2015-10-20 21:53

実はドイツは移民国 フリードリッヒ大王時代前から

 ドイツが難民受け入れで大騒動になっています。
 しかし歴史を見ると実はドイツの難民受け入れの歴史は実に長いのです。

 「もしもトルコ人達がやってくるなら、彼等の為にモスクを作ろう」

 これ実はプロイセンのフリードリッヒ大王の言葉です。

 実はドイツは昔から移民国なのです。

003

 そもそもプロイセンが難民受け入れを始めたのはもっと古く、プロイセンが王国になる前、プロイセン国王がまだブランデンブルグ選帝侯と言われた(神聖ローマ帝国皇帝選挙の投票権を持つ7人の諸侯の一人)だった時代、フリードリッヒ大王より4代前の話です。

 この大選帝侯フリードリッヒ・ウィルヘルムの時代に、ユグノーと言われたフランスの新教徒を受け入れたのが始まりです。

 当時(17世紀初頭)は宗教戦争は取りあえず終わっていたのですが、しかしまだ新教徒と旧教徒の宗教的対立は残っていました。
 
 こうした中フランスではルイ14世がナント勅令を廃止して、それまで認めていた宗教の自由を認めなくなり、フランスの新教徒達はフランスで暮らせなくなったのです。

 そのフランスの新教徒=ユグノーを受け入れたのが大選帝侯のプロイセンだったのです。

028

 これはプロイセンが新教徒の国だったことが直接原因です。
 しかしそれだけなくプロイセンの人口増加・国力充実策があります。

 当時のプロイセンは30年戦争で人口が激減しました。 人口の3分の1が死んだとも、或いは人口が3分の1になったもいわれまます。 
 その人口が回復せず、国内の農地の多くが荒蕪地になってしまいました。

 この人口を何んとか増やし、国力を充実させたいと切実な理由があったのです。

090

 当時のプロイセンは今のドイツと違って、ヨーロッパの途上国で、バイエルンやザクセンなど同じドイツ諸国と比べてもなを貧しい遅れた国でした。

 一方当時のフランスはヨーロッパ一の先進国で豊かな国でした。
 そんなフランスを離れて、貧しく遅れたプロイセンへ・・・・・・。

 でも宗教と言うモノが、人間にとって想像を絶するほど重要だった時代、新教徒として生きる為にはほかに選択肢はなかったのです。

175

 ユグノー達は南仏の出身者も多く、言語が違うのみならず、黒い髪、黒い瞳、オリーブ色の肌でドイツ人とは容貌も違っていました。
 
 こうしたユグノー達を当時のプロイセン人達は必ず詩も歓迎したわけではありません。
 しかし今と違って封建君主に逆らえる時代ではないので、文句は言えませんでした。

 こうして1700年頃にはユグノーたちはベルリンの人口の3分の1を占めるまでになります。 だからベルリン市民の気質には実はこのユグノーの気質つまり南仏人の気質が多く入っていると言われます。

207

 けれどもやがてユグノー達もプロイセンになじんでいきます。

 このユグノーの受け入れはプロイセンの国力を増強しました。

 なぜならユグノーの多くは、当時のフランスのエリート、商工業者でした。 その為ユグノーを受け入れたことで、プロイセンには様々な商工業の技術が入ることになったのです。
 
 それまでプロイセンには全くなかった産業が、ユグノー受入れと共に興ったのです。

353

 しかしユグノー等を受け入れてもなを、プロイセンの人口は回復できませんでした。 その為その後もこの難民受け入れ策は続くのです。

 大選帝侯の息子は無能でしたが、しかし見栄からプロイセンをブランデンブルグ選帝侯の位を、ランクアップさせてプロイセン王国にし、自分は国王になります。

 この息子の二代目プロイセン国王フリードリッヒ・ウィルヘルム一世は、プロイセン最大の内政王と言われて、生涯プロイセンの国力増強に奔走しました。

 このフリードリッヒ・ウィルヘルム一世は軍隊マニアで、軍備の増強に熱中するのですが、しかし軍備を増強するのは当然相応の予算がいるのです。
 そこでその予算を捻出するためには、国の経済規模の拡大が必要です。

 その為彼もまた移民や難民の受け入れによる、人口増加策に熱中するのです。

356

 特に彼が心を砕いたのは東プロイセンの復興です。

 彼が即位した当時、東プロイセンは完全な荒蕪地になっていました。 無能な父王がルイ14世を真似た豪奢に耽る間に、東プロイセンでは疫病と飢饉が起きて、殆どの住民は死に絶え、生き残った人々もこの地を捨てたのです。

 しかしフリードリッヒ・ウィルヘルム一世は即位直後から、何とかここを復興させたいと願いました。
 
 そうした折も折、ザルツブルグの司教がザルツブルグ在住の新教徒達の追放を宣言したのです。 ザルツブルグは当時カソリックの司教領だったのですが、この司教は自領の新教徒達の財産を没収して、追放したのです。

 フリードリッヒ・ウィルヘルム一世はこれを知ると直ぐに、この新教徒等の受け入れを表明します。 そしてプロイセンまでの旅をする彼等に対して「危害を加えた場合は、プロイセン国民に危害を加えたとみなす」と宣言して、自国に入る前から保護する事を表明したのです。

