徴兵制の実施を止めて久しく軍隊に関心を失っていた若者達が、今回の事で国家の危機を感じて、軍隊に志願し始めたと言うのです。
そもそもこのテロに対してフランス人達は、常日頃は彼等がこの上もなく執着する個人主義をかなぐり捨てて、一致団結してテロに対決する姿勢を示しているようです。
パリは「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur) - 大野ゆり子
誰に言われたわけでもなく、誰に指導されたわけでもなく、フランス人個人個人による意思で。
そして左翼大統領は、これまた断固たる姿勢でテロとの戦いを宣言しました。
テロからフランスを守る為ならば、手段を選ばず、悪魔とでもプーチンとでも組む覚悟のようです。

このようなフランスの姿勢に日本の馬鹿サヨクは、周章狼狽・茫然自失しているようです。
しかしワタシは思いました。
ああ、こういう国だから民主主義を守れるのだ。
個人主義を最大限謳歌できるのだ。
と。
だって誰が何と言おうと、こうして首都の何でもないレストランがテロの標的になり、大量の市民が殺されると言うのは、国家の危機なのです。
このようなことが頻発すれば、もう人々は安心して市民生活を続ける事はできません。
だから何とかしなければならないのです。
で、フランスではその市民達一人一人が、瞬時にそれを自覚して、次のテロを防ぐために自分達のできる事を始めたのです。 そして日頃の意見の違いは横に置いて、自分の支持政党でない大統領の対応を尊重するのです。

国民が団結するべき時には、国民一人一人の意思で、一致団結して危機に対応できるなら、日頃幾ら好き勝手をやっていても良いではありませんか?
イザと言う時には、フランス人として一致団結できるからこそ、日頃は好き放題やっているのではありませんか?
逆に言えば、国民全体にそうした基盤のない国では、民主主義など不可能なのです。
そして個人主義も。

フランスと言う国の歴史は、簡単に言えば王権の強化の歴史でした。
フランスはヨーロッパの中でも、最も早くから国王を中心とした中央集権体制が進んだ国でした。
そしてそれがルイ14世時代に完成します。
それはまたフランスの黄金時代でもありました。
この時代、フランスはヨーロッパで比類ない程に豊な国、強い国、そして文化や芸術で他を圧倒する国になりました。
ヨーロッパ中の王侯貴族が、フランス風の宮殿を建て、フランス製の衣装や化粧品で身を飾り、フランス語を話して暮らしました。
東欧やロシアの貴族達は、氏素性が怪しくても読み書きさへできれば、フランス人と言う理由で我が子の家庭教師に雇い入れました。
フランス人はこの時代既に、一流国民であることの誇りと実利を満喫していたのです。

フランス革命はこの後に起きたのです。
フランス人がフランス人であることが、全てのフランス人に自明な状況で、革命が起きたのです。 だから革命後の混乱に次ぐ混乱も、国家の分裂などに繋がらなかったのです。
まして宗教や民族の問題など起きようもなかったのです。
フランスは実は元々は多民族国家で、元来のフランスは現在イール・ド・フランスと言われる地域だけでした。 例えばフランス南西部ではフランス語ではなくオック語と言われる別な言語がつかわれていました。
しかしリシュリュー枢機卿の時代に、フランス語の統一を行い、「世界で最も美しい言語」としてのフランス語を確立する事で、既に解決してたのです。
だから言語や民族の問題が、フランス革命以降のフランスで深刻な問題になる事はありませんでした。
つまりフランスはフランス革命に先立つ何百年も時間をかけて、国家と国家意識を完成させていたのです。
だから市民革命によって、民主主義もそして個人主義も理想形で完成したのです。

一方そうした基盤の一切ない中東の民主化は、独裁者政権の打倒=内乱と言う最悪の事態に陥りました。
だってシリアもリビアもイラクも、歴史的に国家であった時代などありません。 歴史そのモノは途方もなく長いのに・・・・。
イヤ、あれは民族や歴史に関係なく直線で国境線を引いた、欧米列強が悪いのだ。
サイクス・ピコ条約が悪いのだ。
勿論、あの国境線に合理性はないのです。
しかし、それ以前はこれらの地域は、全部オスマン・トルコ帝国の領土でした。 そのオスマン・トルコ帝国は600年も続いたのです。
600年一つの国だったところを、どうやって合理的に分割できますか?

そもそもオスマン・トルコ帝国が600年も続いたのは、余りにも多数の民族が蝟集して暮らし、しかも民族の移動も頻繁に起きると言うこの地域では、特定の民族による民族国家の成立は不可能だったからではありませんか?
地域や民族毎に首長や領主が乱立して、それらの間で揉め事が起きたら、オスマン帝国の皇帝が、それを仲裁したり処罰したりして、騒乱状態にならないようにする。
そういう体制が一番合理的だったからではありませんか?

そのオスマン・トルコ帝国が衰退したので、帝国はイギリスやフランスによって、切り刻まれたのですが、しかしそれではこの地域の人々は自分達の国を作るプランを持っていたのでしょうか?
残念ながらそんなモンはありません。
オスマン・帝国の支配に不満を持っていた首長や民族はいました。 でも支配が不満と言うのと、それで国家が作れると言うの八話が違います。
だから第二次大戦後に独立した後は、そのままフランスやイギリスの引いた国境線を守るしかなかったのではありませんか?
しかし結局それは国家モドキであって国家ではなかったのです。
だから独裁者が強権的に国家の体裁を保つしかなく、独裁者が倒れると内乱に突入すると悲惨な状態になるしかなったのです。

だって民主主義は皆で話あって、話し合いだけで決着がつかない場合は、多数決で物事を決める制度です。
話し合いが円滑に進むのは、話し合いに参加する人達が一定の信頼関係を持ち、自分達全てが同じ共同体に属していて、それを良くしようと言う意思がある場合だけです。
それが無い場合は際限もなく混乱するだけです。
多数決に至っては少数派は絶対不利なのです。
何百年もの間同じ民族や部族の以外とは連帯感を持たずに暮らし、まして宗教の違う人間は異教徒として攻撃して当然と言う暮らしをしてきた人達が、話し合いをして話がまとまるわけはないのです。
そして部族間の揉め事だって、刃傷沙汰になったのはそう古い事でもないのです。
ところがそういう地域にノーテンキ民主化を薦めた連中は、余程の理想主義者なのでしょうか?
それとも何か余程腹黒い下心があったのでしょうか?

テロに対するフランス国民の団結と、民主化以降内戦に突入した中東は、国民意識の有無による明暗そのモノを見せつけてくれました。
因みにワタシはフランス人の個人主義は、国家への信頼の賜物だと思います。
個人が家族からさへも縛られずに自由に暮らせるのは、つまりはイザと言う時には常に国家による庇護を期待できるからです。
どんなに頑健で知力や気力に恵まれた人でも、個人と言うのは弱い存在です。 テロの被害を見ればわかるように、集団の暴力には一たまりもありません。
だから国家の庇護が期待できないような社会では、家族や部族、地縁血縁、宗教などを軸に人々が団結するしかないのです。
しかしフランス人はもう数百年、そういう団結の必要としない社会、国家により個人が守られる社会を作ったので、個人主義を堪能してきたのです。

けれども彼等は賢明なので、自分達の個人生活を守るためには、国家を守らなければならないと知っているのです。
こういう国民だから民主主義国家を維持できているのです。
そして平時には個人主義を堪能して、享楽的で自由な生活を満喫できるのです。