そしてそれと共にドイツやスェーデンなどの、「難民に寛容」な国々の世論も微妙に変わりつつあるようようです。
それにしても根源的な疑問ですが、メルケルやメルケルの発言「政治難民の受け入れに上限はない」を支持した人々は、そもそも最初にどのぐらいの難民が来ることを想定していたのでしょうか?
「政治難民の受け入れに上限はない」という言葉はこの上もなく感動的だし、道義的に絶対に正しい事はわかります。
しかしいかにドイツと雖も富も国力も無限ではないのです。
何よりも政治家としてこのように発言するからには、難民受け入れの為の体制を作らなければならないのです。 難民のケアに必要な人員を用意し、宿泊施設等を確保するのが政治家の仕事なのです。
その為には当然ですが、入って来る難民の概数がわからなければ、どうしようもないのです。
特に実際に難民受け入れに当たる自治体など、非常に困っているのではないでしょうか?

一方一般国民は連日ニュースでドイツを目指す膨大な難民の群れを見るのです。
それを見たらいかに善良で寛大な人々でも、いずれ労働市場が壊れて失業率が拡大する、難民への予算措置で財政が悪化するなどの心配はせざるを得ないでしょう。
そして特に寛容でも善良でもなかった人々が、難民受け入れ反対を叫びだすのは当然ではありませんか?
普通に考えたら、メルケルはまずドイツに入って来る難民の総数の予測値を示すべきです。
「向こう何年以内に〇〇万人の難民がドイツに流入すると予想されます。 よってこの受け入れに必要な予算は〇〇〇ユーロ、難民流入による労働力の増加は〇〇%程度。 よって最悪の場合で失業率は〇〇%程度悪化する」
このように国民に説明するべきです。
そしてその予想を超えた数が難民が押し寄せた場合には、難民受け入れの方針を中止する。 また難民受け入れでマイナスの影響を蒙る人達には、相応のケアを用意する。
などの方針を示して、難民大量流入に不安を感じている人々を安心させるべきでしょう。

しかしこの難民騒動に関する報道を見る限り、マスゴミひたすら押し寄せる難民の映像を流し、難民の苦難を訴える一方、反移民や反イスラムを叫ぶデモ隊を「極右」「醜いレイシスト」と罵るだけなのです。
そしてこれはどうやら政治家も同様のようです。
これを見ているとこの難民受け入れに関しては、難民受け入れを叫ぶ寛容で善良な人々は、ひたすら自分達の理念と道義だけを振り回して、現実論を完全に封殺しているのです。
どうやらドイツでは難民受け入れが宗教のような絶対正義になってしまっていて、それに反論する事は勿論、これに関して疑問を持ったり、現実的な問題提起をしても悪魔視されてしまうようなムードがあるようです。

そもそもこの難民大量流入騒動は、9月にシリア人の幼児の遺体写真が大きく報道されて、それによって欧米に「難民カワイソウ」世論が盛り上がった事によります。
ワタシはそもそも善良でも寛大でもないので、あの遺体写真の難民カワイソウキャンペーンは凄くインチキ臭いと思っていました。
しかし驚いた事に情報リテラシーが日本人より優秀なはず?の欧米人が実に簡単にこのキャンペーンに乗ってしまいました。
それで今のドイツの状況と考え合わせると、結局本心はともかくメルケルとしては、難民受け入れに対しては厳しい発言は絶対にできなかったのではないでしょうか?
我が尊敬する丸山光三先生は「いざという時に情動に流されやすい国民性をもつドイツ人」と仰っていました。 そうなるとああして幼児の遺体に涙するドイツ人の情動はメルケルと雖も抑えられないのかもしれません。
だからああして「政治難民の受け入れに上限はない」などと凄い事を言うしかないのです。

しかしそれではメルケルはホントに「上限なし」で難民を受け入れるつもりだったのでしょうか?
これはワタシの推察ですが、メルケルには難民の流入を止める算段はあったのです。
なぜなら地理的理由から難民がドイツに来るには、幾つもの国を通らなければならないのです。 だからドイツが幾ら難民を受け言えると言っても、これらの国々の国境を通過できなければ、難民はドイツに来ることはできません。
そしてメルケルがこの発言をした当時からハンガリーは既に国境封鎖の意思を固めていました。
ドイツはこれを非難したのですが、しかしドイツへの難民大量流入が始まると、オーストリアもそしてドイツも国境審査を再開したのです。
お蔭でハンガリーはそのまま国境封鎖を続けるようになりました。 そしてハンガリーへ入れなくなった難民の群れはクロアチアを向かい、クロアチアも国境を封鎖し、次にスロベニアにへと向かっているのです。