361

 このフリードリッヒ・ウィルヘルム一世の声明は、やがてビラや噂話を通じてザルツブルグの新教徒等に伝わりました。
 こうして彼等は見知らぬプロイセンへ向かって旅を始めました。
  
 このザルツブルグ人達がベルリンに着いた時は、ベルリン市民達は大歓迎しました。
 そして争って彼等を自宅に泊めたのです。(なんかシリアの「難民」を歓迎した現代ドイツ人を思わせるのですが)

 ザルツブルグ人達はこうした歓迎を受けながら、プロイセン領内を旅して、東プロイセンにたどりつきました。 

 ここで彼等は国王から東プロイセンの元の住民が放棄した家と農地を割り当てられ、更に当面の生活に必要な資金や家畜や農具、種籾、当面の食糧などを支給されました。

371

 ザルツブルグ人達はユグノーと違って殆どが農民でしたから、東プロイセンでまた農業を始める事には異存はなかったのです。

 しかし東プロイセンは気候も厳しく、何よりも一旦放棄されて何年も荒蕪地になっていた農地で農業を始めるのは容易ではありませんでした。

 けれどもフリードリッヒ・ウィルヘルム一世は、粘り強くザルツブルグ人の入植者を支援し続けてました。 そしてなんとしても彼等が東プロイセンに定着できるようにしたのです。
 
 またザルツブルグ司教とは執拗な交渉の末、このザルツブルグ人から没収した財産を返還させることに成功します。
 この財産を彼は全額、彼等に返したのです。

 「そんなの当然でしょう?」ですって?

 そりゃ現代ならね。
 でもこの時代に君主がこのように領民の為に努力する事自体異例です。 まして自分が苦労の末に返還させた財産を、気前よく全部元の持ち主に返すなんて・・・・・。(今の弁護士でも過払い訴訟で取り返した過払い金の3割は弁護士が取るのですよ)

390

 こうしたフリードリッヒ・ウィルヘルム一世の努力の結果、東プロイセンは遂にプロイセンで最も生産性の高い農業地域になります。

 フリードリッヒ・ウィルヘルム一世の息子、フリードリッヒ大王(フリードリッヒ二世)の時代には、人口50万を超えるプロイセンの穀倉地帯になるのです。 当時のプロイセンの総人口が400万程度の時代にです。

 そして当然のこととて、この東プロイセンはプロイセンで最も保守的で王政に対する信任の厚い地域になります。

 最初にあげたフリードリッヒ大王の言葉は「トルコ人が来るのなら、彼等の為にモスクを作ろう」と言うのは、実はこうした曾祖父の代からの移民政策の成功から来ているのです。

432

 ドイツと言う国は勿論プロイセンだけでできているわけではありません。 ザクセンやバイエルンなど5つの王国や公国や司教領、更にハンブルグとハンザ同盟都市など、ドイツ民族であることは同じでも、全く違った政体を持つ小国が合わさってできた国です。 だから今でも地方自治権が非常に強いのです。

 しかしプロイセンが中心になって統一戦争を行い作られた国であるのも確かです。 そして今もフリードリッヒ大王はドイツで最も尊敬される君主です。

 だから今でもプロイセンの影響力は他の国々に比べればはるかに強いのです。

 そのプロイセンが実は移民国だったと言う事は、現在のドイツの移民政策や難民受け入れ策とは無縁ではないでしょう。

 だからでしょうか?
 ドイツは戦後復興が始まる頃から、外国人の労働者を受け入れています。

 昭和30年代、日本人の炭鉱労働者が多数ドイツに招かれた事もあります。 その時の名目は「研修生」でした。

 そういう国にとって移民受け入れは実は伝統であり、成功体験の積み重ねでもあるのです。

437

 そして70年代からはホントにフリードリッヒ大王の言葉通りに、トルコ人を大量に受け入れるようになりました。

 しかしねえ・・・・・。
 人間の適応力には限りがあるのです。

 ユグノーやザルツブルグ人は同じヨーロッパ人であり、同じ新教徒です。 特にザルツブルグ人など同じドイツ民族なのです。

 こうした人々がプロイセンに馴染み、良きプロイセン人になったからと言って、イスラム教徒のトルコ人やそして今大量に雪崩れ込んでいる「難民」が同様に良きドイツ人になれるのか?

 何よりもドイツの豊かさと福祉と人権擁護をあてにして来た「難民」達が、信仰が守れると言うだけで貧しいプロイセンに来た人々と同様に振る舞う事を期待できるのか?

