2015-09-09 17:33

憲法学者の不思議な法案 維新の党の対案

 ワタシは三流工科大学で化学を専攻した人間なので、人文科学の世界は殆ど知りません。
 しかし今回の安保法制騒ぎで、こうした象牙の人々の能力に着いて、益々疑念が湧きます。

 特に呆れたのは9月2日の国会審議の動画で見た、維新の党の「対案」です。
 なにこれ?

【佐藤正久 VS 小野次郎】佐藤隊長が維新対案に質問攻め!誰かタオル投げてやってよ!それだと思います…ケースバイケースで…【参議院平和安全法制特別委員会 2015年9月2日】

 
 動画を見るのが面倒な人は佐藤議員のブログで要約を見てください。

079

平和安全法制に関する特別委員会: 維新案について質問をしました。 

9月2日(水)、
佐藤は平和安全法制に関する特別委員会で
質疑に立つ機会を頂きました。

今回は、主に維新の党が示した対案について問いました。

まず何より、
日本が置かれた安全保障環境が厳しいものであるという認識を共有し、
対案を提出した維新の党には
敬意を表します。

佐藤は修正協議のメンバーですので、
対案をしっかり受け止め、今後も真摯に議論を進めていきたいと思っています。

さて、
維新案に対する最初の質問は、
国際平和協力に関し、
維新案の中で示されている、
敵性勢力の「不存在」などを認定する方法についてでした。

維新案では、
暴力をふるう存在や
残党勢力が組織的・継続的な抵抗の意思を有しない場合に
人道復興支援ができるとしています。

しかし、
敵性勢力の「不存在」や「抵抗の意思がない」ことを証明することは非常に困難です。
さらに言えば、「勢力」の定義も不明確です。

佐藤も自衛官時代
派遣時の事前調査で現地入りしたことがありますが、
現場での作業は危険や困難も伴います。
実際、外交官も亡くなっています。

そうした中、維新の党が、
どのようにして敵性勢力や敵対意志の「不存在」を
確認しようと考えているのか問いました。

維新側からは、
要するに「ケースバイ・ケース」という回答しか頂けませんでしたが、
維新案に実行上の課題があることは浮彫になりました。

引き続き、派遣決定手続きにおける、
国家安全保障局(NSC)の関与についても問いました。

維新案では、
派遣決定手続きに係るNSCに関する法案が示されておらず、
別途法律で定めるとしています。

そこで、
NSCに関する法整備について考えを問いました。

維新側からは、
法案成立してから施行するまでの6ヶ月の間に
必要な法律を整備する旨
答弁がありました。

しかし、法律が施行されるまでに
実効性を担保する他の法律ができる保障はありません。

だからこそ政府案では、
NSCに関する改正法案を含め、
「一括」して提出しているわけです。


2015y09m09d_174026110

 つまり維新案って「暴力をふるう存在や残党勢力が組織的・継続的な抵抗の意思を有しない場合に人道復興支援ができるとしています。」と言うのですが、それでは「残党勢力が抵抗の意思を有しない」って誰がどうやって判断するのでしょうか?

 そもそも意思の有無なんて絶対に証明不能なのです。
 
 ところがこの法案はそういう事をサラッと書き込んでいるのです。
 
 これじゃワタシのような素人が見ても、法案として現実性ゼロではありませんか?

2015y09m09d_174138830

 ちなみに小野寺五典もこの法案を問題にしているのです。

小野寺五典vs柿沢未途 維新案は国際的には“先制攻撃”であると指摘される


 こちらは更に呆れます。

 維新案では集団的自衛権を行使しないのだそうです。

 それでは米軍など日本と密接な関係にある国の軍隊が攻撃を受けた場合は?
 この場合は個別的自衛権で対応すると言うのです。

 ?? 米軍がやられているから加勢に行くときも、個別的自衛権で対応する? 
 
 自分が個別的自衛権だと言うから個別的自衛権だと言う発想のようです。

 しかし小野寺五典が言っていますが、そんなことをすれば、国際的には先制攻撃だとみなされます。

 そりゃそうでしょう。

 「雨ちゃんはオレの友達だから、アイツに何かあれば、オレはいつでも雨ちゃんに加勢するんだ。」と言っていれば、雨ちゃんが誰かと喧嘩をしている時に加勢しても、それは友情から当然と言う事になります。

 そして集団的自衛権は国連でも認めています。

224

 それでは「オレは絶対に誰も助けない」と宣言しいる奴が、他人の喧嘩に割り込んで、一方を殴り始めたら?
 