そしてその間にドンドン秋は深まり、難民の旅は大変厳しくなってきました。 調べてみたらスロベニアって札幌とほぼ同じ気候です。 11月の平均気温は5度、真冬には氷点下になります。
これではもう間もなく徒歩でバルカン半島を移動する事など不可能になるでしょう。
そして遠からず凍死者が出ると思います。
本当にドイツ政府とドイツの寛大な人々が、難民の無制限受けいれを実行する気なら、こんな状態で難民を彷徨うままにはしないでしょう。 人口200万の裕福でもないスロベニアにはどうしもないのは明らかなのですから、スロベニア国境までバスでも仕立てて、難民を迎えに行ってやればよいのです。
しかしそんな難民カワイソウを叫ぶメディアも政治家もそんな話は一切しないのです。
つまりドイツが難民受け入れを止めると言いださなくても、途中の国々が国境を封鎖して、難民の流入を阻止してくれる事を期待しているのです。

メルケルは更にダメ押しをしました。
ドイツは他のEU諸国に難民の受け入れを強制したのです。
イヤ、アンタそりゃ駄目でしょう?
幾ら善意でも他人にそれを強制したら善意ではないでしょう?
そもそも他人に寛容さを強制する事が寛容だって言えるんですか?
お蔭でハンガリー始め東欧諸国は猛反発しています。
でもこうすればドイツが言いださなくても、EU全体に難民受け入れ反対の機運が広がります。 実際その為にEUの団結自体が危ぶまれる事態になっているのです。
だからころあいを見てフランス辺りが「難民の受け入れは人道的には正しいけれど、しかしそれによってヨーロッパの団結を壊すわけには行かない」とか言いだしてくれるんじゃないでしょうか?

こうやってドイツは外圧によって難民受け入れを阻止する一方で、国内では難民を受け入れる為と称して、それまで結構鷹揚に認めてきた不法移民を追い出す政策を取り始めています。
これまでは不法移民とわかっていても、人権と言う名のもとになかなか追い出せなかったのですが、しかし「難民受け入れの為」を錦の御旗にすれば、簡単にできるようになったのです。
そして難民そのモノに対する審査も厳しくし始めたのです。 そして難民でないと認定された人間は早々に強制送還できる制度に切り替えつつあります。
こうやって少しずつ難民受け入れ条件を厳しくしていけば、最終的にそれほど多くの難民を受けれずに済むばかりか、今後とも不法入国者への対策が非常にやりやすくできる事になるでしょう。

こうしてドイツは難民受け入れは絶対正義の旗印を高く掲げたまま、その旗のもとで現実的な不法移民締め出し政策へと移行しつづあるのです。
難民受け入れは絶対正義。
だから難民受け入れが嫌とは絶対言えない、でも現実には不安と言うドイツ人からすれば、これは願ったり敵ったりの政策ではありませんか?
ヤッパリ、メルケル母さん賢いわ!!
「そんな無茶苦茶入れたらドイツが潰れるやん??」と心配する在特会会員のような単純な人間じゃないのです。
建て前はガッチリ守りながら、しかし実際は実利はもっと守る気なのです。

尤も一番割を食うのはスロベニアで凍えている難民達です。
ドイツへ行けると思ったから莫大な不法移民の斡旋業者に高額の手数料を払ったのに・・・・・。 しかしメルケル母さんはお涙頂戴に本気で乗る人じゃないんですよね。
おそらくメルケルは難民が移動できない冬の間に、他のEU諸国と共に難民大量流入を阻止する体制を作るのではないでしょうか?
そしてこれは実は今現在の難民騒動だけでなく、ヨーロッパの将来にとって死活的に重要な問題です。
そもそもこの難民騒動が起きる前から、北アフリカや中東からの不法移民の大量流入は、続いていました。 そしてこのままだと今後も永遠に続くでしょう。

今までヨーロッパは比較的経済も良く、労働需要もありましたからこうした移民を結構受け入れてきました。 そしてヨーロッパの一枚看板「人権」がこの阻止を難しくしていたのです。
しかし永遠にこれが続けられるのか?
今回の難民騒動で「人権」「排外主義=悪」で思考停止になっていたドイツ人も、正面からこれを考えざるを得なくなってきたようです。
だから今後それについて建設的な議論ができるようになるでしょう。
この議論こそ賢いメルケル母さんの本当の目的ではないでしょうか?

今日は札幌は朝から雪です。 外の気温は3℃。
ただもうひたすら寒く冷たい日です。
一昨日までの輝く秋晴れは嘘のようです。
スロベニアの難民達も大変なことになっているでしょう。
ホントはドイツ人が幼児の遺体写真のキャンぺーン何かに乗せられず、また難民流入の是非について現実的な議論ができる状況ならこんな騒ぎにはならなかったでしょう。
しかしそれができなからこんな騒動になってしまうのです。
建て前の正義は絶対動かせないヨーロッパの文化って、こういう犠牲者を沢山産むんですよね。