2015y10m20d_224415855

 しかしこれはもう日本人の我々が言ってもどうしようもないでしょう。
 とにかくドイツはもう難民受け入れを決めちゃったのです。

 ドイツ人に一体どのぐらいの「難民」を受け入れる覚悟があったのかは甚だ心もとないので、今後起きそうな事を想像すると凄く怖いのですが。
  1. ヨーロッパ
  2. TB(0)
  3. CM(12)

コメント

キリスト者の兄弟愛

いわゆる最後の晩餐で裏切り者イスカリオデのユダが出て行ったあと、
ナザレのイエスは弟子たちの足を自ら洗って申しました

汝ら相愛すべし。

新旧宗教対立で迫害されて故郷をおわれた人たちは民族違えど、
プロイセンの人たちと同じプロテスタントの信仰をもつ人たち、
キリスト教的に言ったら
兄弟姉妹

でした。

国民党の圧政から台湾の政治結社大日本帝国臣民の権利を回復する会の人たちが逃げてきたようなものでしょう。初めは言葉が通じなくてもなんとか仲良く暮らそうと思いますし、相手方も必死に馴染もうとするでしょうし、民族間婚姻も盛んに行われるでしょう。

現在の移民は
本来なら祖国に踏みとどまり、
独裁者や狂信者と戦うべき義務を放棄した敵前逃亡者でしかも文化宗教を完全に異にする人間が短期的利益をもとめて来るものです。

受け入れてやってもキリスト教に改宗するわけでもなく仲間内で凝り固まり、
職業技能が低いから低所得貧民になり不満をかかえて狂信テロリストに変身。

これではたまりません。
受け入れ国は難民に
その国地域の文化精神宗教の尊重を義務づけられる!
とか国際条約などで定めるべきではないでしょうか?

わたしも祖先はまさに難民でしたが、
白系ロシア人は日本のために戦って靖国神社の神様になりましたし、
父も特技を生かして公安畑で奉職しました。
ベレンコが函館にミグ25戦闘機に乗って亡命してきたとき尋問したそうです。
市民だ国民だといったものにタダでなれると思うなよ!と私は思います。

シリア難民は、
軍事施設に収容して組織し訓練を施し、希望者はキリスト教に改宗させて、シリアに武装させて送還したらどうかと思います。


それはそうと、
プロイセンは元来、
チュートン騎士団が聖地をイスラム教徒に追い出され、
ハンガリーに受け入れてもらったらそこで教皇とつるんでクーデターを計画したのがバレてまたまた追い出されて、
やむを得ずドイツ東部辺境に入植したのが起源、と記憶していますがどうでしたか?。
  1. 2015-10-20 23:37
  2. URL
  3. ガンダム #iL.3UmOo
  4. 編集

Re: キリスト者の兄弟愛

> いわゆる最後の晩餐で裏切り者イスカリオデのユダが出て行ったあと、
> ナザレのイエスは弟子たちの足を自ら洗って申しました
>
> 汝ら相愛すべし。
>
> 新旧宗教対立で迫害されて故郷をおわれた人たちは民族違えど、
> プロイセンの人たちと同じプロテスタントの信仰をもつ人たち、
> キリスト教的に言ったら
> 兄弟姉妹
>
> でした。
>
> 国民党の圧政から台湾の政治結社大日本帝国臣民の権利を回復する会の人たちが逃げてきたようなものでしょう。初めは言葉が通じなくてもなんとか仲良く暮らそうと思いますし、相手方も必死に馴染もうとするでしょうし、民族間婚姻も盛んに行われるでしょう。
>
> 現在の移民は
> 本来なら祖国に踏みとどまり、
> 独裁者や狂信者と戦うべき義務を放棄した敵前逃亡者でしかも文化宗教を完全に異にする人間が短期的利益をもとめて来るものです。
>
> 受け入れてやってもキリスト教に改宗するわけでもなく仲間内で凝り固まり、
> 職業技能が低いから低所得貧民になり不満をかかえて狂信テロリストに変身。
>
> これではたまりません。
> 受け入れ国は難民に
> その国地域の文化精神宗教の尊重を義務づけられる!
> とか国際条約などで定めるべきではないでしょうか?

 近代国家の理念から言えば宗教は個人の問題ですから、「個人レベルでどんな宗教を信じても政治問題にはならないはず」なのです。

 しかしイスラム圏ではそうではないんですよね。 そもそも形式はともかく中身が近代国家じゃない国ですから。

 こういう国から来た人達が、そもそもドイツ式の近代国家の理念を受け入れる事ができるかどうかが大問題なのです。

 しかも大量に固まってきているので、同じ理念の人だけで集団を作ってしまうので、益々ドイツにはなじみにくくなります。
 
 今後大変なことになるんじゃないでしょうか? 
 
> わたしも祖先はまさに難民でしたが、
> 白系ロシア人は日本のために戦って靖国神社の神様になりましたし、
> 父も特技を生かして公安畑で奉職しました。
> ベレンコが函館にミグ25戦闘機に乗って亡命してきたとき尋問したそうです。
> 市民だ国民だといったものにタダでなれると思うなよ!と私は思います。

 おお、あのミグ戦闘機の亡命事件は、大騒ぎでした。
 あの頃は冷戦真っ最中でしたからホントに大変な御仕事をされていたのですね。
 
> シリア難民は、
> 軍事施設に収容して組織し訓練を施し、希望者はキリスト教に改宗させて、シリアに武装させて送還したらどうかと思います。

 イスラム教徒がキリスト教に改宗すると処刑されると言う国が結構あります。
 シリアは違うようですが、しかし今のような狂信の時代にはリンチに遭う可能性も強いでしょう。