 「オイ、お前何でアイツを殴るんだ?」
 「オレ自身の身を守る為だよ。」
 「何言ってんだ? アイツはお前には指一本触れてないぞ。 それなのにお前がいきなりアイツに殴り掛かったんだろうが? これってお前が喧嘩を売ってるんだぞ。」
 「で、でもアイツはオレの友達の雨ちゃんを殴っていたから。」
 「関係ないだろう? だってお前、いつも誰も助けないって言ってるだろう。 だからお前がアイツを殴ったのは只の暴力だ。」

 と言う事になりますよね。
 
 つまり集団的自衛権の行使だけを回避するために、自分が個別的自衛権と思うから個別的自衛権だなんて、トンデモ論で法律を作ってしまったので、外国から見れば先制攻撃をすることになってしまうのです。

 先制攻撃じゃそれこそ憲法違反じゃないですか? そして国連憲章にも違反します。

 しかしこの維新の党の案は、自民党の安全保障法案に反対した憲法学者達が、揃って憲法に違反していないと言う事で、太鼓判を押した法案なのです。

 現実として法案として機能しない法案、それどこか先制攻撃をしてしまうような法案を、「憲法違反でないから」と太鼓判を押しておすすめするって??

259

 昨日ポッペリアンさんから、頂いたコメントですけどね。

本エントリとほぼ無関係な内容で恐縮です。
某大学法科大学院の憲法学の教授(特にマイノリティの人権問題がご専門とのこと)が、教え子に司法試験の問題を漏洩したとして告発されましたね。国家の安全保障に、ひいては存立に関わる法律が違憲だと叫ぶことには熱心でも、社会生活上の基本的な良識はお持ちでないようで・・・

>人文科学を学ぶ人達が、実が現実の体験が乏しく、書物で学んだ理念だけで、社会学や経済学や法学を研究していると言うのは正常なのでしょうか?

現実の体験に乏しいどころか、法学者なんて大抵司法試験にさえ合格してないんですから。特に憲法学者で合格者って人はほとんどいないと思います。
医師国家試験に合格してない臨床医学の研究者はあり得ませんが、憲法や民法などの実定法科目を、司法試験に合格してない、いわんや実務法曹としての経験もない人々が教えてるんですから、全く不思議な世界だと思います。

追記:安保法制を違憲だと主張した小林節慶應義塾大学元教授は弁護士資格を持ってますが、私の記憶では、あれはかつて存在した、法学部の教員(准教授以上だったかな?)を数年勤めれば司法修習修了者と同様の扱いを受けるという、法学者のお手盛り制度によるものだったはずです。

本当に関連の薄い内容でごめんなさい


282

 イエイエ、大変有難う御座います。
 お蔭で、このような憲法学者達のトンチンカン振りの根源が良くわかりました。

 ポッペリアンさんがこのコメントをくださったのは、経済的徴兵に関するエントリーでした。 しかし元自衛隊員ヒゲと憲法学者達とのレベルの違いを見て思ったのです。

 こういうのを見ると、経済徴兵って悪くないのでは?
 だって現実に戦場も知らない人ばかりが、妄想で学問をやり続けるって、恐ろしいモノ。

 ちゃんと戦場を生き延びた人が、現実に即した知性を身に着けて、政治や法を語るのでないと、言論界が妄想化するばかりだもの。 

 オマケ

【アゴラVlog】憲法学者の矛盾した憲法論
  1. 憲法9条
  2. TB(0)
  3. CM(17)

コメント

 集団的自衛権を行使しないでどうやって友軍を救うのか、何回も読み直しましたが全然分りません。それに絶対に危険がない状態な場所になら、自衛隊を派遣しても良いそうですが、これって「悪魔の証明」をやりなさいということで、結局 派遣させないと言ってるのと同じですよね。

 佐藤議員も小野寺議員もこんな訳の分からない質問に丁寧に答えてあげて、怒りを抑えていて本当に大人ですね。

 憲法学者の小林さんは、改憲論者なのにイザ改憲の可能性が出てくると護憲に回ってしまいました。今のままの方が、お仕事があるから変えたくないのでしょうか?どうも最近の可笑しな動きをする人達を見ていると、敗戦利得者って随分多いのだと思います。
  1. 2015-09-09 21:12
  2. URL
  3. 都民です。 #-
  4. 編集

集団的自衛権禁止論の曖昧さ

 9条の文言を解釈するならば、1項をまず侵略戦争を遂行することを禁止していると読むべきです。もちろん自衛戦争も含めて禁止されているという解釈をする憲法学者もいますが、自衛戦争を含めない解釈のほうが不戦条約の国際的な文言解釈と整合的です。そうすれば、1項は自衛戦争を禁止していないことになります。
 次に、2項は1項と整合的にその文言を解釈すれば、侵略戦争遂行のための戦力不保持と交戦権保持を禁止しているものと解釈するのが筋でしょう。ここでも、侵略戦争遂行目的に限定せず、如何なる戦力も保持してはならないと解釈する憲法学者もいますが、戦力を持たずして国民の生命・安全を守るのは不可能ですから、このような解釈は国家の自衛権を認める立場からすればありえないでしょう。
 以上の解釈は、京都大学の佐々木教授が提唱した解釈で、政府の憲法解釈と微妙に異なるところもあるのですが、自衛権行使を認めるならば大体こういう解釈になるはずでしょう。

