命しなかったかわかります。
彼等は他人を物として扱える側に回りたくて、共産主義革命を夢見ていたのです。
共産主義国家の労働者や農民になるぐらいなら、資本主義国家に居座って生活保護を受け方マシ!!
刑務所にぶち込まれても、共産主義国家へ行くよりマシ!!
そうわかってたのです。