 それでドイツに不法入国したイスラム教徒の中には、形式だけキリスト教に改宗して「帰国したら処刑になるから」と難民申請をする人達が多数いるそうです。

 残念ながら向こうの方が一枚上手です。

> それはそうと、
> プロイセンは元来、
> チュートン騎士団が聖地をイスラム教徒に追い出され、
> ハンガリーに受け入れてもらったらそこで教皇とつるんでクーデターを計画したのがバレてまたまた追い出されて、
> やむを得ずドイツ東部辺境に入植したのが起源、と記憶していますがどうでしたか?。

 そうです。 元々チュートン騎士団の領地です。 そしてそのチュートン騎士団は元々の住民であるスラブ系の人々を実に残虐な方法で支配しました。

 ドイツ人はチュートン騎士団大好きで、ドイツ軍の軍章バンケルクロイツも実はチュートン騎士団がマントに着けていた記章です。

 でもスラブ民族から見たらあれ程悪逆非道な連中はいないのです。
  1. 2015-10-21 00:21
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

移民輸出国

ドイツは今や移民受け入れ国ですが、かっては移民を送り出す側でした。「東方移民」でググればたくさんヒットすると思います。例えば、>>http://www.geocities.jp/takahashi_mormann/Articles/ostsiedlung.html

「ハーメルンの笛吹男」の物語は、移民勧誘者が若い男女を東方移民へと促した事実が背景になっているのだそうです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%AC%9B%E5%90%B9%E3%81%8D%E7%94%B7


また目立つのは東プロイセン出身のカタリーナがロマノフ王朝に嫁いでエカチェリーナ2世に即位すると大量のドイツ移民をロシアに呼び寄せました。彼女の出身地・東プロイセンは、東方移民または東方植民の結果、拡大された領土です。

これら東方移民は第二次大戦後、一斉にドイツへと放逐されその数1000万人以上と言われます。一方で現地名と国籍を取得して残留したドイツ人も多々います。ポーランドのシュレージェン地方、チェコのズデーデン地方が有名です。

また上記カタリーナにより誘致されたドイツ人は19世紀末にはその総数200万人近くに及びヴォルガ地域に多く住みヴォルガ自治区さえ許されていました。彼らはヴォルガ・ドウイッチュと呼ばれます。しかし独ソ戦時にスターリンにより東の中央アジアへと強制移住させられモスレム社会の中で辛酸をなめました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BA%BA

彼らは、旧ソ連崩壊後陸続とドイツへと流入しました。その数約80万人といわれていますが、家族を含めればその3-4倍はいるでしょう。わたしの近辺でも両手両足で数え切れないほどのヴォルガ・ドウイッチュの知人がいます。

また一方で米国へ移民したドイツ人は極めて多く、現在米国国民のうちドイツ系は約5000万人と言われています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA

そして米国国語を決める際にドイツ語が有力な候補であったことも忘れてはいけません。また敗戦後、優秀なドイツ人科学技術者が「ペーパークリップ」作戦により米国へと移住させられました。これにより戦後米国の科学技術レヴェルが向上しアポロ計画などを支えたのでした。この場合は量より質の問題ですね。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E4%BD%9C%E6%88%A6

ドイツがかって移民輸出国であり、また戦後はドイツ人自らが難民となって祖国へ命からがら復帰した、これらが現在のドイツの移民政策を考える場合見逃してはならない歴史事実でしょう。この民族の歴史を知れば、彼らが難民に親和性をもつ理由の一端が理解できます。

ひるがえってわが国も貧因ゆえにハワイや南米に移民を送り出し、また満州朝鮮からの引揚者という名の難民を作り出したその歴史を記憶し続けなければならないでしょう。
  1. 2015-10-21 01:03
  2. URL
  3. 丸山光三 #RPJCcdqk
  4. 編集

保守系ネット情報

「移民で成功した国は、元々住んでいたネイティブ達の防御が貧弱で、移民に駆逐された国しかない。」
という情報を読んで、アメリカとかオーストラリアとか南米諸国とかそうだよね…と何となくそう思っていました。
ドイツ等は移民による成功体験があった訳ですか、ちゃんと歴史に目を向けないとダメですね。

でも、今起こっている移民・難民問題ってあまりにも急激です。
エントリーで書いておられるように、人間の能力には限度が有ります。

交通手段や情報網の発達により、移民の流入スピードが全く違うし、移民とネイティブとの文化の差はともかく、生活レベルの差は受けれる側であるネイティブの防御本能を掻き立てずにはいられません。

情報網の発達は、お互いの理解に寄与して馴染んでいくのにプラスの面が有る一方、「こんな連中なのか!」「あんな事件があちこちで~」という情報も大量に流れるので、お互いに拒否反応を弾けさせるマイナス面も有ると思います。

無理があると思います。
  1. 2015-10-21 08:41
  2. URL
  3. もらもら #Fldqm66o
  4. 編集

 フランス人とドイツ人がどちらも濃淡があってもゲルマン民族の末裔と知ったときは、驚嘆しました。欧州は人が入り乱れていて、その上に国家があるのなんとなくが分りました。