 ところで、ここまで解釈していて「自衛権」という用語は出てくるのですが、文言を解釈しているだけでは集団的自衛権と個別的自衛権の区別が導き出せるわけではないのです。これが憲法9条の限界です。9条に「自衛権」の文言がない以上自衛権の行使可能範囲を文言そのものから導き出すのは無理なのです。
 だから、集団的自衛権が禁止されているかどうかというのは、9条の文言から離れてその規定の趣旨から探らなければならないのです。先日、最高裁の元長官が個人的意見として「集団的自衛権の行使は違憲」と述べて、朝日新聞の記事になりましたが、そのインタビューの中で、集団的自衛権の行使が禁止されている根拠として、9条の文言からではなく「今まで禁止されていると政府が述べてきて、それが数十年続いたから」という不明瞭な理由(確かに法的状態の安定は一つの重要な考慮要素ではあるんですが)を述べたのです。
 つまり集団的自衛権の禁止の根拠というのは実はあまり明確ではなく、それどころか集団的と個別的の区別すらまともにつけられていないのが集団的自衛権違憲論なのです。そんな理論に基づいて対案を作成すれば、そりゃもう曖昧な法案が出てきても不思議ではありませんね。
  1. 2015-09-09 22:21
  2. URL
  3. 凍え馬 #-
  4. 編集

あまり本題とは関係ないですが…

 安全保障の現実が分からない憲法学者も大概ですが、実務家なら現実が見えてるのかというと、そうでもなくて、実務法曹を束ねる弁護士会も相当イカれています。

ヘイトスピーチ「拒否」、施設側に根拠示す冊子― http://www.yomiuri.co.jp/national/20150907-OYT1T50111.html

 しかし、この問題について、最高裁は泉佐野市市民会館事件判決で「基本的人権としての集会の自由の重要性と、当該集会が開かれることによって侵害されることのある他の基本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度等を較量して決せられるべき」「本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、…(中略)…、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」だと述べているわけでして、この基準で考えれば開かれる集会でヘイトスピーチが披露される可能性があるという理由で公共施設の利用を排除することはできないはずなんですよ。

 結局、法律に携わる職業人で思想活動してる連中なんて、この程度の現実認識能力なんです。その辺りは憲法学者も弁護士も大して変わらないですね。
  1. 2015-09-10 00:49
  2. URL
  3. 凍え馬 #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

>  集団的自衛権を行使しないでどうやって友軍を救うのか、何回も読み直しましたが全然分りません。それに絶対に危険がない状態な場所になら、自衛隊を派遣しても良いそうですが、これって「悪魔の証明」をやりなさいということで、結局 派遣させないと言ってるのと同じですよね。

 だから「自分が集団的自衛権を行使しない」と言うから集団的自衛権でないと言う理論です。 勿論自分以外には絶対に通用しない理論です。

 また「悪魔の証明」はできないので、恐竜だって地球上のどこかにいると言う話が繰り返し出てくるのです。

>  佐藤議員も小野寺議員もこんな訳の分からない質問に丁寧に答えてあげて、怒りを抑えていて本当に大人ですね。

 こういうのを見ていると高級将校とはこのような人材なのだと言う事がよくわかります。

 それにしてもヒゲも五典も、洗練された都会派のイメージとは程遠いけれど、実は非常にシャープでクールなんですよね。 

>  憲法学者の小林さんは、改憲論者なのにイザ改憲の可能性が出てくると護憲に回ってしまいました。今のままの方が、お仕事があるから変えたくないのでしょうか?どうも最近の可笑しな動きをする人達を見ていると、敗戦利得者って随分多いのだと思います。

 改憲を唱えると憲法学者村から追放されるのかも?
  1. 2015-09-10 11:32
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 集団的自衛権禁止論の曖昧さ

>  9条の文言を解釈するならば、1項をまず侵略戦争を遂行することを禁止していると読むべきです。もちろん自衛戦争も含めて禁止されているという解釈をする憲法学者もいますが、自衛戦争を含めない解釈のほうが不戦条約の国際的な文言解釈と整合的です。そうすれば、1項は自衛戦争を禁止していないことになります。
>  次に、2項は1項と整合的にその文言を解釈すれば、侵略戦争遂行のための戦力不保持と交戦権保持を禁止しているものと解釈するのが筋でしょう。ここでも、侵略戦争遂行目的に限定せず、如何なる戦力も保持してはならないと解釈する憲法学者もいますが、戦力を持たずして国民の生命・安全を守るのは不可能ですから、このような解釈は国家の自衛権を認める立場からすればありえないでしょう。
>  以上の解釈は、京都大学の佐々木教授が提唱した解釈で、政府の憲法解釈と微妙に異なるところもあるのですが、自衛権行使を認めるならば大体こういう解釈になるはずでしょう。

