しかしワタシはこの一文で、トランプ氏を支持するアメリカ人の気持ちが理解できました。

宗教と休日に関して、トランプ候補は集会で支持者にこう訴えます。
「メリー・クリスマスと言おう」
周知の通り、アメリカではキリスト教以外の宗教を持つ人々に配慮して、「ハッピー・ホリデー」と言います。しかし、同候補はそれを否定し、再び「メリー・クリスマス」に戻そうと支持者に呼びかけているのです。

アメリカでは「メリークリスマス」と言えない?
ワタシはこの話を2010年にアメリカ在住のブロガーの記事で知りました。
リベラルは何故クリスマスを拒絶するのか?

アメリカでは「クリスマスはキリスト教の祭日で他宗教の人々にとって排他的なので祝うべきではない」或いは「多様性」と言う理由でクリスマスに反対する勢力の発言力が大きくなっていると言います。
その為、商店や銀行がクリスマスツリーを飾らなくなる、クリスマスパレードをホリデーパレードと改名するなどの事態が起きています。
そして「メリークリスマス」と言うの止めて「ハッピー・ホリデー」と言わなければならなくなっていると言うのです。
アメリカ国民の80%がキリスト教徒であるのに、その80%の国民は自分達の宗教の最大のお祝いを大っぴらにできない。
実に異様な話ではありませんか?

なるほどキリスト教が排他的な宗教であることは事実です。 しかしそれならばイスラム教やユダヤ教だってキリスト教以上に排他的です。
それでは「メリークリスマス」と言う名と言っている人達は、イスラム教徒には「インシャラー(アラーの平安を)」と言う挨拶は排他的だから止めろ」と言うのでしょうか?
しかしどうもそうではないようです。
それどころかそんなことを言ったら「人権侵害」と大騒ぎになるでしょう。
結局これはアメリカのリベラルによるアメリカの伝統文化への嫌がらせなのです。
或いはキリスト教徒迫害と言うべきでしょう。

ところがマイノリティへの配慮を錦の御旗にして、それに抗議すれば「レイシスト」と言うレッテルを貼られる為、結局このキリスト教徒迫害にキリスト教徒が明確な抗議もできない状況なのでしょう。
それにしても「メリークリスマス」とも言えない社会って?
自由の国とは程遠い社会ではありませんか?
アメリカ人の鬱憤がたまるわけです。
これならその鬱憤を代弁して、「ふざけるな!! オマイラ、オカシイだろう!!」と言うトランプ氏に大喝采するのもわかります。
トランプ氏の人柄や政治家としての能力にかなり疑問があっても、「メリークリスマス」とも言えない社会を何とかしてくれそうなのは彼しかいないのです。

それにしてもこれを見るにつけて、自称リベラリストの言う多文化社会とか多様性とかって、実は完全な無文化社会ではないでしょうか?
だってアメリカはピューリタニズムによって世界一富強な国家になったのです。
そのような国が自国の伝統宗教文化を排他的と否定させられるなら、一体どこの国が自国の伝統文化を守れると言うのでしょうか?

自称リベラリストの多文化社会とは結局全ての伝統文化を否定して、人間を止めてサルにでもなるしかない社会ではありませんか?