 プロイセンが移民の成功例なのは、大選帝侯フリードリッヒ・ウィルヘルムやフリードリッヒ・ウィルヘルム一世の統治能力もありますが、なにより同じ言語・宗教・民族のお蔭だと思います。異質な民族を受け入れるには、許容範囲の人数でしかも受け入れ国にたいして(日系人が米軍として立派に戦ったように)忠誠心がある人達でないと国が分裂してしまいます。

 それにドイツはトルコ人を大量に受け入れたけど、当初はいつか帰国させるつもりでドイツ語教育などはおろそかにしていたそうです。

 しかし人口減少を移民で賄った歴史を考えると、メルセデスの社長やEU理事の移民歓迎の記事もありましたし、今回の騒動はトルコとドイツの共同作業かと想像してしまいます。

「欧州委員会は移民危機の経済的影響を評価している。欧州委員ピエール・モスコヴィシ氏は、影響は全体としてプラスである、との見方を示した。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150912/887272.html

「ドイツ自動車大手ダイムラーのツェッチェ社長は15日、時事通信などのインタビューに応じ、今年だけで80万人に上ると見込まれる中東からの ドイツへの難民について、ドイツで進む少子高齢化の解決策になるとして、 歓迎する意向を表明した。」

 上記の元記事が消されてました!都合が悪かったみたいです。

難民受け入れ反対、独ドレスデンで大規模集会
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2616269.html 

スイスで反移民政党躍進 総選挙、第1党が議席2割増
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM19H1T_Z11C15A0EAF000/

 他にも色々と事件が起きている様で、本当にこれから欧州はどうするのでしょうね?
  1. 2015-10-21 08:45
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

Re: 移民輸出国

> ドイツは今や移民受け入れ国ですが、かっては移民を送り出す側でした。「東方移民」でググればたくさんヒットすると思います。例えば、>>http://www.geocities.jp/takahashi_mormann/Articles/ostsiedlung.html
>
> 「ハーメルンの笛吹男」の物語は、移民勧誘者が若い男女を東方移民へと促した事実が背景になっているのだそうです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%AC%9B%E5%90%B9%E3%81%8D%E7%94%B7
>
>
> また目立つのは東プロイセン出身のカタリーナがロマノフ王朝に嫁いでエカチェリーナ2世に即位すると大量のドイツ移民をロシアに呼び寄せました。彼女の出身地・東プロイセンは、東方移民または東方植民の結果、拡大された領土です。
>
> これら東方移民は第二次大戦後、一斉にドイツへと放逐されその数1000万人以上と言われます。一方で現地名と国籍を取得して残留したドイツ人も多々います。ポーランドのシュレージェン地方、チェコのズデーデン地方が有名です。
>
> また上記カタリーナにより誘致されたドイツ人は19世紀末にはその総数200万人近くに及びヴォルガ地域に多く住みヴォルガ自治区さえ許されていました。彼らはヴォルガ・ドウイッチュと呼ばれます。しかし独ソ戦時にスターリンにより東の中央アジアへと強制移住させられモスレム社会の中で辛酸をなめました。
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BA%BA
>
> 彼らは、旧ソ連崩壊後陸続とドイツへと流入しました。その数約80万人といわれていますが、家族を含めればその3-4倍はいるでしょう。わたしの近辺でも両手両足で数え切れないほどのヴォルガ・ドウイッチュの知人がいます。
>
> また一方で米国へ移民したドイツ人は極めて多く、現在米国国民のうちドイツ系は約5000万人と言われています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA
>
> そして米国国語を決める際にドイツ語が有力な候補であったことも忘れてはいけません。また敗戦後、優秀なドイツ人科学技術者が「ペーパークリップ」作戦により米国へと移住させられました。これにより戦後米国の科学技術レヴェルが向上しアポロ計画などを支えたのでした。この場合は量より質の問題ですね。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E4%BD%9C%E6%88%A6
>
> ドイツがかって移民輸出国であり、また戦後はドイツ人自らが難民となって祖国へ命からがら復帰した、これらが現在のドイツの移民政策を考える場合見逃してはならない歴史事実でしょう。この民族の歴史を知れば、彼らが難民に親和性をもつ理由の一端が理解できます。
>
> ひるがえってわが国も貧因ゆえにハワイや南米に移民を送り出し、また満州朝鮮からの引揚者という名の難民を作り出したその歴史を記憶し続けなければならないでしょう。

 有難う御座います。 仰る通りドイツは一方で移民輸出国です。

 移民の受け入れも、移民に出るの盛んだと言う事は、つまりはドイツと言う国は非常に開放的な国だと言う事でしょう。

 フリードリッヒ大王のプロイセンを「アメリカのようだ」と表する本がありました。 つまり国家を民族によらず、法によって守る国であると言う意味です。 法に従い国家に奉仕する意思がある人ならば、誰でもプロイセン人になれると言う発想です。

 ドイツ人はこうした発想があるので、移民先でもうまく溶け込んで成功するのでしょう。

 ロシア文学にはドイツ系の人達も沢山でてきます。 ロシアの一般農民に比べて大変豊なので、嫉妬はされていますが、しかし憎まれもいません。

 「オブローモフ」に登場するオブローモフの親友シュトルツなど余りと言えば余りに理想的な人物なので、ドイツ人が見れば照れくさいかも?