 これに着いて面白い話があります。

 幼稚な詭弁 『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』
 http://agora-web.jp/archives/1653997.html

 「憲法9条では戦力の保持を禁止しているけど、憲法13条では国は国民の生存権を守る義務があるから、その為の戦力は持って良い」と言ってる憲法学者がいるのです。

 しかしこうなるともう9条と13条が矛盾するわけで、憲法そのものの欠陥だと言うしかないのです。

 ところがなぜか憲法改正には反対してるのです。
 勿論こうなると個別的自衛権は良くて、集団的自衛権はダメなんて話は詭弁に詭弁を重ねただけです。

 だって自力だけで国民の生命を守れなければ、助っ人を頼む以外にないし、助っ人を頼む以上はこちらも相手に頼まれた時には助っ人に行くしかないのです。
 
 9条2項には明らかに反している自衛隊は良くて、助っ人はダメなんてあり得ないでしょう?

>  ところで、ここまで解釈していて「自衛権」という用語は出てくるのですが、文言を解釈しているだけでは集団的自衛権と個別的自衛権の区別が導き出せるわけではないのです。これが憲法9条の限界です。9条に「自衛権」の文言がない以上自衛権の行使可能範囲を文言そのものから導き出すのは無理なのです。
>  だから、集団的自衛権が禁止されているかどうかというのは、9条の文言から離れてその規定の趣旨から探らなければならないのです。先日、最高裁の元長官が個人的意見として「集団的自衛権の行使は違憲」と述べて、朝日新聞の記事になりましたが、そのインタビューの中で、集団的自衛権の行使が禁止されている根拠として、9条の文言からではなく「今まで禁止されていると政府が述べてきて、それが数十年続いたから」という不明瞭な理由(確かに法的状態の安定は一つの重要な考慮要素ではあるんですが)を述べたのです。
>  つまり集団的自衛権の禁止の根拠というのは実はあまり明確ではなく、それどころか集団的と個別的の区別すらまともにつけられていないのが集団的自衛権違憲論なのです。そんな理論に基づいて対案を作成すれば、そりゃもう曖昧な法案が出てきても不思議ではありませんね。

 集団的自衛権禁止なんて、70年代にアメリカからベトナム戦争の応援を頼まれたときに、それを誤魔化す方便で使われただけですから。

 実際朝鮮戦争時には、海上保安庁が掃海船を出しています。 そして死者も出しています。

 なにより現在米軍基地と国連軍基地が日本にあるのです。 基地を提供してるって、普通に集団的自衛権の行使です。

 それを無視してオカシナ議論を繰り返すから、詭弁の積み重ねにしかならないのです。
  1. 2015-09-10 11:47
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

 サンフランシスコ平和条約
第五条
(c) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

 と言う事で、個別も、集団も固有の権利を有すると明記されているのですが、議論はされていない気がします。

 ところで、ひげの隊長も家が貧しくて、大学進学のために自衛隊を選んだのだそうです。防衛大学校と医学校と両方合格されたとは、やはり優秀な方なのですね。
  1. 2015-09-10 20:43
  2. URL
  3. Cherry Blossoms #-
  4. 編集

憲法13条を根拠にするなら…

>「憲法9条では戦力の保持を禁止しているけど、憲法13条では国は国民の生存権を守る義務があるから、その為の戦力は持って良い」と言ってる憲法学者がいるのです。

>しかしこうなるともう9条と13条が矛盾するわけで、憲法そのものの欠陥だと言うしかないのです。

 確かに、9条では戦力の保持を禁止しているが、一方で13条は「幸福追求権」の保全の一環として、国民の生命の保護のために戦力を保持してよいと解釈すると、1つの憲法の中で複数の条文が矛盾対立するわけで、これは成文憲法として破綻しているとしか考えようがないですね。改正待ったなしでしょう。
 ところで、リンク先で紹介されている木村准教授は、個別的自衛権を9条の「例外」と位置づけるために13条を持ち出しているのですが、はっきり言って筋悪の解釈です。なぜなら、憲法の人権規定は国民にのみ適用されるものと外国人も含めて全ての人に適用されるものとを権利の性質で分けていますが、憲法上、生命・身体・財産の保全権が日本国民にしか認められないという判断はどのような立場を採ったとしてもありえないからです。
 つまるところ、13条を持ち出す時点で、「憲法上、生命・身体・財産の安全に対する権利は日本国民にしか認められないのか?」という疑問に答えなければならないわけで、集団的自衛権違憲論ではそれにまともに答えられないと思います。

