1970年
文字の読めない国民の悲劇<ハングルの話
文字の読めない国民の悲劇<続編
文字の読めない国民の悲劇

ワタシはこの韓国の廃止政策は、人類史上稀なる暴挙だと思っています。
漢字廃止論は日本も含めて近代以降の東アジアで結構議論されました。
その根拠の一つは「漢字の数が多く、また大変複雑な字が多い事から、識字教育が難しい。」と言うモノです。 もう一つは梅棹忠夫などが提唱したモノで「漢字ではタイプライターの使用が難しく、事務処理が非常に非能率になる。」と言う説です。
しかしの朝鮮の識字率は日本統治時代に既に7割程度で、しかも字が読めないのは、日本統治が始まる前に成人していて、学校に行く機会のなかった高齢層が中心でした。
当然ですが日本、台湾の識字率の高さは、当時の世界でも最高水準でした。
だから「漢字で識字率が下がる」云々と言うのは、全く根拠はないのです。
また梅棹が漢字での事務処理の問題を言い始めたのは1950~60年代の頃です。
しかし70年代になると、ゼロックス等のコピー機が登場して、その問題の解決には目途が立っていました。
ところが韓国が漢字廃止に踏み切ったのは、正にこの70年代なのです。

では一体韓国は何の為に、漢字を廃止したのでしょうか?
朝鮮は元来漢文の国でした。 朝鮮最高の名文家としてお札の肖像や軍艦の名前になっている李栗谷だって漢文しか書いていないのです。
韓国人が顕彰してやまない歴史的文人と言うのは、皆漢詩漢文で文名を残した人々なのです。
ところが現在の韓国人には、彼等の書いた文章は全く読めません。 現在韓国人にとって18世紀、19世紀の文人の書いた名文はヒエログリフやミノア文字と同様なのです。
この漢字廃止が反日の為であったと言うなら、文化の焦土作戦ではありませんか?
勿論漢詩漢文が朝鮮文化になっていたとは言え、漢字ハングル交じりの表記法は福沢諭吉が考えた表記法で、その意味は完全に日帝残滓ではあります。
しかしだからと言って完全に漢字を廃止すれば、自分達の祖先の名文さへ読めなくなるではありませんか?
しかも日本は別に韓国を攻める気なんか全然ないのですから、喜劇的にして悲劇的なる反撃なのです。

何でこんな暴挙ができたのか?
漢字廃止なんかしたら、文化以前に日常生活でも混乱が起きる事は明白なのに・・・・。
ワタシは思うのですが、韓国人って数年先の事は考えないのではないでしょうか?
だからこんなトンデモ政策が実現したのではと思うのです。
ある日突然漢字を全面廃止するとなれば、日常生活でも困るのですが、しかしこの政策は元来漢字廃止として始まったわけではなく、学校で漢字を教えないと言う事で行われたのです。
だから漢字廃止政策が始まっても、当初は全然大人の日常には影響がないのです。
それで全然、抵抗感がないのでしょう。

その為これと言った反対もないまま漢字廃止教育が進み、その教育を受けた子供達が世に出るにつれて、世の中から漢字が消えて行ったのです。
勿論、こんな政策を続けたらこういう結果になる事は誰でも簡単に予想できるのです。 そうなれば漢字廃止教育が始まった頃成人だった人達は、大変な不便を蒙る事も、簡単に予想きます、
しかし韓国人は「予想」と言う事をしないのでしょう。

ワタシがそう思うようになったのは、平昌オリンピックの騒動を見たからです。
何を考えていたのか理解できません。 平昌オリンピック
韓国では現在、平昌オリンピックの経済性、オリンピック後の施設の管理等について、大騒ぎになっています。
それりゃあ当然でしょう?
だって平昌郡は人口4万5千人、年間積雪量は26㎝です。 ソウルから車で3時間半以外、交通機関がありません。
こんなところでオリンピックなんかすれば、後々どうしようもないのは誰にでもわかります。

韓国が平昌オリンピックの招致を始めたのは、2000年前後からです。 開催が決定したのは2011年ですが、その前に過去二回もオリンピック開催に立候補しています。
10年以上招致活動を続けた末に、開催を勝ち取ったのです。 他の都市は一回招致に失敗すると、もう次には立候補しませんでした。
しかし韓国だけが続けたこの超ロングラン招致運動の間、韓国世論にはオリンピックの経済性等に関する疑問はでなかったのです。

そして今頃になってようやくこの経済性を問題にし始めたのです。 企業のスポンサーが当初の計画通り集まらず、会場建設が遅れに遅れてから、ようやく経済性が問題になったのです。
大変不思議なのですが、韓国の世論にはこんな愚かしい招致活動をやったことへの反省はありません。
これを見ていれば、韓国人は先の事は予想できない、先の事を考える習慣はないのでは?と思ってしまいました。
或いは目の前の事に熱中したら、先の事も回りの事も眼中に無くなるのでしょう。

招致の話が出たら、全国民が招致だけに一丸となって燃え上がり、他の事は何も考えない。
失敗したら更に燃える。
もう一度失敗したら更に更に燃える。
もう何が何でも招致する事以外考えない。
そして遂に招致を勝ち取ったのですが、その間にオリンピック開催後の施設の維持管理などの問題は、誰も考えなかったのです。
目の前の事に熱中すると、もう他の事は何も見えなくなるのです。
挙句に会場建設が進まず、開催が目の前に迫る今頃になって、初めて周章狼狽する事になったのです。

こんな国民性であれば、学校教育でのハングル廃止が決まった時に、その後起きるであろうトラブルなど考えるはずもないのかもしれません。
目の前でトラブルがなければハングル廃止後の問題など、予想する事はないのです。
「日帝残滓を廃止して、民族の精神を取り戻す。」
こんなスローガンを掲げられたら、もうそれに熱中して後の事は何も考えていなかったのでしょうね。
だからこんな暴挙ができたのです。

で、現在また韓国で漢字教育を復活しようと言う話が出ているそうです。
そうなると漢字復活世代が成人し、彼等が社会の多数派になる頃には、漢字廃止世代は事実上の文盲になります。
新聞記者等、知的職業をする人々にとってはこれはもう死刑宣告のはずです。
当然猛反対!!と思われます。
韓国人ですから、こんな風に狂気の反対デモが起きるはずでは?
今夜はお泊り、一泊二日のデモ行進だって

しかしデモが起きる様子もありません。
つまり漢字廃止の時と同様、先の事は予想しないのです。
彼等は目の前には狂気のごとく熱中するけれど、先の事は考えないのです。
韓国人の言動にはこのような特性があると考えておくべきではありませんか?