 因みにドイツ人はロシア映画「オブローモフの生涯より」を見て、スラブ殲滅作戦を反省するべきでは?



 
 


 
  1. 2015-10-21 10:46
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 保守系ネット情報

> 「移民で成功した国は、元々住んでいたネイティブ達の防御が貧弱で、移民に駆逐された国しかない。」
> という情報を読んで、アメリカとかオーストラリアとか南米諸国とかそうだよね…と何となくそう思っていました。
> ドイツ等は移民による成功体験があった訳ですか、ちゃんと歴史に目を向けないとダメですね。
>
> でも、今起こっている移民・難民問題ってあまりにも急激です。
> エントリーで書いておられるように、人間の能力には限度が有ります。

 今の移民と過去の移民ではかなり意味あいが違うでしょうね。

 戦前ぐらいまで移民と言えばもう祖国には帰れない覚悟での移民でした。
 ザルツブルグから東プロイセンへの旅だって、当時の農民達にとっては生きて帰れぬ覚悟の旅だったのです。

 だから一旦移民したら何としてもそこに適応して、生きる努力をするしかありませんでした。

 でも今は移民しても気楽に里帰りはできるし、それどころかネットで始終コンタクトが取れるのです。

 こういう形で文化の大きく違う地域に移民すれば、適応は益々難しのではないかと思います。

> 交通手段や情報網の発達により、移民の流入スピードが全く違うし、移民とネイティブとの文化の差はともかく、生活レベルの差は受けれる側であるネイティブの防御本能を掻き立てずにはいられません。
>
> 情報網の発達は、お互いの理解に寄与して馴染んでいくのにプラスの面が有る一方、「こんな連中なのか!」「あんな事件があちこちで~」という情報も大量に流れるので、お互いに拒否反応を弾けさせるマイナス面も有ると思います。
>
> 無理があると思います。

 そうです。 大変厄介な状況だと思います。
  1. 2015-10-21 11:00
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

>  フランス人とドイツ人がどちらも濃淡があってもゲルマン民族の末裔と知ったときは、驚嘆しました。欧州は人が入り乱れていて、その上に国家があるのなんとなくが分りました。
>
>  プロイセンが移民の成功例なのは、大選帝侯フリードリッヒ・ウィルヘルムやフリードリッヒ・ウィルヘルム一世の統治能力もありますが、なにより同じ言語・宗教・民族のお蔭だと思います。異質な民族を受け入れるには、許容範囲の人数でしかも受け入れ国にたいして(日系人が米軍として立派に戦ったように)忠誠心がある人達でないと国が分裂してしまいます。
>
>  それにドイツはトルコ人を大量に受け入れたけど、当初はいつか帰国させるつもりでドイツ語教育などはおろそかにしていたそうです。

 そうでしょうね。 そもそも彼等がドイツに定着するとは考えていなかったのです。
 そして当のトルコ人達も来たときは、ある程度稼いだら帰国するつもりだったのでしょう。

 しかし休暇で帰省する度に、ドイツとの生活レベルの違いを痛感して、結局帰国は考えなくなっていった。

 そんなところでしょうか? 
 例えばトルコ人女性介護士などを大量に受け入れて、彼女達が低賃金でドイツ人の老人を介護し続けたのですが、しかし彼女達が老人になったら、もうトルコに帰ると言う選択肢はなくなったいたのです。

 だってトルコには家族もいないし、介護体制もない事がわかっていますから。

 こういう事がいろいろあって、結局トルコ人達はドイツに定着するようになったのです。

>  しかし人口減少を移民で賄った歴史を考えると、メルセデスの社長やEU理事の移民歓迎の記事もありましたし、今回の騒動はトルコとドイツの共同作業かと想像してしまいます。
>
> 「欧州委員会は移民危機の経済的影響を評価している。欧州委員ピエール・モスコヴィシ氏は、影響は全体としてプラスである、との見方を示した。」
> http://jp.sputniknews.com/europe/20150912/887272.html
>
> 「ドイツ自動車大手ダイムラーのツェッチェ社長は15日、時事通信などのインタビューに応じ、今年だけで80万人に上ると見込まれる中東からの ドイツへの難民について、ドイツで進む少子高齢化の解決策になるとして、 歓迎する意向を表明した。」
>
>  上記の元記事が消されてました!都合が悪かったみたいです。
>
> 難民受け入れ反対、独ドレスデンで大規模集会
> http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2616269.html 
>
> スイスで反移民政党躍進 総選挙、第1党が議席2割増
> http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM19H1T_Z11C15A0EAF000/
>
>  他にも色々と事件が起きている様で、本当にこれから欧州はどうするのでしょうね?