 解釈として無理をするために、成文法を破綻させてしまった結果、論理的にも破綻してしまっているという、憲法学者のお粗末な議論に、わざわざ耳を傾けなければならないというのは不幸としか言いようが…
  1. 2015-09-10 22:31
  2. URL
  3. 凍え馬 #-
  4. 編集

記事とコメント、とても勉強になりました。

私の感想ですが、憲法学者というのは徳川幕府を滅ぼした朱子学者とそっくりですね。
恐らく、歴史的にこういうことは繰り返されているんでしょう。勉強秀才が失敗するのは歴史的パターンなのではないか。
徳川幕府は当時外国船がウロウロしているのに朱子学の影響で見て見ぬふりをして居た。鳥居耀蔵の開明派の弾圧、林大学頭の日米条約の商業軽視の失敗等々理屈優先現実軽視で失敗する。というコトは会沢正志斎や林子平が佐藤小野寺さんの立場か。萩原重秀と新井白石の関係も同じパターンですね。今はプラグマティックな兵学の時代で朱子学の時代ではないんでしょう。兵学者吉田松陰先生のような人物出て来てほしい気分です。
  1. 2015-09-11 02:31
  2. URL
  3. #LkZag.iM
  4. 編集

こんにちは

拙いコメントを取り上げていただきありがとうございます。
個人名を挙げた部分に誤りがあってはいけないと思い、小林節氏をWikipediaで確認しましたが、やはり司法試験に合格せずに弁護士になった人物でした。
なお当該Wiki記事中に「弁護士法第5条」とあるのは、平成16年改正前のものです。現在の第5条(改正前の第5条の2)にも似たような規定があるのですが、これは司法試験合格「後」に、本来受けるべき司法修習に代えて、大学の准教授以上の職を5年以上勤めた者に、弁護士になり得る資格を与えるというものです。
あと、私が司法試験合格していない人を馬鹿にしているように受けとる方がいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。他ならぬ私自身が、大昔に役所勤めをしていた頃、受験勉強したことがあるのですが、二回受験して結局合格には程遠い成績に終わりました。
あくまでも多くの法学者が、同居人様の仰る「現実の体験」への入口に立とうとさえしないまま、観念的な議論を弄んでいるということを批判したかったのです。

同居人様も触れておられるように、自民党案に反対した小林元教授が太鼓判を押した維新の対案がこの程度の出来(ご紹介いただいた質疑の途中で、私はむしろ小野氏が可哀想になってきたくらいです) 、しかも小林元教授の依頼を受けて柿沢氏が山形市長選に赴いたせいで維新は分裂(個人的には橋下サイドもやり過ぎだとは思いますけど)、観念的な世界に浸っているだけの学者様が現実社会に口を挟んでも、良いことは滅多にないということでしょう。
(そう言えば、小林元教授はかつて「田中眞紀子私設応援団」を自称されてませんでしたっけ?)
最後に、ご紹介いただいた映像を見て、昨年の総選挙後の内閣改造では、小野寺氏を防衛相に留任させておいた方が、少なくとも今回の法案審議についてはスムーズにいったのではないか、という気がしました(まぁ政治の世界には色々あるのでしょうけど)。
  1. 2015-09-11 12:50
  2. URL
  3. ポッぺリアン #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

>  サンフランシスコ平和条約
> 第五条
> (c) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。
>
>  と言う事で、個別も、集団も固有の権利を有すると明記されているのですが、議論はされていない気がします。

 おおそうだったのですか。
 
 本来ならもっと早くから憲法を改正しても良かったわけです。

>  ところで、ひげの隊長も家が貧しくて、大学進学のために自衛隊を選んだのだそうです。防衛大学校と医学校と両方合格されたとは、やはり優秀な方なのですね。

 そうですね。 本当に優秀ですよね。
 
 ワタシはこの人を見ていて高級将校に必要な資質と言うモノが少しわかった気がします。
 今後も頑張ってほしいです。
  1. 2015-09-11 13:16
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

国際紛争

日本国憲法第九条を議論する人でも、使用されている言葉を指摘している人は寡聞にして知りません。其処には、『・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては・・・放棄する』と書かれています。この『国際紛争』とは、どういう状態を指しているのでしょうか。
隣家との敷地境界を巡って揉めている状態を『境界紛争』などと、殊更もったいぶった言い方で使用されたりしますが、国際紛争という場合、日本語では、通常小規模な・局地的な武力衝突が勃発しいている状態を指します。近くはウクライナ紛争、シリア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など、内戦状態や一方の領土内で発生している武力衝突を指して使用されているようです。
つまり、憲法九条で云う『国際紛争』という状態が生じているとすると、すでに武装勢力により武力・武器は使用されているわけで、この条文自体、自己矛盾を起こしています。そして、一度このような紛争が生じてしまうと、容易に解決しないのは、見ての通りです。
また、自衛隊違憲論を述べる人が、このアゴラの人のように、その根拠として第九条2項を引用しますが、第九条の2項では、『前項の目的を達するため、・・・』、と書いてありますので、第九条1項で自衛隊の存在が認められているのであれば、自衛隊の存在はこの条項から言えば憲法違反である、とは云えません。
  1. 2015-09-11 13:18
  2. URL
  3. chengguang #DibDBv7k
  4. 編集

Re: 憲法13条を根拠にするなら…

> >「憲法9条では戦力の保持を禁止しているけど、憲法13条では国は国民の生存権を守る義務があるから、その為の戦力は持って良い」と言ってる憲法学者がいるのです。
>
> >しかしこうなるともう9条と13条が矛盾するわけで、憲法そのものの欠陥だと言うしかないのです。
>
>  確かに、9条では戦力の保持を禁止しているが、一方で13条は「幸福追求権」の保全の一環として、国民の生命の保護のために戦力を保持してよいと解釈すると、1つの憲法の中で複数の条文が矛盾対立するわけで、これは成文憲法として破綻しているとしか考えようがないですね。改正待ったなしでしょう。
>  ところで、リンク先で紹介されている木村准教授は、個別的自衛権を9条の「例外」と位置づけるために13条を持ち出しているのですが、はっきり言って筋悪の解釈です。なぜなら、憲法の人権規定は国民にのみ適用されるものと外国人も含めて全ての人に適用されるものとを権利の性質で分けていますが、憲法上、生命・身体・財産の保全権が日本国民にしか認められないという判断はどのような立場を採ったとしてもありえないからです。
>  つまるところ、13条を持ち出す時点で、「憲法上、生命・身体・財産の安全に対する権利は日本国民にしか認められないのか?」という疑問に答えなければならないわけで、集団的自衛権違憲論ではそれにまともに答えられないと思います。
>
>  解釈として無理をするために、成文法を破綻させてしまった結果、論理的にも破綻してしまっているという、憲法学者のお粗末な議論に、わざわざ耳を傾けなければならないというのは不幸としか言いようが…

 マジに仰る通りなのです。
 
 そもそも幾ら解釈を捻り回しても、10式戦車やイージス艦を戦力でないとは言うのは詭弁にしかなりません。 しかしそれでも個別的自衛権を認めるならば、集団的自衛権を認めない理由がありません。

 実際個別的自衛権だけで自国の防衛をできる国は、余程強力な軍隊がある国だけです。 集団的自衛権は認めるが個別的自衛権は認めないと言うのは、つまりは強大な戦力の保持を認めると言う事です。

 しかも既に日米安全保障条約と言う軍事同盟を締結してると言う事実があるのです。

 これで集団的自衛権の行使は憲法違反と言われると、論理が破綻に破綻を重ねる事になります。
  1. 2015-09-11 13:22
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> 記事とコメント、とても勉強になりました。

 ワタシも皆様のコメントでいつも大変勉強させてもらっています。
 何か皆様ワタシより遥かに優秀な方ばかりなんですよね。

> 私の感想ですが、憲法学者というのは徳川幕府を滅ぼした朱子学者とそっくりですね。
> 恐らく、歴史的にこういうことは繰り返されているんでしょう。勉強秀才が失敗するのは歴史的パターンなのではないか。
> 徳川幕府は当時外国船がウロウロしているのに朱子学の影響で見て見ぬふりをして居た。鳥居耀蔵の開明派の弾圧、林大学頭の日米条約の商業軽視の失敗等々理屈優先現実軽視で失敗する。というコトは会沢正志斎や林子平が佐藤小野寺さんの立場か。萩原重秀と新井白石の関係も同じパターンですね。今はプラグマティックな兵学の時代で朱子学の時代ではないんでしょう。兵学者吉田松陰先生のような人物出て来てほしい気分です。

 勉強秀才って、書物に書かれた事を沢山知っている人達なのです。 だからどうしても過去の権威に寄りかかる事になるのです。
 書物を読んで理解する能力と、現実を認識する能力って違うのですよね。

 だから勉強秀才が権力を握ると、どうしても現実対応能力に欠如した権威主義の政治になってしまうのですよね。 平時にはそれでいいのですが、社会が変動するときには時代の変化に対応不能になってしまいます。
  1. 2015-09-11 13:28
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: こんにちは