 これからこの種の事件は沢山起きるでしょうね。
 しかし安価な労働力と言う事を求める限りこの移民騒動は絶対になくならないでしょう。

 そして何よりももうヨーロッパの周りからは民族大移動の熱狂が始まっているのです。 これを阻止するって凄く大変でしょうね。
  1. 2015-10-21 11:09
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

https://www.google.co.jp/search?q=ゲルマン人の大移動地図&client=opera&hs=5NV&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CCMQsARqFQoTCP6aoumG08gCFUoZlAodfrcHiw&biw=968&bih=526
https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲルマン民族の大移動

>元々ゲルマン人はフン族などの影響もあり、現代でいうところの難民としてギリシヤ、ローマ圏へ逃げてきた人間でした。

ゲルマン人の大移動
http://www.y-history.net/appendix/wh0601-009.html
「民族移動」という表現は正しいのか
 私たちは「ゲルマン民族の大移動」という表現を、何の疑いもなく使っている。しかし、フランスではそうではなく「大侵入」といっているのだ。ドイツでは「大移動」という。つまり、ゲルマン人の視点から見れば「移動」であるが、当時のフランスのガリア人からすれば、それは「侵入」であったわけだ。日本での世界史教育は常にドイツよりだったから、「ゲルマン民族の大移動」という言い方が定着したのだろうが、ちょっと安易に使いすぎているのではないだろうか。その辺の事情は、ジャック=ル=ゴフが次のように説明している。
(引用)北方ヨーロッパと中央ヨーロッパからの民族の移住を、フランス人は「大侵入」とよび、ドイツ人は「民族大移動」とよびました。ヨーロッパ人が自分たちの歴史についていつも意見を同じにするとはかぎらないのがわかります。事実、移住民族の大部分は同じ民族集団であるゲルマン人、すなわちドイツ人の祖先に属し、(侵入された側の)ガリア人はフランス人の先祖に属していたからです。人びとはふつう新来者を「蛮族(バルバル)」としてあつかいました。彼らの文明を劣っていると見なしたからです。ゲルマン人は文字を用いず、口承による文化を持っていました。おまけにゲルマン人のローマ帝国内への移住は平和的なものではありませんでした。流血の戦闘による軍事的征服だったのです。異民族はすすんだ製鉄技術をもち、立派に武装していましたから、たいていは勝利しました。特にゲルマン人の剣は両刃で長く丈夫で、威力抜群でした
  1. 2015-10-21 16:55
  2. URL
  3. taigen #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> https://www.google.co.jp/search?q=ゲルマン人の大移動地図&client=opera&hs=5NV&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CCMQsARqFQoTCP6aoumG08gCFUoZlAodfrcHiw&biw=968&bih=526
> https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲルマン民族の大移動
>
> >元々ゲルマン人はフン族などの影響もあり、現代でいうところの難民としてギリシヤ、ローマ圏へ逃げてきた人間でした。
>
> ゲルマン人の大移動
> http://www.y-history.net/appendix/wh0601-009.html
> 「民族移動」という表現は正しいのか
>  私たちは「ゲルマン民族の大移動」という表現を、何の疑いもなく使っている。しかし、フランスではそうではなく「大侵入」といっているのだ。ドイツでは「大移動」という。つまり、ゲルマン人の視点から見れば「移動」であるが、当時のフランスのガリア人からすれば、それは「侵入」であったわけだ。日本での世界史教育は常にドイツよりだったから、「ゲルマン民族の大移動」という言い方が定着したのだろうが、ちょっと安易に使いすぎているのではないだろうか。その辺の事情は、ジャック=ル=ゴフが次のように説明している。
> (引用)北方ヨーロッパと中央ヨーロッパからの民族の移住を、フランス人は「大侵入」とよび、ドイツ人は「民族大移動」とよびました。ヨーロッパ人が自分たちの歴史についていつも意見を同じにするとはかぎらないのがわかります。事実、移住民族の大部分は同じ民族集団であるゲルマン人、すなわちドイツ人の祖先に属し、(侵入された側の)ガリア人はフランス人の先祖に属していたからです。人びとはふつう新来者を「蛮族(バルバル)」としてあつかいました。彼らの文明を劣っていると見なしたからです。ゲルマン人は文字を用いず、口承による文化を持っていました。おまけにゲルマン人のローマ帝国内への移住は平和的なものではありませんでした。流血の戦闘による軍事的征服だったのです。異民族はすすんだ製鉄技術をもち、立派に武装していましたから、たいていは勝利しました。特にゲルマン人の剣は両刃で長く丈夫で、威力抜群でした

 確かにローマ帝国からすれば侵入、侵略としか言えませんよね。

 ゲルマン人の侵入でローマ帝国は滅亡して、その後ローマ帝国に匹敵する制度の整った国家ができたのは近代以降ですからね。

 それを考えると今ヨーロッパに起きている中東からの不法移民は平和的と言えば平和的です。

 しかしこうして異民族が大量に流入し続ける中で、ヨーロッパの文明は無事で済むのでしょうか?

 ワタシはあんまり楽観的にはなれません。
  1. 2015-10-21 21:10
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

移民国という意味

ドイツは移民受入国であると同時に移民送り出し国でした。
しかし、かつては基本は移民送り出し国だったのが基本と思います。彼らの移民先は初期のユグノーを除けば全てプロイセン地域、要は東方植民です。

言うなればこれはかつて日本が樺太に半島からの移民を認めたようなものです。ザルツブルクからの移民は当然東方植民であったわけで、プロイセンにしてもそうそうそのブランデンブルク伯領に入れたわけではないはずです。

結局は東方植民の一形態でしかなかったのだと思います。17世紀のドイツは30年戦争後のメチャクチャな状況からの回復期ですから人口の急増期にあたります。その上小氷期などと言われる寒冷期に当たりましたから、早々生産力は回復しません。その上で、不利を知りつつ東プロイセンに送り込んだのです。まあ、それなり以上の優遇はされましたから良かったのでしょうが相当大変なフロンティアだったことは間違いないでしょうね。ただ、現地のスラブ人との関係はそう悪くなかっらハズでポーランド系スラブ人と特有の~スキーという姓を持つドイツ人が多くいます。これは総関係が悪くなかった証拠です。

基本的にプロイセン領の土地所有者たちがユンカーとなり帝政ドイツを支えることになるわけです政策自体は大成功だったでしょうから良かったのでしょうが、17世紀以降にジャガイモ、カブ、大豆等の作物が普及しなければ大変だったと思います。

あの湯な地域でできる農業といえばおそらくライムギとエンバクを基幹として三圃制を取るしかなかったわけで決して幸せなものではなかったはずです。だから東方植民は条件の良いロシア、ウクライナ地域に広がっていったのです。

ドイツが農業について自信が持てたのは18世紀以降、本当はハーバー・ボッシュ法で空中窒素の固定が可能になった後でしょう。ドイツはこの成功を知ってから第一次大戦の決意をしたと言われています。

これらのことを考えてみると戦後の移民は全く形を異にしています。トルコ系の連中で味をしめたから大丈夫と思ったのでしょうが、中東で最も世俗化した国でしたからこれがそのまま続くでしょうか。相当に厳しそうな気がします。
  1. 2015-10-23 21:48
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

Re: 移民国という意味

> ドイツは移民受入国であると同時に移民送り出し国でした。
> しかし、かつては基本は移民送り出し国だったのが基本と思います。彼らの移民先は初期のユグノーを除けば全てプロイセン地域、要は東方植民です。
>
> 言うなればこれはかつて日本が樺太に半島からの移民を認めたようなものです。ザルツブルクからの移民は当然東方植民であったわけで、プロイセンにしてもそうそうそのブランデンブルク伯領に入れたわけではないはずです。
>
> 結局は東方植民の一形態でしかなかったのだと思います。17世紀のドイツは30年戦争後のメチャクチャな状況からの回復期ですから人口の急増期にあたります。その上小氷期などと言われる寒冷期に当たりましたから、早々生産力は回復しません。その上で、不利を知りつつ東プロイセンに送り込んだのです。まあ、それなり以上の優遇はされましたから良かったのでしょうが相当大変なフロンティアだったことは間違いないでしょうね。ただ、現地のスラブ人との関係はそう悪くなかっらハズでポーランド系スラブ人と特有の~スキーという姓を持つドイツ人が多くいます。これは総関係が悪くなかった証拠です。
>
> 基本的にプロイセン領の土地所有者たちがユンカーとなり帝政ドイツを支えることになるわけです政策自体は大成功だったでしょうから良かったのでしょうが、17世紀以降にジャガイモ、カブ、大豆等の作物が普及しなければ大変だったと思います。
>
> あの湯な地域でできる農業といえばおそらくライムギとエンバクを基幹として三圃制を取るしかなかったわけで決して幸せなものではなかったはずです。だから東方植民は条件の良いロシア、ウクライナ地域に広がっていったのです。
>
> ドイツが農業について自信が持てたのは18世紀以降、本当はハーバー・ボッシュ法で空中窒素の固定が可能になった後でしょう。ドイツはこの成功を知ってから第一次大戦の決意をしたと言われています。

 なるほどそういう話ですか。 元々東方植民で得た土地は、ドイツ騎士団の原住民の征服で得た土地ですから、そこに移民を入れるのは開拓時代のアメリカに移民を入れるのと同じなのでしょう。

 それにしても第一次世界大戦にそのような背景がるとは知りませんでした。 ドイツの農業と言うのは日本人が想像できない厳しさがあるようですね。

> これらのことを考えてみると戦後の移民は全く形を異にしています。トルコ系の連中で味をしめたから大丈夫と思ったのでしょうが、中東で最も世俗化した国でしたからこれがそのまま続くでしょうか。相当に厳しそうな気がします。

 今回トルコはメルケルとシリア難民を外に出さないようにするから、トルコ人のビザ緩和を要求しました。 これってつまり難民の代わりにトルコ人を入れろと言う話ですからね。

 しかし世俗化した国と言ってもトルコでもイスラム原理主義の勢力は強まっており、今後イスラム圏からの移民を入れ続けると、結構厄介になるとは思います。

 ワタシはマジにイスラム世界は宗教戦争に突入しており、イスラム移民を大量に入れるとそれがそのまま持ち込まれるのでは?と心配なのですけどね。
  1. 2015-10-24 10:13
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する