> 拙いコメントを取り上げていただきありがとうございます。
> 個人名を挙げた部分に誤りがあってはいけないと思い、小林節氏をWikipediaで確認しましたが、やはり司法試験に合格せずに弁護士になった人物でした。
> なお当該Wiki記事中に「弁護士法第5条」とあるのは、平成16年改正前のものです。現在の第5条(改正前の第5条の2)にも似たような規定があるのですが、これは司法試験合格「後」に、本来受けるべき司法修習に代えて、大学の准教授以上の職を5年以上勤めた者に、弁護士になり得る資格を与えるというものです。
> あと、私が司法試験合格していない人を馬鹿にしているように受けとる方がいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。他ならぬ私自身が、大昔に役所勤めをしていた頃、受験勉強したことがあるのですが、二回受験して結局合格には程遠い成績に終わりました。
> あくまでも多くの法学者が、同居人様の仰る「現実の体験」への入口に立とうとさえしないまま、観念的な議論を弄んでいるということを批判したかったのです。

 勝手にコメントをお借りして済みませんでした。
 
 しかし大学で法律の条文だけを研究して、実際の司法の現場を知らない人が、法案を見るとこういう事になるって事でしょうね。
 司法試験に合格しない事よりも、現実の司法の現場を知らない人が、憲法学者として大権威を持つ方が余程ヤバイです。

 これじゃ法案が聖典となり、法学が神学化するのも当然ではないでしょうか?

> 同居人様も触れておられるように、自民党案に反対した小林元教授が太鼓判を押した維新の対案がこの程度の出来(ご紹介いただいた質疑の途中で、私はむしろ小野氏が可哀想になってきたくらいです) 、しかも小林元教授の依頼を受けて柿沢氏が山形市長選に赴いたせいで維新は分裂(個人的には橋下サイドもやり過ぎだとは思いますけど)、観念的な世界に浸っているだけの学者様が現実社会に口を挟んでも、良いことは滅多にないということでしょう。

 古代のイスラエルが分裂や混乱を繰り返したのは、当時のユダヤ人にはユダヤ教聖職者や神学者による政治こそが正しい政治だと言う発想があったからです。
 
 でもそれを実際にやると、分裂や混乱ばかり繰り返すようになるのです。 

 マジにそれと同じですよね。

> (そう言えば、小林元教授はかつて「田中眞紀子私設応援団」を自称されてませんでしたっけ?)
> 最後に、ご紹介いただいた映像を見て、昨年の総選挙後の内閣改造では、小野寺氏を防衛相に留任させておいた方が、少なくとも今回の法案審議についてはスムーズにいったのではないか、という気がしました(まぁ政治の世界には色々あるのでしょうけど)。

 そうですね。 今度の内閣改造ではまた防衛大臣を変えるのではないでしょうか?
 ワタシも五典かヒゲの方が良いのではないかと思います。
  1. 2015-09-11 13:35
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

Re: 国際紛争

> 日本国憲法第九条を議論する人でも、使用されている言葉を指摘している人は寡聞にして知りません。其処には、『・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては・・・放棄する』と書かれています。この『国際紛争』とは、どういう状態を指しているのでしょうか。
> 隣家との敷地境界を巡って揉めている状態を『境界紛争』などと、殊更もったいぶった言い方で使用されたりしますが、国際紛争という場合、日本語では、通常小規模な・局地的な武力衝突が勃発しいている状態を指します。近くはウクライナ紛争、シリア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など、内戦状態や一方の領土内で発生している武力衝突を指して使用されているようです。
> つまり、憲法九条で云う『国際紛争』という状態が生じているとすると、すでに武装勢力により武力・武器は使用されているわけで、この条文自体、自己矛盾を起こしています。そして、一度このような紛争が生じてしまうと、容易に解決しないのは、見ての通りです。

 憲法9条第一項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 これだと日本側から一方的に武力によって相手国を威嚇する事を禁じるとか、侵略戦争を仕掛けるとか言う事を禁じるのはわかります。

 しかし「紛争を解決する手段として」戦争を放棄すると言っても、それじゃ外国から仕掛けられたときはどうするんですか?
 
 この場合についての対応が一切書かれていないのです。
 だからこれだけ普通に読めば「黙って殺されろ」と言う事になります。

 そうなると憲法13条とかの違反に成っちゃいます。

 だから実は日本が仕掛けなければ絶対戦争にならないと言う仮想の元にしか成立しない条項なのです。

 だから護憲派って必死に中国その他の脅威はない事にするしかないのです。
 そして戦争は全て日本が悪い、日本が仕掛けたと言う事にしなければならないのです。

> また、自衛隊違憲論を述べる人が、このアゴラの人のように、その根拠として第九条2項を引用しますが、第九条の2項では、『前項の目的を達するため、・・・』、と書いてありますので、第九条1項で自衛隊の存在が認められているのであれば、自衛隊の存在はこの条項から言えば憲法違反である、とは云えません。

 もうこうなると詭弁に詭弁のてんこ盛りなので、殆ど現実的には意味のない話なんですよね。
 
 紛争解決や武力による威嚇をしないために戦力を保持しない。
 でもそれ以外の目的なら戦力を持って良いって事でしょう?

 これだと普通に軍隊を持ち、集団的自衛権を持っても、武力による威嚇や紛争解決に使わなければ無問題と言う事になるはずですよね?
 でもそれはダメでしょう?

 だからもうワタシのような低学歴には、こんな詭弁のてんこ盛りにはついていけません。
  1. 2015-09-11 14:00
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

国際紛争その2

以前にも書きましたが、現憲法はマッカーサ憲法と言う英文を基に作成されている、という主張に私も組みしています。
第九条の『国際紛争を解決するの手段としては、・・・』は、マッカーサ憲法英文では article viii にあり、as a means for settling disputes with any other nation. となっています。日本国憲法の英訳文では、as means of settling international disputes. となっています。a の有無や for と of との違いによる文章の意味合いについては専門家に委ねたいと思います。
現憲法を日本人が独自に考えた文言を基本にしている、と主張する人もいます。では、どうして日本語の紛争が英訳では disputes になるのでしょうか。日本語の意味では、紛争は小規模な戦争状態を意味しています。これは、双方が妥協せず言い争っている状態の disputes ではあり得ません。
どの国家も、このような disputes 状態を解決する手段の一つとして、戦争する権利を有していました。戦争を挑み、それを受けるのは、国家として正当な姿でした。パリ不戦条約は、この『戦争を挑む権利』を放棄しようとしたものです。国際聨合憲章もこの精神を継承しています。マッカーサ憲法もこの精神を受け継いでいるので、disputes という単語を使用したのではないかと思います。中国語には争執という言葉があります。互いに譲らず言い争うことを意味しています。disputes は正にこの状態を指しますが、日本語には適訳がありません。
もう一度、言いますと、日本憲法第九条1項の文章は、既に(軍事力を用いて)小規模な戦争をしているにも拘らず、軍事力による威嚇や軍事力の使用を放棄する、という支離滅裂な文章になっている、ということです。何故日本の法律学者も憲法学者もこの『紛争』を避けているのか、理解できません。
  1. 2015-09-11 22:11
  2. URL
  3. chengguang #DibDBv7k
  4. 編集

Re: 国際紛争その2

> 以前にも書きましたが、現憲法はマッカーサ憲法と言う英文を基に作成されている、という主張に私も組みしています。
> 第九条の『国際紛争を解決するの手段としては、・・・』は、マッカーサ憲法英文では article viii にあり、as a means for settling disputes with any other nation. となっています。日本国憲法の英訳文では、as means of settling international disputes. となっています。a の有無や for と of との違いによる文章の意味合いについては専門家に委ねたいと思います。
> 現憲法を日本人が独自に考えた文言を基本にしている、と主張する人もいます。では、どうして日本語の紛争が英訳では disputes になるのでしょうか。日本語の意味では、紛争は小規模な戦争状態を意味しています。これは、双方が妥協せず言い争っている状態の disputes ではあり得ません。
> どの国家も、このような disputes 状態を解決する手段の一つとして、戦争する権利を有していました。戦争を挑み、それを受けるのは、国家として正当な姿でした。パリ不戦条約は、この『戦争を挑む権利』を放棄しようとしたものです。国際聨合憲章もこの精神を継承しています。マッカーサ憲法もこの精神を受け継いでいるので、disputes という単語を使用したのではないかと思います。中国語には争執という言葉があります。互いに譲らず言い争うことを意味しています。disputes は正にこの状態を指しますが、日本語には適訳がありません。
> もう一度、言いますと、日本憲法第九条1項の文章は、既に(軍事力を用いて)小規模な戦争をしているにも拘らず、軍事力による威嚇や軍事力の使用を放棄する、という支離滅裂な文章になっている、ということです。何故日本の法律学者も憲法学者もこの『紛争』を避けているのか、理解できません。

 なるほどね。
 
 元々日本語でないモノを好い加減に訳したので、支離滅裂になったと言う事ですね。
 なんかもう高校の英語の試験みたいな話です。

 だから現実に紛争と言うか、国際的な問題が起きると、現実的な対応をどうするか意味不明になっちゃうわけですね。

 聖書だって原文はヘブライ語だったりアラム語だったりギリシャ語だったりしたのを継ぎ合せて編集したのです。 だから解釈も面倒になったのでしょう?

 でも聖典だから勝手に訳文を変えるも難しい。

 日本国憲法も聖典扱いだから、訳の問題にさへ突っ込まずに来たわけでしょう?
 だってそれに突っ込むと、これがアメリカから押し付けられた事を認める事になります。

 それでも日本が紛争にもdisputesにも関わらずに済んだ時は、無問題で済んだわけです。 しかし現在のように尖閣諸島の近海を中国船が遊弋している状況になると、もうどうにもならないわけです。

 これってまさに紛争でしょう?
  1. 2015-09-12 10:08
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する